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悪女が生まれるまで、あと300日  作者: サモト


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8/8

8話 あなたのために/貴女のために

 誕生日以来、わたくしの生活は変わった。


 城内でお姉様に会えば、礼節を保って接する。横暴な振る舞いはしない。

 簡単ではないけれど、そばにマルグリッドがいてくれるのはありがたかった。行き過ぎれば、きちんとたしなめてくれるからだ。


「エリザ、これ」


 ある日、お姉様がおずおずと籠を差し出してきた。


「お土産でいただいて……おいしかったから、あなたにもと思って」


 中身は菓子だった。

 わたくしは黙って受け取る。


 バカ犬は、今日は静かだ。余計な口を挟むこともなく、お姉様の後ろに控えている。


「……ありがとう」


 つぶやくように言うと、お姉様はぱっと顔を明るくした。

 それから、嬉しそうに声を弾ませる。


「もう結婚式ね。いつ引っ越してしまうの?」

「……さあ」

「さあ、って。あと三日でしょう?」

「……」


 答えずにいると、わたくしと同じ色の瞳が、心配そうにこちらをのぞき込んできた。


「……ねえ、エリザ。何かあったの?」

「何かって、何よ」

「ノワイエ侯と……。赤いドレスを渡しに来た時、彼のこと、乱暴な呼び方をしていたでしょう?」


 そういえば「あいつ」呼ばわりした気がする。

 よく覚えているわね。


「喧嘩でもしたの?」

「……別に。何もないわよ」


 わたくしは踵を返した。

 言いたくない。

 おまえのせいで、こんな目に遭っているなんて。

 そんなことを口にするのは、あまりに惨めだった。


「……マルグリッド、戻ったらお茶を入れて」

「はい。このお菓子に合うものを」


 部屋へ戻る。

 扉を開けた瞬間、わたくしは面食らった。


「なに、これは」


 部屋が、空になっていた。

 使い慣れた文机も、特注の鏡台も、お気に入りの絵もない。

 何もない壁と広くなった床が、陽光に白々と光っている。


「お帰りなさいませ、エリザ様」


 がらんとした部屋で待っていたのは、ルシアンだった。


「どちらへ行かれていたのですか?」

「その前に、これは何!?」


 歩み寄り、怒鳴りつける。


「わたくしの部屋を、どうしてくれているのよ!?」

「お引っ越しです」

「勝手に決めないで! わたくしにだって予定があるのよ!」


 ルシアンには内緒で、リゼットを招いていたのだ。

 明日、会うはずだったのに。


「――ご心配なく。エリザ様のご予定は、ちゃんと心得ておりますよ。()()()


 すべて。

 その言い方に、背筋がひやりとした。


「リゼット嬢には、きちんとお断りを入れておきました。ご安心ください」


 芯から身体が冷えた。


 ルシアン。この男は。

 どうして、そこまで。


「……どうして、わたくしからそうやって奪うのよ!?」

「奪ってなど。すべて貴女をお守りするためです、エリザ様」


 わたくしが睨んでも、ルシアンは一向に動じなかった。

 ただ、いつものように優しく微笑んでいる。


「貴女は人を惹きつけてしまうお方だから。良いものも、悪いものも」


 すっと、紫色の目がマルグリッドを捕らえた。


「今日までご苦労様でした。次の配属先は、女官長に聞きなさい」

「ダメよ、ルシアン。あれはわたくしのよ。連れて行くの」

「役立たずと仰っていたでしょう?」


 ルシアンはわたくしの胴に腕を回した。


「それに、彼女は危険です」

「どこがよ。マルグリッドは忠義ある召使よ。本当の忠臣だわ」


 おまえよりも、という気持ちを込めて言う。

 ルシアンは痛ましげに眉を下げた。


「エリザ様。彼女のことを、どれほどご存じですか?」

「どれほどって……」

「生家は? 父親は? どの派閥に属し、誰とつながっているか。ご存じで?」


 言葉に詰まった。

 知らない。わたくしは、マルグリッドという名しか。


「マルグリッドは、隣国ドラクールに縁のある家の者です。

 ドラクールはペニシュラ同様、我が国の主権を奪う機会をうかがっている。

 王女である貴女に取り入ることができれば、どれほど都合がよいことでしょう」


 すらすらと説明し、ルシアンは守るようにわたくしを抱き寄せた。

 飼い慣らされてきた身体は、反射的に、マルグリッドへ疑いの目を向ける。


「違います!」


 マルグリッドはまっすぐにわたくしを見つめ、訴えた。


「生家など、とっくに捨てたようなものです。

 わたしには、あなただけ。エリザ様だけです!

 信じてください!」


 両方から訴えられて、たじろいだ。

 分からない。何が正しいのか。

 ただ戸惑うしかない。


「――ひとまず、安全をお取りなさいませ」


 ルシアンが、わたくしの髪を優しく梳きながら耳元で囁く。


「エリザ様がご自身で安全を確かめられたのなら、私もおそばに置くことを反対いたしません」

「本当?」

「ええ。珍しくそこまでお気に召したのに、無理に引き離すのは忍びありません」


 それなら、と納得しかけた。

 けれど、向き直ったマルグリッドは恐ろしい形相をしていた。


「嘘つき」


 射殺さんばかりの目で、ルシアンを睨みつける。


「また近づける気など、ありもしないくせに」


 マルグリッドの手が、エプロンの内側へ滑り込んだ。

 ぎらり、と銀色が光る。


「マル……グリッド……?」


 ナイフだと分かって、声がかすれた。


「死ねえええええっ!」


 マルグリッドが叫び、床を蹴る。

 刃の先は、まっすぐルシアンへ向いていた。


「やめて!」


 なぜ、そんなことをしたのか分からない。

 裏切り者で、嘘つきで。恨んでいるはずなのに。

 わたくしはルシアンの前へ飛び出していた。


「エリザ様!」


 ルシアンは素早く、わたくしを押しのけた。

 後のことは、一瞬だった。


 突進してきたマルグリッドの腕をつかみ、手首をひねる。

 ナイフの切っ先が、持ち主の方へ返った。

 ルシアンはためらいなくナイフをのどに刺す。


 赤が散った。

 磨き上げられた床に、白い壁に、わたくしのドレスの裾に。


「が……っ」


 うめく口から、血泡が漏れた。

 もう十分なはずなのに、凶器ははでに太い首を裂いた。

 血しぶきをあげながら、大柄な身体が木偶のように崩れ落ちる。


「……やれやれ。思った通り、危ない女でしたね」


 ルシアンは血に濡れた手を一振りした。

 ハンカチで手指を拭い、マルグリッドの顔の上へ投げ捨てる。


「……死んだ、の?」


 わたくしは呆然と、床に座りこんだ。

 皮が厚くて、不格好な手を握る。


 まだ温かい。

 でも、もう握り返してはくれなかった。


「……わたくし、ひとりぼっちね」


 ぽつりとこぼすと、答えがあった。


「人はひとりですよ」


 乾いた声。


「生まれてから死ぬまで、ずっと」


 見上げると、ルシアンは知らない顔をしていた。

 微笑みのない、冷たく虚ろな表情。


 ――ああ。これが。


 わたくしは、ようやくルシアンの本当の姿を見た気がした。


「でも、だからこそ。私は貴女を一人にはいたしません」


 マルグリッドを握っていた手を、掴まれる。


「貴女が、私を庇ってくださったように」


 息が詰まった。

 ナイフの前へ飛び出した自分の姿が、脳裏によみがえる。


 わたくしの後悔とは裏腹に、ルシアンは幸せそうに微笑んだ。


「生涯、貴女のそばで、貴女を守り抜く。

 貴女が死ぬ時は、私の死ぬ時。

 ――貴女は、私の愛そのものだから」


 嘘つき。

 嘘つき、嘘つき、嘘つき。


 わたくしから友人も常識も、体面も誇りも、何もかも奪ったくせに。

 わたくしの人生をめちゃくちゃにしたくせに。


 そう思うのに、この手を拒むだけの力がない。


「参りましょう、私の屋敷へ」


 引かれるままに、部屋を出る。

 最後の最後まで、わたくしは床に広がる赤を見つめていた。

 失ったものを目に焼き付けるために。


 自分の無知さと、無力さを思い知った。


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