12話 性悪王女のお勉強
思いつきの家出だったけれど、ルシアンと離れたことで、わたくしのするべきことは見えてきた。
正しい知識と、正しい立ち居ふるまいを覚えること。
わたくしはせっせと公爵邸の書庫に通った。
領地経営の基本、王宮の役職と権限、帳簿の読み方。
ルシアンに遠ざけられていた知識を、手当たり次第に読み漁った。
けれど、本で読むだけでは今ひとつ実感が湧かない。
「百聞は一見にしかず、よね」
わたくしはガスパールの執務室へ押しかけた。
壁を埋め尽くすお姉様の肖像画は、華麗に無視する。
「ねえ、あなたの仕事を見学させて」
執務机で書類を読んでいたガスパールは、目を点にした。
「頭でも打ったか、性悪女」
「それは何? 契約書?」
「馬鹿、勝手に見るな!」
ガスパールは慌てて書類を抱き込む。
「赤の他人に、内情に関わるものを見せられるか!」
「ちょっとくらいいいでしょ」
抵抗もむなしく、追い出された。
「けちね」
「いや、当たり前だろ。重要な書類もあるだろうし」
ロランに呆れ顔をされる。
ううん、困ったわね。
弱みを使って脅す手もあるけれど、あまり乱用すると逆上されそうだし。
「教えたくなるように仕向けられないかしら」
考えること数秒。
聡明なわたくしは、閃いた。
自室へ戻り、衣装を改める。
それから、もう一度ガスパールの元を訪れた。
「なんだ、性悪女。今度は何しに――」
ガスパールの目が、わたくしに釘づけになる。
「どうかしら、ガスパール」
胸元の大きく開いたドレスを見せつける。
背中も広く開いた、大胆な夜会服。とろりとした布地が、脚から腰にかけての線を上品に浮かび上がらせていた。
「な、な、な――それは」
「衣裳部屋の隅にあったのよ。去年、お姉様への贈り物にするつもりだったのでしょう? メッセージカードがついていたわ」
ぴらりとカードを見せる。
「でも渡せなかった。どうして?」
「……だ、大胆すぎると思って」
そこまで大胆ではない。夜会服ならありふれた範囲だ。
気にしすぎる理由は、おそらく――
「こんなものを贈って、下心があると思われるのが嫌だった?」
「――!」
図星らしい。青白い頬に、さっと朱が差す。
「どう? 嬉しい? 見たかった姿が見られて」
一歩、距離を詰める。
ガスパールは耳まで真っ赤になった。
「や、やめろ……!」
「嫌そうな顔のわりに、ずいぶん熱心に見るのね」
目はまったく逸れていない。
それを確かめてから、わたくしはさっとショールを羽織った。
名残惜しそうな顔をしたのが、実に滑稽だ。
「ね。あなたの仕事を見せてくれるなら、しばらくこの格好でそばにいてあげる」
「さっきも言ったが、それは――」
「何も全部見せろとは言っていないわ。見せられる範囲でいいの」
ガスパールが唾を飲み下す。
「……アレクシアには言うなよ」
「もちろん。秘密にするわ」
交渉成立だ。
「で、今は何をしているの?」
「地方の徴税記録を見ている」
「ずいぶん数字が減っているわね」
「川が氾濫したから、税を減らしたんだ。橋も壊れた。今年の収支はぎりぎりだな」
「橋の補修費が必要なのに、減らしたの?」
「作物の収量が少ないせいで、ただでさえ生活が苦しいんだ。
ここで無理に取れば領民が潰れる。そんなことも分からないのか!」
怒鳴られてむっとしたけれど、我慢した。
今は、我慢しなければいけない時だ。
帳面をのぞき込むと、ガスパールがいぶかしげに眉を寄せた。
「いったい何だって、こんなことを学びたくなったんだ?」
「ただ覚えたいだけよ。貴族の務めを」
「毎日遊び呆けていたくせに。今さら改心したのか?」
「そんなところよ。この欄は?」
「ああ、これは――」
説明しかけて、ガスパールは憮然とした。
「なぜ僕が、おまえにこんなことを教えなければならないんだ?」
「お姉様に『ガスパールはとても優秀で、最高のお義兄様だわ』と報告されたくない?」
「……『頼りになる』も付け加えろ」
ガスパールは他にも、領民からの訴状、王宮への上申文、商人組合との契約書の草案を見せてくれた。
わたくしが分からないところは、渋々ながら解説つきで。
――楽しい。
豪華な服をまとい、甘い菓子を食べ、美しい音楽に浸る。
そういう贅沢では埋まらなかった空白が、少しずつ満たされていく気がした。
「ねえ。何か手伝わせてよ」
「はあ!? おまえみたいな甘ったれに、仕事なんて任せられるか」
「やらせてみなくちゃ分からないじゃない」
ガスパールは露骨に嫌そうな顔をした。
それから、机の上から紙束を何枚か抜き出し、どさどさとわたくしの腕に積み上げる。
「一番上の手紙は翻訳して返事を書け」
「ちょっと。ドラクール語なんて知らないわよ。ペニシュラ語ならできるけど」
「なら覚えろ。二番目の書類は要点をまとめろ」
「ずいぶん分厚いのね」
「三番目の冊子は、数字が合っているか検算しろ」
……こいつ。
無理を押しつけて、諦めさせる気ね。
「いいわ。やってやろうじゃないの」
三日後。
わたくしは翻訳文と要約書、それから計算を終えた帳面を、ガスパールの机へ置いた。
「ほら、できたわよ」
「……本当にやったのか?」
疑わしげに受け取ったガスパールが、書類をめくる。
一枚、二枚、三枚。
そのうちに、顔つきが少し変わった。
「翻訳はところどころ硬いが、意味は取れているな。要約も、大筋は外していない」
「当然よ」
「検算も……合っている」
ふん、と鼻を鳴らす。
けれど、さっきまでのような露骨な軽視はなかった。
わたくしは片手を差し出す。
「次の仕事をよこしなさい」
「はっ。やれるか、そんなもの。仕事が遅すぎる」
「期限を指定しなかったのは、そちらの手落ちよ」
「……口の達者なやつだな」
ガスパールは憎々しげに、新しい書類を渡してきた。
「今度はこれだけ?」
「明日までにやれ」
「常識的な量と期限を出せるじゃない」
やった。
図書室に籠って辞書をひっくり返し、プライドをねじ伏せて執事たちに教えを乞うた甲斐があったというものよ。
書類を抱えて、自室に戻る。
机の上に、見覚えのない大きな箱が置かれていた。
「これは?」
侍女に尋ねる。
「先ほど、アレクシア様から届いたものです。ノワイエ侯からの預かり物だそうで……」
ルシアンから?
ご機嫌取りの贈り物かしら。
そうなら、突き返してやるんだから。
勇ましく蓋を開けて、目が点になった。
中には、わたくしの私物が詰められていた。
日々の化粧品、好きな茶葉、読みかけだった本、使い慣れた櫛。
いちばん下には、愛用の枕まで入っている。
「……」
憮然としていると、後ろでロランが小さく吹き出した。
「まるで親の差し入れだな」
「うるさいわね!」
箱の中から枕を引っつかみ、ロランに投げつけて部屋から追い出す。
侍女も下がらせ、一人になってから封筒を開いた。
便箋には、見慣れた流麗な筆跡で、簡単に三文。
『突然のことで驚きましたが、あなたの意志を尊重します。
滞在先でお困りのことがないよう、ご愛用の物をいくつかお送りしました。
お戻りをお待ちしております』
拍子抜けだった。
もっと怒るとか、早く戻ってきなさいとか、そういうことを言われると思っていたのに。
「……」
物足りなく感じている自分がいた。




