10話 姉妹の協定
居座る理由を得たわたくしは、堂々と長椅子に腰を下ろした。
飲みかけだった紅茶を口にし、焼き菓子をつまむ。
……ふむ。なかなか美味しい。
良い居候先を得たものだわ。
「いつまでそこに突っ立っているの?」
わたくしは渋い顔で立ち尽くしているガスパールを一瞥した。
「出ていくなら出ていく、用があるなら用を早くおっしゃいなさいな」
「……この状況はまずい」
ガスパールは渋い顔で言った。
「アレクシアが知ったら、どう思うか……」
「『まあ、なんて仲のいい未来の義兄妹』ってお喜びになるのではない?」
「そんなわけあるか!」
青白い頬を紅潮させて、ガスパールが叫ぶ。
「おまえみたいな女を屋敷に置いていると知ったら、アレクシアが不快に思うかもしれない。軽蔑されるかもしれない」
「婚約者であって、恋人ではないのだから。そこまで気にする必要あるの?」
「ある!」
ガスパールは声高に叫ぶ。うるさいわね。
「お姉様の許可があればいいのね?」
ため息と共に、わたくしはカップを置いた。
「明日、わたくしを王宮へ連れていきなさい。お姉様の許可を取り付けてやるから」
「絶対、目立たないようにしてくれ。
おまえのような女とつるんでいるなんて、世間に知られたくない」
「それはこっちのセリフよ。おまえと変な噂が立つなんて、経歴に傷がつくわ」
わたくしたちは睨み合って、その日は別れた。
翌日、わたくしは侍女の格好をし、王宮へ向かった。
ガスパールからの贈り物を届けに来たという名目で、お姉様の執務室へ入る。
「ご機嫌麗しく、お姉様」
優雅に一礼してみせると、お姉さまは目を真ん丸になさった。
「エリザ!?」
「少しお願いがあってきたの。
わたくし、しばらくガスパールのところに滞在するわ」
「ガスパールの!?」
「婚約者として、許可をもらえる?
もちろん向こうの了解は取り付けてあるから」
お姉様はあたふたと執務机から立ち上がった。
「ちょっと待って、話が急にすぎてついていけないわ。いったいどうして」
「……ルシアンと距離を置きたいのよ」
その一言で、お姉様の顔色が変わった。
わたくしに、執務机の前にあるテーブルセットを勧める。
「……やっぱり、何かあったの? ノワイエ侯と」
「彼にひどい扱いを受けているの」
お姉様は困惑して、わたくしの体を見回した。
「暴力は振るわれてないわよ」
「そうよね。そんなことをなさる方ではないわよね」
姉はほっと胸を押さえた。
「――なら、どんな?」
「わたくしをどうしようもない愚か者にしようとするの」
お姉様は氷の塊を呑まされたように青白く硬直した。
「お姉様のためにね」
はっと笑う。
お姉様はくしゃりと顔を歪めた。
やめてよ。そうしたいのは、こっちの方よ。
「……知っていたのね」
「二人が話しているのを、たまたま聞いてしまったのよ。
わたくしを甘やかすのは、お姉様の敵にならないようにするため――だとね」
「エリザ……」
「謝るのはやめて。ただ自分の罪悪感を減らしたいだけでしょ?」
わたくしの片割れは、両手を握ってうつむいた。
苦しんで欲しい、と思う。
それを望んだわけではない姉を、本当に責めることはできないから。
「わたくし、人生をやり直したいの。協力して」
「……分かった。できることは、なんでも協力するわ」
顔を上げたお姉様を前に、わたくしは思案を巡らせた。
現状を変えるには、信頼できる味方が必要だわ。
ここはひとつ、姉との結びつきを強化しておいた方がいいわね。
「わたくしね、お姉様と対立なんてする気はないわ」
ためらう腕を鼓舞して、お姉様を抱きしめる。
「誰に何を言われても、それは信じて」
「ええ、エリザ。もちろん信じるわ」
お姉様もわたくしの背に手を回してきた。
少し、居心地が悪い。
抱きしめる強さほどに、まだ絆の強さを感じてはいないから。
「これからは、仲のよい姉妹でいましょう。
そうすれば、きっとルシアンも変な干渉はやめてくれるはずよ」
「ええ。わたくしたち、世界にたった一人の片割れだものね」
心底、そう思っているのだろう。
姉は無垢な微笑みで、そんなことをいう。
欲望や疑念の渦巻く王宮で、それはひどく場違いに見えた。
「でも、ガスパールなんて……意外だったわ。いったいどうして?」
「たまたま昨日、王宮で会ったのよ。昔の貸しがあったから、少しの間、部屋を貸せといってやったの」
本当は脅して勝ち取ったけど、そこはぼかした。
少し不安を見せた姉に、きっぱり断言する。
「妙な誤解をしないでね。男としての興味はないわ。カケラも」
「違うのよ。彼にそんなに強気に出られるのが、すごいと思って」
姉の服装に目を走らせる。
慎ましくおとなしい格好。
「……ねえ。お姉様の格好って、まさかガスパールの趣味?」
「趣味というか……派手な格好をしていると、ガスパールが不機嫌になるのよ。
男を誘惑しているのかって……だから」
呆れた、あの男。何様のつもりかしら。
顔色うかがって従ってるお姉様もお姉様だけど。
「お姉様。一言、ガスパールにいってもらえる? 妹をよろしくって。
お姉様に誤解されたくないって、うるさいのよ」
「ええ。分かったわ」
「今は庭にいるわ」
立ち上がって、姉はふと足を止めた。
「ノワイエ侯のことは、どうするの?」
確かにそうね。
不在を騒ぎ立てられたら、困るわ。
お母様の耳に入ったら……ルシアンの家に謹慎処分にされそう。
「昨日、探しておいでだったわ。
あなたがいないって、わたくしのところにも行方を尋ねにいらしたの」
「……これを渡してもらえる?」
少し考えて、わたくしはペンを取った。
紙に伝言を書き付ける。
『しばらく家を留守にします。
騒ぎ立てたら二度と戻らないから、そのつもりで』
お姉様はうなずき、紙を丁寧に折りたたんだ。
「……本当に心配そうだったわ。
いつも身だしなみの整った方なのに、それも乱れて」
「ルシアンのこと?」
「何か良くないことが起きたのではないかって、王宮中を探し回っていたわ」
甘い期待が、心をざわめかせる。
なだめるために、わたくしは自分の言葉で自分を刺した。
「そうね。心配するでしょうね。
ドラクール派やペニシュラ派にさらわれていたら困るものね」
姉は物言いたげにした。
人の良い姉は「ノワイエ侯は、打算でなくあなたを心配している」とでも言いたかったのだろう。
でも、言葉にはしなかった。
そこまで愚かでなくてよかったわ。
口にしていたら、わたくしは姉に怒鳴ったはずだもの。
自分の心を揺らさないために。




