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Metamorphose  作者: 月の輝く夜に
15/19

告発

決断は、固まった。

時間はなかった。


間もなく、ノーベル賞の選考が、大詰めを迎えようとしていた。

下馬評では、鷲尾が最有力候補だった。もし受賞が発表されてしまえばその権威は、もはや容易には、揺らがなくなる。

世界が、こぞって彼を称えたあとで、それが盗用だったと告発したところで、人々は聞く耳を持つまい。既成事実の壁は、あまりに、厚い。

いったん輝いた栄光を、後から消し去ることは、限りなく難しい。


発表の前に、動かねばならなかった。


私は会見を急ぐことに決めた。

九条が、その力で世界中の報道陣が集まる大きな舞台を、わずかな日数で、整えてくれた。


私は、化粧を整え、ブラウスとスカートという女の姿でそこに臨んだ。奈緒は、何も言わず私の化粧を整えてくれた。これから男であったことを公表しようというのにひどい矛盾のような気がしたが、ミスユニバース日本代表という肩書を使うことが、女である私を前面に出した。

いや、実はそうではないかもしれない。私は、今の私が女であることを肯定していた。だからこそ、この姿でカメラの前に立つことを望んだのかもしれない。


会場は、世界中の報道陣で、埋め尽くされた。無数のカメラ。無数の、見知らぬ目。かつて、私が、最も恐れた、あの視線の渦が、いま、最大の規模で、私に、向けられていた。


けれど私はもう震えていなかった。

これは、復讐の、ためではない。私は、自分に、言い聞かせた。奪われた、私の名誉を――神谷真という人間が、確かに存在したこと、そしてその名誉を、取り戻すためだ。そのために、いま、ここに、立っている。


「みなさん、今日はお集まりいただいてありがとうございます。」私は続けた。


「ノーベル賞候補・鷲尾隆三氏の、受賞対象となっている研究その、本当の記録がここにあります。これを書いたのは、鷲尾氏ではありません。神谷真という一人の研究者です。その研究を実行したのは、その人間です。鷲尾氏は、それを奪い、自らの研究として発表しました。そして、その研究者を、その政治力を使って葬りさりました」

壇上で、私は、原本のノートを、掲げた。

ざわめきが、波のように、広がった。


私は、息を吸った。そして、世界中が、見守る前で、最も信じがたい一言を、口にした。

「その、神谷という研究者は――私です」

――その頃、鷲尾隆三は、自宅の書斎で、その会見を、見ていた。

テレビの画面に、映し出された、美しい娘。少し前まで、自分の研究室で雑用をさせ、夜の席に侍らせ、いずれは我がものに、と舌なめずりしていた、あの娘だ。


その娘が、自分の実験ノートの原本を、掲げている。

鷲尾の手から、グラスが、滑り落ちた。

「……ばかな」

あれは書斎の金庫にしまってあったはずだ。誰にも、触れさせていない。なぜ、あの娘が。

混乱する頭で、彼は、画面を凝視した。


そして、聞いた。その、神谷という研究者は、私です――。

一瞬、鷲尾には、その言葉の意味が、わからなかった。神谷真。あの自分が、握りつぶした、冴えない中年男。とうに、消えたはずの。それが、なぜ、この、輝くばかりの若い女の口から。


だが、次の瞬間、彼の脳裏に、すべてが、つながった。

あの娘が、ふとした拍子に見せた、不自然なほどの専門知識。論文の、核心を突いた、あの質問。自分を見る、あの、奇妙に底光りする目――。


ありえない。ありえない。けれど、目の前で、それは、現に、起きていた。

自分が、欲望の対象として、手元に引き寄せた女は。よりにもよって、自分が、人生を奪い、葬り去った、その男だったのだ。

なんという迂闊さ。


鷲尾の口から、声にならない、呻きが、漏れた。


――私は、語り続けた。

かつて、四十二歳の男であったこと。研究を奪われ、家族にも見捨てられ、すべてを失い、絶望の果てに、自らの身体を、実験で作り替えたこと。そのすべてを、淡々と、けれど、一切の偽りなく。


カメラのフラッシュが、嵐のように、私を、照らし続けた。


質問は当然あった。私が事前に想定していたことだ。


「どうやって自分の身体をつくりかえたのですか」

ー私は、幹細胞を使って、がん化させ、アポトーシスを組み込んで自分の身体を食わせたことを伝えた。


「どうやってそのノートを手に入れられたのですか」

ー私は、研究室に潜り込み、鷲尾がかつての自分の研究についての証拠を残していないかを探ったことを伝えた。桑原の名前は出さなかった。


「ミスユニバース日本代表という肩書を得られたことはその手段だったということですか」

ー私は肯定した。そして、私がその大会をそのように使ったこと、全ての候補者に対して謝罪すること、ミスユニバース日本代表は辞退することを述べた。


「神谷さん、あなたは現在男性ですか、女性ですか」

ーそれは答えにくい質問だったが、遺伝子上、構造上は完全に女性であること、そして迷った末に、自分が自意識としても女性であることを伝えた。


最後に、私は伝えた。

「ノートのコピーと、研究の概要、そして私が自身に対して行った実験の概要については手元に資料としてお配りします。ただ、一点お伝えしなければならないのは、この実験自体が極めて危険を伴うものであり、同じ結果を全く保証できないものであるということです。私がここに立てているのは偶然の産物、奇跡と言っても良い確率の上にあるもので、科学者としてお伝えすることは忸怩たるものがありますが、この結果には全く再現性がありません。また、私自身の身体も、決して安定しているものではありません。常に実験の副作用に脅かされながら、今ここにいます。なので、絶対に安易な模倣はしないでください。これは、私が申し上げる資格のないことですが、これは、神の領域に踏み込もうとする実験です。神の怒りを買い、ただの肉塊と化す、または痛みに耐えられず死亡する可能性の方が極めて高い、そういう実験です。」


そうして、私は段を降りた。


****


鷲尾は、黙って葬られることを潔しとはしなかった。

会見の直後、彼は、半狂乱になって、反撃の会見を開いた。


あれは捏造だと。

あの女は、虚言癖のある、心を病んだ人間だと。

ノートは偽物だ、自分こそが、本当の発見者だと。

あらゆる伝手を使い、私を叩き潰そうとした。


けれど、もう遅かった。

原本のノートは、筆跡も紙の古さも当時の記録との整合もすべてが本物であることを示していた。

何より、世界はすでに私の言葉に釘付けになっていた。

あれほど彼にひれ伏していた者たちが潮が引くように彼から離れていった。


かつて一言で研究者の人生を左右できた男。

その命令には、もはや誰一人耳を貸さなかった。

彼の研究室にいる人間すら、見放した。

彼が声を荒らげるほど、その姿は惨めに見えた。


権力とは、人が従うあいだだけ力なのだ。

誰も従わなくなった瞬間、それは、ただの老人の空しい叫びに変わる。


鷲尾の受賞は、白紙に戻された。

財団が、私の示した証拠を精査し、研究の真の出どころを認めた。

栄光の絶頂にいた男は、一夜にして、科学史上最も恥ずべき盗用者として、その名を刻むことになった。


かつて彼が私の人生を消したように。

今度は彼自身の人生が消えた。


渡り廊下で言葉なくすれ違ったあの日。

お前を必ず引きずり下ろすと誓った、その誓いは果たされた。


けれど――不思議と、胸は、晴れなかった。


鷲尾を引きずり下ろしても、奪われた私の十年が戻るわけではない。

私が本当に欲しかったのはあの男の破滅ではなかった。

ただ、神谷真という人間が確かに生きていたことを、世界に認めさせたかった。



そして、私が、引き起こした嵐は、鷲尾の失脚だけでは、収まらなかった。


ミス・ユニバース日本代表が、かつて男であった。

その事実は、告発以上に、世界を、揺るがした。


美の象徴とされた女が、人の手で作られた存在であった。

人々は、熱狂し、混乱し、おびえた。

私という存在が、人間の、男と女の、そして美というものの根底にある何かを揺さぶったのだ。


やがて、その嵐は私自身にも牙を剝き始めることになる。


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