エルザの反撃 二回戦②
「そ、そうだったか?」
「ええ、私は婚約者であったときからずっと殿下もしくは第二王子殿下と呼んでおります」
いやだ、本気で覚えていないらしい。相手から名前を呼ぶ許しを出さなければ、婚約者だろうと名前で呼ぶことはできないというのは常識なのに。仕事以外に付き合いもなく、殿下には不都合がなかったから気付きにくかったのかもしれないけれど、心の底から私に興味がなかったということが丸わかりだ。むしろ呆れ返って、どこまでも振り回された自分が滑稽にすら思える。
「他にもいろいろ余罪がありそうだね。最後の機会だ、言いたいことは全部言ってしまえばいい」
レナルド様が自嘲する私の背中に手を添える。一緒に後始末をしてくれるということか。感謝の気持ちを込めて微笑むと、ジョエレ第二皇子殿下も私の隣に並んだ。彼もまたものの数分で求婚を断った相手であろうと、臣下として守ってくださるつもりらしい。
「不敬罪は気にしなくていいぞ。私が発言を許可する」
「お心遣いに感謝いたします」
お言葉を厚意としてありがたく受け止める。彼もまた、個性が強すぎるだけで根は真っ直ぐで優しい人なのだろう。さて、上司と皇族に不敬罪に問われないと確約されたのだ。もちろん遠慮なんてしませんよ!
不穏な気配を察したのか、第二王子殿下はビクリと肩を震わせた。エルザは笑みを深める。その認識は正しいですわ。だって私は悪役令嬢と呼ばれていましたもの、疑いを晴らして仕返しするのは慣れたものです。
「だいたい婚約者であったころの殿下が私に何をしてくださいましたか? 王家の命に従い、殿下のすべき書類の決裁や領地の視察、諸々の仕事を私が全て肩代わりいたしました。それなのに感謝するわけでもなく、むしろ問題を起こして余計な手間を増やすばかり。それだけ負担を強いておきながら、自分のどこが私に愛されていると思えるのです?」
さすがにそこまでひどいとは思わなかったのだろう。ジョエレ第二皇子殿下とレナルド様の目が冷ややかを通り越して氷点下だった。第二王子殿下は青ざめた顔で、刺すような視線を必死に受け流している。
「公務や他国との折衝だってそうですわ。本来なら婚約者として同行するだけでいい私に交渉の全てを丸投げしておいて、実績は自分のもの。それを許してきた王家も王家ですが、殿下もそれを普通に受け入れていましたよね。それはおかしいと、なぜ声を上げてくださらなかったのですか? 私は殿下の婚約者ではありましたが、あなた専属の傀儡ではないのです!」
おまえ何やってるんだよ、というお二人の心の声が聞こえてきそうだわ。第二皇子殿下なんかもはや異生物を見る目で、ポカンと口が開いている。その気持ちわかりますわー。お二人とも有能だし仕事は責任を持ってなさる方ですもの、それこそ信じられませんよね。するとさすがにまずいと思ったのか、刺さるような二人の視線から逃げていた第二王子殿下がようやく反論を口にした。
「だが婚約破棄はエルザの側に責任があるではないか! それを慈悲深い王妃殿下は特別に許してやるとおっしゃっているのだ、感謝して再婚約を結ぶのは当然のことだろう。それも王弟殿下に嫁ぐのが嫌だとわがままをいうから仕方なく私の婚約者に戻してやろうというのに、何が不満なんだ?」
「は、誰が王弟殿下に嫁ぐと?」
真横からレナルド様の怪訝そうな声が聞こえる。さすがにあの状況ではそこまで情報は回ってきませんよね。
「私ですわ。二回目の婚約が破棄された直後に父が王家から打診されたそうです」
「現国王の王弟といえば、我々よりもずいぶんと歳上だっただろう?」
「ええ、私の父と同じ年代ですわ。王弟殿下には二度の結婚と二度の離婚歴があり、庶子は認知されているだけでも五人いて、認知されていない子供も入れると両手では足りないような方です。しかも今回は勝手に破棄できないよう王命で婚約を命ずることも検討されていたらしいですわ」
そう答えた瞬間、エルザは両側から物騒な圧力を感じた。一般的に殺気と呼ばれるような類のものだ。向かう先はエルザではないけれど、挟まっているだけでそこはかとなく命の危機さえ覚える。そして力の向かう先では第二王子殿下が受け止めきれずにとうとう下を向いていた。
「ほう、彼女に王家の問題児をあてがうつもりだったのか。これはもう容赦はいらないな」
「私にやれと命じていただければ、とことんまでいかようにでも」
「レナルドの好きなようにやっていい。私が許可する」
「承知しました」
「そのかわり徹底的にやれ。証拠は残すなよ」
「もちろんです」
どういうわけか、やれが殺れに聞こえる。それは私だけではないようで、背後でひっそりと気配を消していたガレッティ様がそっと部屋から出ていこうとするのを、視線で止める。ごめんなさい、もうちょっといて! あなたが唯一無関係の第三者で最後の良心なのよ!
「……エルザ?」
「はいすみません!」
よそ見がばれて反射的に謝罪したのは恐怖から。二人していまさら心配そうな顔をしても騙されませんよ!
逆らってはいけない存在というものは、第六感で感じ取れるものなのですね。
「どうして婚約破棄が君のせいなの?」
「っと、そのことですか。それは式典に出ていたからレナルド様も覚えているのではありませんか? あのとき第二王子殿下が断罪した台詞で、運命のお相手を私がいじめたからとかいう、あれのことでしょう」
「それはたしかに聞いたけれど……だが実際は双方に瑕疵はないとする婚約解消になったと公式に発表されたからそのつもりだったのだけれど?」
「ええ、私もそのつもりでした。いじめというのは、私の姉を悪役令嬢と呼び、貶めるような悪い噂を流し続ける行為を咎めただけのことですもの。彼女の証言したような器物損壊や誘拐という事実はありません」
「嘘だ!」
突然、第二王子殿下が叫んだ。これには私も驚いた。嘘も何も、そんな事実はないから円満に婚約解消と訂正して公表したのだとさっき説明したじゃないの。温厚という仮面を脱ぎ捨てて、ついに第二王子殿下が牙を剥いた。美男子と評されている顔立ちも悪意に歪んでいる今はとても醜い。
「どうして嘘だと決めつけるのです?」
「だって君は私の前で物語に出てくる悪役令嬢のような振る舞いをしたじゃないか! 彼女が私に近づくのを厳しい言葉で咎め、彼女だけお茶会には呼ばず、彼女の態度を人前で厳しく注意した。それがそんな事実はないだって? 自己保身に長けた醜い悪役令嬢が、笑わせる!」
即座にエルザは理解した。どうあっても彼にとって私は悪役なのだ。事実がどうかなんて関係なく、この人はただ私を貶めたかっただけだった。なんとなく察していたけれど、この人が婚約破棄を選んだのも悪役令嬢と呼ぶのも、ただ自分よりも下に私を堕としたいだけ。
ああ、もう面倒な人だなぁ。正直なところこれ以上関わり合いにはなりたくないけれど、一方的に断罪された過去を持つエルザとしては真実を何も知らないまま逃すのは許せない。
「そうですよ、だから何ですか?」
だからあえて、悪役にふさわしい口調で煽る。すると自分で自分の愚かさをさらに露呈することになるとも知らずに、第二王子殿下は調子に乗って悪意をそっくりそのままエルザに投げ返した。
「はっ、開き直ったか! つまり己が嘘と罪を認めるのだな! 全く、こんなのが我が国の公爵令嬢だったとは……こんな最低な女が良いなんてジョエレ殿もその部下も目は節穴……」
「お黙りなさい!」
「なっ!」
「謗るまえに相手が誰か、よく見るのです! あなたは王国を潰す気ですか!」
本当、簡単にこういう台詞を口にするのだ。思惑どおりとはいえ、呆れた顔でエルザは叫んだ。手元に扇子がなくてよかったわ。もし公式の場で婚約者の立場のままだったなら、エルザは処刑覚悟で第二王子殿下を打ちすえていなくてはならなかっただろう。そうでもしなければ、他国の皇族と公爵子息を馬鹿にしたという罪は消せない。
王国を、王族を、王国の民を守るために――――。
本来なら王族がすべきことであるが、あの人達にそんな覚悟はないだろう。何もわかっていないくせに、赤の他人に命をかけさせるようなことを平気でするのだからこの男は! エルザは本気で平民になっておいてよかったと思った。自分の価値を下げるような男の罪を命がけで償いたくはないもの。熱を逃すように深く息を吐いたエルザの背中をレナルド様の手が軽く叩いた。
「申し訳ございません、私も今の立場を忘れて見苦しい姿をお見せしました」
「心配しなくてもいい。君の責任は問わないよ。王太子妃殿下のときのように王族の失言は国に償ってもらうことするから」
「なっ!」
「当然でしょう、驚くようなことではありませんよ。それが我々の常識なのです」
ここまでされてようやく理解できたらしい。だからそんな縋る目で見られても困るの。私にはもう何もできないのだから。そしてジョエレ様も労わるようにエルザの肩に手を添えた。
「巻き込まれた被害者である君が謝ることではないよ。むしろ私は君が一段低く見られていることのほうが耐えがたい。アルバート殿にはこの場で謝罪してもらいたいくらいにね」
頭上から漏れ出る圧力が……、殺気がキツイ……。
顔色が真っ青を通り越して真っ白になった第二王子殿下は、先ほどまでの勢いから一変し、再び口を閉じた。結局、この人はどこまでも学ばない人なんだな。自分にとって都合のいい言葉だけを真実だと信じて、ずっと誤魔化し続けて。いろいろなものから逃げ続けた結果、最終的には大切な逃げ場すら失おうとしている。ある意味ではかわいそうな人だけれど、自業自得だ。思っていたことを言える機会がこれきりならば、未来の自分のために負の感情は全部吐き出しておこう。
「いいですか、よく聞いてください。たとえば婚約者のいる男性に婚約者でない女性が近づいたとしましょう。二人が親密な関係になり、人目につくようになった。そこで婚約者の女性が会うのをやめてほしいと諌めたとして、それがどんな罪に該当しますか?」
「罪にはならないが、その程度で嫉妬するのは見苦しいだろう?」
「では婚約者の嫉妬が見苦しいとして、婚約を解消すればよかったのです。そして運命のお相手を婚約者に指名すればよかった」
「馬鹿な、その程度で……」
「その程度で婚約は解消しない。でも婚約者以外の女性とも会うのもやめない。そのどっちつかずで不実な態度が、他の貴族男性の目には殿下自ら婚約者を蔑ろにする行為を認めているように見えたとしても、そう言えますか?」
「……!」
「あなたは国の頂点に立つ王族なのです。あなたの行動が全ての貴族男性の規範とされるのだと、何度言ったら理解していただけるのでしょうか?」
実際、エルザの元には婚約者のいる貴族の女性達から多数の苦情が寄せられていた。第二王子殿下の不実は、エルザに婚約者を繋ぎ止める魅力がないせいだと、あからさまに蔑む者も含まれていたのだ。
「そんなに私の存在が気に入らないのならば、あなたが婚約を解消すればよかった。私からは無理でも、あなたの立場からなら許されるのです」
「……」
「ですが殿下は婚約を解消なさらなかった。顔を合わせることすら嫌がられるような相手の婚約者でいなくてはならない。それがどれほど苦痛だったか、殿下は私の気持ちを想像したことはございましたか?」
気に入らないのなら、さっさと婚約を破棄してくださればいいのに。
吐き捨てるようなエルザの言葉を聞いて、第二王子殿下は焦ったような顔をした。
「なぜだ? そもそも私達の婚約が結ばれたのは君が私のことを好きになって家の権力でごり押ししたからではないか。だから君が婚約破棄を嫌がり、婚約を解消できないのだと聞いていた。それで仕方なしに私は揉み消せないよう他国の目のある前で婚約破棄をしたのだ」
「その私が婚約破棄を嫌がるという話は誰から聞きました? 私は、一度たりとも直接聞かれてませんわよ?」
「だ、だが皆がそういうから……」
「他人の言葉を鵜呑みにして、私の気持ちを知った気になっていたということですか?」
「ぐっ」
「しかも本人が言ったわけでもないのに好きだと思い込むなんて…… はっきり言って気持ち悪いですわ」
父か、王妃殿下か、運命のお相手か。誰が言ったかなんていまさらどうでもいいけれど、他人に聞かされた私の気持ちとやらを私の本心だと思い込むのだけはやめてほしい。
「不実な態度を取り続けて、大勢の前で晒し者のように婚約を破棄する。冷酷で残忍なのはどちらかしら? 男性としてというよりも、もはや人として終わっていますわね」
しらけたような顔でそう言うと、第二王子殿下はきれいに膝から崩れおちた。表情と台詞の切れ味がよかったようで、視線の端に映るガレッティ様がドン引きしている。これでも手加減したのにね、おほほほほほ。
「話を戻しましょう。そんなわけで私の都合にはかまわない主義の殿下が、忠告や進言を聞いてくださらないのはわかりきっていました。ですが、婚約者である以上は不本意ですが何かしらの対応せざるを得ません。それが殿下のいう、悪役令嬢のような振る舞いに繋がります。婚約者のいる女性達の気持ちを汲んで彼女を厳しい言葉で諌め、女性達を労わる場としてお茶会を開いたので元凶である彼女は呼ばず、女性達の怒りの矛先がこれ以上彼女自身に向かないよう彼女の態度を人前で注意したのです。全ては相手の女性の身を守り、王族の権威を守るため。それを醜い嫉妬だなんて……冗談だとしても笑えませんわ」
当時の緊迫した状況は、もはや第二王子殿下の気まぐれ程度の言い訳では許されなかった。まかり間違えば運命のお相手とやらが誘拐や傷害などの被害に遭うかもしれない。最悪の場合、国や王家にも影響は及ぶだろう。そんな状況下で、王の言うように王族でもなく公爵令嬢に過ぎないエルザが使える手札は他人が思うほど多くはなかった。痛みを耐えるようにエルザは瞳を伏せた。
「王族だからという以前に、婚約者のいる男性が婚約者以外の女性と仲良くするのはダメだろう。日常会話ですら遠慮するのがマナーだし、誠意なのに。それを咎めただけで嫉妬とか言われたら婚約者の立場が悪くなってしまうではないか。同じ皇子の立場にあるけれど、彼女からあなたと同類に思われるのは心外だ」
「エルザをさんざん利用した挙句捨てたのに、再度婚約を迫るとは……頭が沸いているんじゃないですか? これが王国の常識だったとしたら、今後の王国との付き合いを考え直したほうがいいでしょうね」
全くもってお二人のいうとおりです。あなたの常識は決して万民に受け入れられるものではないのですよ。皇国の貴族の頂点に近い二人にまで追い詰められて、ようやく第二王子殿下は自分がまずい状況にあると理解できたらしい。いまさら後悔しても遅いというのに。
「なぜ、私がこんな目に遭うのだ!」
「まるで被害者のような顔をなさっていますが、そもそも私を悪役令嬢にしたのはあなたなのですよ?」
「は、どういうことだ?」
「あなたが婚約破棄の場で私を悪役令嬢と呼んだのをお忘れですか? それ以前は、少なくとも私のことを誰も表立ってそう呼ぶことはなかったのです。あなたが大衆の面前で私を悪役令嬢と呼んだあの瞬間から、エルザ・カレンデュラは悪役令嬢にならなくてはならなくなった」
「そんなこと……言いがかりだ!」
「言いがかりも何も、それが現実なのですわ。先ほどから何度も言っていますが、あなたは一国の王族なのです。国に仕える貴族にとって王族の言うことは正義であり、事実でなくてはならない」
貴族男性の模範となるべき王子が公爵家の令嬢を悪だと断じた。そして王族が公の場で口にした言葉に嘘や偽りがあってはならない。だから私は己の行動に瑕疵がないにも関わらず悪役令嬢と呼ばれたのだ。それでも私が物語のように修道院や国外に追放とならなかったのは、裏に父の暗躍と私に利用価値があったから。王家にとって手元に残しておく価値があったから運よく救われただけで、断罪の場で第二王子殿下が誇らしげに口にしていた運命のお相手の慈悲によるものでない。
「あなたはご自身の浮気を正当化するために私を悪役令嬢と呼んだのです。あなたが悪を生んだのですから己に罪がないとは言わせませんよ? 自ら悪と名乗るよりも、悪という役目を他人に背負わせるほうがよほど罪深いですわ」
あの日、第二王子殿下に婚約破棄されたエルザは深く傷つきながらも学んだ。大衆の前で、言葉にするとしないのとでは聞き手の心象は大きく異なるという大切なことを。あのときの経験は二回目の婚約破棄のときに大層役に立った。エルザの目の前にいる第二王子殿下はすでに真っ白に燃え尽きているが、まだまだ。
私の怒りはこの程度ではおさまりませんわよ?




