エルザの反撃 ニ回戦
エルザがユーザ・ロ・バルディアス皇国にやってきて半年が過ぎた。たかが半年、されど半年。新しい環境に慣れることに必死で、ラングレア王国のことなんて忘れかけていた。
気がつけば季節は冬を迎え、補佐官室は一年でもっとも忙しい年末年始の対応に追われている。今日のように自分以外の全員が会議などで不在のときもあり、エルザも現在進行形で脳内で来年度予算の問題点を検討しながら、指先は三日後に迎賓館で行われる交流会の予定表を作成していた。交流会は一年に一度、皇国が主体となって各国の代表者を招き歓待する大規模な催事だ。各国はそこで新たな人脈を築き、皇国と取引を結ぶ。そう、エルザがかつて父と母と共に参加したのがこの交流会だった。
まさか自分が歓待する側に回るとは思っていなかったけれどね。あのときとはエルザを取り巻く環境も周囲の顔ぶれも国籍すら大きく変わっていた。
「エルザさん、参加者の変更連絡がきました!」
「ありがとうございます。訂正した名簿をお渡ししますので、少しだけお待ちいただいてもよろしいですか?」
今回の交流会は、諸事情によりエルザは完璧に裏方だった。こそっとも、ちらっとも会場には近づかないし、当日も朝から晩までこの補佐官室で連絡要員としてひたすら待機だ。自宅にも戻らない予定で、敷地内に併設されている仮眠用の宿舎まで予約してある。迎賓館はこの官邸から離れた場所にあるため、当日の賑わいすら漏れ聞こえてくることはないだろう。そう、招待客は蟻一匹エルザには近づけない。対策は完璧のはずだ、万が一でもなければ。
「エルザ、会いたかったよ!」
「あなたはこの場所にいていい人間ではありませんよ、第二王子殿下」
「そんな他人行儀な呼び方をしないで、いつものようにアルバートと呼んでくれ」
万が一のはずなのに、当たる確率が高すぎやしませんか?
現在進行形で会ってはならない人が目の前にいるのだ、エルザは人目も気にせず頭を抱えた。この人がいるからの裏方業務だったのに。こっちの努力をなかったことにしてくれたわね!
もはや、どこからツッコんでいいのかわからない。予測不能な行動をとる第二皇子殿下に振り回されたレナルド様の気持ちが今ほど理解できるときはなかった。そして、にこやかに愛想笑いを浮かべる彼の背後では守衛さんが対照的に青ざめて固まっている。今日は交流会があるので、ほとんどの護衛官が出払っていると知っていたから、義務感だけでついてきてくれたのだろう。
大変申し訳ないことをしたわ、でも私だって招待客が交流会をすっぽかすなんて想定していないわよ。それにそもそもの話、今日エルザに来客の予定はない。つまり事前連絡もなしってこと。もしかして皇国に喧嘩売りにきたのかしら?
ああそういえば、この人達は普通じゃなかった。王族の不始末に王族でもない私が駆り出されていたのがいい例だ。もういい、とっとと追い返そう。私は想定外の事態が起きすぎて固まっている守衛さんに声を掛けた。
「申し訳ありませんが、ラングレア王国第二王子であるアルバート・フォン・ラングレア殿下が官邸にいらしていると迎賓館の警備担当者に連絡していただけますか? あちらでも、そろそろ騒ぎになっているでしょう。そのついでに警護の人員をこちらにも振り分けるように申し添えてください」
「わかりました!」
「それからこの部屋を出て最初に出会った人に私が同室をお願いしていると伝えていただけますか? ラングレア王国の第二王子殿下の身の安全を確保するためだと伝えていただけたら、危機的な状況を理解していただけると思います」
「承知しました! あの、その間は……エルザさんはお一人で?」
「殿下は部屋に残しますが、私自身は廊下で待機しております」
「わかりましたっ!」
「とにかく急いでください、緊急事態で最優先事項です!」
「わわわわかりましたーーーー!」
彼は私を廊下に残して、すっ飛んでいった。あのあわてぶりはさぞかしいい仕事をしてくれるだろうと思っていたら、すぐに代わりの男性が同じようにすっ飛んできたよ。なんて空気を読む力が素晴らしい方なのかしら! 本当に急いで来てくださったようで、男性の髪は乱れているし、服装もよれている。もしかしなくても徹夜明けの仮眠中だった? もしそうならごめんなさいね、ちょっと空気の読めない第二王子が湧いて出たのよ。
「お忙しい中、申し訳ありません。早々に虫を……失礼しました、第二王子殿下を尋問したいので同席をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「それ以前に全然事情がわかっていない状態だけど大丈夫?」
「平気です。主に私の身の安全さえ守っていただければ、あとは好きにしていいですわ」
「もしかして、君のストーカー?」
「……のようなものです」
怖すぎて絶対にそうだとは認めたくないが。会議室に案内すると、第二王子殿下はのほほんとした顔で紅茶を飲んでいる。ここまで振り回されると軽く殺意すら覚えるわね。
「お待たせいたしました。話を伺いますわ」
「ん、その男性は?」
「立ち会いを依頼しましたの。ええと、お名前は……」
「コルネリオ・ガレッティです。よろしくお願いします」
「まさかそいつが新しい男か……?」
「善意の立会人に失礼ですよ。一体、あなたは何をしにこられたのですか?」
表情を消して、冷たい口調で突き放す。不敬という言葉が一瞬過ぎったが、こっちが不敬ならそっちは条約違反で確実に相殺できるだろう。そう覚悟を決めて探るような視線を向けると、第二王子殿下は予想もしていなかった言葉を口にしたのだ。
「エルザは婚約者がいないと聞いている。間違いはないだろうか?」
突然、何を言い出したかと思えばこの男は! 一瞬気が遠くなったが、かろうじて踏みとどまる。
「その質問に答える義務はありません」
ねえ、個人情報っていう概念があるのをご存知? そうでなくても見ず知らずの第三者が同席する前で女性に婚約者の有無なんて普通は聞かないわよ! ゲフン、ゲフン……背後ではガレッティ様がさりげなく咳払いをして第二王子殿下に注意を促してくれているが、当然のように全く伝わっていない。
「誤魔化さなくてもいい、いないのはわかっている」
「わかっているのなら聞かないでください。相手に対して失礼ではないですか! それにプライベートには立ち入らないのが女性に対するマナーだということくらいはご存知のはずです!」
「大人しくなったと思えば、相変わらずの気の強さだな。女性はしとやかでかわいらしくないと愛されないぞ?」
「またそういう偏見を……あえて古傷をえぐりにきたのですか? いいでしょう、受けて立ちますわ」
次に私を馬鹿にするようなことを言ったら問答無用で追い出してやる。あきらかに憐れんでいるような視線が腹立たしいので軽く睨み返すと、卓上にバサリと束になった書類が置かれた。なんか既視感があるわ、この光景……。
「婚約者がいない者同士、ちょうどいいじゃないか。エルザ、もう一度私と婚約しよう!」
ねえこれ、流行っているの? それとも相手の意思を無視しても、持ち前の容姿と身分と熱意で押し切れると思う男性が私の周りに集合しているというだけ?
「嫌です、お断りいたします。さあ、お帰りの出口はあちらですわよ?」
秒で断り、手の先で出口の方向を示す。すると第二王子殿下は呆れたような表情で首を振った。
「強がりはいけないよ、また君が後悔するだけだ」
「どういう意味ですか?」
「私が婚約を破棄したときに、あれだけうろたえたではないか。それは私を愛していたからだろう。オスカーとの婚約も結局は君が私が忘れられなくて上手くいかなかったに違いない。私は罪深い男だな……別に愛する者がいた私は君の真剣な想いに、どうしても応えられなかった」
そして第二王子殿下は苦渋に満ちた表情で天を仰いだのだ!
エルザの背筋を悪寒が走り、言葉を失う。どうして私が殿下を愛していたことになっているの? いくらなんでもあんまりじゃない⁉︎ ここまで馬鹿にされるなんて、人生で一番の屈辱だわ!
しかも私が王子の婚約者であったことは個人情報でも特級の機密にあたるのです。背後でガレッティ様が呆然と言葉を失っているようで、得意の咳払いすら聞こえない。もはや苦行ですよねー、申し訳ありません。あとでちゃんと巻き込んだことを謝罪しますから、今は逃げないでください!
「どうやったら、そうご自分に都合よく解釈できるのか謎ですわね。……ああ、もしかしてお母様にそう言われてきたのではないですか? 私がまだ殿下を愛しているから再婚約を持ちかければ喜んで応じるはずだと。そして以前のように私を婚約者に戻せば、レディ・カンファが開催できるのだと泣きつかれた。違いますか?」
腐っても王族だけに顔色は変わらないけれど、彼の無言は肯定である証拠だ。ほんと一回目の婚約破棄のときに見苦しくうろたえた自分を記憶から消し去ってやりたい。あのときのことがあるからこそ、王妃様は私が承諾すれば第二王子殿下と再婚約できるものと思い込んだ。
「疑り深いな、君は。そんな裏はないよ。だが君に猜疑心を植えつけてしまったのは私の責任だ。私が君を愛せなかったばかりに君はこんなに残忍で冷酷な人間になってしまった。別の女性を愛してしまった私の未熟さを、どうか許してほしい」
ついには泣き落としかっ! エルザはいろいろな意味で恐怖を覚えた。どうしてもエルザが彼を愛していることにしたいらしい。しかも冷酷で残忍って、一体私があなたに何したっていうのよ? その言葉もまた、母親からの受け売りなのだろう。なんて愚かな人だ。どこまでも自分で考えることをしないから、とんでもない過ちを犯していることに気がつかない。深く息を吐いたあと、エルザは冷ややかな表情で第二王子殿下が机に置いた書類の束を指差した。
「この書類、間違いなく司法局を通しておりませんわね。カレンデュラ家を敵に回すおつもりですか?」
案の定、第二王子殿下はエルザの刺すような視線から目をそらした。脳裏に悪役令嬢と呼ばれた同胞達の顔が浮かぶ。王家がこんなことをしでかしたと知れば、己が信念をかけて全員が受けて立つだろう。そこには当然婚約者の家と王家に反感を抱く貴族家や国民も追随する。そうなるようにエルザが仕組んだ。裏で画策するなんて、悪役令嬢の得意分野ですもの。私の全力に手応えがないとは言わせませんわ!
「司法局など、たかが役人の集まりではないか! そのうえ公爵家までもが王家の意向に逆らうなど不敬の極み」
「たかが公爵家、されど公爵家ですわ。建国より仕え、宰相すら輩出した忠誠心の篤い家を、たかが王妃殿下のわがままを理由に潰すおつもりですか? もし違うというのなら、それ以外に我々が再婚約せねばならない理由を簡潔明瞭に述べてくださいませ」
「っ、たかがとは無礼だぞ!」
「殿下こそ、たかが役人と切り捨てましたが、役人がいるからこそ国が回るのです。殿下の行為が臣民の目にどのように映っているか考えたことはございますか?」
切り捨てる者は、切り捨てられる。裏切る者もまた裏切られるだろう。単純な第二王子殿下は王妃殿下に唆されただけで、そこまで深くは考えていなかったらしい。想像とはちがう展開になっているようで、顔と態度に焦りが浮かぶ。ここぞとばかりにエルザは追撃した。
「しかもそれだけでは済みませんわよ?」
「どういうことだ?」
するとエルザの背後で空気が動いた。
「それはあなたの行為そのものが、我が国を謀ったと判断されるからです。ラングレア王国第二王子、アルバート・フォン・ラングレア殿下」
エルザの鼻腔を柑橘系の爽やかな香りがくすぐる。そして労わるように肩へと置かれた手の温もりで相手が誰だかわかった。まさか彼自身が来てくれるなんて思いもしなかったわ。そっと息を吐くと、肩の力を抜いた。
「レナルド様、お手数をおかけして申し訳ありません」
「お待たせ、よくがんばったね」
私をソファーから立ち上がらせて自らの背後にかばったのはレナルド様だ。エルザが知る情報では、彼は第二皇子殿下の補佐をしつつ祝宴の差配で忙しいはずだ。てっきり警備部門の誰かを代わりに寄越すと思っていたのに……。
今日の彼の正装は白を基調にしたものだ。背中に紋章の刺繍がない代わりに、身分を示す銀色の装飾品を胸元から下げている。白と銀の組み合わせは積もる雪と冬の優しさを感じさせるようで彼にとてもよく似合っていた。そっと背後からレナルド様の横顔を見上げる。いつもとは違って髪を香油でなでつけているのね。端正な顔立ちがあらわになって、さらに優雅さと精悍さが増していた。
一言でいうのなら、かっこいい。いつのまにか見惚れていることに気がついたエルザは熱を帯びた頬を隠すように彼の背中へ身を寄せた。するともうひとり、エルザの視界に予想もしなかった人物が映る。
「お迎えにあがりました、アルバート殿」
「ジョエレ殿。いえ違うのです、これには深いわけが……」
敬称を省略できるのは立場が対等だからだ。我が国の第二皇子殿下は祝宴にふさわしく、白と金を基調とした煌びやかで豪奢な衣装を身にまとっている。これはこれで威厳あるこの方の雰囲気にぴったりだわ。ぜひその麗しい顔立ちと涼やかな魅力で、心優しい他国のお姫様か優秀なご令嬢を捕まえてきてほしい。ところが、どういうわけか視線がぱちりと合って第二皇子殿下が口角を上げた。
「今回こちらに訪問された目的については、ガレッティ事務補佐官から聞いてます。元婚約者として彼女の婚約を心配されているのでしたら、問題ありません。私が口説いている最中ですから」
「ちょっと殿下?」
「堅苦しい呼び方をしないで。君にはジョエレと名前で呼んでほしい」
最後の一言は余計だ、捕まえてほしいのは私ではない。しかもダメ押しとばかりに、甘やかに微笑まれても困る。そして我が国の第二皇子殿下であるジョエレ様の渾身の冗談を聞いたレナルド様の圧力が怖くて前に出られない。このトゲトゲとした空気、どうしてくれるのよ!
「さて、今後の話をしましょう。アルバート殿はどうやら我が国で道に迷われ、この官邸にたどり着いたようですね。誰とも会っておりませんし、このまま交流会に出ずとも速やかに帰国できるよう手配も済んでいます。さあ、こちらへ。私が迎賓館まで同行しますので道案内はお任せください」
ジョエレ様が第二王子殿下に伝えた言葉は、道に迷った人間を優しく連れ戻しにきただけのように聞こえる。だが裏では皇国から王国に対し、すでになんらかのペナルティが課されている可能性が高い。だってアウローネ様の件もあるし、王族が私に接触しないという条件を破る気配が濃厚だったもの。仕返しをする準備は万端のはず。
つまりジョエレ様の言葉の真意は逃がさないということだ。さすがに空気の読めない第二王子殿下でも、そこはかとなく危険なものを感じたらしい。
「っ、エルザ! 君ならいつものように私を助けてくれるよな⁉︎」
第二王子殿下は真っ青な顔色でエルザに懇願するような眼差しを注いだ。ふと、エルザの脳裏に一回目の婚約破棄のときの自分の姿が浮かぶ。きっと今の彼と似たような表情をしていたのだろう。わずかばかりでも愛が残っている可能性に縋りつくような……吐き気がするほど醜悪な表情だ。
彼が取り乱したのは、王国に戻れば処罰が待っていると察したから。もっと早く気がついていれば未来は変わっていただろうに。かつての彼は義務と名のつくものを全てエルザに丸投げして、さまざまな問題の後始末を押しつけてきた。だからここまでやったら危険だという感覚的なものが身につかなかったのだろう。
残念だけれど、あのときとは状況が違う。エルザが彼にしてあげられることは何もない。つまり第二王子殿下自身が代償を支払うしかないのだ。だからエルザは一切の容赦なく突き放した。かつて婚約破棄の場で、彼がしたように。
「殿下、私、ずっと納得いかないことがありましたの」
「な、なんだいエルザ?」
「婚約者でありながら、私は殿下に名前を呼ぶ権利を与えてもらえませんでした。それはなぜでしょう? 顔合わせのときから私には自分の名前を教える価値はないと思われていたということですか?」
「っ、そんな……そうだったか?」
「それすら覚えていらっしゃらないのですね? いつものように名前を呼んで、でしたかしら? いつもどころか、一度も殿下のお名前をお呼びしたことはありませんのに、どなたと混同されていらっしゃるのです?」
自ら浮気を認めたようなものよね。
第二王子殿下は言葉を失い、他の男性達はもはや呆れた表情を隠さなくなっていた。




