猫
お久しぶりです。
今回は明るめに。
お盆に墓参りをしてからなかなか熱の下がらない京は、やらせてもらえることもなく、やりたいことも出来ないので、広間からだいぶ離れた縁側に陣取って、何をするでもなく庭を眺めていた。
広間では今時分も、親戚が一堂に会して話し合っているだろう。
自分の死んだ後の話なんて、好き好んで聴きたくはない。向こうだって、自分がそばにいるとなれば言いたいことも言えないに違いない。母親がひどく気にするので、わざわざ自分の部屋から出て広間から離れたところで一人、柱に体を預けてぼんやりしているのだった。
「僕が女の人だったらよかった」
このところ、本当にそう思う。
男だからこんなに肩身の狭い思いをしなくてはならないのだ。
本当ならば、自分が家を継ぐはずだった。両親も初めはそう思っていた。期待していた。親戚だってそうなるはずだと何の異論も挟まなかった。本当ならば、挟む余地などなかったのだから。
自分の心臓さえ頑丈だったなら。そう思わなかった日など、生まれてこの方一度もない。
親戚の争いの種にならなければいいのだが、温厚な人たちも、一度利権が絡むと豹変することを、今までの経験上痛いほど分かっているつもりだ。それで何度、両親が頭を抱えたことか。
どこからかやってきた薄汚い野良猫が、人懐こい性格のようで、まっすぐに京の元へと歩いてきた。そばに腰を下ろして艶やかに鳴く。
「おいで」
京は気まぐれな猫がそばにくるとは思わなかったが、誰もおらず、止める人がいないのをいいことに普段出来ない猫の手招きに挑戦してみた。いつもは誰かが「野良の猫は家猫と違って汚いから」と追い払ってしまうので、そばで猫というものをじっくり見たことがなかったのだ。
猫は縦に細長い目を京の白い手に注いでじっとしていた。
京はどうしてか、妙に緊張した。ここで気を急いては失敗してしまう。
「おいで、こっちへ。怖いことはないから」
猫は心を決めたらしい。
細く、柔らかな毛に覆われた小さな足を出してそばに寄ってきた。
京の出した手に鼻が触れた。
冷っとして濡れている。
こんな感触がするのか、と京は見慣れた生き物が全く知らない生き物だったのだと知った。やはり本の知識では補えないところが大きい。
それから猫は頭を擦り寄せてきた。
毛が生えた皮膜のような耳が甲を撫でて肌がぞわりとする。なんとも不思議な感触である。
そっと手を顎へ伸ばすと、猫は顎を突き出した。
「野良猫はもっと愛想がないものと思っていたのに、君が特別なの?」
猫はうぅ、と返事をして目を糸のように細めて耳を後ろへ倒した。
猫というものを心ゆくまで満喫し、満足のいくまで撫で終わったので手を離そうとすると、猫は手を伸ばして引き止める。
思わずくすりと笑ってしまった。
あまりに人間臭い動きだ。
「もっとかい?仕様のない子だね」
内心、僕が嬉しい癖に、と笑っていると、猫は軽やかに縁側へ飛び乗ってきた。
京の横へ陣取って「ほれ撫でれ」と尻尾を床に打ち付ける。
京はくすりと笑って柔らかな毛に指を滑らせるのだった。
初め、横でお行儀よく両足を揃えていた猫も、京の手つきが気に入ったのかだらしなく寝っ転がって終いにはお腹まで催促する始末だった。
こんな警戒心の薄いことで生きていけるのかと心配だ。
力を加減して腕を動かすことに疲れて手を引き戻すと、またも猫が追いかけて、今度は膝にまで乗ってくる。
こんなに愛らしい生き物だったのか、猫というのは。
内心穏やかではない。
血圧が上がって若干苦しくなってきて、心臓の音が脅迫的に打ち始める。
この可愛さは命に関わるぞ、と恐ろしさにおののく。皆はこれを恐れて近づけなかったのに違いない。汚いといいながら、京に隠れて餌でもあげて撫でているのだ。そうでもなければ、野良猫がこんなに人間に慣れているはずがない。
魔性の生き物とはこのことか。こうして人間を誑かして、餌にありつく。警戒心など持たぬ方がいい。持つだけ阿呆らしいというわけだ。
こうして見ると、この猫、計算高い顔をしていなくもない気がしてくる。
「ほいほい引っかかる人のことを、馬鹿だと思っているのかな」
それでも可愛いのだから、猫というのは罪な生き物である。
猫を飼う人は多分、猫を飼っているつもりで、実は猫に飼われているのではないか、とそんなことを考えてしまうくらい、今京には余裕がない。
とてもじゃないが、これ以上この可愛い攻撃に心臓が耐えられない。今にも二つ折りになりそうなくらい胸が苦しい。
「僕…ちょっと阿呆なのかな」
縁側に寝転ぶと、膝の猫は驚いて飛び降りた。
残念に思う間もなく、猫は京の横にでんと寝そべった。眠たげに目を閉じてうとうとし始める。
重くなっていた気分はこんなにも簡単に癒されてしまうのかと笑って、京は天井を見上げた。
もう胸は苦しくなかった。




