きび団子が飛んでいったら
二人が寝静まったと思った頃、サイカはそっと布団を抜け出し、足音を殺して玄関へ向かった。
(しのび足、しのび足……)
心の中で呟きながら、そっと戸を開けて夜の闇へ滑り出る。
その背中を、暗闇の中から静かに見つめる二つの影があった。
サイカが戸を閉め、足音が遠ざかっていくのを確認すると、爺ちゃんがぽつりと呟いた。
「……気をつけるのじゃよ」
「あの子なら大丈夫ですよ、爺さん」
婆ちゃんが優しく寄り添う。
二人とも、サイカが何かを確かめようとしていることには気づいていた。それでも今夜は、あえて声をかけなかった。
*
家から少し離れたところで、サイカは「ふぅ〜」と大きく息を吐き、以前ギンと出会った滝へ向かって駆け出した。
爺ちゃんからは、当分これ以上の話を聞けそうにない。祈祷師も同じだ。
それに、生贄の儀式はあと二年どころか、前倒しされるかもしれない。
(今、俺にできることをするしかない……待ってろ、弥生姉ちゃん)
暗闇の中、川幅が狭くなっている場所まで来ると、サイカは勢いよく地面を蹴った。
一気に川を飛び越え、そのまま駆け抜けていく。
やがて、以前ギンが手を振っていた場所へたどり着いた。
(ここか……あの声は、たしかあっちの方から聞こえてきたはず)
周囲を見回すと、人ひとりがやっと通れるほどの細い道を見つけた。
サイカは辺りを警戒しながら、その道を進んでいく。
月明かりだけが頼りの山道をかなり進んだ頃、突然、足元が暗くなった。
「ん……?」
頭上を見上げる。
巨大な影が、月を横切っていた。
翼はない。それなのに、長い身体が夜空を泳ぐように、ゆったりと進んでいる。
「……ドラゴン?」
(羽もないのに……どうやって飛んでるんだ?)
サイカは立ち止まりかけたが、すぐに我に返った。
「おーい! ドラゴン! 話を聞いてくれー!」
大声で叫んだが、空気を震わせる低い風切り音にかき消されたのか、届いている様子はない。
サイカは枝や茂みに身体を擦りながら、ドラゴンの真下を必死に走った。
すると突然、ドラゴンが大きく旋回した。
山の上を何度も弧を描くように飛び回っている。
(……何か探してる?)
サイカは少し考えると、大きく息を吸い込んだ。
「あっ! なんだ、あれはーーーっ! 見たことないぞーーーっ!」
ドラゴンがぴたりと空中で止まった。
「しめたっ」
ゆっくりと巨大な頭がこちらを向く。
次の瞬間――。
ドラゴンが凄まじい勢いで急降下してきた。
「うわっ!?」
巨大な龍が、サイカの目の前まで降りてくる。
その時、手の甲にある西瓜の印が、ほんの一瞬だけ淡く光った。
だが、サイカにはそれを見ている余裕などなかった。
『人間のワッパか! 叫んだのはお前だな! 何を見つけた! 早く言え!』
「…………」
サイカの背中を冷たい汗が流れる。
(やばい……めちゃくちゃ怒ってる)
足が震えそうになる。
(えぇ〜っと……これしかない!)
サイカは右手を突き出した。
「レッツ・キビダンゴォォォ!」
手のひらに、ぬっとりとした生暖かい感触が現れる。
「よし!」
その瞬間、ドラゴンが鬱陶しそうに巨大な尾を振った。
ドヒューーーッ!
猛烈な旋風が巻き起こり、サイカの小さな身体が宙に舞う。
「ひぇぇぇ〜! しんじゃうぅぅーー!」
ドスンッ!
「イタタタ……」
岩場へ転がったサイカは、慌てて右手を確認した。
何もない。
「……ない」
もう一度見る。
やっぱりない。
「ああっ! 俺の切り札がぁぁ!」
きび団子は風に乗り、夜の闇へ吹き飛ばされていた。
『ワッパ、お前と遊んでいる暇はない。失せろ!』
「ひゃわわわ、ごめんなさぁ〜い!」
*
その頃。
吹き飛ばされたきび団子は、少し離れた草むらへ落ちていた。
ぽとっ。
甘い匂いが辺りへ広がる。
ガサッ。
ガサガサッ。
匂いに釣られ、草むらから何匹もの獣が姿を現した。
一斉にきび団子へ飛びかかろうとした、その時だった。
『グワバァァー! オイラのものだー! 誰にもあげないー!』
空から小さな影が飛び込んできた。
獣たちの間をすり抜け、きび団子へ一直線に突っ込む。
パクッ。
小さな龍が、きび団子を丸ごと飲み込んだ。
「グワ?」
ぱちぱちと瞬きをすると、鼻をひくつかせる。
くんくん。
やがて顔を上げた。
その視線の先には――サイカ。
「グワッ!」
小さな龍は、トコトコとサイカの方へ歩いていった。
「……ん? なんだ、お前?」
子龍はサイカの足元まで来ると、鼻を近づけて匂いを嗅ぎ、そのまま頭をすり寄せた。
「お、おい……くすぐったいって」
サイカは思わず笑い、子龍の頭を撫でる。
「かわいいな、お前」
「グワァ」
その光景を見たドラゴンの動きが、ぴたりと止まった。
『……そこにいたか!』
「え?」
サイカは子龍を見る。そして巨大なドラゴンを見る。
「もしかして……お前、こいつを探してたのか?」
「グワッ!」
「よかったな、ドラゴン。ずっとこいつを探してたんだな」
サイカは子龍の頭をもう一度撫でた。
「ほら、父ちゃんのところに戻れよ」
だが、子龍はドラゴンを見上げ、それからサイカを見た。
『母ちゃん。オイラ、こいつについていく』
「……え?」
今度はサイカが固まった。
その瞬間、手の甲にある西瓜の印が淡く輝いた。
「ん?」
目を落とす。
そこに浮かんでいた数字が――。
「……九十八?」
九十九だった数字が、一つ減っている。
「やっぱり……仲間になると減るのか?」
子龍はそんなことなど気にする様子もなく、サイカの足へ身体をすり寄せている。
巨大なドラゴンは、しばらく黙って子龍を見つめていた。
やがて、低い声が山に響く。
『……そろそろ己の道を選ぶ頃か』
「えっ、いいの?」
『好きにするがよい』
サイカは子龍とドラゴンを交互に見た。
「ドラゴン、ごめん……母ちゃんだったんだ」
『我ら龍に、父や母という区別はない。こやつが勝手にそう呼んでいるだけだ』
「え?」
サイカは子龍を見る。
「じゃあ、なんで母ちゃんって呼んでるんだ?」
『呼びやすいから』
「そこ適当なんだ……」
子龍がケラケラと笑った。
しばらくして、ドラゴンはもう一度子龍を見つめ、それからゆっくりとサイカへ視線を向けた。
さっきまで怒りに満ちていた瞳とは違う。
何かを確かめるように、じっとサイカを見つめている。
やがてドラゴンの口元が、ほんのわずかに動いた。
何かを呟いたように見えた。




