助けて、と言ったのは
翌朝。
セツナを乗せたサードは、バーギルから聞いた「生贄が連れて行かれる洞窟」の近くまで来ていた。
ゴツゴツとした岩山が連なる山肌には、かろうじて人が一人通れるほどの細い道が続いている。
「たしか、この付近のはずだ。セツナ、わかるか?」
「え〜っと……崖になっているところに……あった! あそこの崖にある洞窟の中!」
「いかにも怪しそうな洞窟だな。……あそこなら安全に待てそうだ」
サードはセツナを茂みの陰まで連れていくと、その頭にそっと前足を置いた。
「ここでじっと待っているんだぞ。勝手についてきては駄目だ」
そう告げると、サードは一匹で暗い洞窟の中へ入っていった。
入口からの光が届かなくなったところで、額の第三の目がカッと見開かれる。
途端に暗闇の中がはっきりと見えるようになり、洞窟の全貌が浮かび上がった。
入口の狭さからは想像できないほど、中には広い空間が広がっていた。壁には苔がびっしりとこびりつき、岩肌には巨大な爪で引っ掻いたような深い傷跡が残されている。
その奥には、さらに通路が続いていた。
「なんなんだ、ここは……」
周囲を警戒しながら進んでいくと、石で作られた台座のようなものが現れた。中央には、拳ほどの大きさの何かを嵌め込むための凹みがある。
「この穴……何かを嵌める場所か?」
サードが探るように前足を伸ばした、その時だった。
ずる……ずる……。
奥の通路から、何かを引き摺るような音が聞こえてきた。
サードはすぐに前足を引っ込め、耳を立てて音のする方へ視線を向ける。
ずり……ずり……ずりずり……。
音は少しずつ近づいてくる。
やがて暗がりから何かが這い出してきたのを見て、サードは思わず息を呑んだ。
肌は焼け焦げ、所々から血が滲んでいる。二つの瞳だけが異様な赤い光を放ち、じっとサードを見つめていた。
鬼なのか、人なのか。
それすら分からないほど、その姿は崩れ果てている。
『たづ……げ……でゃ……ぐれぇ……』
喉の奥から絞り出すような声が漏れた。
「……喋った?」
サードが呟いた瞬間、異形は地面を蹴り、凄まじい勢いで飛びかかってきた。
ドンッ!
「なっ!」
サードは咄嗟に横へ飛ぶ。直後、先ほどまでいた場所の石の台座が砕け散り、粉塵が舞い上がった。
「いきなり何をする!」
サードは息を吸い込み、火球を異形へ向かって放った。
だが異形は、片手で火球を掻き消した。
「なに……?」
異形は止まらず、そのまま鋭い爪を振るう。
シュバババッ!
サードは身体をひねってかわしたが、完全には避けきれず、胸元から血が滲んだ。
「……やるではないか」
傷口をちらりと見ると、サードはすぐに異形へ視線を戻した。
「だが、あたしを甘く見るでないぞ」
猫ほどまで小さくはならず、身体をひと回りだけ縮める。
軽くなった身体で後ろへ大きく跳び、一気に距離を取った。
深く息を吸い込み、炎を一点に集中させる。
「今度は本気だ。燃えるがよい!」
ヴォオオオオッ!
口から放たれた炎は、先ほどまでの火球とは違い、弧を描く火柱となって異形へ襲いかかった。
「ガギャアアアッ!」
異形は腕で炎を払おうとするが、今度は消えない。
猛烈な炎がその身体を包み込み、異形は地面を転がりながら激しい叫び声を上げた。
やがて、その動きが止まる。
焦げた嫌な臭いが洞窟内に広がる中、サードは警戒を解かず、倒れた異形を見つめていた。
「……やったか?」
そう呟いたものの、さっき聞いた言葉が頭から離れない。
――助けてくれ。
確かに、そう聞こえた。
だが、あの異形は本気で自分を殺そうとしていた。
サードは息の根が止まったか確かめるため、ゆっくりと近づいていく。
その時だった。
ボロッ――。
焼け焦げた皮膚が剥がれ落ち、その奥で赤い瞳が動いた。
「なっ!?」
異形が再び立ち上がる。
折れた身体を引きずるように、一歩ずつサードへ近づいてきた。
サードはすぐに身構えたが、今度の異形は飛びかかってこなかった。
『いだい……』
サードの耳がぴくりと動く。
『いだいよぉお……』
異形は身体を震わせながら、それでも前へ進んでくる。
そして、縋るように腕を伸ばした。
『ごろして……』
サードの動きが止まった。
「……殺して?」
『ごろして……くれぇ……』
その声と震える腕を見て、サードはようやく理解した。
この者は、襲いたくて襲っているのではない。
「助けてくれ……殺してくれ……」
サードの表情から、いつもの軽さが消えた。
「そうか……お主は……」
『いだい……』
サードは静かに一歩前へ出た。
「もう苦しまなくてよい」
額の第三の目に、蒼白い光が集まり始める。
異形は逃げることなく、ただサードを見つめていた。
『ありが……とう……』
サードは異形を見つめたまま、小さく呟いた。
「……おやすみ」
次の瞬間、第三の目から眩い雷光が放たれた。
ドォォンッ!
一瞬、洞窟の中が真っ白に染まる。
やがて光が消えると、異形はその場に崩れ落ちていた。
もう、動かなかった。
サードはしばらくその骸を見つめたあと、異形が出てきた奥の通路へと進んでいった。
通路の突き当たりにあったのは、鉄の牢屋だった。
頑丈な鉄格子は内側から凄まじい力で壊され、大きく曲がっている。床や鉄格子には、乾いた血がこびりついていた。
「……ここに閉じ込められていたのか」
サードはゆっくりと牢屋の中へ入った。
奥には何も残っていない。
だが、瓦礫の隙間に小さなものが落ちているのを見つけた。
近づいて咥え上げてみると、それは血に汚れた小さなかんざしだった。
「…………」
サードは何も言わず、それを咥えたまま異形のところへ戻った。
そして、その骸の傍らにそっとかんざしを置いた。
「これがお主の物かは、あたしには分からない」
少しだけ間を置く。
「だが……ここに置いておこう」
サードは異形をじっと見つめた。
「今は、これくらいしかしてやれぬ。許しておくれ」
そう呟くと、静かに炎を吐いた。
淡い炎が、ゆっくりと異形の身体を包み込んでいく。
サードは燃えていく骸をしばらく見つめ、そっと背を向けた。
洞窟の外へ出ると、青い空へ向かって、入口からひと筋の白い煙が静かに昇っていった。




