背中に掴まっているのは誰にゃ
サードは、背中にバーギルの娘、セツナを乗せていた。セツナは振り落とされないよう、サードにしがみつくので精一杯だった。
山道を進みながら、サードはここに至るまでのバーギルとの話を思い出していた。
*
「ケルベロス……いや、今はサードアイか。一緒に村を見て回ってくれるか?」
「どうしたにゃ。村に何かあるのか?」
「ああ。村を見ながら話したほうがよい」
サードとバーギルは、一緒に村を歩き始めた。
村の周囲は、高さ二メートルほどの塀で囲まれている。サードは、この鬼の村を見つけた時から不自然に思っていた。
鬼族は人族より身体がひと回り大きく、力も強い。まともに戦えば、人族が鬼族に敵うとは思えない。
――まあ、絶対数は人族の方が多いがにゃ。
それとも、人以外の外敵に備えているのか。
サードが塀を見ながら考えていると、バーギルが話し始めた。
「俺たち鬼族は、人族より子供ができにくい。それに、生まれるまで三年かかる。それは知っているな?」
サードは頷いた。
「東の地に住んでいた頃、俺たちの村にはこんな塀はなかった。まあ、必要もなかったんだ。……ある日まではな」
「あたしが去った後のことかにゃ?」
「ああ」
サードは村を見渡した。
――年寄りばかりだにゃ。
見える鬼たちは、バーギルと同じように歳を取った者ばかりだった。ただ一人を除いて。
「見ての通り、ここにいるのは俺と同じ年老いた者ばかりだ」
バーギルは、少し離れたところにいた若い娘を呼んだ。
「セツナ、こっちへ来い」
娘が二人の前まで歩いてきた。
「サード、紹介する。娘のセツナだ。娘と言っても血は繋がっていない。ここへ流れ着く途中で拾ったんだ」
「あたしはサードだ。よろしくにゃ、セツナ」
「セツナです。よろしくお願いします、サードさま」
セツナが離れていくのを見届けると、バーギルは再び歩き始めた。
「鬼族にも、一部凶暴な奴らがいてな。ある時、そいつらが人里を襲って、人間を攫ったと仲間から聞いた」
「それで止めに行ったのかにゃ?」
「ああ。仲間を集めてな」
バーギルたちは、その鬼たちの住処へ向かった。だが、相手は聞く耳を持たなかった。
『強い者が弱い者に何をしようと勝手だろう。お前たちだって獣を狩り、皮を剥いで肉を食う。それと何が違う』
バーギルは険しい表情のまま続けた。
「奴らの言い分が、まったく分からんわけじゃない。俺たち鬼族には、強い者が弱い者を従える。それを当然と考える者もいる」
サードは黙って聞いていた。
「鬼には鬼の生き方がある。人族とは考え方も違う。だが、人族とは昔から互いに干渉しない。それが暗黙の了解だった。あいつらは、その一線を越えたんだ」
バーギルの声が低くなる。
「このまま人間を攫い続ければ、いずれ戦争になる。だから俺は言った。連れ去った人間だけでも返せ、と」
だが、相手にされなかった。
「その時、仲間の一人が我慢できずに飛びかかったんだ。俺は止めた。だが、遅かった」
バーギルは少し間を置いた。
「一番奥に、四本の角を持つ奴がいた。鬼なのかどうかも、俺には分からん」
「四本角……?」
「ああ。そいつが、飛びかかった仲間に向かって何かを放った」
バーギルは拳を強く握った。
「次の瞬間、仲間は炭みたいになって倒れた。そのあとも次々とやられて……最後に残ったのは俺だけだった」
「なぜ、お主は助かったにゃ?」
「奴が俺を生かしたんだ」
バーギルは低い声で続けた。
「村に帰って伝えろ。二度とこちらに構うな――とな」
バーギルは俯いた。
「俺は奴を恐れて村へ逃げ帰った。だが、戻った時には、村は人族に襲われていた」
サードは何も言わなかった。
「動ける仲間を探して、一緒に逃げた。それから各地を転々として、この無人だった村を見つけて住み着いたんだ」
バーギルは、離れたところにいるセツナへ目を向けた。
「サード、頼みがある」
「なんじゃ?」
「見ての通り、この村には未来がない」
少し間を置く。
「この子……セツナを、一緒に連れていってくれないか」
サードはバーギルを見つめた。
「なぜ、あたしに?」
「昔、お前は俺たちを助けてくれた。お前なら、この子を守ってくれると思っている」
バーギルは静かに頭を下げた。
サードは少し離れたところにいるセツナへ目を向ける。
「バーギル。お主が決めることではないにゃ。セツナは、どうしたいんじゃ?」
バーギルはしばらく黙ったあと、セツナを呼んだ。
「セツナ」
「はい」
「今の話は聞いていたな」
セツナは小さく頷いた。
「お前は、どうしたい?」
突然そう聞かれ、セツナは少し戸惑ったように村を見渡した。
それから、サードへ目を向ける。
「……行ってみたいです」
「本当にいいのか?」
「はい。外の世界を、自分の目で見てみたいです」
バーギルは寂しそうに笑った。
「そうか……」
サードは尻尾を一度振った。
「なら決まりだにゃ。あたしと一緒に来るといい」
*
村を出たサードは本来の大きさへ戻り、セツナを背中に乗せた。
「セツナ、一度ここで休憩するか?」
サードの声で、セツナは顔を上げた。
「まだ、大丈夫です」
「まだ先はあるぞ。向こうに着いてから何があるか分からん。無理するでない」
サードは歩みを止めた。
セツナは背中から降りると、その場にへたり込んだ。
「……少しだけ、休みます」
やがて疲れ切ったセツナは、そのまま眠ってしまった。
サードはそばに寄り添い、しばらく寝顔を見つめてから、静かに空を見上げた。
*
サイカは、鬼払いの矢倉の前に立っていた。
――祈祷師は今はいないみたいだな。
周囲を見渡し、人がいないことを確認する。
「さてと……」
サイカが階段に足をかけた、その時だった。
「サイカー! サードちゃ〜ん!」
聞き慣れた声が響いてきた。
――姉ちゃん!?
まだ見つかっていない。
サイカは急いで矢倉の中へ駆け込んだ。
――姉ちゃん、ごめん。
薄暗い矢倉の中を見回し、何か手掛かりになるものがないか探していく。
すると奥に、小さな扉を見つけた。
「……トイレか?」
近づこうとした時、階段を登ってくる足音が聞こえた。
――まずい!
サイカは小さな扉を開け、その中へ飛び込んだ。
そこには、何冊もの書物が積み上げられていた。
「本……?」
この村で、これほどの書物を見たことはない。
一冊手に取ろうとして、横の棚に目が止まった。
蝋燭、大きな数珠、そして――拳ほどの大きさの、紫色に光る宝石。
サイカは、その宝石を見た瞬間、妙な嫌悪感を覚えた。
――なんだ、これ……。
その時、隣の部屋から声が聞こえてきた。
サイカは息を潜め、耳を澄ませる。
「儀式までは、まだ日にちがある」
「だが、彼の方は待てないと言ってきておる」
「理由もなく早めるわけにはいかん」
「では、どうするんじゃ。このままでは村がどうなるか分からん。村がなくなれば、皆どうなる」
――彼の方?
その時だった。
積まれていた書物の一冊が滑り落ちた。
バサッ!
「……誰か、そこにいるのか?」
――やばい!
足音が近づいてくる。
サイカは思わず目を閉じた。
――神さま、助けて――
そこまで考えて、すぐにやめる。
――あの爺いに拝むか! 自分でなんとかする!
足音が扉の前で止まった。
その瞬間――。
「サイカー! ここにいるのー?」
弥生の声が矢倉の中に響いた。
扉の前にいた人物の足音が、弥生の方へ離れていく。
――今だ!
サイカは扉を開け、一気に飛び出した。
「あっ! サイカ、こんなところで何して――」
「見つかっちゃった! 次は俺が鬼だから、姉ちゃん逃げて!」
「え? ちょっと、サイ――」
何か言いたげな弥生の口を塞ぎ、そのまま矢倉の外へ連れ出した。
*
そのあと、弥生にはしっかり怒られた。
それでもサイカは、心の中で感謝していた。
「……助かった」
そして、もう一度矢倉へ目を向ける。
――彼の方。
――紫に光る宝石。
サイカは、しばらく矢倉を見つめていた。
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