仕組まれ罠
桃太郎家の夜営では――。
玉藻は、遠くから聞こえてくる三つの足音に耳を傾けていた。人間の足音に近い。だが、何かがおかしい。
国継も気配を感じ取ったのか、立ち上がって刀に手をかけ、暗闇の向こうへ目を向ける。
次第に足音が近づき、ようやく桃太郎も異様な気配を感じ取った。
「皆、少し下がれ」
役人たちへ下がるよう指示を出す。
国継が暗闇を睨んだ。
「面妖な気配じゃな。人か、鬼か……はたまた妖かも分からぬ」
その時、足音のする方から叫び声が聞こえてきた。
「助けてくれーっ! 鬼にされちまう! 嫌だーっ!」
一人の男が、何かに追われるようにこちらへ走ってきた。
「おい、どうした。何に追われておるのじゃ」
「あっしは攫われて……何とか東の方から逃げてきたんです。お助けください、桃太郎家の方」
桃太郎はわずかに警戒を緩め、男へ近づいていく。
「待て、桃太郎」
国継の声が飛んだ。
「そやつ、なぜ我らが桃太郎家の者だと知っておる」
桃太郎が国継の方へ振り返ろうとした、その瞬間――。
「ギャァァッ!」
男が奇声を上げ、桃太郎へ牙を剥いた。振り上げた腕から鋭い爪が伸び、桃太郎へ襲いかかる。
「桃太郎!」
玉藻が桃太郎の前へ飛び出した。
ズバァッ!
鋭い爪が玉藻の肩口から前脚にかけて切り裂き、鮮血が舞った。
「玉藻様!」
桃太郎は刀を抜き、男を斬ろうとする。
「待て、桃太郎。そやつは元は人ではないか」
「しかし父上、玉藻様が。それに、このような人がおりますか……ええい!」
桃太郎は刃を返し、逆刃で男の腕と脚を打ち据えた。それでも男は怯むことなく襲いかかってくる。
桃太郎は身をかわし、再び逆刃で叩き伏せた。
男の身体が地面へ倒れ込む。
だが、すぐに起き上がってきた。
「まだ立つのか……」
その時、下がらせていた役人たちの方から悲鳴が上がった。
「うわぁっ!」
国継が振り返る。
「しまった。囲まれたようじゃ。気を引き締めい!」
国継は刀を抜き、小さく呟いた。
「伊豆能売――御力を」
刀身が淡い光を帯びる。
「桃太郎、そやつは任せる。わしは役人たちの方へ行く」
「はっ!」
国継が駆けつけると、一人の役人が地面に倒れ、すでに動く気配はなかった。
その傍らでは、先ほどの男と同じような形相をした女が、別の役人へ襲いかかっている。
「間に合わなんだか……伊豆能売、もっと御力を」
刀身の輝きがさらに強くなる。
国継が女を斬りつけると、傷口から血は流れず、女はその場に崩れ落ちて胸を押さえた。
「ギャァァァッ!」
苦しみながら暴れた拍子に、女の胸元がはだける。
胸の左側、心臓の辺りには大きな傷跡があり、その奥から紫色の光が薄っすらと漏れていた。
国継の表情が険しくなる。
「これが、蜘蛛の妖に埋め込まれておったものと同じか……」
刀を握る手に力が入った。
「人の心の臓にまで埋め込むとは。もはや許せぬ所業じゃ」
苦しみ続ける女を見つめ、国継は静かに刀を構える。
「許せ。もう助けられん」
女の心臓へ狙いを定めた。
「伊豆能売様――浄化の御力を」
国継が刀を突き出す。
淡い光が女の身体を包み込み、やがて苦しげだった表情が消えていった。
女は安らかな顔を浮かべたまま、動かなくなる。
その時――。
「動くな!」
残るもう一人の男が、役人の首元へ腕を回していた。
先ほどの二人とは違う。その目には、まだ知性が残っている。
国継が足を止める。
男は役人を盾にしながら、ゆっくりと後ずさった。
そして次の瞬間、役人を抱えたまま暗闇の中へ駆け出す。
「待て!」
国継はすぐさま、その後を追った。
*
その頃、桃太郎は何度も逆刃で男を打ち据えていた。
だが、腕の骨が折れようが、脚が砕けようが、瞬く間に治り、何度でも襲いかかってくる。
傷を負った玉藻が起き上がり、桃太郎へ告げた。
「あたしが以前倒した異形とは違うが、傷が回復するのは同じじゃ。もはや、救うには殺すしかない」
玉藻は傷ついた前脚を庇いながら、一歩前へ出る。
「……やはり、お主は優しいのう。こやつは、あたしがやる。下がっておれ」
「玉藻様、その傷に障ります。それに、その傷は拙者を庇って負ったもの」
桃太郎は玉藻の前へ出ると、刀を高く掲げた。
「天照大神様――お力添えを」
刀身が眩いばかりの光を放つ。
桃太郎は男から距離を取り、その場で刀を大きく振り抜いた。
刃先から放たれた光が、一直線に男へ向かっていく。
男は両腕を前へ突き出し、防ごうとした。
だが――光はその腕をすり抜け、そのまま身体を通り抜けた。
一瞬、何も起きなかったように見えた。
次の瞬間。
男の身体に、肩口から脇腹へ斜めの線が走る。
そのまま身体が崩れ、地面へ倒れ込んだ。
今度は、起き上がってこない。
桃太郎はすぐさま刀を下ろし、玉藻へ駆け寄った。
「玉藻様、大丈夫でございますか」
「あたしは大丈夫じゃ。それより国継のところへ急げ。足音は三つあったはずじゃ」
「はっ!」
桃太郎はすぐさま国継のいる方へ走り出した。
やがて役人たちの姿が見えてくる。
一人は地面に倒れたまま動かない。もう一人は傷を負い、その場に座り込んでいる。
近くには、一人の女が仰向けに倒れていた。
だが――。
「父上……」
国継の姿がない。
桃太郎は周囲を見回したあと、傷を負って座り込んでいる役人のもとへ駆け寄った。
「父上はどこへ行った」




