ベヒモスの予感
一方、宿では――。
セツナとベヒモスが、昨日から機嫌を損ねているシルフィードを宥めていた。
昨日、宿へ戻った時のこと。
「オレ様をほったらかして、団子で機嫌取りか。龍はそんなに安くないぞ。一声かけてから行け。……団子は食べるけどな」
そんなシルフィードの機嫌を取るため、今日はセツナとベヒモスが一緒に宿へ残っていた。今では、シルフィードは頭をセツナの膝の上に乗せ、すっかり眠っている。
「機嫌直ったでやすね」
「…………」
「寝てますね、シルフィード様。それにしても……すごく軽い」
そこへ、サイカとサードが戻ってきた。サイカは部屋に地図を広げると、セツナの膝の上で眠るシルフィードに声をかけた。
「飛べるし、姿も消せるし、強いし、頭も切れる。シルフィードなら簡単なことだ。ちょっとこの場所を偵察してきてくれないか? 四本角がいるかもしれない」
シルフィードが片目を開ける。
「なら、あっしも偵察向きなんで、ついていきやす」
ベヒモスが小さな前足を上げた。
*
シルフィードは、小さなベヒモスを背に乗せ、地図に浮かび上がった印の場所へ向かっていた。空を飛びながら、昨日のことを思い返す。
「……ちょっと龍として、大人気なかったか」
「何か言ったでやすか?」
「なんでもない!」
やがて、地図が示した場所が見えてきた。そこは海沿いの岩場で、長年波に削られたのか、切り立った鋭い岩がいくつも並んでいる。
その時、岩の隙間から二つの人影が出てくるのが見えた。鬼なのか、人なのか。ここからでは分からない。
「あそこか……。ベヒモス、お前はこの辺で待ってろ。オレ様は中を調べてくる」
「あっしも地中に潜って調べやす」
「……まあいい。見つかるなよ」
シルフィードが高度を下げる。地面へ降りたベヒモスは、すぐに土の中へ潜っていった。
*
「シルフィード様とベヒちゃん、大丈夫ですかね。サイカ様」
「大丈夫だ。口は悪いけどシルフィードは強いし、頭も切れる。ベヒモスも、いざとなれば地中に潜って逃げられるしな」
「そうですね。あのお二人なら、心配はいらなそうですね」
セツナは少し黙ったあと、姿勢を正してサイカとサードへ向き直った。
「サイカ様、サード様。わたしのこと……ちゃんとお話ししていませんでしたよね」
「セツナのこと?」
「はい。昨日、桃太郎様とサイカ様のお話を聞いていて……わたしも話しておかなければと思いました」
セツナは一度、サードへ目を向ける。
「サード様は、義父のバーギルから聞いているかもしれませんが……わたしは三十年前、彷徨っていたところを父に助けられました」
そう言うと、セツナは頭に巻いていた飾り布をゆっくりと外した。その額には、菱形の印が刻まれていた。
「わたしには、鬼族の証である角がありません。それに、父に拾われた時、それ以前の記憶が何一つなかったのです」
サイカは黙ったまま、セツナの額を見つめる。
「父は、鬼族でもないわたしを実の娘のように育ててくれました。最初は人間だと思って、人里が見つかれば返そうと考えていたそうです」
セツナは一呼吸置いた。
「でも、わたしが普通の人より歳を取らないことに気づいて……それに、可愛くなって手元に置いてしまったと、後になって聞きました」
少しだけ笑う。
「サード様にわたしを託したのも、あのまま村に残れば……いつか、わたしだけになる。父は、そう考えたからだと思います」
そこまで話し終えると、セツナは「ふぅ」と小さく息を吐いた。その表情は、先ほどより少し晴れて見えた。
*
その頃――。
シルフィードたちが洞窟へ近づいた瞬間、ジュラの部屋に置かれた宝玉が力強く点滅し始めた。ジュラが宝玉へ目を向け、口元に薄い笑みを浮かべる。
「……のこのこ鼠が入り込んできたか。威勢のいい奴なら、検体にしてやるか」
そう呟くと、ジュラは部屋を後にし、近くにいた兵士へ声をかけた。
「調整が済んでいる鬼を一匹連れていけ。鼠が入り込んできた」
「はっ」
兵士は地下へと降りていった。
*
自分たちの侵入がすでに知られているとも知らず、シルフィードは洞窟の前までやってきた。
(オレ様が全部片付けてやる。サイカのやつ、びっくりするだろうな)
その隣で、地面から顔だけ出したベヒモスがシルフィードをちらりと見る。
「……なんか、変なこと考えてやすね」
「ふん。オレ様に任せておけ、ベヒモス」
「……嫌な予感がするでやす」
その予感は、すぐに現実となった。洞窟の奥から、鉄の武器を携えた鬼が姿を現す。その額には、紫色に輝く石が埋め込まれていた。
「なんだ、こいつ……」
姿を消したシルフィードが身構える。
だが、鬼は迷うことなく顔を上げた。まるで、そこにシルフィードがいることを最初から知っているかのように。
そして手にした武器を掲げ、一気に襲いかかってきた。
「やっぱり、嫌な予感が当たったでやす……」
ベヒモスが小さく呟いた。
*
その頃、桃太郎家の蔵では――。
国継は、一本の刀を手に取っていた。ゆっくりと鞘から抜き放つと、現れた刀身は淡い光を帯びている。
しばらく刀を見つめたあと、再び鞘へ納める。さらに護符を数枚懐へ入れ、蔵を後にした。
離れへ向かう途中、吉備津彦が待っていた。
「父上」
「どうした、桃太郎」
「地図にはからくりがございましたが、四本角の居場所と思われる場所を特定できました」
国継が足を止める。
「そうか。よくやった、桃太郎」
そして離れへ視線を向けた。
「わしはしばし、離れで気を練り、精神を研ぎ澄ます」
国継は先ほどの刀を吉備津彦へ差し出した。
「後方で待つというのなら、ついて参れ。この刀を持っていけ」
吉備津彦は両手で刀を受け取った。
「はっ。仰せの通り、お供いたします」




