旅立ちの日
それから数日後。
村長から村人たちへ、矢倉で起きたすべての顛末が明かされた。
鬼払いのこと。火比べのこと。ドラゴンの加護とされていたもの。そして――生贄についても。
当然、村長を責める者は多かった。
過去に生贄として我が子を差し出さざるを得なかった親からは、激しい罵声を浴びせられ、嫌がらせを受けることもあった。
それでも村長は、何一つ言い返さなかった。ただ静かに、そのすべてを受け入れた。
村長自身、若い頃には良い縁談があったという。だが、結局結婚はしなかった。
鬼との秘密を守るため。そして、自分自身への戒めとして。
*
サイカは、祈祷師の荷物から見つかった地図を広げて眺めていた。
「ここが、俺たちの村か……」
そこから遥か東には、大きな都がある。西には港。北には険しい山々が連なり、その向こうにもまだ見ぬ土地が広がっていた。
矢倉で見つけた書物にも、少しずつ目を通している。
この世界の歴史。各地の国や人々。そして――「術」と呼ばれるもの。
どうやら人間の中にも、前の世界でいう魔法のような力を使える者がいるらしい。
だが、あの紫色の宝石について記されたものは、どこを探しても一つもなかった。
「宝石に、四本角……まだまだ知らないことばかりだな」
サイカは地図を見つめた。
世界は、自分が思っていたよりもずっと広かった。
*
それからサイカは、まだ身体が完全に戻っていない爺ちゃんに代わって畑へ出た。
畑仕事が終われば、今度はサードやシルフィードとの鍛錬だ。サードに追い回され、シルフィードの旋風に吹き飛ばされる毎日が続いた。
「ちょっと待て! 二人とも、相手はまだ六歳だぞ!」
「鍛錬に歳は関係ないにゃ!」
『そうだ。自分からやると言ったのはお前だろうが!』
「限度ってものがあるだろーッ!」
そんな賑やかな日々を過ごしているうちに、爺ちゃんも再び畑へ出られるほどまで回復していった。
そして、ある日のこと。
サイカはサード、シルフィード、セツナを集めた。
「みんなに話がある」
三人の前に地図を広げる。
「俺、この世界をもっと知りたいんだ。紫色の宝石のことも、四本角の男のことも、鬼と人間のことも……まだ知らないことばっかりだ」
サイカは顔を上げた。
「世界は広い。だから、俺は自分の目で見て回りたい。……みんな、一緒に来てくれるか?」
「どこまでも付き合うにゃ!」
サードが胸を張る。
『誇り高き龍である俺が、ついて行ってやる』
シルフィードも当然のように答えた。
サイカは最後にセツナを見る。
「セツナは、この村に残るって選んでもいいんだぞ」
セツナは少しだけ考えるように俯いた。それから顔を上げた。
「私も行く。私も……この世界を見てみたい」
三人の答えを聞き、サイカは頷いた。
もう迷いはなかった。
*
その日の晩。
サイカは囲炉裏のそばで、爺ちゃんと婆ちゃんの前に背筋を伸ばして座った。
「爺ちゃん、婆ちゃん……ごめん」
二人がサイカを見る。
「俺、やっぱりこの世界を見て回りたい」
室内が静まり返った。
爺ちゃんと婆ちゃんは顔を見合わせる。しばらくして、婆ちゃんが小さく息を吐いた。
「……六歳の子を旅になんて、本当なら出したくないんじゃけどねぇ」
「婆ちゃん……」
爺ちゃんがサイカを見る。
「サードたちも、一緒なんじゃな?」
「ああ。サードも、シルフィードも、セツナも一緒だ」
「そうか」
爺ちゃんは少し寂しそうに、それでも笑った。
「そんな気はしておったよ」
婆ちゃんもサイカを見つめ、ゆっくり頷く。
「サイカ。世界を見ておいで」
「婆ちゃん……」
「ただしな」
爺ちゃんが言葉を継いだ。
「お前の家は、ずっとここじゃ」
婆ちゃんも頷いた。
「それだけ覚えておいてくれれば、それでええ」
サイカは、目頭が熱くなるのを必死でこらえた。
「……ありがとう、二人とも」
一度大きく鼻をすすり、ニッと笑う。
「俺の家は、ここだ」
婆ちゃんは立ち上がると、少し涙の混じった声で言った。
「さあ、お祝いじゃ! ご馳走を作るから、腕が鳴るわい!」
その晩は、みんなで遅くまで食卓を囲んだ。
西瓜からサイカが生まれた日のこと。初めて自分の足で歩いた日のこと。爺ちゃんとの剣の稽古。火比べ。サードと出会った日のこと。そして、最近起きた一連の騒動まで。
笑い合いながら、思い出話はいつまでも尽きなかった。
*
翌日。
サイカは村のみんなの家を回り、旅立ちの挨拶をしていた。
「村の英雄なんだから残ってくれ」
「まだ六歳だろ。旅なんて早いぞ」
「将来、うちの娘を嫁にもらってくれ!」
旅立ちを惜しむ声を掛けられるたび、サイカは笑って答えた。
そして最後に、村長の家を訪ねた。
「サイカか。どうした、遠慮はいらん。入りなさい」
村長は笑顔でサイカを迎えた。
「お前は、この村を救ってくれた。まだ小さいが、いつかわしの跡を継いで村長になってくれたら、みんな喜ぶじゃろうな」
サイカは村長をまっすぐ見つめた。
「村長、ありがとう。そう言ってもらえるのは嬉しいよ。でも、まだ終わってないんだ。それに俺は、この世界を自分の目で見て回りたい」
そう言って、祈祷師の荷物から見つかった金を差し出した。
「これは祈祷師が持っていたお金。村のために使ってほしい」
「サイカ……」
「今度は誰かに守ってもらう村じゃなくて、自分たちで守れる強い村にしてほしい。今の村長ならできるって、俺は思ってるから」
村長はしばらくサイカを見つめた。
やがて、その小さな両手を強く握る。
「……わかった。もう逃げん」
そして、大きな声で笑った。
「まったく、こんな六歳児は見たことがないわい!」
*
夕暮れ時。
サイカは弥生の家の前に立っていた。
戸を叩こうとして、ふと前の世界のことを思い出す。
母と妹、そして兄である自分。三人で暮らしていた。
母は遅くまで働き、サイカも少しでも助けになればとアルバイトをしていた。身体の弱かった妹も、体調の良い日は家のことを手伝ってくれていた。
だが、病気は少しずつ妹の身体を蝕んでいった。
医者にも、母にも、自分にも、どうすることもできなかった。
それでも――何もできなかったという思いだけは、ずっと残った。
サイカは目を閉じる。
――今度は、ちゃんと守れたよ。
小さく息を吐き、戸をトントンと叩いた。
「サイカだ。姉ちゃん、ちょっと話があるんだ」
戸が開き、弥生が顔を出した。
サイカを見ると嬉しそうに笑ったが、すぐに少し怒った顔になる。
「サイカ、この前はありがとう。ちゃんとお礼を言えてなかったから。でも、もうあんな危ないことしちゃ駄目だからね。アンタ六歳、私は十歳なんだから!」
サイカは弥生をじっと見つめた。
「弥生姉ちゃん、ごめんなさい。俺、旅に出るよ」
「……え?」
「もっと、この世界を自分の目で見てみたいんだ」
弥生はしばらく何も言わず、サイカの目を見つめていた。
やがて、少し寂しそうに笑う。
「そっか……サイカには、この村は小さすぎるのかもね。あんな凄いのまでやっつけちゃうんだから」
「姉ちゃん……」
「でも」
弥生はサイカの頭へ手を置いた。
「旅に出ても、私はずっとサイカのお姉ちゃんだからね」
笑っている弥生の頬を、大粒の涙が流れていた。
サイカは何も言わず、力強く頷いた。
「うん」
*
そして――旅立ちの日。
サイカは、小さな身体に甲冑を身につけていた。
背中には大きな【西瓜】の刺繍。額には【西瓜模様】の鉢巻。
かつて爺ちゃんが着ていた甲冑を、婆ちゃんがサイカの身体に合わせ、夜なべして仕立て直してくれたものだった。
右腰には、一振りの脇差。
鞘から覗く柄が、朝日を受けて輝いている。
爺ちゃんが長年、大切にしてきたものだった。
「その脇差はな、昔、わしがミカドから直接下賜された業物じゃ」
「ミカドから……!?」
「ああ。東の都へ行って困ったことがあれば、城の門兵にそれを見せなさい」
爺ちゃんはサイカの腰の脇差を指した。
「きっと、何かしら力になってくれるはずじゃ」
サイカは柄へそっと手を置いた。
「……わかった。大事にするよ」
すると爺ちゃんは、もう一つ小さな革袋を差し出した。
「それとな。これは村のみんなからじゃ」
「みんなから?」
受け取ると、見た目以上にずしりと重かった。
中には旅に必要な銭が入っている。
「昨日、お前が挨拶に回ったあと、みんなが少しずつ持ってきたんじゃ。旅の足しにしてくれ、とな」
サイカは革袋を両手で握り締めた。
「……みんなに、ありがとうって伝えて」
婆ちゃんが笑った。
「そんなもん、自分で帰ってきて言いなさい」
サイカは一瞬目を丸くし、それから大きく笑った。
「うん。絶対帰ってくる」
朝日に照らされた村の入口。
サイカは振り返った。
生まれてから六年間、ずっと暮らしてきた村。
爺ちゃんと婆ちゃんのいる、自分の家。
村長。
村のみんな。
そして――弥生姉ちゃん。
そのすべてを、しっかりと目に焼きつける。
――行ってくるよ、姉ちゃん。
サイカは前を向いた。
その先には、サード、シルフィード、セツナが待っている。
「行ってきます!」
そして――サイカたちは、まだ見ぬ世界へ向かって一歩を踏み出した。
第一部 火比べ編完
一部の最後まで、見て頂き有難うござます。
冒険は、始まったばかり、一緒に行末を見届けて頂けたらと思ってます。
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