生け贄とは何なんだ
サイカはそっと玄関の戸を開け、家の中へ入った。姿を消したシルフィードも、その後に続く。
「おはよう、サイカ。爺さんはもう畑に行ったよ」
「婆ちゃん、おはよう。じゃあ、俺も爺ちゃんの手伝いに行ってくる」
「はいよ。気をつけてね」
それだけだった。
(爺ちゃんも婆ちゃんも……やっぱり分かってたのかな)
そんなことを考えながら、サイカは畑へ向かった。
途中、向こうから小さな猫と、弥生姉ちゃんくらいの年頃に見える女の子が歩いてくる。
(……サード?)
「サード! 遅かったから少し心配したぞー!」
「にゃー。あたしは強いんだぞ。心配せんでも大丈夫にゃ」
サードはそう答えると、サイカの後ろへ顔を向けた。
「……ん? サイカ、お前の後ろに誰かいるのかにゃ? 姿は見えないが、気配がするぞ」
「さすがサードだな」
サイカは小さな声で答えた。
「姿を消してもらってるんだけど、ドラゴンの子供だ。シルフィード。新しい仲間」
「にゃにぃー!? ドラゴンの子供だとぉー!」
「しーっ!」
サイカは慌ててサードの口元を押さえた。
「喋る猫とドラゴンを、そんな大声で言ったらダメだろ!」
「むぐぐ……それもそうだにゃ」
「自分で言ってから気づくなよ……」
サイカはため息をつくと、今度はサードの隣にいる女の子へ目を向けた。
弥生姉ちゃんくらいの年頃だろうか。動きやすそうな旅装に、頭には髪を押さえるような幅広の布飾りをつけている。今まで村では見たことのない格好だった。
「ところでサード、その子は誰?」
「ああ、紹介するにゃ。セツナだ。一緒に来ることになったにゃ」
セツナがサイカの前へ出る。
「セツナです。よろしくね」
「俺はサイカ。よろしく!」
その時、何もないはずのサイカの後ろから声がした。
『オレはシルフィードだ。よろしくな』
「えっ!?」
セツナが目を丸くし、辺りを見回す。
「あっ、今のは……」
サイカは頭を掻いた。
「まあ、その辺も含めて説明するよ」
その後、サイカとサードは、互いに昨夜あったことを簡単に伝え合った。
サイカ、サード、セツナ、そして姿を隠したシルフィード。
こうして四人が、初めて同じ場所に揃った。
「……あっ! 爺ちゃんに怒られるー!」
サイカは畑へ向かって全速力で走り出した。
『何だ、あいつ』
「いつものことだにゃ」
セツナがくすっと笑った。
だが――畑へ向かっていたサイカは、村外れで足を止めた。
視線の先で、何か思い詰めた顔をした弥生が、なりふり構わず山の中へ走っていくのが見えたからだ。
(……弥生姉ちゃん!?)
サイカはすぐに、後ろからついてきていたサードたちのもとへ引き返した。
「サード、シルフィード、セツナ。ちょっとここで待っててくれ。すぐ戻る」
「にゃ? どうしたんだにゃ」
「いいから待ってろ!」
サイカはそう言い残すと、足音を殺して弥生のあとを追った。
*
「弥生、少し外に出ていなさい」
両親にそう言われ、弥生は家の外へ出された。
入れ替わるように家の中へ入っていったのは、村長だった。奥の部屋で両親と何を話しているのか、確かめるまでもない。
(やっぱり……あの件だ……)
胸が押し潰されそうになり、弥生はその場にいられなくなった。気づけば走り出していた。
行く当てもなく走り続け、いつの間にか村外れの山へ入っていた。
生い茂る木々の下、息を切らしながら湿った地面へ寝転がる。葉の隙間から覗く白い空を、ぼんやりと見上げた。
「あと二年は猶予があるって……言ってたじゃない……」
村のため。村を守ってくださるドラゴン様のため。
幼い頃から、そう言い聞かされてきた。けれど、いざその時が目前に迫ると、怖くて仕方がない。
「……嫌だよ……生贄なんて、まだなりたくないよ……」
両手で顔を覆い、くぐもった声を絞り出す。
「誰か……誰か助けてよ……」
その時、顔に影が落ちた。
涙で濡れた指の隙間から見上げると、そこには見慣れた少年の顔があった。
サイカだ。
「……っ!?」
弥生は慌てて涙を袖で拭うと、弾かれたように起き上がった。
「サ、サイカ……! また勝手に山に入ってきたらダメじゃない……!」
いつもの姉ちゃんを装った声が、わずかに震えている。
サイカは何も言わず、弥生をまっすぐ見つめた。
「姉ちゃんは、何も心配しなくていい」
「……え?」
「俺が、どうにかするから」
それだけ言うと、サイカは迷いのない足取りで弥生に背を向けた。
「ちょっと、サイカ! 危ないことはしないでよ! 私なんかのために……!」
背後から聞こえる弥生の声を振り切るように、サイカは山を下りた。
*
サードたちのもとへ戻ったサイカの表情からは、いつもの子供っぽさが消えていた。
(やっぱり、生贄の時期が前倒しになったんだ。時間がない……まずは村長に話を聞く)
サイカは短く指示を出した。
「サード、お前はセツナを爺ちゃんと婆ちゃんのところへ連れていってくれ。俺とシルフィードは村長の家に行く」
そして、姿の見えないシルフィードへ顔を向けた。
「行くぞ、シルフィード」
「わかったにゃ」
『わかった』
「わかりました」
*
サイカとシルフィードは、村長の家の前まで来ていた。
「シルフィード。俺が合図したら姿を見せてくれ。頼む」
『頼まれるまでもないことだ』
「よし」
サイカは戸の前に立った。
「村長、サイカだ。話がある!」
そう言うと同時に、戸を開ける。
囲炉裏の前に座っていた村長が、少し驚いたように振り返った。
「サイカか。いきなり何じゃ」
少し苛立った声だった。
サイカは村長の前まで歩いていくと、まっすぐその顔を見た。
「村長。あんたは、ドラゴンが鬼からこの村を守ってくれて、その見返りに村の娘を生贄に差し出してる。そうみんなに言ってるよな?」
村長の表情が変わった。
しばらく黙ったあと、視線を落とす。
「……そうじゃ。生贄を出すのは悲しいことじゃ。じゃが、村のみんなを守るためには仕方がない」
「それ、本当にドラゴンが言ったのか?」
「何?」
「生贄を出せって、ドラゴンが直接言ったのかって聞いてるんだ」
村長は答えなかった。
サイカは続ける。
「昨日、俺はドラゴンに会った。でも、生贄の話なんて一度もなかったぞ」
「ドラゴンに会ったじゃと?」
「ああ。話もした」
村長はしばらくサイカを見つめていたが、やがて呆れたように息を吐いた。
「……大方、夢でも見たんじゃろう。サイカ、お前はまだ子供じゃ。悪いが今は忙しい。家へ帰りなさい」
「夢じゃない」
サイカは何もない囲炉裏の横へ視線を向けた。
「シルフィード」
『ああ』
次の瞬間、何もなかった空間がゆらりと歪んだ。
透けていた輪郭が少しずつ形を取り、角、鱗、長い尾が現れていく。
やがて、一匹の子龍が村長の目の前に姿を現した。




