11.二つの指輪
アスキー公爵邸は、私が想像していたよりずっと大きかった。
王都近くの広大な領地に建つ石造りの邸宅は、高い鉄柵に囲まれ、門を入ってから玄関まで馬車でしばらく走るほどの広さがある。
養父が「立派なものだ」と窓から身を乗り出し、養母が「あなた、はしたないですよ」とたしなめる声を聞きながら、私はずっと胸元のネックレスを指先でなぞっていた。
あれから三週間が経っていた。「正式な形でご挨拶させていただきたい」という公爵からの書状に、養父も養母も顔を見合わせ、それから二人そろって私を見た。
「リリテア、公爵様に何をしたんだ」
「何もしていません、お父様」
「あら。何だか嬉しそうね」
そう言った養母は正しかった。私はきっとその時、隠しようもなく顔に出ていたと思う。
玄関で出迎えたルヴィアスは、落ち着いた色合いの礼装をしていた。
いつも通り表情に大きな変化はないが、こちらへ向ける視線は穏やかで、それを私だけが知っていることに、胸の奥がじわりとした。
「よくいらしてくださいました。ポーター名誉男爵」
「これはこれは公爵閣下。立派なお屋敷ですね」
養父がまた感嘆の声を上げ、ルヴィアスは小さく口角を上げた。
邸内へ通され、私たちは応接室に案内された。歓談の時間がしばらく続き、やがてルヴィアスが立ち上がった。
「ポーター男爵、メリアーヌ夫人。今日こちらにお越しいただいたのは、リリテアのことについて正式にお話ししたかったからです」
養父母の顔が引き締まる。ルヴィアスは二人と向き合ったまま、まっすぐな声で言った。
「リリテアを、私の妻として迎えたいと思っています。どうかお許しいただけますか」
沈黙は一瞬だった。養父母は、こうなると予感していたのだろう。
「やはり、そうでしたか……。リリテアが望むなら、私たちに否と言う理由はございません」
「リリテア、あなたはどうしたいの」
養母の言葉に顔を上げると、ルヴィアスと目が合った。
「私は……この方と、一緒にいたいと思っています」
私の言葉を聞くと、ルヴィアスは懐から、小さな箱を取り出した。私は思わず息を呑む。
「リリテア」
「はい」
「この地位をかけて、お前……いや、君の過去ごと全てを愛し、守り抜くと誓う」
箱が開かれ、繊細な細工が施された指輪が現れた。中央の石が灯りを受けて静かに輝いている。
「もう一度言おう。俺の妻になってくれ」
過去ごと、という言葉が胸に刺さった。廃村になった故郷のこと、あまり覚えていない両親のこと、幼い頃から一人で胸に抱えてきた空白のこと。
全部を知っているわけではないのに、それでもその全部を受け取ると、この人は言っている。
目が熱くなった。泣くつもりはなかったのに。
「……はい」
今度こそ、私はしっかりと答えた。
指先の指輪が、灯りを受けて静かに光った。胸元のネックレスを通った形見の指輪と、新しく左手に収まった婚約の指輪。
ふたつを持つ私の人生が、これから始まる。
◇
夕食後に通された公爵邸の客間は、これまで見たどんな部屋よりも美しかった。
天蓋つきのベッド、薄絹のカーテンは目を奪われるほど豪華で、磨かれた窓からは夜の庭園が見えた。養父母は隣の客間に案内されていて、今ごろ豪華な調度品に圧倒されているだろう。
私はひとりでベッドの端に腰かけていた。
左手の薬指に視線が落ちる。渡されたばかりの婚約指輪が燭台の灯りを受けて静かに輝いていた。私は胸元のネックレスに指をかけ、服の下に隠していた指輪を引き出した。
幼い頃からずっと、この感触だけを手がかりに生きてきた、母の形見。実の両親は今、どうしているのだろう。
掌の上にふたつの指輪を並べた瞬間、息が止まった。
(細工が、似ている……?)
ただ意匠が似ているというのではない。
細い金属の線が幾重にも組み合わさり、花とも葉ともつかない複雑な紋様を形成している。ルヴィアスが選んだ婚約指輪の側面と、形見の指輪の側面はよく似ていた。
実の両親を知る手がかりかもしれない。
居ても立っても居られず廊下へ出ると、控えていたメイドがすぐに向き直った。掌のふたつの指輪を彼女に見せる。
「あの、この細工様式って何か分かりますか? どこの店だとか、職人だとか」
メイドはしばらく指輪を眺めてから「リュディールの伝統的な細工技法ですね」と静かに答えた。
「今はもう作られませんから……こちらの方は、綺麗にリメイクしたもののようですね」
メイドは婚約指輪の方を指し示した。
「…………そうですか。ありがとう、ございます」
私は扉を閉めて、そのまま扉に背をつけ、ゆっくりと目を閉じた。
しばらく目を閉じていたが、私は意を決して指輪を握りしめ、部屋を出た。
ルヴィアスの私室の前まで来ると、扉の向こうには灯りの気配があった。ノックすると、すぐに「入れ」と声が返ってきた。
「失礼します」
ルヴィアスは私に気付くと、驚きつつも嬉しそうな顔を見せた。
「リリテア? 眠れなかったか」
ルヴィアスが立ち上がるのを待たず、貰ったばかりの指輪を見せた。
「この指輪について聞かせてください」
「婚約指輪か? 気に入らなかったなら別のものを……」
「どこから手に入れたものですか」
真っ直ぐに見つめる私に少し圧倒されながらも、ルヴィアスは口を開いた。




