63歩 無手の攻防
「ふっ」
小さく吐き出される息と鋭く打ち出される拳打。
細かいすり足が音を立てることもなく木の床を滑ってる。無駄のない流れるような体捌きは美しいくらい。
無手による格闘が始まった。
天井が低い上に所狭しと積まれた箱のせいで空間が少ない。にも関わらず。狭さを感じさせない足運びがわたしの逃げ場を塞ごうと追いかけてくる。
軋む床板に気づいた女の子がわたしと同じように隠密スキルを駆使してる。
ジリジリと後退することで屋根裏部屋の迷路の奥へと追いやられてしまいそう。いっそ2階へ続く床の出入り口を開けて飛び降りるのもありかも?
や。それはない。いかついおじさんたちが十数人はいる。この女の子がどういう行動に出るかは分からないけどいらない問題がさらに起きるに決まってる。
んー。できれば木板の小窓から逃げたいかな。
回避の合間に2階への出入り口をチラリと盗み見るフリをしてみる。もしも出入り口の存在を知っていればより効果は高いと思うし、知らなくても警戒はするよね?
途端に足捌きを変えてきた。簡単に後退できないように急所への一撃を狙ってくる。
素直だなあ。
わたしは女の子の攻撃を受けることなく回避に専念していた。軌道が読み易いし次の攻撃も予測し易い。
美しい戦闘術は素直に感じる。性格が表れてるのかな?
おかげでギリギリよりもなるべく余裕をもって避けている。暗殺者や隠密同士の戦いはあんまりギリギリだと危ないこともあるしね。
警戒して様子見をしていたけど。これなら隙をみて逃げられそうな気がする。
狼の影も暗器も使う必要がなさそう。ていうか。殺すつもりもないのにいわゆる同業者に手の内を見せたくなかった。
んー。顎への一撃を誘ってみようかな?
最初から回避にクセをつけていた。右に左にくるくると回って女の子の視線にわたしのがらあきの顎が残るようにしていた。
「ふっ」
小さな吐息と同時に女の子の鋭い右の拳が伸びる。くるんと回避するわたし。ほどよい距離感でわたしの顎が女の子の正面に残っているはず。
わふ。攻撃しやすくない?
きた!
わたしの真横に流れるような足運びに加えて左の拳が素直に突き出される。
女の子の体とわたしの体を入れ替えるように半身を回転させればいいわけで。そうすればわたしは木板の小窓側に移動できるから逃げればいいだけ。
女の子の左の拳にわたしの右手のひらを添えるように半身半回転しようとしたら。
わたしの動きに合わせて先回りしてきた。
逆に狙われた!
直上から垂直に振り下ろされる上段回し蹴り。まるで踊ってるかのように振り上げられた脚が視界から消えて攻撃が予測できなかった。
ほとんど不意打ち状態の攻撃に、頭をのけぞらせて避けるけどわたしの顎をびしりとかすめた。
くぅ。
目の前が霞む。頭がふらふらする。
間違いなく脳震盪を起こしてる。
誘ったはずの顎への一撃を見事に決められてしまった。
「もらった」
確信の声が微かに聞こえた。フードに隠れた女の子の視線と、手甲に覆われた掌底がわたしのがらあきの顎に迫ってる。
わたしの霞む瞳に手のひらが大きく見えた。
ダメ! ダメダメダメ!
もう一撃喰らったら確実に昏倒しちゃう!
「がるるぅ!」
やられるもんか!
決意とともにはっきりする意識。
掌底がわたしの顎を打ちつける寸前。右手の甲で受け流した。
きっと確実に当てられると予想をしていた女の子が驚いた瞳をしているように感じた。フードの奥でよく見えない。
よく見えないけど。女の子の視線が本気になったように感じられた。強い殺気が消えていく。本気の殺気は隠すもの。
これ。危ないやつだ。きっと必殺の一撃をかわしたことでわたしへの警戒レベルが引き上がってる。つまりこの女の子も本気を出していなかったということで。
わたしも気合いを入れて立ち向かわないとやられる!
そして。女の子から怒涛の攻撃が繰り出される。
拳打。掌底。肘打ち。上段、下段、中段への変幻自在の蹴脚。
手のひら。手甲。手首。肘。膝。肩。足裏。すべての攻撃を受けた。
もしも見ている人がいたら舞台の殺陣とでも思ったかもしれない。女の子の攻撃はまるで演舞のようで流麗な技が美しかった。
もちろん床板が軋まないようにしている。大暴れして階下にいるいかついおじさんたちに気づかれるわけにはいかないから。
わたしも女の子も無手の攻防に意識を集中しつつ、お互いに隠密スキルを駆使している。とても疲れるし神経がすり減る思いをしていた。
女の子の攻撃を受けるたびにどうしても音が鳴る。手のひらで拳を受けるときなんかはパンパンとリズムよく軽快なくらい。
激しい攻防のせいで床板がたわんでる。たくさん積まれた箱が振動で揺れている。
なんだか嫌な予感がするよー。
「全部。受けられるとは思わなかった」
ひとしきりの攻防を終えて向かい合っていた。隠密スキルを駆使しながら戦う緊張と少しでも油断したらやられてしまっていたかもという恐怖心で冷や汗が流れてる。
女の子の口調が変わってるし。言葉に抑揚を抑えることのできない感情が感じられる。
素になった? なんだか笑ってるようにも感じる。
さっきまでもっともっと抑えた感じだったのに、もしかして楽しんでない? 最初に感じた殺気の中に混じっていた感情は喜怒哀楽の楽?
それはともかく。
「バイバイだね?」
「あ!」
女の子から発せられる初めての大きな声。
女の子とわたしの位置が入れ替わってることに初めて気づいたみたい。
女の子はわたしを倒そうとしていた。だけどわたしは回避と防御に専念していることを気取られないようにしていた。逃げるチャンスを手にするために。
結果。わたしの逃げる体勢は万全。
女の子を見据えたまま木板の小窓に飛び上がった。最後に油断をして倒されるなんてことにはなりたくないからね。
あとは外に飛び降りて全力で逃げればいいだけ。
そう思ったとき……。
「あ……」
右足首が思い切り引っ張られて。ドスンと音を立てながらおしりから床板に落ちてしまった。
なんで? どうして?
「ひゃあ!?」
驚きの声を上げたのはわたしじゃなくて女の子。
バキバキと音を立てて床板の一部が崩落したから。積まれた箱と一緒に。
元々、たくさん積まれていた箱で床に負荷がかかっていた。その上、マルキツネズミのおしっことかで木の床が傷んでた。
さらに女の子との攻防で悲鳴を上げていた屋根裏部屋の床板がとうとう限界を超えたみたい。
女の子が跳び上がって天井の梁に手を伸ばすけど届かない。2階へと落ちてゆく女の子の顔はフードで見えないけどきっと必死な顔をしている。
わたしは屋根裏部屋の端っこにいたから崩落した穴に巻き込まれずに済んでいた。
このまま逃げた方がいいかも? それとも女の子を助けに行く?
そんなことが頭に浮かんだ瞬間。
「わふ!?」
右足首が引っ張られてあっという間に穴へと吸い込まれる。折れた床板をつかむけど、引っ張られる力に耐えることができずに落ちてしまった。
眼下に見えるのは崩れた天井の板と箱と女の子。すかさずくるりと回転して瓦礫の中に着地した。
胸に手を当てている女の子がわたしの隣ではあはあと息を立ててる。わたしと戦っているときは冷静そうだったのに、よっぽどびっくりしたんだね?
この女の子、おでこにとまっていた蛾もそうだったけど予期しないことが起こると心臓がドキドキばくばくしちゃう感じの子かな?
なんとなく親近感。
なんで足首を引っ張られたんだろう?
小窓に立っていたときもそうだけど。
足首を見たら黒くて細い縄が巻きついてる。折り返った紐の先端には黒くて小さな鉤爪のようなものが絡まってる。視線だけ細い縄をたどると女の子の手にぐるぐると持たれていた。
鉤縄みたいな道具だ。
わたしが使う流星錘という名の暗器にも似てるけど違う。
足がかりのない壁や崖を登ったり、捕まえた相手を捕縛、拘束する道具。殺傷力はあまりない。
いつの間に。全然気づかなかった。
「お前らどこの何者だ」
「なにしてくれやがる」
「こいつら捕まえろ」
「おい。寝てる奴を起こしてこい」
「へ?」
「わふ?」
崩れた天井の瓦礫の上で尻餅をつくわたしと女の子を見下ろす人族たち。いかついおじさんがいっぱいいる。8人はいる。
視線を巡らすとテーブルが壊れていてカードゲームが散らばっていた。
静かだけど怒気の強い語調が怒っているのか落ち着いているのか分からないくらい。
遊んでいるところを思いきり邪魔しちゃった感じ?
あ。このカードゲーム見覚えがある。
ヴァイゼ孤児院での遊びの時間でみんなと楽しんだことがあるなあ。ただ普通に遊ぶだけじゃなくて、イカサマとかをいっぱい教わったんだよね。
山札の操作とか。引き札の操作とか。手元に札を確保する不正とか。ディーラー役の子どもの後ろにいる仲間役の子どもと共謀して不正な合図を交わしたりとか。
こんな遊びが役に立つときがくることなんてあるのかな? なんて思ったりしたっけ。
いたずらっ気のあるボルドは楽しんでたけど真面目なラーンは苦手そうだった。
とっても懐かしい。
なんて思い出に浸ってる場合じゃなかった。
いかついおじさんたちが壁に立てかけられている武器を仲間に受け渡し始めてる。室内でも戦いやすい小剣や短刀に棍棒。なんでこういう人たちは武器なんて常備してるのかなあ。
わたしと女の子が立ち上がると背中を合わせた。
ここは協力した方がいいかも?
「一緒に戦う?」
「いいだろう。だが……邪魔をするなよ」
小さく警告の声を上げる女の子の手甲からカシュンと音を立てて刃が飛び出した。
姿勢を低くあっという間に一人の男に間合いを詰めると、背の高い男の首に跳び上がりながら刃を交差した。斬り裂かれた首から赤いものが流れると声もなく男が倒れる。
「なにするの!?」
「暗殺」
平然と小さな声が返ってきた。人族を一人殺したことになんのためらいも感じられない。ていうか冷たいくらいに感じる。
わたしは逃げるために戦おうと思ってたのに。




