60歩 転がる小硬貨
「わふん」
重い。
両手に抱えた買い物袋と頭の上にのせた籠が重い。こんなことなら背負い袋を持ってくればよかった。
だけど長い旅路を終えて<はらぺこけだま亭>に到着したのは昨夜。中身は入ったままで荷解きしてないんだよね。
「え……と。数日分の食材に……お鍋に……炭も買ったし。あとなにか買うものあった……かな?」
食器や調理道具に掃除洗濯用品。ちょと高いけど石鹸とかも買った。
「落……ち着いたら薬の調合もしたいな。足りないものいっぱい……あるし」
薬師のロフェーさんにもらった薬草は旅の間にほとんど調合を終えてしまっていた。言われた通りに道中で路銀にしたり使うこともあった。
だからほとんど薬草が残ってない。
孤児院にあった薬草園なんてないから買うしかないわけで。薬を入れるための薬包紙なんかも専門のお店じゃないとなかなかないからね。
「薬師ギルドにも行……かないとかな?」
辺境の城塞都市フォルテを出発するときに薬師のおじさんから言われたことを思い出していた。
でもまあ。慌てなくてもいいか。ほかにもいろいろ準備をすることがあるし。
自分の気に入る品物を探しているうちにいくつかの商店街を渡り渡ってだいぶ歩いてしまった。
もうすぐ暗くなるしそろそろ帰ろう。
「あ……れ?」
見覚えのあるいかついおじさんが目の前を横切った。
ヒゥローが寝床にしていた屋根裏部屋でわたしにスローイングナイフを投擲してきた人族だ。
あのときはヒゥローと逃げることに夢中だったから特に考えなかったけど、いくら無断で建物に入ったからって普通だったらそんなことするはずないよね。
あの屋根裏部屋に積まれていた箱から漂う香りは良くないものだった。あのときも怪しい商売か犯罪をする人族の建物じゃないかと思ったけど。やっぱりそう思う。
暗くてよく見えてないのにわたしたちのことをろくに確認もしないで攻撃してきた。
よっぽど後ろめたい危ないことをしてるんだと思うしかない。
いかついおじさんが少し広めの商店街から路地裏に入っていく。
「気……になる」
後をついていくことにした。路地裏に入る前から隠密スキルを行使する。
気配をいきなり消したりはしない。少しずつ抑えていく。足の音を完全に消す。急に振り向かれても問題ないように建物の影、人の影、死角を利用しつつ周囲の人に不自然に思われないように街中に溶け込む。
こんなことはフォルテの街中で先生たちを相手にしっかり実践したからお手のもの。暗殺の訓練をしてくれたルレイル先生にだって気づかれなかったからね。
そして周囲の気配にも気を払う。だいじょぶだとは思うけどいかついおじさんが囮なんていう可能性も考慮する。つまり監視者がほかにいるかも知れないということ。
屋根裏部屋での騒動は朝のこと。迅速に行動する統率された裏組織だったら侵入者に対してなにかしらの対策を講じてきてもおかしくはない。
いかついおじさんの言動や実力からするとだいじょぶだとは思うけど。念のため。
いくらか進むと違う商店街にたどり着いた。ここも初めて訪れる場所だった。どこもかしこも初めてだらけで新鮮。尾行しているのじゃなければウキウキするところ。荷物が重いのがちょとしんどいけど。
もう少し後をついていくと2階建ての建物に入っていった。正面には扉が一つと窓がいくつか。
んー。ここはあれかな? 屋根裏部屋のあった木造りの建物だよね。特徴がおんなじ。わたしが見つけた小窓側は裏手で、商店街の通りに面しているこっちが正面側ってことだね。
<はらぺこけだま亭>のある区画から3つは離れてるから近くはないけどそこまで遠くもない。ヒゥローがスリをしていた大通りの商店街からは5つ以上も区画が離れてるかな? うーん。聖王都の都はかなり広いことを考えるとヒゥローの行動範囲ってけっこう広いかも。
あ。ほかにも悪そうな人が建物に入ってく。
良くない香りがした箱の中身が気になる。間違いなくアレだと思うけど中身を確認してみないと確証とは言えない。
だけどわたしがそんなことをする必要なんてある?
どうしようかな?
って、どうしようかなじゃないよ。危ない人族たちかも知れないけどわたしがどうにかしようとするのもどうかと思う。こういうのは都の安全を守る衛兵さんたちの仕事。
裏ギルド<プラント>もなんでもかんでも慈善事業をするなんてことはなかった。自分たちの使命を大事にしていたからね。
とりあえず場所をしっかり確認できたし荷物が重いから帰ることにしよう。
でも……箱の中身がなにかだけでも後で確認しに行こうかな?
なんてことを考えながら元きた道を引き返すことにした。
「た……だいま。うわ」
<はらぺこけだま亭>の食堂正面にある玄関扉から入ると店内は人族であふれかえっていた。お酒の入った賑やかなお客さんが陽気に乾杯をしている。
宿泊客以外もいっぱいいそう。
「アーヤ! 遅いぞ! お前も手伝え!」
エプロン姿で料理を運ぶヒゥローが大声で叫んでる。さっそく働いてるんだね。ウテルさんとうまく話ができたみたいでよかった。
「待っ……てて」
重い荷物を抱えてお客であふれる店内を小走りで向かった。厨房へと。
「てめえこら! その言い草はなんだこの野郎!」
「ああん!? てめえこそ俺のやることに文句があるってのか!」
わたしが走り抜けようとした横のテーブルから怒鳴り声。木製のジョッキがテーブルに叩きつけられた。中身がじゃぼんとこぼれてる。
とってもたくましいお兄さんたちが6人。そのうちの2人が睨みあってる。
「てめえのやり方に問題があるからに決まってんだろ!」
「お前こそ一人で勝手に突っ走ってパーティーのみんなを危険にさらすんだろうが!」
うわ。喧嘩が始まりそう。
あまりの剣幕にびっくりして脚を止めてしまった。
2人とも顔を真っ赤にして怒ってる。テーブルを見ると空になった木製のジョッキがたくさん。
立ち上がってテーブル越しにお互いをつかみかかる2人がなんだかふらついてる。真っ赤なのは怒っているだけじゃなくて、かなりお酒を飲んでいそう。
「おい! やめろって!」
「ウテルさんに怒られるから!」
「出入り禁止になりたくないだろ!」
そんな仲間たち?の心配をよそに、置いてあった長剣と短槍に手をかける2人。酔いと怒りが手伝ってまったく耳に入っていなさそう。
それを見た近くのテーブルの人たちが慌てて逃げていく。かと思えば、やれやれ!とはやし立てる人族もいたりして。
あっという間に野次馬の壁ができてる。
こういう大騒ぎを見るとなんだかなあって思ってしまう。獣は無駄な争いなんてしないのに。争いなんてしなければいいのに。
だけどそれが人族というものなんだよね。
喧嘩をする二人、短槍を突き出そうとかまえ、いまにも斬りつけようと長剣を振り上げてる。
「なにやってんだよ! ウテル姉ぇ! ダメだって!」
体の小さいヒゥローが体の大きい野次馬たちをかき分けながら声を上げた。
お腹のおっきな妊婦のウテルさんが喧嘩を始める2人の間に入ったから。
「あんたたち! そういうのはよそでやんな! ほかのお客さんに迷惑だよ!」
危ない武器に少しも怯むことなく凛とした声をあげている。だけどウテルさんの声は1人の心に届いてなかった。
「待て!」
短槍をかまえるお兄さんは、ハッとして争う姿勢を解こうとしていた。
だけど長剣の人は違った。ウテルさんに気づいてはいたのに振り下ろす長剣が止まらない。このままだとウテルさんの頭に。
ビシッ。
ガキン。
歓声の中で金属と金属が激突した音がかき消される。
「っ!」
長剣を振り下ろしたお兄さんの顔が苦痛で歪んでる。
それぞれほぼ同時に起きたこと。そしてわたしが抱えていた重い荷物が床に落ちた。
振り下ろされようとしていた長剣が宙空でぴたりと止まっている。長剣を離した手を痛そうに押さえてうずくまるお兄さん。
そして転がる小硬貨が2枚。
「ク、クハシュさん!」
厨房からやってきた熊さんのように大きな筋肉質のクハシュさんを、短槍と長剣のお兄さん二人が青ざめた顔で見上げてる。まるで絶望したみたいに。
そんな顔するってことは怖いってことだよね? それならこんな騒ぎを起こさなければいいのに。
そんなことを言っても遅いこと。
長剣の刃がクハシュさんの手で止められていた。
ほんとだったらウテルさんの頭上から真っ逆さまに振り下ろされていたはずの長剣。軌道がウテルさんの頭の中心よりも30センメトルは外れていたからそのまま振り下ろされていても傷ついたのは床だったと思う。
わふ。高速で振り下ろされた長剣を素手でつかんで止めるなんてすごい。盛り上がった筋肉もすごい。血も出てなさそう。
「ぐあっ!?」
クハシュさんの頭突きでお兄さん2人が見事に昏倒してる。まるで煙がおでこから出てるみたい。
その二人をそれぞれ片手でつまみ上げると食堂の隅にある長椅子に寝転がらせるクハシュさん。
「余興はこれで終わりだよ! みんな! とっておきのエールを振る舞うから飲んでちょうだい! 遠慮はしなくていいよ! その代わり<はらぺこけだま亭>にまたきておくれよ!」
ウインクしながら愛嬌よく声を張り上げるウテルさんの言葉で盛り上がる食堂。
誰も怪我人が出なくてよかった。
「ウテルさん。だい……じょぶ?」
「ああ。アーヤこそ大丈夫かい? びっくりさせてごめんよ。せっかく買ってきた物が転がっちゃったね」
「ううん。平気。アーヤも手……伝う」
どこのテーブルも追加のエールを注文してる。ヒゥローが「すぐ行くから待てよ!」と悲鳴をあげていた。
買い出しした荷物を全部拾い上げて厨房側のカウンターの脇に置く。お財布が入ってる肩掛け鞄も一緒。
洗い場にある石鹸で手をしっかり洗ってエプロンを身につけた。サイドウルフテールをくるくる巻いてサイドお団子にする。これで戦闘準備完了。
「アーヤ。帰ってきたばかりで悪いね」
カウンター越しにクハシュさんに注文の指示を終えたウテルさんに声をかけられた。
「ううん。妊……婦さんは働きすぎたらダメ」
「あはは。まだまだ大丈夫だよ。もうちょっと人手を増やさないとね」
そんなやりとりをするわたしの目の前に節くれだったごつい手が現れた。握られていた大きな拳が開かれると、手のひらの上に小硬貨が2枚乗っている。
「ん」
「あ、あり……がと」
差し出された小硬貨を受け取ると、厨房に戻っていくクハシュさん。
もったいないから後で拾おうと思っていたのに。
あの一瞬の攻撃をもしかしなくてもしっかり見られてた?
クハシュさんは元冒険者だと言っていた。長剣を素手で止めて無傷でいる実力からするとかなりの腕利きなんだと思う。
さっきのわたしの行動。
抱えていた荷物から手を離した瞬間。ポケットに入れておいた小硬貨を2枚だけ手にとって親指で弾き飛ばしていた。
ウテルさんの額に振り下ろされるはずだった長剣の切っ先とお兄さんの手の甲を目がけて。だからクハシュさんが現れなくてもウテルさんは無事。
わたしが身につけた暗殺スキルの一つ。
指弾。
硬貨や小さな鉄球、針。場合によっては小石を暗器として使う。東方の国では羅漢銭ともいうらしい。
腕をしなやかに振るった力をのせて指で弾きとばす技。鍛えた技から繰り出す威力によっては鉄板に穴を開けたり絶命させることもできる。
命中した小硬貨は長剣の軌道を大きくそらして、手の握りを離させていた。
クハシュさんがいたからわたしのしたことは無意味だったとは思うけど。たぶんウテルさんはクハシュさんを信頼してあんな大胆な行動をしたんだね。
そんなこんなで<はらぺこけだま亭>の夜が更けていく。残るお客さんも数人。騒ぎを起こした2人の仲間の人たちも申し訳なさそうにして長椅子に座ってる。ウテルさんに「2人が起きるまで待ってなさい」と言われていたから。
「アーヤ。悪いんだけどその2人が起きたら水を飲ませてやっておくれ」
え? 喧嘩した2人の面倒をわたしが見るの?
まあ。いいけどね?




