59歩 一番良い選択
「着いた。こ……こだよ」
ヒゥローの手首を咬むのをやめて<はらぺこけだま亭>の看板を指し示す。
聖王都のごちゃ混ぜの匂いがする中、自分の匂いをたどって問題なく帰ってくることができた。自分の匂いなら絶対間違えない。
「痛てて。やっと咬みつくのやめたな。
ちくしょう。こんなに歯形がついちゃったじゃんか。よだれでベタベタだし!」
わたしが咬んでいた手首に口を近づけてフーフーしてる。
わふ。よだれなんて言わないでほしい。ちょと恥ずかしいから。
「い……つまでも逃げようとするから」
「ちぇ。ここまできたらもう逃げないさ。でっけぇな。お前、こんなにでかい宿屋で働いてんのか」
ヒゥローが宿屋の建物を眺めてる。わたしも改めて見上げてみる。
確かに大きい。下層上部の建物は2階建てや3階建てがほとんどだった。
この宿屋は4階建ての木造りの建築物。1階には大きな食堂があって縦にも横にも長い。全部で何部屋あるんだろう?
もしかしてこの宿には大浴場とかあるのかな?
行ったことはないけど辺境の城塞都市フォルテには平民のための公衆浴場なんていうものがあった。これだけ大きい宿屋ならお風呂があっても不思議じゃない。
もしもあるなら……入りたいかも。そしたら泳いでみたい。狼かき。
「うん。中……に入るよ?」
物分かりの悪いヒゥローもさすがにここまできてあきらめたのかおとなしくしてる。
いきなりみんなで入るとウテルさんが驚くよね?
まずはわたしだけで行こうかな?
「わふん」
ちょっと待っててね?
「き?」
いいよ?
肩に乗ってるマルキツネズミのポテアに降りてもらった。奥さんと子ども2匹が入ってる網かごを扉の脇に置いておく。
目の前には準備中の札がかけられた扉。きっと忙しいお昼に向けて準備をしているところ。
ドアノブに手をかけたけど扉を開けるのをためらってしまった。よくよく思い返してしまったから。
ポテアを連れて帰るだけのはずが4匹と子どもが一人。
こんなにいっぱい急にだいじょぶかな? ダメって言われたらどうしよう? 心配。
「行かないのかよ?」
さっきまであんなに嫌がってたのに能天気な顔して頭の上で手を組んでる。
こっちの気も知らないくせに。ちょと腹立つ。
うだうだ考えてもしょうがないよね?
「お……じゃまします」
食堂の玄関扉をそろっと開けてご挨拶。
ぺこりと頭を下げた。
「お帰り! 遅いから心配したよ! それと、ここはもうアーヤの家なんだからただいまでしょ!」
「帰ってこれて良かったわね。アーヤが迷子になってないか二人で心配してたのよ」
お昼の開店準備をしているウテルさんと椅子に座ったままのルタさんがいる。
戻ってくるまでけっこう時間がかかっちゃったな。
「あ。うん。た……だいま」
えへへ。わたしの家でいいのかな? なんだかうれしいな。心配してくれる二人の思いが心にあったかい。
「なんだよ! お前。まだそんなに慣れてなさそうじゃん!」
う。言われると思った。ここに着くまでの間にいろいろ聞かれててきとーに相槌を打っていただけなんだよね。
咬んでたし。
「だって。昨……日についたばっかりだもん」
「昨日!? お前、住み込みで働いてるって言ってたよな!?」
わふん。
わたしの隣で文句をいっぱい言ってるヒゥローの視線が少し痛いから目をそらした。
ほんとのこと言ったら絶対ついてこないと思ったし。
「ん? 誰かいるのかい?」
「うん。こ……の子。ここで働かせて?」
向こうからは見えない位置にいるヒゥローの手を引っ張った。
「痛いって! お前の咬んでたとこが痛いんだから気をつけろ!」
わふ。
だってヒゥローがいじっぱりで強情で意固地で無駄に抵抗するんだもん。
「ご……めん。でも。おとなしく素直についてこないからそ……うなっただけ」
「途中からちゃんとついてきてたろ!? いろんな人にジロジロ見られて恥ずかしかったんだからな!」
「……わふ!」
言われてみれば! 確かに恥ずかしかったかも!
男の子の手首を咬んだまま連れ歩く女の子なんてそうそういないし目立つよね?
「わふじゃない! それにお前。犬みたいに匂いを嗅ぎながら歩くんだもんな。余計に恥ずかしいわ!」
そっちもだった!
匂いを嗅ぐことに集中するとうっかり人族の目を気にしなくなっちゃうことがあるんだよね。でも基本的に立ったままだからそんなに目立たなくない?
「犬じゃない! 狼!」
「なんだそれ!?」
あ。封印するはずの言葉がうっかり出ちゃった。まあいっか。
「ふ。ふふふ。あっはっはっ! なんだい。ほんの少しの間に仲の良い友達ができたみたいで良かったじゃない!」
ウテルさん、お腹を抱えて笑ってるし。
「うちで働きたいのかい? ふーん? とりあえず入っておいで」
ウテルさんの金紅石のような瞳がヒゥローを上から下までしっかり観察してる。薄汚れたヴァイゼ孤児院の制服に当然気づいてるよね。
「まさかルタのペットじゃなくて男の子を連れてくるとは思わなかったよ。ねえルタ」
「ふふ。そうね。うちの子のことは気にしないでいいのよ。そのうち帰ってくるだろうから」
わふーん。
二人ともまだ気づいてないね? 見えてないから当たり前だけど。
「わふわふわふん」
みんなここに座ってご挨拶をして?
視線を下ろしてみんなに声をかける。
「きき! ききぃきー!」
マルキツネズミの夫婦が入り口にちょこん、ちょこんと寄り添って座る。続いて子ども2匹がお父さんとお母さんの周りをちょこちょこどったんばったんと走り回ってる。
わふ。まだちゃんと言うこと聞いてくれない。やんちゃだなあ。
……わたしも幼いころはこんなだった気がする!
ルプスお母さまの後をついて無邪気にぴょんぴょこ跳び跳ねてた気がする!
小さい2匹を見て自分の行いを思い出してしまった。
そう思ったらなんだか急に恥ずかしい。
顔が真っ赤になっちゃった。
「ポテア! あなた家族ができたの!?」
「これは驚いたね。4匹に増えちゃったじゃないか」
ルタさんもウテルさんもやっぱり予想通りの反応をしてる。
「ルタさん。みんなを家……族にしてくれる?」
それが一番心配なこと。受け入れてもらえないと困る。家族がバラバラになってしまう。それなら森に帰すのが一番良い選択なのかも?
だけど。ビリビリスの串焼きを買った露店の店主が言っていた。
『ビリビリスみたいな魔獣がここらの森に増えてるんだってよ。そのせいか元々いた獣が人里に現れるようになった』と。
つまりポテアたちマルキツネズミの帰る場所はないのかもしれない。
そしたらわたしの部屋に住んでもらうかな? ウテルさんがいいと言ってくれたらだけど。
「え。そうねえ。いきなりすぎてびっくりだけど……。ポテアは可愛いうちの子ですからね。その奥さんと子どもたちも当然うちの子よね。いいわ。まかせてもらおうかしらね」
「あり……がと」
ぺこりと深々頭を下げた。
良かった。断られたらどうしようかと思ってたんだよね。
「あら。アーヤがそんなにかしこまらなくてもいいのよ。わたしはみんなのお母さんとしてがんばるから」
ほんとに? そういうことなら。
「わふわふ」
みんな。あの人がみんなのお母さんだよ。仲良くしてね?
「きぃきぃきー」
旦那と子どもとお世話になります。
ポテアの奥さんがうれしそうに答えてくれた。産後で体が良くないって言ってたし安心だね。
「ルタさん。奥さんがお……世話になりますって言ってる。アーヤからもお願いしま……す。わふん」
わたしの声に反応してマルキツネズミの家族4匹がぺこりと頭を下げた。ちっさい子たちがぴょこんとして可愛い。ちゃんと言うこと聞いてくれてうれしい。ニンマリしちゃう。
「えーと。まさかとは思うけど話ができるの?」
口元を手で押さえるルタさんが目を丸くして驚いてる。
「う……ん」
「これまた驚いた。獣と話せるなんて従魔師になれるよ。珍しい職業だしいまの王都ならいい商売になりそうだね」
「仕……事?」
ウテルさんも驚いてるけどすぐに商売に繋げるあたりすごいのかも。
「王都で小さな獣を飼うことが流行ってるからね。その割に獣を上手にしつけることができないってルタみたいな人もいるんだよ」
「うちはポテアが優しい子だったからいいけど。元々野生だから気性が荒くて懐かない子もかなりいるそうよ。話ができるならそれこそ話が早くて仲良くなれるわよね?」
そういえば露店の店主もそんなことを言ってた気がする。
「従……魔師ならヒゥローの夢。アーヤは手伝いをする」
「ばっ! お前、勝手に人の話をするなよな!」
「ダメ?」
小首を傾げて聞いてみた。
「ダメじゃないけど!」
それなら別にそんなに怒った風にしなくてもいいのに。男の子のこういうところはよく分からないよ。
チェーンやライなんかは後から後からお話がどんどん出てきて賑やかだったけど。ボルドやラーン、男の子たちは要点だけ話すことが多いし、いまみたいに急に態度が変わったりすることもあるし。
学園に入ったら友達できるかな? 仲良く話せる子がいたらいいなあ。
「アーヤ。ポテアを連れてきてくれてありがとうね。わたしはこれでお店に戻るから。ええと。どうやって連れて行こうかしら?」
どったんばったんはしゃぐ子ども2匹とちょこんと座るマルキツネズミ夫婦を前に、ルタさんがどうしようかと悩んでる。
「わふん」
「きぃきぃー」
奥さんが網かごに入るとポテアが子どもたちの首をくわえて網かごに運んだ。
ん。お利口さん。
「アーヤの言うことを聞いたのかしら?」
「う……ん。網かごを持って。ポテアはちゃんとついてく……よ?」
「ほんとに便利ね。あとで遊びにきてちょうだい。御礼においしいスイーツでおもてなしするわよ」
「行く! ……い……いの?」
おいしいスイーツの言葉に素早く返事をしてしまったけど、思いとどまって聞いてみた。
「ふふ。もちろんよ。それじゃあまたね」
母子が入った網かごを抱えて扉に向けて歩いていくルタさん。
「きぃきぃー」
ポテアがヒゥローの足にちょこんと前脚をのせて見上げてる。
「なんだ?」
「ヒゥローも家……族だからな。また後で会おうって言って……る」
「そっか。またなポテア」
にひひっと笑うヒゥローの言葉を聞いたポテアがルタさんの後を駆け足でついていく。最後に頭を下げるようにしてから扉がしまった。
「これで解決だね。それはそうとアーヤ。この男の子のことはあたしにまかせて買い物に行ってくるといいよ。もうすぐ昼時だし早くしないと買い出し終わらないよ」
そうだった。今日の予定を済ませることなくもう半日も終わっちゃった。
急いで買い物をしないと。じゃないと明日の朝ごはんも食べられない。




