54歩 8口もある魔道コンロ
「ん……んー」
ピチュピチュピチュ。キュルルルルと鈴が転がるような音。
森の小鳥たちのさえずりが聞こえる。陽射しがわたしのまぶたに光をもたらす。
「んふう」
朝陽に五感が刺激されてのびをした。まどろむ瞳がぼやける。空と一緒に大きな樹の枝が見えてる?
「わふう……」
もう朝かあ。
んー。洞窟のお家じゃないや。
ピスィカと一緒に狩りをしてる途中で木の上で寝ちゃったんだっけ?
ルプスお母さまがきっと心配している。早く帰らないとだよね。
ぐう。
お腹すいた。
木の上なのになんだか柔らかい。これってピスィカのもふもふお腹の枕だよね?
「ピスィカ? ご……めんね。ピスィカを枕にしちゃってたよー」
起き上がって目をこする。ピスィカのもふもふお腹に手をあててなでなでした。
あれ? なんかもふもふの感触が違う?
ふんふんふんふんと匂いを嗅いだけど香ばしい匂いじゃなくて違う匂いしかしない。
「ピスィカ?」
わたしのぼやけた瞳に映っているはずのピスィカが柔らかい枕に変わった。上を見上げると樹の枝じゃなくて、天井を支える剥き出しの梁だった。
ピチュピチュ。キュルルという鳴き声に振り返る。小さな小鳥が二羽。出窓の上をちょんちょんと飛び跳ねている。
朝陽が差し始めたばかりの朝の匂いを風が優しく運んでくる。
昨晩、寝る前に銀枠の出窓を開けたけどそのまま寝ちゃったらしい。
「そう……だった。アーヤは聖王都にいるんだった」
もう一度柔らかい枕に視線を落としてポムポムと手で押さえる。ピスィカのもふもふお腹枕が懐かしい。
「ふふ。ピスィカにま……た会いたいよ」
ひと筋。雫がほほを伝っていく。
「今日から……がんばるからね。み……んな」
こうして新しい部屋で初めての朝を迎えると辺境の城塞都市フォルテでの日々が遠い昔のように思える。
ボルドや耳長ウィン、青い髭のおじさんたちヴァイゼ孤児院のみんなの顔が浮かんでくる。
そして。ルプスお母さまにピスィカ、トゥリックにクッカたちの顔も。大森林フォレバストで過ごした遠い日々。
あのときとは全然違う生き方をしているという現実を思うとあの日々が幻のようにも感じる。
だけど。5年以上も過ぎているのにくっきりと鮮やかに思い浮かべることができる。
みんなの笑顔と……あの日の惨劇を。優しい緑に包まれていた燃え落ちる妖精郷を。
奥歯がギシギシと鳴った。真っ黒な感情が心にへばりついていく。
ふと気づく。
天井の隅にいる黒いなにか。光の届かない場所に佇んでる。
「お……前はここにもいるんだね」
洞窟のお家でも、ヴァイゼ孤児院でも、毎日現れていた黒いなにかがここにもいる。旅の間もずっといた。焚き火の明かりが届かない場所で。
ぞくりとする。怖い。心と体が恐怖できゅっと縮こまる。
ボルドが死んでしまった日のことを思い出してしまった。
辛くて悲しくて心臓が凍るかと思ったあの日。
あのとき。わたしはなにになっていたんだろう。絶望に支配されて心が真っ黒になっていった。そしてなにかになっていた。
ボルド。ルプスお母さま。ピスィカ。
みんなのことを鮮明に思い出すと辛い。心が黒くなる。暗い感情があふれてしまう。
「う……が。がうう」
口から黒いもやがほんの少し、漏れていることには気づかなかった。
いっそのこと……この暗い感情に支配されてしまった方が楽なのかも知れない。
『アーヤ。もっと……』
懐かしい声がした気がする。ルプスお母さま?
キュルルルル!
キュキュキュ!
「あ」
激しく羽ばたく羽音と小鳥たちの警戒の鳴き声で我に返った。
小鳥たちが部屋の中を一回だけ旋回して出窓から飛び立っていく。
なにに警戒していたんだろう?
「アーヤ。い……ま。なにを?」
びっしょりと汗をかいていた。起きているのに夢を見てたような感じ。
顔に手をあてて大きく息を吸った。ドキドキしていた心臓が落ち着いていく。
ベッドの横に置いてある鏡台にわたしの顔が映ってる。
ひどい顔だね。
出窓から差し込む朝陽がほんの少し高いところからに変わっていた。
「早……く。支度をしなきゃ」
机に置かれていた水差しとマグカップを見つけた。きっとウテルさんが用意してくれてたんだね。
ベッドから起き上がって旅装束を脱ぎ捨てる。台所でタオルを濡らして顔と全身を拭き上げた。足の指の間までしっかりと。
歯磨きもきっちり。少し尖った狼の牙もピカピカに磨く。
さっぱりする!
気持ちが切り替わる!
『第一印象が大事だよー! 1発目からガツンと見せてやれー!』
チェーンに言われたことを思い出す。
わたしはもうすぐ12歳になる女の子。しっかり身支度をしなきゃね。
大きな革の手提げ鞄からブラシを取り出して、下着姿のまま鏡台の椅子に座った。おしりまで隠れるキャミソールと白くて四角いパンツ。
しっかり髪を櫛づいて整える。
いつもと同じサイドウルフテールにする。セーリオからもらった妖精の羽の髪飾りでしっかり縛る。何年も使ってるから紐の部分は何度も交換してるんだよね。
胸元には妖精たちからもらった光る石のペンダントヘッドが淡く光ってる。
ファイン先生に買ってもらった妖精のお守りがついたブレスレットもキラリとしてる。
どれもわたしの宝物。
背負い袋から服を取り出す。
七分袖の白いチュニックとクリーム色のスカートを身につけた。
うーん。袖がフレアになってる。スカートは膝上まで見えるくらいでこっちもフレア。
どっちも可愛いけどちょっと動きにくそう。
膝下ハイソックスも装着。どれも新品。
ヴァイゼ孤児院のみんなからの贈り物。新天地で着てね。と、渡されたもの。
愛用している革の短靴だけは足に馴染んだもの。
めったに履かないスカートがスースーする。実はスカートって日常ではあんまり履かないんだよね。ヴァイゼ孤児院の制服は太ももまで隠れるくらいのショートパンツだったし。
チェーンみたいに化粧なんかはしないけど。身支度がばっちりできた。
鏡台の前でくるんと回ってみる。
サイドウルフテールがくるんとついてくると追いかけたくなる。野生の狼の血がうっかり騒ぐ。
「わふ! アーヤは可……愛い! みんなありがと!」
朝陽の高さからするといつもより寝坊してるよね。
銀枠の出窓からひょこっと顔を出して下を覗くとウテルさんが掃き掃除をしている。
「い……けない。早く行かなきゃ」
屋根裏部屋の扉に鍵をかけた。
ここは食堂のある宿屋<はらぺこけだま亭>。
きっといまごろ。厨房では朝食の支度をしている。
トントンと1階までの階段を駆け降りる。階段をいくつも飛ばして飛び降りる。
今日からがんばるんだ!
いまのわたしに暗い感情はこれっぽっちもない。ボルドの死を悼んではいるけどずっと悲しんではいられない。それはルプスお母さまたちのこともおんなじで……。
「おはようございま……す!」
新しい装いと新しい気持ちで厨房に顔を出す。ちらっと食堂を覗くとお客さんは一人もいなかった。朝食のお客さんは宿泊客のほかにも訪れたりするのかな?
「おう」
むすっとした返事。
頭にピシッと布を巻いてコックコートに身を包んだ熊さんみたいな大男クハシュさんが朝食の下ごしらえをしていた。
「アーヤも手……伝う。なにを作るの?」
壁にかけられたエプロンを身につけながら聞く。
わたしの背丈には大きすぎるエプロンを昨日と同じように短く調節して帯でくくった。
足首まで長いサイドウルフテールは邪魔になるからくるんくるんと巻きとって頭の後ろで結び上げてしまう。サイドお団子ヘア。
「塩漬け肉と卵の目玉焼き。刻み野菜のトマトゥルスープ。それと白パンだ」
濡れ布巾をめくり取るクハシュさん。寝かせておいてあった丸いパン生地がのった鉄板を金属製の窯に入れてる。
おっきくて重そうなのにさすが力持ち。パン焼き窯もかなり大きい。ヴァイゼ孤児院にあった古い石窯と違う魔導製の窯だった。
「分……かった。ここにあるお野菜は全部を調理するの? み……じん切りでいい?」
むすっとした顔で頷かれた。
刻み野菜のトマトゥルスープなら孤児院で作ったことがある。切り方はきっと同じ。
床に六種類の野菜が箱詰めされてる。葉物野菜に根野菜。
さっそく皮剥きが必要な野菜を手にとる。包丁でサクサク皮を剥いてはクズをゴミ入れに入れて向き上がった野菜を籠に入れていく。
食べれる皮の部分はちゃんと別にとっておく。
一種類が終わったところで床に据え付けられた流し台で剥いた野菜を洗う。
お水が蛇口から出るってことは上水道が引かれてるってことだね。
作業をするわたしに視線を送るクハシュさんが黙ったままだからどんどん進める。
お野菜の刻み具合はっと。
わたしには高い調理台に背伸びをした。試しに半分を刻んでみる。
「クハシュさん。こ……れくらいでいい?」
魔道窯の温度調節をしているクハシュさんのところまで持っていくとむすっとした顔で頷かれたからにぱっと笑う。
大きさに問題はないみたいだね。どんどん刻んでしまおう。
んー。やっぱり調理台がちょっと高いや。
「使え」
踏み台をわたしの足元に置かれた。
「え? あ……りがと」
ぴょこんと頭を下げるとクハシュさんがむすっとしたまま野菜の処理を始めてる。
ほんとに無愛想な人だなあ。
どんどん野菜の処理をしていると、とてもおっきな寸胴鍋にスープの下準備を始めようとしている。オリーブオイルと刻みにんにくをたっぷり入れて炒め始めた。ひき肉も入れてる。
刻み終えた野菜を運んでく。
「味……付け。見ててもいい?」
「覚えろ」
よかった。ちゃんと味付けもしてくれるみたい。そうすれば最初から最後まで手伝える。ここから先はクハシュさんの腕を見てる時間が多い。見ながらでもできる後片付けをしながらだけど。
「おはようアーヤ。寝てていいって言ったのに働いてくれてるなんてびっくりしたよ」
エプロン姿の丸っこいウテルさんがやってきた。
「おはようございま……す」
「おはよう。悪いね。あたしの方が遅くてさ」
少し申し訳なさそうに頭を傾けてる。
「ううん。ウテルさん。お……掃除してたよね」
「見てたのかい? こっちもちょっと様子を見ていたらずいぶんと手際がいいじゃないか」
「お……料理は当番でみんなの分を作ってたから」
ヴァイゼ孤児院で作ったレシピは数知れず。料理人としても独り立ちできるようにとしっかりお料理のイロハをみんなが教わってる。
「それじゃよろしくね。お客さんがテーブルにきはじめてるから順番に頼むよ」
食堂を覗いたらチラホラお客さんが座ってる。
「外からくる客もいるからね。朝から忙しいよ。まあ朝食は同じものしか用意してないけどさ」
仕上がった刻み野菜のトマトゥルスープを器によそうウテルさん。
クハシュさんが塩漬け肉と卵の目玉焼きを作りはじめた。塩漬け肉はカットされているから調理するだけ。最初の一皿分を観察させてもらった。
うん。わたしにもできる。
8口もある魔道コンロを一人で管理するのは大変。昨晩見たときは5口までしか使えてなかった。わたしが手伝えば全部いけるから回転も早い。
見て覚えた通りにどんどん手を動かしていく。
朝だっていうのに外からのお客さんも後から後からくる。それでも待たすことなく全部をさばくことができた。よっぽど人気があるんだね。
最後の一人が帰っていくのを確認して後片付けを全部終わらせる。
そういえばマルーがこなかった。きっと寝てる。
「さてと。昨晩といいろくに話もできていないのに働いてもらって助かったよ。朝食がてら話を聞かせておくれ」
座ってとばかりにテーブルの一席に手をかけるウテルさん。
そうなんだよね。
自己紹介もほどほどだったもんね。




