53歩 銀枠の出窓
「あんたがヴァイゼ孤児院からくるっていう住み込みの女の子だったんだね! 早く言ってくれればいいのに! 何日も到着しないから心配してたんだよ! よくきたねえ!」
パチンと大きく手を叩いてから、きゅうっと抱きしめてくれた。わたしも軽くきゅっとお返しする。
開拓者の町やほかの町でも予定外に滞在することがあったからね。到着が一週間以上も遅れていた。
到着すれば問題ないと言われていた通りにわたしのことを知ってくれていてよかった。
「え……と。ごめんなさい」
素直にぺこりと頭を下げる。
「一応聞くけどさ。紹介状は持ってきたかい?」
そうだ。フォンセ院長から一筆したためてもらっていたんだよね。ファイゼ孤児院出身と証明するためのもので、わたしに関する成長の記録が書かれているらしい。
ただし。書かれているのは表の顔だけ。
ここ<はらぺこけだま亭>は裏ギルド<プラント>とはまったく関係のない普通の場所と聞いてる。当然、ウテルさんもクハシュさんもファミリーじゃない一般人だ。
あくまで。聖女を目指し王立学園に入学する女の子としてより普通の暮らしをするためにとここが選ばれたとか。
だから裏の顔を知られてはいけない。絶対に。
「あ。その。迷……子になって。ここにこれたのは偶……然で」
「それで泣いてたのかい! こんな大きな都で迷子じゃ、そりゃさみしかったろうねえ。ん? 荷物はどうしたのさ? 手ぶらだったね?」
そう。大事な大事な荷物を置いてきてしまった。パンパンに詰まった背負い袋と大きな革の手提げ鞄。それとマルー。マルーも荷物?
「置い……てきちゃった。んと。探……しに行ってくる」
くるりと背を向けて歩き出す。
「ええ!? ちょいと待ちな! 迷子になって道も分からないのにどうするのさ!?」
「たぶん。だ……いじょぶ。夜は人が少ないから」
「そういう問題じゃないでしょうよ! 待ちなって! 明日にしなさいな!」
わたしを引き止めようと心配する声を気にしないで食堂から飛び出した。
食堂が閉店してからテーブルの後片付けをしたりと少し時間が経っている。この時間帯に開店しているとしたら夜のお店くらいだよね?
それに都の警備として見回りをする衛兵くらいだと思う。
こんな時間に出歩いている人は少ない。
少し広めの通りから路地裏の暗がりに入る。
ここならだいじょぶ。
周囲に人目がないのをしっかり確認してから床を蹴った。壁と壁を蹴り渡って建物の屋根に跳びのる。
直立姿勢のまま周囲を見渡す。
わたしがいまいるところは下層の上部。
月夜に照らされて景色が見える。広い下層からなだらかに高くなって中層へと続く。その先は勾配のある上層へと続いていて最上部に聖なるお城が輝いて見える。
その奥にはさらにそびえる白い山。
こうやって見るといくらか分かる。下層の建物は古くからある不思議な建造物よりも木造りで建て増しした建物が多いんだね。
この場所の大体の位置は分かった。
わたしがやってきた停留所と検問所はあのあたりかな?
御者のおじさんとクロちゃんはしばらく聖王都に滞在してから、またお客さんをたくさん乗せて辺境の城塞都市に向かうと言っていたっけ。
あとで手紙を渡してもらうようにお願いしようかな?
無事に<はらぺこけだま亭>に到着したとみんなに知らせたい。
「マルーはど……こにいるかな?」
静かな夜のとばりがおりている。
人族でごった返していた日中と違っていまのわたしの感覚を妨げるものはなにもない。
狼の耳と鼻。
耳と鼻に意識を集中する。
まずは匂い。通りに漂うわたしの残り香をたどる。ん。あっちの方からここにきたんだね。わたしの匂いをたどってもいいんだけどあっちに行ったりこっちに行ったりジグザグ。
もう少しアタリをつけたいからさらに意識を耳に集中する。
聖王都の夜の息づかいが聞こえる。
あたたかい家庭の空間。一人で寝息を立てる老人。子守歌で寝かしつけるお母さん。夫婦ケンカをする声なんかも聞こえる。人族の夜の暮らしが感じられる。
その中の一つに……。
ぐすん。
「聞こえた」
屋上から屋上に跳んだ。月夜に照らされて聖王都の闇を舞う。
「マルー」
大きな通りにある商店街の端っこにマルーがたった一人でいた。
ぐすんぐすんと泣きながらしゃがんでる。
スリで孤児院の子どもと思われる男の子を追いかけ始めた場所だった。
「アーヤ? アーヤだあ! うわあん! 一人でさみしかったよー!」
路地裏から現れたわたし。転びそうな勢いで飛びついてきて抱きつかれた。ぎゅぎゅっと抱きしめられて苦しい。女子かな?
「こ……んなに待たせてご……めんね」
夜で冷えた体を抱きしめ返す。少しはあったかい?
「ううん。いいよ。ずっと戻ってこないからなにかあったんじゃないかとずっと不安だったんだよ。怪我したんじゃないかとか人さらいにあったんじゃないかとか。アーヤが心配で心配でさ。無事でほんとによかったよー」
マルーの涙がわたしのおでこにぽたぽたと落ちてくる。
「ほん……とに心配してくれたんだね。ずっとここで待ってくれ……てたんだね」
「あたりまえだろー」
さらにぎゅぎゅっと頭を抱えられて、手がわたわたする。わたしも一応女の子なんだけど?
「マルー。く……るひい」
そんなに力は強くないけどさすがに息苦しいからマルーを引き剥がした。こんなにくっつかれたのは初めてのこと。マルーって男の人のくせに細くて柔らかい?
「うん。だってほら。アーヤが戻ってきたときに俺がいないと困るだろ? スリがいるようなところで荷物も置いたままにするわけにはいかないしさ」
マルーの視線の先にわたしの荷物とマルーの荷物が置いてある。ずっと守っていてくれてたんだね。
「マルー。ほんとにあり……がと」
背伸びをしてマルーの頭をよしよしなでなでした。
「うわあん。アーヤがいるー。よかったー」
また抱きつかれた。ほんとに女子みたいだよ。
「マルーはいい人だ……ね」
「俺はもちろんいい人だよー」
だから苦しいって。苦しくて両腕がおぶおぶする。
「くるひい……よお」
「あ! ごめんよ!」
やっと離してもらえた。とっても心細くさせてしまったからしょうがないけど。
「マルー。宿屋を見つ……けた。行こう」
「ほんとに! やった! ちゃんとしたベッドで寝れる! お風呂あるかな! 久しぶりに全身洗えるかな! やったあ!」
人懐こい桃色電気石のように薄く桃色味を帯びた瞳がキラキラと輝いてる。女子かな?
そうだね。確かにわたしも体を洗ってさっぱりしたい。長い旅路で溜まった汚れは道中でなかなか落とせなかったからね。
大きな重たい背負い袋と大きな革の手提げ鞄を身につけて歩き出す。
「わふん」
痛い。
「また押しつぶされてる。アーヤはほんとに非力で運動能力が低いなあ」
バランスを崩して舗装路に倒れてた。重い背負い袋の下敷きになってる。
マルーの目線からするとわたしは運動音痴の女の子という風に思われてるからね。
助け起こされて歩き出す。
えーと。行く先はと……。ふと気づく。
わたしの残り香をたどって迷路みたいに複雑怪奇な道をいくわけだけど。屋根を渡ってまっすぐに進むのとわけが違くて、ジグザグあっちこっちにいかないといけないんだった。匂いをたどれる素がほかにないから最短ルートは分からない。
パンパンに詰まった大きな背負い袋が肩に食い込んでずっしり。大きな革の手提げ鞄が重くて肩が抜けそう。
めんどくさあ。
そんな顔でマルーを見た。
「もしかしてさ? 道、忘れた?」
マルーが心配そうに呆れたようにしてる。
「う……ん」
そういうことにするしかないね。
それなりの時間をかけて。やっと<はらぺこけだま亭>に到着したのは真夜中もいいとこだった。
「やっと戻ってきた!」
食堂の入り口扉の前。あったかそうな羽織りを身につけたウテルさんとクハシュさんが待ってくれていた。
「待……たせてごめんなさい。こ……れ」
フォンセ院長の手紙を渡す。しっかり封蝋はされてるけど旅の間にくしゃくしゃとよれていた。
封を手で切ってさらっと目を通すウテルさん。
「よろしい。細かいことは明日にしよう。アーヤの部屋はちゃんと用意してあるからそこを使うといい」
「は……い。ありがと。それと……」
斜め後ろに立ってるマルーをちらっと見る。
「夜分遅くに申し訳ありません。アーヤと旅をともにしていたマルー・シャンと申します。こちらは宿もなさってると聞いております。よろしければいまからしばらくの間、宿泊させてはいただけないでしょうか?」
まるでマルーじゃないみたいに丁寧で紳士的。どこかの王子様か御令息を感じさせる気品を振り撒いてる。柔らかな笑顔が眩しくて、なんなら背中に白薔薇を背負ってそう。
「ウテルさん。迷……子になったアーヤの荷物を守ってずっと一人で待っていてくれてたの。空き部屋がなかったらアーヤと一緒でもいいから。お……願いします」
「細かいことはいいって言ったでしょ。長旅で疲れてる上に働かせちゃったからね。遠慮なんてしなくていいさ! それと……マルー・シャンって言ったかい?」
「はい。マルーと気安くお呼びいただければ幸いです」
キランと輝く八重歯を見てると歯が浮きそう。
「ふーん」
つま先から頭のてっぺんまでマルーを眺めるウテルさんの眉が上がってる。
「一応、男なんだからアーヤと同室にするわけにはいかないね。ダブルブッキングしたときのための予備の部屋があるからそこを使いな。お代は明日でいい。あたしらも朝早いからね。さあ! 部屋に案内するからおいで!」
大笑いでもしそうに元気に手招きするウテルさんあとをついていくわたしとマルー。
食堂から厨房へと移動する。
「あ。あんたはうちの旦那についてきな」
顎をくいっとするだけでついてこいと身振りをするクハシュさん。
「は、はい」
食堂から2階へと続く階段を登っていく。
ウテルさんへとは違ってクハシュさんに対してはちょっと緊張した感じだね。
わたしはウテルさんの後をついて厨房の奥から階段をあがっていく。
「さあ。ここを使って」
最上階の扉を開けて中へ入れと促された。
「これ。この部屋の鍵ね。明日はゆっくり寝てるといいよ」
手を握られて鍵を渡された。にっこりと元気な笑顔をくれる。
「あ、あの、あ……りがとうございます」
ぺこりとお辞儀をする。
「おやすみ!」
去り際にわたしのおでこにキスをするウテルさん。パタンと扉が閉められた。
部屋を振り返って背負い袋と手提げ鞄を木床に下ろす。
傾斜のついた天井が低い。屋根裏部屋だ。
柔らかそうなベッド。机に鏡台に収納棚。小さな台所まである。しっかり掃除がしてあって綺麗。わたしを出迎える準備がちゃんとされてる。
南側に銀枠の出窓があった。
出窓につけられたフック式の鍵をかちゃりと開ける。両扉の窓を開くと冷たい夜の風が入ってくる。
4階建ての木造りの宿屋はほかの建物より少しだけ背が高い。下層を見下ろして遠くまで眺められる。月夜に照らされた夜景が綺麗でびっくりした。
今日からここがわたしの部屋になるんだね。
今日の教訓を考えながら、煩わしく革の長靴を脱ぎ捨てて旅装束のままベッドに寝転がる。
どんなに人混みの喧騒がすごくても、ごちゃ混ぜの匂いがすごくても。狼の耳と鼻で感知できるように鍛えておかないとだね。
きっと明日も忙しい。
今日はいっぱい泣いちゃったな。
柔らかい枕にほっぺたを押しつけるとあっという間に眠りについた。




