52歩 ビッグビーストマウンテン
「手に持って。あったまるから飲むといいよ」
獣のしっぽが持ち手になってる木彫りのマグカップを受け取った。けもの耳まで形作られてる。狼? にゃんこ?
ほんのりとした温かさが手のひらに伝わってくる。中身を覗くと澄み切った琥珀色のスープに白い湯気がもわもわと立ち昇ってる。
ふんふん。ふんふん。ふんふん。と匂いを嗅ぎたかったけど鼻水がいっぱいで分からない。
「おいしいから。ほら」
エプロンをつけた丸っこいお姉さんが手に持っている木彫りのマグカップに口をつけてごくんとのどを鳴らした。
見てるだけでおいしそう。
ズピッと鼻をすすりながら、カップのふちに唇をつけた。こくんと一口流し込む。
「あちゅ」
静かに舌を出して顔を振る。空気に触れれば冷えると思ったから。
「あはは。猫舌だね。よく冷ましてからゆっくりお飲み」
言われた通りにフーフーと息を吹きかけてからちょこっとずつ口にふくむ。
心があったまる……。
湯気と温かさで鼻づまりも治っていい香りがする。お肉とお野菜のコクと香りのするスープがとてもおいしい。
残り半分になって少しぬるくなったスープ。木彫りのマグカップを大きく傾けて一気に飲み干した。のどを通る熱さがほどよく心地いい。お腹もあったかい。
「お……いしい」
ほっと一息ついて天井を見上げると肩にかけられたブランケットがずり落ちそうになる。
「ふふ。それは良かったよ。ほら。体もしっかりあっためて。ここの夜は少し冷えるからね」
ブランケットを優しくかけ直してくれる丸っこいお姉さんの表情がニンマリとしてる。
「で? どうして泣いてたんだい? 見たとこ旅行者みたいだけど子どもだけで一人ってことはないよね?」
およそ2ヶ月の間、身につけていた旅装束を見れば旅行者だと分かるよね。
「えと……ウテルさん?」
「ああ。あたしはウテル。ちゃんと自己紹介をしていなかったね。ここ<はらぺこけだま亭>の女将をしているんだよ」
少し気の強そうな眉の下で、金紅石のように輝く瞳が印象的。短めの鮮やかな赤毛が勝気な感じをさらに際立たせてる。丸っこい体型をしているけれどキビキビはきはきとしていてとっても健康的。
「あんたの名前は?」
名前を聞かれた。ここで答える名前はもちろんアーヤだよね。
「ウテルさーん! 注文まだー!?」
あっちの方から聞こえる大きな声に答えそびれた。
「いけない。自己紹介は後にしようか」
ぐう。
大きな音が恥ずかしくてお腹を両手で隠した。
だって。鼻づまりが治った途端にいい匂いがいっぱいするんだもん。
「なんだい? お腹が空いてるんだね。それならなおさら話は後だ。あんたぁ! この子にたくさんごはんを食べさせておくれよ!」
厨房で料理をしている男の人に大きく声をかけるウテルさん。
男の人がわたしを睨むとこくりと小さくうなずいた。
「あれはうちの旦那でクハシュって言うんだ。コックをしてるんだよ。ここらじゃ腕のいい料理人て評判なんだ」
片目をつむって笑顔。親指でコックさんを指し示す感じが親しげ。
「ウテルさん! 酒頼んでいいか!」
また違う人の大きな声。
「あいよー! すぐにおいしいごはんがくるからここで待ってな。悪いけどあたしも仕事があるんでね。ちょっと行ってくるよ」
椅子から腰を上げて、カウンターに置かれたお料理を両手と両腕にたくさん乗せてる。腰くらいの高さまである両扉をおしりで押し開けて向こうに行ってしまった。
「お待たせー! 今日もとびきりうまいよ! うちの旦那の愛がこもってるからね!」
威勢のいいウテルさんの声が聞こえる。なんだか家族とお客さんを愛するきっぷのいいお母さんて感じがする。
両扉の向こうは食堂になっていてたくさんのお客さんであふれかえっていた。お酒を酌み交わす楽しそうな笑い声がたくさん聞こえてくる。
ドスン。
おお? なにこれすごい。
突然。目の前に大きなお肉の塊が現れた。
「ビッグビーストマウンテン……食べな」
頭にピシッと布を巻いてるむすっとした感じのクハシュさんがナイフとフォークを並べてくれる。熊さんみたいにとても体の大きな人でコックコートがはち切れそうなくらいに筋肉たっぷりだ。
お肉に釘付けなわたしを置いて厨房へと戻っていく。
すぐに大きな鍋を振るって次の料理を始めてる。カウンター越しにウテルさんが注文されたお料理の数々をクハシュさんに大声で伝えてる。クハシュさんは無言のまま、火の上がる調理場で鍋の中に調味料を加えてる。
目の前に置かれたお料理からふわっと感じる香ばしい匂い。
ぐうー。
まるで聖王都にそびえる神々しい山のような白っぽいお肉の塊がわたしの瞳に映ってる。
おいしそうなお料理が目の前に飾られていて正直なお腹が早く食べろと催促してる。
もう一皿には黒麦パン。
「いた……だきます」
ふんふん。ふんふん。ふんふん。
鼻をお料理に近づけて匂いを嗅いだ。匂いを嗅ぐ習性はずっと直ってない。
変な匂いはしない。とってもいい香り。
じゅるりとよだれが垂れそう。垂れた。
よだれを拭くこともしないでナイフとフォークをしっかり使ってお肉の塊を口の中に放り込む。
なんのお肉か分からないけどプルプルな白身と脂身がとろとろと口の中でほぐれて溶けてジューシー。
切り分けたお肉がおっきすぎて口の中いっぱいでハフハフする。よだれがどんどんあふれてくる。
ビリビリスのふくれたほっぺたよりもふくらんでる。
ごっくんと飲み込んだ。塊がのどを通り過ぎる感触が気持ちいい。
「お……いひい」
よく煮込まれた脂っ気の強いお肉に爽やかな香草がしつこくなくさっぱりとした感じに仕上げてるからいくらでも食べれそう。
もう一皿にのってる食べ物が目に映る。
少し厚めにスライスされた黒麦パンにお肉を薄切りにしてのせて食べてみる。
「わふー」
幸せー。
黒麦パンは少し酸味のあるナッツのような味わい。硬めの生地をブチっと噛みちぎりながらもぐもぐすると甘味の強い肉汁が口の中で黒麦パンと混ざってとってもハーモニー。
付け合わせにあるさっぱりとした塩茹で野菜が口の中を洗ってくれて何度でも食べられる。
この勢いで食べるとあっという間になくなってしまうからと小さく切り分けて口に運ぶけど。物足りなくて結局大きく切って口に運んでいたらあっという間になくなってしまった。
「わふん!」
おいしかった!
残ったお肉のソースもちぎった黒麦パンですくいあげて食べたから、使ってないみたいに陶器の白いお皿がピカピカ。わたしの顔が映り込みそうなくらいに綺麗さっぱり。
つまり空っぽ。
「わふう……」
悲しい……。
でもお腹いっぱいで幸せ。
食べた後の余韻にひたって体をくねくねしてると、頭の周りでお花がいっぱい咲いて妖精が飛んでそうな気分になる。
いまのわたしは幸せの笑顔で満たされている。
心も元気。
いつまでもめそめそした気分でいないでそろそろ行動を起こさないとだよね。
周りを見渡した。
わたしが腰を下ろしているところは食堂と厨房の間にあるカウンター。ここに調理されたお料理がいったん置かれてウテルさんが運んでいる。注文されたお酒もウテルさんが用意して運んでる。
食事をしてる間に聞いていたやりとりからするとお料理もお酒もメニューの種類が豊富みたい。
たくさんの注文を覚えるだけでも大変そうなのに厨房にはクハシュさんが一人だけ。いくつもの料理を同時進行で調理していてとっても忙しそう。
それに給仕はウテルさんだけだった。注文を受けるのもお料理を運ぶのも、お酒作りもお会計も一人だけで切り盛りしてる。とても広い食堂にいる大勢のお客さんの注文する量が多くてとてもさばききれていない。
「こっち! 注文したいんだけど!」
「ちょっと待ってねー!」
「俺んとこもきてくれ!」
「こっちこっち!」
「ごめんよ! 順番に行くから!」
お客さんの声に反応するウテルさんだけど何人も待ってるお客さんがいるみたいだった。こんなに忙しいのにわたしのことを相手にしてくれて、おいしいごはんまでもらってしまった。
「クハシュさん。こ……れ借りるね」
壁にかけられていたエプロンを身につけた。
ウテルさんがくるのをまだかまだかと待っている一つのテーブルに早足で駆けつける。
「ご……注文は?」
丸テーブルに4人で座るたくましそうな男の人たちに目配せする。
「ん? 新しく雇われた子か?」
「まだ子どもじゃないか」
「へー。なかなか可愛いじゃん」
「ご……注文は?」
可愛いって言われた。うっかり照れ照れしちゃうけど無表情、無表情と落ち着いて質問を繰り返すだけにした。
雇われてるわけじゃないからね。
4人からたくさんの注文をもらった。紙なんてないから頭で覚えるだけ。でもだいじょぶ。これくらい覚えられる。
カウンターに戻ってクハシュさんに伝える。
さてと。次はカウンターに置いてあるお料理を運ばないとだね。だけど仕上がったお料理がどのテーブルから注文されたかは分からない。
「ウテルさん。こ……こにあるお料理はどこに?」
戻ってきたウテルさんに聞いた。
「エプロンなんてして手伝ってくれるのかい?」
「う……ん」
「それじゃあね。あそことあそこにあっち」
「分かっ……た」
山盛りのお料理がのったお皿を頭の上にのせて両手両腕いっぱいにのせた。テーブルにどんどん運んでいく。
「ひゅう! やるねえ!」
そうして。注文を聞いて。お酒も作って。お料理を運んで。お会計もそれぞれのテーブルでして。お客さんからの質問を軽やかに答えて。
あっという間に忙しい時間が過ぎてゆく。
接客も給仕もお酒づくりも高級クラブ<クラウン>のお客様に満足してもらえるようにヴィペラママにきっちり仕込まれて慣れているからね。しばらくぶりだけど全部をそつなくこなすことができた。かな?
夜遅い時間。すべてのお客さんが食堂からいなくなった。クハシュさんが厨房で最後の後片付けをしている。
「おつかれさん! とっても助かったよ! ありがとう!」
握手を求められたのでそっと握り返したら、水仕事で荒れたと思うガサガサとした働き者の手に力強くぶんぶんと振られた。
「ううん。ご……はんの御礼」
「それにしちゃ働かせすぎだけどね。子どもなのにしっかりしてるから甘えちゃったよ。味はどうだった?」
とっても申し訳なさそうにしてる。
そんなことない。
悲しくて泣いてるわたしにとってもあったかくしてくれてうれしかった。
「お……肉。とってもとってもとってもとってもとっても。お……いしかった」
両手で握り拳を作ってぶんぶんと胸の前で振った。わたしのサイドウルフテールも大きく揺れて、きっと鼻息も荒いと思う。
「あはは。そこまで感動してもらえるとうれしいね。あの肉はシロスイショウボアっていう猪の魔獣でね。あんたが食べた白身肉はヨロイって言う部位もあって一頭から少ししか取れない希少なんだ。ぷるぷるしてうまかったでしょ!」
「うん。ほっぺがと……ろけた」
ほっぺに両手をつけてなでなでする。
「そうだ! 名前をまだ聞いてなかったね? なんて言うんだい?」
「アーヤ。アーヤ・ルピナス」
「アーヤね。よろしく。ん? アーヤ?」
ウテルさんがなにかに気づいたように眉をひそめてる。
なんだろう?
気づいたと言えば……。
あ。わたしの荷物とマルーを置き去りにしたままだった。




