5歩 友だち
「わふ?」
また怖がってるのか? ずっと子どものままではいられないし、いつまでも外に出るのを怖がっていてはどうにもならないぞ?
「がう……」
だって……怖いんだもん。
怖くて怖くてしょうがないんだもん。
心臓が恐怖でドキドキして体がこわばる。足がすくんで洞窟の外に出ることができない。はじめて見た巨大な怪物たちが傷つけ合う姿が衝撃で、心底恐ろしかったことがいまでも心に残ってる。
今日まで外に出るのはもちろん初めてじゃない。森で生きていくためにたくさんの知恵をルプスお母さまから教わった。はいはいができるようになったころから洞窟の外へと連れ出された。
人族の子供には早すぎるかもしれないけど大自然の中で生きるわたしたちにはのんびりしてる時間なんてないんだ。
生い茂る森の中や岩しかないような場所で、影に隠れたり、やぶの中でじっとしていたり。周りの環境に溶け込むように息を潜めて身を隠す方法。
獲物を狩るために相手から発見されないように追いかけたり、足跡の追いかけ方も覚えた。背後まで近寄っても気づかれない身のこなし方に気配を消すやり方も。
逆に追いかけられたりしたとき、相手の目をくらませて逃げる手段や、追いつかれる前に行方をくらます逃げ方。最初にいた洞窟から新しい洞窟に移動するときに、ルプスお母さまがしたバックトラックなんかもそうだ。バックトラックは歩いてきた自分の足跡を踏みながら後ずさりして違う方向に跳んだりする行動のこと。
水場に食べ物の探し方、風下や風上の有利不利、いろんな獣の性格、毒のあるものないもの、病気や怪我をしたときに役立つ草とか、ほかにもいろんなことを学んだ。
火の使い方とかも学んだ。やっぱり普通の狼とは違うよね?
もちろん獲物の狩りの仕方も。そして戦い方も。
無駄のない跳躍。相手の攻撃を見極めてする反撃。一撃たりとも決して受けない回避。逆に獲物を一撃で仕留める攻撃力。
そして白銀狼の技。
お手本を見せてくれるルプスお母さまの素早い動きは綺麗だった。見てるだけでドキドキする。わたしは誇らしかった。こんな風に立派な狼になりたい。
わたしにとって戦いは一番の苦手なことだけど。
違った。一番苦手なのは怖いこと。
それはもう毎日厳しく。前世の記憶を忘れていく代わりにたくさんのことを覚えた。真っ暗な夜でも視えるようになったし、いろんなものが匂いで嗅ぎ分けられるようになった。五感は鍛えられたし、なんとなーく第六感みたいな感覚も身につけられた。
でも本物の狼のルプスお母さまにくらべたら人族のわたしはどれもこれも上手にできないし、自分一匹だけじゃ怖くて怖くてとてもできないことだった。
「がるるぅ」
アーヤ一匹じゃ無理だよう。ルプスお母さまも一緒に行こうよう。
「わふわふ」
情けないことを言うんじゃない。
「がふがふ!」
だってだって! アーヤとルプスお母さまをくらべたらこーんなに違うんだよ!
青光り苔をひと咬み咥えて地面に置く。もうひと咬みを咥えて駆け出すとかなり離れたところに置いた。そしてルプスお母さまの目の前に戻ってきて、どうだ!と得意げに胸を張ってみる。
つまりこれだけできることの差があるということを言いたかったわけで。
「わふう」
ふむ。そろそろ厳しくする必要があるな。
「がふ!?」
なんで!?
ぷにぷにの肉球でおでこをペシっと叩かれて転がる。失敗したり叱られるときはわたしのつるつるのおでこを肉球で叩かれるのが当たり前のことだった。赤くなったおでこを前脚ですりすりする。そんなには痛くないけどね。
「わふ!」
初めての獲物はビリビリスだ! 行ってこい!
「がる!?」
雷のリスを!? ええ!? 耳としっぽがギザギザであんなに可愛いリスを狩るの!? やだ! かわいそう!
「わふん?」
可愛いって言うけど何度も焼いた肉を食べてるじゃないか。
木の実を主食にしているビリビリスのお肉はよだれが垂れるくらいにほんとにおいしい。柔らかくって、とっても甘味があって、食べれるところが多くて大満足なんだよね。
そしてお肉は炎でしっかり焼いてる。普通の狼は生のお肉を食べるものだけど、普通じゃないルプスお母さまは火を通して食べるのが当たり前らしい。それにわたしは人族だから寄生虫とか大問題だしね。そのあたりはルプスお母さまも分かっててきちんと気をつけてる。
「がうー」
そうだけどー。おいしいけどー。自分で狩るのはやっぱりー。ビリビリするしー。怖いしー。かわいそうだしー。アーヤ一匹じゃ無理だしー。お腹すいたしー。毛皮がパツパツだしー。
「わふ!」
言い訳多いな! 甘っちょろいことを言うんじゃない! 生きてくためには非情な心を持て!
「がるぅ」
やだぁ。そんなのやだぁ。
「わふん」
それなら明日からメシ抜きだ。トゥリックにも雫を持ってくるなと言うぞ?
「がふ!?」
トゥリックにも!? ルプスお母さまのいじわるー!
体が大きくなって普通に食べれるようになったのに、トゥリックは毎日ずっと天宙世界樹の雫を持ってきて飲ませてくれてるんだよね。あんなにおいしいジュースを飲めるなんて幸せ。思い出すだけでよだれが垂れてうっとりしちゃう。
「わふ!」
いじわるじゃない! だらしない顔をするとせっかくの美人が台無しだぞ!
「がふ」
それはルプスお母さまに似たからだよ。
「わふん」
やかましい。
わたしの首根っこを咥えると、ポイっと洞窟の外に放り出された。
「きゃん!?」
ルプスお母様!?
「わっふ」
わしはここで待ってるからな。獲れるまで帰ってくるな。
ルプスお母様の目が厳しく光ってる。これ、本気のときの目だ。
前にもごはんを抜きにされてお腹をぐうぐう鳴らしたことがある。トゥリックが持ってきてくれる天宙世界樹の雫はとってもおいしいしお腹もふくれるけど、一滴をぺろっとするだけだからもぐもぐ噛んでごっくんする満足感は全然ないんだよね。それにお肉はおいしい。
後ろを何度も振り返りながらゆっくりゆ〜っくり進む。
「がう!」
ルプスおばあさまのいじわる!
「わふ!?」
おばあさま!? わしは毛並みがしっかりもふもふしてまだ若いぞ!?
「がるぅ」
わしなんて言うからだもん。わたしって言えばいいのに。
「わふん!」
んぬ。わ、わたし! これでいいか!
「がふふ」
ふふふ。
ルプスお母様が慌てる様子が可愛くてにんまりしちゃった。しっぽがぶんぶんしてておもしろい。
「わふ!」
く!? くだらんこと言ってないで早く行け! 早くしないと夜が明けてしまうぞ! うまい具合に雲が月明かりを消してくれてる! わしが三回、吠えるまでに見えるところにいたらメシ抜きだ!
「わん! わん!」
い〜ち! に〜!
「ぎゃふ!?」
吠えるのが早いよ!? 狼なのにわん! 2なのにわん! 行きます! 行ってきま〜す!
わしに戻ってるしぃ〜!
怖い気持ちが全然消えないまま、後ろを振り返らずに四つん這いで駆け出して森の中に紛れていく。
月明かりのない真っ暗な夜の森の中。
夜目の効くわたしの瞳がきっと光ってる。
洞窟のある苔むした岩山がすっかり見えなくなったところで足を止めた。
夜の森って実はにぎやかだ。たくさんの虫の音、湧き水が流れる音、夜に活動する獣の生活音、フクロウやミミズクみたいな猛禽類のホーホーという鳴き声。
いけない。こんなに騒がしく体を動かしてたらダメ。心臓のドキドキは大きくなるばかりだけど、ほかの獣に見つかるようなことをしてはいけない。狩りをするのはわたしたちだけじゃない。夜に行動する恐ろしくて巨大な怪物もいるんだから。そして狼にも怖いのがいたりする。
そいつらに見つからないようにしっかり全身を地面につけるように体を低くする。そしてそのまま動けなくなった。
だって怖い! 怖くて心臓が破裂しそう! 冷や汗がぞくりとする!
樹と樹の間から見える月の位置が動いてる。このままじっとしてたら朝になっちゃう。そんなに遅くまでなにも成果がなかったら絶対ごはんをもらえない。
「うにゃ? こんな誰からも丸見えの場所でなにをやってるんのにゃ?」
「ぎゃう!?」
突然、背後から声をかけられて大きな熊の背丈くらいは飛び上がったと思う。着地して脚が空回りするくらいに大急ぎで手近な樹の影に隠れた。
「にゃはは。驚いた? うちんだよ、うちんのにゃ」
「がふ? ピスィカ!」
数少ないわたしの友だちがにんまりしながら立ってる。いけない。うっかり人語で名前を呼んじゃった。
月明かりが樹々の間からこぼれて、その姿が照らし出される。
頭身が短くて頭から生える耳が顔よりも大きく広がってる。もふもふの毛皮に包まれてふさふさしっぽを手でかいてる。ほとんど上半身丸見えのエプロンみたいな皮革の服を着てる。
猫っぽく感じるところもあるけど全然猫じゃない人みたいな不思議な子ども。わたしの狼語ともしっかり会話ができる。癖のある発音が可愛かったり。
「がう!」
もう! 驚かせないでよ!
「ごめん。でもさ。ここらはそんなに危ない奴がいないからって、あんなに丸見えな隠れ方じゃ危ないと思ったんのにゃー」
樹の根元で小さく丸まってるわたしの隣まで二本足で歩ってきた。わたしの後ろに回り込んでおしりの穴のあたりをすんすん嗅いでる。もちろん毛皮の服の上からだけど。
「がるぅ」
そんな顔しないでほしいー。
「え? だっていい匂いにゃん?」
ピスィカは会うたびにおしりの匂いを嗅いでくる。獣ならよくある挨拶みたいだけど前世の記憶があるわたしにとっては恥ずかしいことでもあって。見た感じ柔らかい印象が女の子っぽいから許してるけど、男の子だと聞いたこともない。
「がふぅ」
恥ずかしいよう。
「人族ならそうだよにゃ。
そんで? にゃにしてるんのにゃ?」
「がる」
ビリビリスを狩ってこいってルプスお母さまに命令されてるの。
「へー。そうなんだ。がんばれよー」
手を振って立ち去ろうとするピスィカの背中に飛び乗る。もふもふが気持ちいいし、さっきのお返しに首筋の匂いを嗅いだ。
「にゃんだよー」
とても不満そうな顔してる。でもそんなことは気にしない。
「がふ」
手伝って。
「えー。うちんはもう眠いよー。今日の寝る場所をどこにしようか迷ってたとこだし」
ピスィカは自分で言っていた通り、危険な生き物がいないこのあたり一帯を住処にしていて毎日どこかの木の上で寝ているらしい。
「がうぅ」
そんなこと言わないでー。
「ダメダメ。ルプスに怒られるのやだし。そんじゃのにゃん」
わたしを振り落とすと、ぴょんと樹の枝に飛び上がって行ってしまった。
「がふぅ」
そんなあ。アーヤはしょんぼりだよー。
がっくりと肩を落としてもう一度樹の根元に戻って身を潜める。どうしよう? 下手に知ってる相手に会ったもんだから余計に心細くなっちゃった。こうなったらここでじっとしていて、運よく目の前にビリビリスが現れるのを待った方がいいかもしれない。
「アーヤ! 走るんのにゃー!」
行ってしまったはずのピスィカが全速力で地面を駆けてくる。
そんなに慌ててどうしたの?




