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6歩 妖精郷

「がふ?」


慌てるピスィカと違って、よく分かってないわたしはきょとんとしてた。ピスィカがわたしの手をとって無理やり立ち上がらせる。そして、勢いよく引っ張られて一緒に二足歩行で走り出す。

ダメ! わたしは狼だから四足歩行じゃないとダメなの!

手を振り解いてピスィカの後を追いかける。四つん這いで走りながら見上げたピスィカの横顔が必死だった。


言われるままに走ってるけど一体なにが? 後ろを振り向いて見えたもの。月明かりは雲に隠れてなくなってしまったけど夜目の効くわたしの瞳にはっきり見えた。


「ぎゃふ!?」

なにあれ!? 怖い怖い怖い怖い怖い怖い!


住処にしているこのあたりでは絶対に現れないはずの巨大な怪物が大きな音を立てずに追いかけてきている。


タコと蜘蛛を足したような生き物が樹海の樹々をヌメヌメとすり抜けてる。

長く折れ曲がったうねうねとした八本の節足脚がすごい速さで蠢いてる。順々に地面や大木に突き刺さっていってるのに静か。

きっと体重がどっしりかかる前に八本の脚が前へ前へと進むから?


タコだか蜘蛛だか分からない無機質な目がわたしたちを獲物と思っているのは間違いなさそう。

わたしもピスィカも小さいながらに脚は速い。だけどあっちも負けてない。巨大な分だけ樹々を避けながら進んでるせいか遅いけど、軟体な体がそれを感じさせずに追いつかれてしまいそう。


「にゃんでこんなとこにあんな怪物がいるんのにゃ!?」


二足歩行から四足歩行になったピスィカが叫んでる。


「がるぅ!」

ピスィカ、怖いよう! タコ蜘蛛に捕まったら食べられちゃうよね!?


「そんなのごめんのにゃ! なんとかルプスの巣まで逃げるんだ!」


「がうー!?」

そっか! ルプスお母さまならきっと楽勝で倒してくれる! だけどそこまで逃げ切れるかな!?


もうだいぶ走った。わたしのお家から離れてしまってる。どこかで折り返さないと戻れないし、めちゃくちゃに進めば進むほど深い森に迷ってしまいそう。


「やばすぎ! あんまりいい方法だと思わにゃいけど! ついてくるんのにゃー!」


ピスィカがわたしの前を走りはじめた。

ついて? どこに行くの? こっちの方向はどこだっけ?

周りの景色を見ながら自分がどこにいるか考える。

えーと。そうだ。こっちには……ええ!?


「ここだ! 一気に通り抜けるから感電するんじゃないんのにゃよ!」


「がふぅ!」

やっぱりー! 死んじゃうよ! 危ないよ!

待ってー!


ピスィカを必死で追いかける。この場所はとっても危ない場所。月のない真っ暗な空間にパチパチと黄色い光が瞬きはじめた。神経質に感じる光はどんどん増えては消えて増えていくを繰り返す。光の先にいる生き物。ギザギザの耳としっぽを持った小さな生き物が樹々のウロや枝の上から顔を覗かせてる。


そう。ここはビリビリスの森。雷を発生させるあのリスは大森林のいたるところにいるけれど、自分たちの身を守るために集団で巣作りをすることがある。ここもその一つ。近づかなければまったく危険はないんだけど……。


あちらこちらから雷の雨が降り注いでくる。外敵を追い出すために、もしくは退治するために放たれる雷はピリッとするだけじゃ済まない。言ってみれば雷の巣。

だけど、雷が発生する前には必ずピリピリと静電気のようなものが空中に現れるから。


「がっふー!」

ひい! ビリビリするぅ! 毛が逆立つぅ!


そして放電する雷の範囲はそんなに広くない。これもルプスお母さまにしっかり教わったこと。とにかくしっかり観察しながら避けて避けて避けまくる。

だけど数が多すぎて避け切れない。

うぎゃ!? わたしの自慢の長い髪が少し焦げた!

腰のところで結んでる紐がばちんと切れて、まとめていた金色の髪がバサっと広がる。疾る風にさらされてなびいてる。


「もうすぐだからがんばれアーヤ!」


「がふー!」

もうやだー!


ピスィカの言ってるとおりならもうすぐ。


痛っ!? 頬に感じる唐突な熱さ。


視界に捉えた異物。タコ蜘蛛のぬるっとした節足脚の先端がわたしの頬をかすめていた。

わけが分からないくらいに叫んだ。

いまの一瞬、足元のくぼみが少しへこんでいたから走る軌道がずれた。もしもそのまま走っていたら……。ていうか脚が届くくらいに追いつかれてる!


「アーヤ! くそったれ!」


ピスィカが走る速度を少し落としてわたしの後ろに移動しようとしてる。なんでそんなことするの? そしたらピスィカが危ないよ。つまり、タコ蜘蛛の狙いをわたしからピスィカにさせようとしてるってことだよね?


ピスィカのそんな行動はタコ蜘蛛にとって隙だらけだったのかもしれない。ぬるぬるの節足脚の先端がピスィカを突き刺そうと寸前まで迫っていた。


なんだか嫌な予感がする。わたしを見て《《いる》》暗いなにかがにたりと笑ったような気がした。


ダメダメダメダメダメダメダメダメ!

ダメー!


前脚と後ろ脚で地面を蹴った。斜め後ろにいたピスィカに体当たりして、そのままの勢いで地面に転がる。

尖った脚の先端が空を貫いてた。

次のぬめぬめ脚がくる!

ピスィカと二人で転がりながら踏ん張ってすぐに駆け出す。


「抜けたんのにゃ!」

「がふ!?」

ほんとに!?


背後から空気を震わすほどにバリバリと放電する雷鳴が轟いた。その直後にメキメキと樹が倒れる音。どどーんと大きな音がした。


先に続く樹海の様子はこれと言って変わったわけじゃない。だけど雷の雨はもうなくなっていたし、恐ろしいタコ蜘蛛は追いかけてこない。


「がるぅぅぅ」

逃げ切れたあああ。


後ろを振り返ってみる。


「がふ!」

見て! 怪物が倒れてる!


「うまくいったんのにゃー。アーヤ、あんがとな」


「がふ」

ううん。ピスィカのおかげだよ。


ピスィカと二人でよろよろと腰を下ろして肩でお互いの体を支え合った。


すご。大きな樹々が何本か薙ぎ倒されてる。きっとタコ蜘蛛の巨体のせいだ。そしてその体には感電した焦げ痕がある。


「アーヤ。あれ見るんのにゃ」

「がふ?」

なに? 


ピスィカの指を指し示す方に視線を送る。

あ! ビリビリスがタコ蜘蛛の下敷きになってる!


「もらっておけば?」

「がっふー!」

わーい! これでルプスお母さまに獲物を持っていけるー!


ぴょこぴょこ小躍りしながら駆け寄って、下敷きになったビリビリスを口でぐいぐい引き抜く。

こういうときに唸り声をあげてしまうのは狼だから。よく見ると何匹かいたから全部拾っておこう。毛皮の服には袋になるポーチがついていて、咥えたビリビリスをしまっていく。


「こいつ、死んでるんかのにゃ? 生きてるかもんのにゃ?」


わたしの隣に立つピスィカがそんなことを言うからピスィカの顔を睨んでみる。


「がふ」

やだなあ。怖いこと言わないでほしい。こんなに焦げてるのに生きてないでしょ?


ずるり。

嫌な音がした。ぎぎぎっと軋むように首を回す。目の前のぬるぬるした脚がずるずるっと動いてる。


ひいっ!


わたしとピスィカは悲鳴をあげて一目散に逃げ出した。目指すはお家。ビリビリスの森を迂回して怖い怪物に出会うことなくお家の近くまで帰ることができた。

逃げきれたんだ。


白銀の影が雷の巣の中でビリビリスを咥えていたことには気づかなかった。


途中のせせらぎでビリビリスの血抜き作業も忘れない。血抜きしないと臭い。これもルプスお母さまに教わったこと。


「じゃあな」

「がる」

ほんとにうちにこなくていいの? また襲われるかもよ?


わたしの誘いに肩をすくめるピスィカ。


「うちんは一匹でいるのがいいんのにゃ」

「がふ」

分かった。バイバイ。


手を振って樹の上に登っていくピスィカ。大きめの手には鉤爪があって木登りをするのに便利そう。腰に身につけた前掛けの紐にはビリビリスがくくりつけてある。

ピスィカは自分で獲ってなかったからおすそ分けだね。

登っていくピスィカのもふもふしたおしりが丸見えだ。見てはいけないものが見えそうで顔が赤くなった。


わたしもお家に帰ろう。いっぱい獲れたから褒めてもらえるよね。

ルプスお母さまが待っている苔むした岩山に戻ることにした。帰り道もびくびく怖がりながら、身を低くしてそろそろとゆっくり帰った。ピスィカに送ってもらってすぐそこだったのにたっぷり時間がかかっちゃった。


「アーヤ。お前、ほとんど進んでないのになにを自信満々な顔をしてるんのにゃ?」


「がふ!?」

ええ!? ピスィカ!?


怖い思いを我慢して自分ではだいぶ進んだつもりだったのに全然進んでなかった。樹の上からピスィカがわたしを見下ろしてる。


「あんな無茶したくせに。そんなんじゃいつまで経っても親離れできないんのにゃ。まあ、がんばれよー」


太い枝の上でごろりと寝転がるピスィカの姿が見えなくなった。

うひぃ。お家までがとっても遠くに感じるよう。


「わふ」

遅かったな。もうすぐ夜が明けるところだ。


住処にしてる洞窟の入り口から入ってすぐのところでルプスお母さまが寝そべって待っていた。外は朝陽が差し始めるころだった。


「がふー」

だっていろいろあったんだもん。


帰るためにたっぷり時間をかけたことは言わないでおく。


「わふ?」

どうせ怖がってなかなか進まずに休んでばかりいたせいだろう?


「がふ!」

そんなことないもん! ちゃんとアーヤはがんばったもん! 見てないのに分からないでしょ! ほらこんなにいっぱい獲れたんだから!


ポーチから口で引っ張り出して地面に並べた。


「わふん」

悪くない。このまま妖精郷に向かうとしよう。眠いか?


「がるーん」

んーん。眠くなーい。


「わふ」

すぐに出よう。


ルプスお母さまが背中に皮袋を背負って先に進んでいく。わたしは慌ててビリビリスをポーチにしまって追いかけた。


「わふん……」

仲間を大切にするのは悪くない……。


ん? なにか言ったかな? 急いでいてよく耳に入ってこなかったよ?


「がふ?」

なんて言ったの?


「わふ」

なんでもない。ここから妖精郷まではそう遠くないが急ごう。


「がる」

はーい。


洞窟から飛び出して先をいく大きな体のルプスお母さまの銀色しっぽがゆらゆらと揺れている。気持ちがうずうずとして、ぴょんぴょん飛びついてしっぽにじゃれながらついて行く。


「ははん。まだまだお子ちゃまなんのにゃー」


焼いたビリビリスの肉をかじりながら、樹の上からわたしたちを眺めるピスィカのことには気づかなかった。


「妖精郷か……おもしろそうだから、うちんもついてくんのにゃ」


樹海の中、風を切って疾って行く。ルプスお母さまはわたしの脚の速さに合わせてくれているはずだけど、いつもよりも速い。厳しくするって言ってたせいかな?

崖や谷、せせらぎを越えて進む。途中、害のない獣たちを横目にしながら。樹海に生息する獣も緑も豊かでいろんな種類がいる。まだ出会ったことのない生き物たちもいっぱいいる。


これから向かう妖精郷はこれで何度目だったかな?

とっても不思議な感覚のする場所なんだよね。


「がうう」

ルプスお母さま。体がふわふわするよ。


普通に歩いているだけで体が軽い。まるで浮いているような感じ。


「わふ」

ああ。着いたな。ほら。


「がるぅ!」

すごーい! いつ見ても綺麗だね!


天蓋から降りそそぐあたたかい光。鮮やかに輝く花々が煌めいている。色とりどりに淡く光る植物。まるでランプのようなスズラン。安らぎさえ感じる柔らかい清浄な空気。

妖精たちが住む葉っぱで造られた小さな家が樹々のあちこちにぶら下がっていたり、苔むした岩の上にあったり。


なんていう幻想的な光景なんだろう。まるで夢の世界のよう。


「わふん」

この空間は幻と言われる妖精郷だからな。さあ、行こう。

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