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4歩 家

「がるる」


低くうなる狼ルプスの鉤爪が太陽の光で輝いている。空中で攻撃を繰り出す銀色狼の姿は見る人が見ればかっこいいんだろう。驚きも手伝ってその姿に目を奪われていた。だけど怖いという気持ちもあったわけで。


切り裂いた生き物のようにも見える金属質のなにかが数体全部落ちていく。わたしの目にはそれがなにか分からなかったけど、それほど大きくはなかったと思う。小型犬程度?


それはともかく。わたしが落ちてる!

トゥリックがわたしの髪の毛をつかんで力いっぱい引っ張ってくれてるんだけど!


赤ちゃんの重さとはいえ、小さなトゥリックがわたしを持ち上げられるわけもなく。

「あー!」


一緒にどんどん落ちて、狼ルプスからどんどん離れてゆく。


「ルプスー! 落ちちゃうよー!」


トゥリックの助けを求める声でわたしたちに視線を向ける狼ルプスが「わふ」とひと声だけ吠えて跳躍した。


空中なのになんで? と、思ったわけだけど。跳躍する前の足元に黒いもやのようなものが残っていた。狼ルプスがもう一回「わふ」。足を踏み込む瞬間に黒いもやが足の先に生まれていた。よく分からないけど、あれが足場になってジャンプできてるみたい。

もう一度、ルプスが黒い足場を作って跳躍。わたしを包む布を咥えてキャッチしてくれた。


「わふ」


新しく生まれた黒い足場を踏み込んで反転。断崖絶壁に向き直って跳躍する。絶壁に出っ張った岩に音もなく着地すると、すぐに跳ねて次の岩に飛び移る。何度も繰り返して断崖絶壁を下へ下へと降りていくスピードがとっても速い。

なんのアトラクションかな!?


恐怖で混乱する中、樹々の間をすり抜けて森の中へ落ちると、地面にふわりと着地した。目がパチクリする。


怖い! 怖かった! 心の中は怖さでいっぱい、全身が震えて声も出ないよ!


怖かったけど、痛いとか衝撃とかそういうのは全然なかった。

これってすごいことじゃない?

視線を上げると樹と樹の隙間から断崖絶壁の頂点が見える。洞窟の穴はさすがに見えないけど、あんなとんでもない高さから飛び降りたのになんていう運動能力なんだろう。


「あー!?」

きゃあ!?


考えるのもほんの少しの間。狼ルプスが鬱蒼とした森の中を風のように疾る。まるで誰にも追いつけないようにしているみたいに樹海の中を駆け巡る。

うひぃ。流れていく景色が新幹線よりも速いかも。


獣や鳥の声、せせらぎの音、樹々がざわめく音を置き去りにしていく。深い緑色や青色が瞳を通り過ぎてゆく。おっきなつのを生やした鹿のような生き物や、耳もしっぽもギザギザのりすのような生き物たちが呆気にとられたようにわたしたちを見ていた。


わたしは口に咥えられてぶら下がったままだけど、急に曲がったり、逆方向に向かったり、時にはゆっくりと進んだ足跡を踏みながら後ろに退がり続けてたり、樹木の枝に飛び移って枝から枝を飛ぶように駆け抜けたり。


その間、トゥリックは自分で飛ばないで狼ルプスの頭の上に乗ってたみたい。時々、けたけたと笑い声が聞こえる。

楽しいの?

飛んでないからか、キラキラ輝く鱗粉は振り撒かれていない。

こんな状況を楽しめるって花の妖精さんは陽気だね? わたしはずっとドキドキが止まらないし、涙がぷるぷる風に攫われてる。


樹海をいろんな方法でひたすら走り続けることしばらく。


苔むしたゴツゴツとした大きな岩の塊がいくつも積み重なったところに辿り着くと、吸い込まれるように穴の中へと飛び込んでいた。穴はそれほど大きくないし、影になっていてよく探さないと見ただけでは分からないようなものだった。

穴に入ったところでゆっくり進んでいく。


また洞窟?

「あー?」


最初は暗いと思ったけど目が慣れてくるとほんのり明るいことが分かった。青白く光っている苔が洞窟内にあちこちあるおかげで暗がりが少ない。深い穴の最奥に辿り着くとわたしを降ろしてくれた。冷たい岩肌が柔らかい布越しに冷た……くない。不思議なことに岩からぬくもりが伝わってくる。まるで床暖房みたい。


「がう」

ここにくるのは久しぶりだな。アーヤ。新しい家だ。


そうなんだ。ルプスのもう一つの住処なんだね?

狼ルプスの唸り声は狼のものだけど、言葉として頭にしっかり伝わってくる。狼語だと辿々しくなくて普通に聞こえる。普段は人の言葉を話さないからしゃべりづらかったんだね。


「へー。火の精霊がいっぱい棲みついてるんだ。あったかくていいじゃん」


そんなことを言いながら上の一点を見つめるトゥリック。なにかを見てる? 視線を向けると暗い場所がある。なんだか黒い。寒くなるときの感覚がする。怖い?


「しばらくここで暮らすの?」


振り返って話すトゥリックは笑顔だった。


「わふ」

きっとな。


「分かった! 追いかけっこ楽しかったからボクもう帰るな! 明日から毎日アーヤに天宙世界樹の雫を持ってきてやるから! じゃあな!」


狼語に返事をしてるあたり、ルプスもトゥリックが振り撒く妖精の鱗粉をもらってるのかな?


ありがとう。明日も会えるのを楽しみにしてるね。


早口でまくしたてながらわたしの顔の上でくるくる飛び回ったかと思うと、あっという間に出口に向かって飛んで行っちゃった。

にぎやかで忙しい子だなあ。


「わふん」


狼の姿のまま、わたしに覆い被さるように寝転がるルプス。もふもふが丸まってかわいい。長いしっぽがわたしの頬を撫でてこそばい。

そのまま寝息を立て始めた。走り通しできっと疲れたんだね。しっかり休んでください。


なんだか守ってもらえてるみたいでうれしいなあ。

お腹もいっぱいになったし。

だけど……知らないことや怖いことがいっぱいすぎていろいろ不安な気持ちがあふれてくる。緊張したらあくびと涙が出た。涙はあくびのせいだけじゃないかもだけど。赤ちゃんだからなのか眠気がくるのが早い。とりあえずわたしも寝よっと。


……洞窟から飛び出して落下したときに思い出したのは生まれてから少女になるまでの記憶だった。それならいまのわたしはなに? 生まれ変わったの?


やっぱり不安な気持ちが頭から離れない。そして、なんだか視られているようなぞくりとする感覚を感じながら時間をかけて眠りについた。もふもふのあたたかさに包まれながら。


そんな感じで新しい生活?がはじまった。

そして月日が経つ。


「がう!」

お腹すいた!


「わふん?」

さっき食べたばっかりじゃないか? トゥリックからも雫をもらって飲んだろう?


「がうう!」

でもすいたの!


「わっふ〜」

食べすぎると太るぞ?


「がう〜」

でもー。お腹がすいたんだもん。


「わふわふ」

子どもはよく食べる。そうだな。いい機会だし、そろそろ自分で狩りをしてみるか?


「がる!?」

アーヤが自分で!? えー。やだよう。そんな怖いことしたくないよう。だけどお腹はすいたー。


「わふん」

遊びがわりにしてきたことができれば大丈夫さ。


「がう!?」

痛っ!?


洞窟の中、青光り苔に照らされた銀色毛が反射して輝いている。美しく大きな狼ルプスのぷにぷにの肉球で、つるつるのわたしの白いおでこを叩かれた。体重差のせいかごろんと後ろに転がされてしまう。

ぬくもりのある岩の床に敷かれた毛皮があったかい。仰向けに寝そべって両手両足をまっすぐ伸ばすとお腹の音が大きく鳴った。


「わふわふ」

アーヤ。狼の子はそんな風に寝転がったりはしないぞ。そんなことでは立派な狼として生きていけないぞ。


「がう〜!」

アーヤはルプスお母さまみたいな立派な狼になるもん! 世界で一番の狼になるんだから!


「わふ」

それはまた大きくでたな。


「がる?」

大きくって言えばだけど、ちょっと毛皮がきつくなったんだけどどうしたらいい?


ぴょこんと腰を上げてちょこんと座る。地べたに足の裏をつけて両手も地面につける。犬が座るのと同じように。手を使わずに、身につけている毛皮を口で引っ張って見せた。


「わふ?」

ふふ。また大きくなってるな? ……狩りのついでに妖精郷にも立ち寄るか。こないだ狩った新しい皮を忘れずに持って行こう。狼に見えるようにしないといけない。


「がう!」

やった! 新しい毛皮うれしい! 古い毛皮だったし毛が抜けちゃってきててやだったんだよね。


わたしは上半身も下半身も黒い毛皮の服を身につけている。頭には狼の耳を真似て作ったかぶりものをしてる。両手両足は白い肌が露出したままだけど。ルプスお母さまが人の姿をしていたときと同じ格好。


後ろ脚で首のかゆいところをかきかきする。ついでに腕のかゆいところも歯でかみかみする。気持ちいい。


あれからずっと。人族のわたしは狼として生きている。人であることを禁じられたから。だから言葉は話さないし、狼の仕草も全部ルプスお母さまを真似て過ごしていた。いまではすっかり狼として暮らしている。


わたしと出会うまで、ルプスお母さま自身は人の姿でいることも狼の姿であることもあったみたい。だけど、わたしを拾った日を境に狼でいることにした。それはもう徹底的に。人族の手先の器用さがどうしても必要になるときは妖精たちの手を借りている。


「がる」

のど乾いた。


「わふん」

のどが潤ったらさっそく出かけよう。


「がう〜」

はーい。


寝床にしている洞窟の最奥の脇には湧き水が流れて水桶のような岩のくぼみに水流が溜まってる。とても新鮮でおいしいんだよね。

舌を伸ばしてぺちょぺちょと水をすくい上げる。本物の狼や犬みたいに舌の裏側で飲めたりはしないけど。

たっぷり水分補給ができて濡れた顔を前脚で洗う。波紋がおさまった水面にわたしの顔が映った。


あれからどれくらい経ったのか分からない。だけどわたしの体が大きくなってる。きっと5歳か6歳か7歳くらい。

金色のふわふわの髪の毛は伸ばしっぱなしで、人みたいに気をつけをして立っていると地面まで届くほど。腰のあたりで一箇所結んでるせいかしっぽに見えなくもない。間違いなく成長してる。


そして、毎日のように感じる視線のようなものにまた背筋がぞくりとする。天井の暗い場所。そこに暗く暗く感じるなにかが《《いる》》ように思える。心の奥にある暗い感情が覗かれているような感覚。ルプスお母さまは全然気にならないみたいだし、怖いからとにかく見ないようにしている。


「わふわふ?」

最近はおかしなことを言わなくなったな?


洞窟を歩きはじめたルプスお母さまに聞かれた。

わたしも四つん這いでついていく。


「がう?」

おかしなことってなあに?


「わふん」

前世とかだ。


「がるぅ?」

んー。なんだっけ? 覚えてないよ?


せっかく思い出したはずのいろんなことを忘れていた。自分の名前や家族。成長した生い立ち。だけど不思議と忘れていないこともある。


例えば幼児期健忘症。赤ちゃんの未発達な脳だと3歳より前のことは記憶に残りづらいという。いろんなことを忘れてしまったのはそのせいだと思う。

なのに変な知識は残ってる。きっとなにかのきっかけで思い出すこともあるのかな?

それにわたしの心も年相応に幼いものになっていると思う。


「ぎゃん!?」

なんかいる! アーヤ怖い!


「わふわふ」

なんだ。ただのマンジュウネズミじゃないか。相変わらず怖がってばかりだな。そんなことじゃ立派な母狼になんてなれないぞ?


「がる?」

え? ほんと?


平たくてまん丸のもふもふネズミだった。

赤ちゃんの時からずっと。怖いことを目の前にすることが多すぎてすっかり怖がりになっていた。


「がる〜ん♪」

いいも〜ん♪ アーヤはずっとルプスお母さまの子どもだも〜ん♪」


しばらく登り坂を歩いているとうっすらと明かりが見えてきた。

洞窟の穴から遠く三日月が見える。

深く深くふけていく夜。

わたしの心臓が恐怖という鼓動で跳ねた。

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