46歩 聖女の立ち居振る舞い
「怪我をさせてしまったこと。大切な子どもを誘拐するという暴挙。人族の愚かな行いをお詫びします。わふう」
もー。アーヤが漏らしちゃったのはリュコスお姉さんがいつも睨んでるからでしょ!
怖い気持ちを必死に抑えて元気に虚勢を張って狼語で話す。
人語の方は落ち着いた表情を作って凛とした感じで話すからなんか変な感じ。
優しい口調だけれどはっきりとした発音で、お腹をしっかり意識して声を出す。
時折、不自然にならない程度に身振り手振りを入れることを忘れない。
姿勢を正してゆっくりと大きな動きを見せる所作を心がける。
セイアの立ち居振る舞いを思い出しながら。
演技指導をしてくれたファイン先生、つまり裏ギルド<プラント>に所属する詐欺師を生業にしている舌のエスクロに教わったことをしっかり実践できてる。
セイアほどにはうまくできないと思う。だけどこの調子で最後まで演じて見せないと。
んー。ちょっと目立ちすぎな気もするけど……。
これ以上、誰にも怪我をして欲しくないし、死人も出したくない。
「がふがふがふ」
当たり前だ。それが森で生きることだからな。それよりもルプスの子であるお前がどうして人族と行動を共にしている。しばらく見ないがルプスはどうした?
そっか。あの日のことを知らないんだね。
人族に襲われて死んでしまった事実を教える?
ううん。それは言わない方がいい。
いまそんなことを知らせたらきっと暴れてしまうと思う。
「せめてもの償いとして、この子の怪我の治療をさせてください。わふわふ」
ずっと前に森を出ることにしたの。人族の暮らしに興味があって。
「がう?」
それはいいが、なぜ狼の影で人族を守る?
「どうか償いをさせてください。わふん」
人族にも家族がいていい人がいることも知ったの。リュコスお姉さん。お願い。この子の怪我の治療をするから人族を襲わないであげて。
「がうう!」
そんなことできるか! 我が子をさらった虫ケラどもを許すと思うのか! ここにいるすべてを皆殺しだ!
ビリビリと空気が震えるほどの怒りが伝わってくる。
その気持ちは痛くて苦しくて辛いほどよく分かる。
わたしもそうだから。
「がるん」
お母さん。この人たちボクのこと助けてくれたよ? それなのに殺しちゃうの? アーヤはいい狼だよ?
「がふう」
アーヤはともかく愚かな人族どもに甘い顔をしてはいけないんだよ。きっちり恐ろしい思いをさせないと。そうでないとお前がまたさらわれてしまう。
「がうがう!」
でもでもアーヤと約束したの! 助けてくれたらお母さんと一緒に森におとなしく帰るって! お母さんは約束はちゃんと守らないとダメってボクを叱るよね! ボクがした約束を破らせてもいいの! そんなお母さん嫌い!
「がるーん」
しょうがない。アーヤ。我が子の願いを聞くことにする。早くしろ。
「快くご承諾いただきありがとうございます。少し時間をください。わふん!」
ありがと! すぐに薬を持ってくるからちょっと待ってて!
逃げずに様子を見てくれていたマルーのところまで急いで駆ける。人族の速さで。
「アーヤ。一体どうなってるんだ!? 大丈夫なのか!?」
「うん。だいじょぶ。鞄をちょうだい」
「え? ああ」
とても心配そうにしているマルーから大きな革の手提げ鞄を受け取って走る。
「また行くのか!? 俺も行く!」
マルーが後をついてくる。
その間。冒険者パーティー<旅鴉>の3人はリュコスお姉さんの6つの眼球に睨まれて泣きながら笑いを浮かべてた。
「すぐに治療を始めます。わふ」
すぐ終わるから。屈んでくれる?
「がう」
うん。いいよ。
わたしの指示で子黒狼が6つの脚を折りたたんで寝そべった。これなら傷口をしっかり見れるね。
「痛みますが我慢をしてください。わふん」
傷に染みると思うけど我慢してね。狼の子は強いもんね?
「がう!」
ボクは強いよ! だからだいじょぶ!
大きな革の手提げ鞄から水筒と薬瓶と綺麗なタオルを取り出した。
汚れた傷口を洗ってタオルで水気をポンポンと優しく拭き取る。傷口を洗うことで清潔にすることができるからね。
蓋を開けてベッタリと軟膏を手につける。これはもちろんヴァイゼ孤児院で育てた薬草とかを調合したもの。
わたしのお手製傷薬、アーヤ印のお薬。
わたし自身の怪我はすぐに治るけど聖女を目指す女の子として役に立つだろうとたくさん持ってきたものの一つ。
傷口に軟膏を塗りつけていく。
子黒狼の体がプルプルと震えてる。声も出さずにずっと痛いのを我慢してくれてる。可愛い。
リュコスお姉さんも首を左右に振りつつ治療の様子を心配そうに見守ってくれている。可愛い。
「もう少しで終わります。わふ」
偉いね。とってもお利口さんだよ。
「嘘だろ。凶暴なムツアシムツメがおとなしくしてるなんて……」
「アーヤ。君は一体?」
「いやー。びっくりだねー」
冒険者パーティー<旅鴉>の3人までまじまじとわたしの様子を眺めてる。
「びっくりだよ。まるで慈愛に満ちた聖女のように凛々しいじゃない」
マルーもわたしの横顔に注目して座り込んでた。怖くないの?
警備兵の人たちや街のいろんな人たちも固唾を飲んで見守ってくれている。
えーと。みんなで注目しすぎじゃないかな?
すべての傷口に軟膏を塗り終わって、手に残っていた軟膏を拭きとった。
ふう。これでひと段落。
続けて薬袋から薬包紙を取り出す。
「ほん……とはあて布をして包帯を巻きたいけどそんなに大きいのは持ってないからね。熱と痛みを和らげるお薬もお飲みください。わふ」
口を開けてくれる? ちょっと苦いけどしっかり飲んでね。
「がる?」
苦いの? 我慢する!
薬包紙を広げて子黒狼の口の中に散剤をサラサラと落としてゆく。
子黒狼の口がキュッと閉じてぶるぶるしっぽが震えてる。可愛い。
あは。だいぶ苦かったみたいだね。
これでいまできることはおしまい。
「ふふ。とってもがんばったね。わふ」
もう起きてもいいよ。
子黒狼の硬いもふもふを撫でる。
「がる!」
なんだか痛くないかも! ありがとアーヤ!
ぴょこんと起き上がってぴょんぴょこ跳ね回ってる。
元気だね?
や。そんなにすぐには薬の効果は出ないと思うよ?
思い込みってすごいなあ。
そんな子黒狼に微笑みつつ、立ち上がってリュコスお姉さん。つまり母黒狼を見上げた。
「がる」
終わったのか?
「ささやかですが治療をさせていただきました。愚かな人族を許していただきありがとうございます。わふんわふん」
うん。傷が早く治る薬を塗ったし、熱に効く痛み止めもあげたから。治るまでなるべくおとなしくするように見てあげてね。
「がる?」
舐めてもいいのか? 早く傷を治すために舐めてやりたい。
「人族が生きるために森で狩りをすることをお許しください。おっしゃる通り、あなたたちには二度と手を出さないように誓います。わふん」
うーん。塗り薬が体に染みこむまで待って欲しいかな。夜になったらいいよ。
「がるる」
承知した。人族に伝えろ。森で再び見ることがあれば容赦はしないと。
あ。やっぱりダメ? ちゃんと伝えないとだね。
「寛大なお心に感謝を申し上げます。わふわふ」
えーと。人族も森でごはんを食べたいから許してください。でもリュコスお姉さんたちには関わるなって言っておくね。じゃないと咬み殺されるよってしっかり言っとくから。
「がう」
ふ。咬み殺すだけでは物足りん。だがまあいいだろう。
ところでルプスは森には戻らぬのか?
ルプスお母さまのことを伝えたいと思った。言えないけど。
裏オークションでオークショニアが言っていた言葉を思い出す。
『しろがねに輝く獣の王! 白銀狼の存在を!』
『幻の神獣とも魔王たる魔狼とも言われる伝説の獣を手中におさめた強者がいらっしゃる』
もしかしたらルプスお母さまの亡骸をどうにかされているのかもしれないと思った。
ここは大森林フォレバストを開拓する人族がいる町。ひょっとしてなにか話が聞けるかも知れない。
「猛々しき狼よ。偉大なる森へどうぞお帰りになってください。わふ」
そのうち森が恋しくなったら戻ると思う。そのときは仲良くしてね?
「がる」
いいだろう。我が子と遊んでやってくれ。狼の影を使うときはもっと気づかれないように気をつけろ。まあ。つまらぬものを喰わずにすんだことは感謝しよう。さらばだ。
狼の影にしっかり気づかれてたんだね?
つまらぬものって人族のことだよね?
「がるん」
アーヤお姉ちゃん! ボクの名前はルーだよ! 絶対遊んでね! 約束だよ!
「しかと承りました。わふん」
ふふ。約束は絶対に破らないんだよね。いつになるかは分からないけどアーヤもルーと遊ぶのを楽しみにしてるね。
にっこり微笑んで手を振ったらルーがぴょんぴょん跳ねてる。
母黒狼がぐるりと人族を見回した。
「があああああ!」
少し弱めの怒れる狼の咆哮が放たれた。
二度と我らに関わるな。そんな警告の意味が込められていた。
だけど怖いよー。弱めなのに怖すぎてぺたりとおしりをついてしまいそう。おしっこ漏れちゃいそう。
だけど毅然とした態度でいないといけないからとにかく我慢。
「がる」
ふん。また会おう。
母黒狼がゆっくりと体の向きを変えると大森林へ向かって風のように疾っていく。
「がるがる!」
お姉ちゃんバイバイだね! お母さん! 待ってよー!
子黒狼のルーがお母さんを追いかけてゆく。可愛い。
「ルプスお母さま……」
2匹の姿が遠い思い出と重なる。
颯爽と森を駆ける凛々しい母の姿。
ぴょんぴょこと無邪気にお母さんを追いかける子どもの姿。
わたしはあの母子と自分を重ねていた。
「ああ。助けることがで……きたんだ」
それはまるで自分自身が救われたような想いで。
静かに。大きく。ゆっくりと息を吸って吐きだした。
両手のひらで押さえた胸に熱い想いがあふれていく。
ひと雫。指にこぼれた涙があたたかかった。
森の中に消えていくまで見送った。
「バイバイ」
ムツアシムツメの母子。リュコスお姉さんにルー。また会えるといいね。
あ。わたしったらなんてことを。
わたしの家の場所を教えてもらえばよかったんだ。
だけど……。
懐かしいあの洞窟にはなにもない。トゥリックたち妖精がどこに行ったかも分からない。ピスィカの行方も分からない。
帰ったところでなにもないのは分かってる。
そして。
いまのわたしはあのころのわたしとは違う。
森に戻っても誓った目的が果たせない。
「家には……帰れないよ」
いまのわたしはアーヤ・ルピナス。
聖女を目指す女の子。
そして、いつか必ず復讐をするためにも。手がかりを探すために聖王都に行かなくてはいけないのだから。
そう。わたしの旅路は始まったばかり。
「ふう。な……んとかなったね」
これでみんなも安心したでしょ。と思いながら振り返った。
途端に上がる大歓声。
いつの間にか集まっていた町の人たちが割れんばかりの拍手をしている。ずっと見守ってくれていたのかな?
「あれ? マルー? みんな? だいじょぶ!?」
ガクガク肩と膝を揺らしながら地面に倒れてる。警備兵も鐘楼にいる人も全員がほとんど倒れてる。気絶していそうな人もいっぱいだった。
だけど弱めの咆哮だったからみんながみんな気絶はしていなさそう。
「みんな大丈夫か! 救護隊を呼んでくる!」
固唾を飲んで見守っていたと思われる人が町にいる人たちに助けを求めに行ってしばらく。大勢の人族たちの手で怪我人を解放したり、起きない人を運んだり、あれやこれやと大騒ぎ。
母黒狼に襲われた開拓者は大森林の入り口や表層付近にもたくさんいて大わらわだった。
誰も死んでいなくてほんとに良かった。
なんとか立ち直った冒険者パーティー<旅鴉>の3人とマルーも加わってわたしも看護、介抱を手伝った。
治癒魔法を使える人には限りがあってなかなか手が回ってないみたいだったからね。
持ってきていたわたし特製の薬もたくさん使った。
ヴァイゼ孤児院で習ったことがここでも役に立ってる。
たくさんの人族たちとこんな風に共同作業するのは初めてのこと。
わたしたちの出発時間はとっくに過ぎてしまったけれど、乗合馬車は停留所に残ったまま。
あっという間に時が経って、そろそろ橙色の夕陽が大森林と町を染めるころ。
なぜかわたしが人族たちの中心で囲まれている。
町の中心にある大きな広場。
酒樽や金属盾を打楽器に。竪琴や三色菫の弦楽器。横笛とかの管楽器などなどが奏でられてる。
リズムのいい陽気な音楽に踊る町の人たち。
たくさんのテーブルにはとってもおいしそうな料理の山。椅子に座る荒くれ者の開拓者たちが木製のジョッキを掲げて発酵酒や葡萄酒をがぶ飲みしてる。
「み……んな楽しそう」
宴が始まった。




