45歩 怒れる狼の咆哮
「ウォリさん! ファイさん! 力を貸して!」
「どこへ行く!」
「なにをするつもりだ!?」
装備が多少重いせいか足の遅い二人に振り返る。
「お母さんに子どもを返すの!」
子黒狼が閉じ込められている檻にとりついた。
わたしの姿を見て怯える子黒狼が唸ってる。
縦棒で構成された檻が地面に激突したことで少しひしゃげてる。錠前が歪んでいて鍵があっても扉を開けられなさそうになかった。
二人がいるところで鍵開けスキルも使えないしね。そもそもそんなに時間をかけてられない。
そんな確認をしている間に、檻の柵をつかんでいるわたしの手に咬みつかれた。ぷつりと穴の開いた音がする。
痛い。痛みで顔が歪む。だけど平気な顔をする。子どものいたずらにどっしりかまえる母の姿のように。
「わふん」
だいじょぶ。アーヤは味方だよ。
わたしの狼語に子黒狼の獣耳がくるくると動いて反応してる。柵をつかんだままの手に食いついてる顎の力が弛んで離れた。
「がる?」
味方? ボクの言葉が分かるの?
ちょこんと座って小首を傾げる子黒狼。可愛い。
ここにくるまでの間に足の遅いウォリさんとファイさんを引き離してる。到着する前に子黒狼と話をつけないと。
「わふわふ」
うん。人の姿をしてるけどアーヤも狼なの。一緒の森で育ったんだよ。逃がしてあげるからじっとしててね?
「がるん?」
狼? ほんとに? 匂いを嗅いでもいい?
あ。匂いの嗅ぎっこね。獣同士のご挨拶。
人の暮らしに慣れたわたしにあれはかなり恥ずかしい。
けど一番確実かも。焦る気持ちもあるけど、おしりを檻に近づけた。
「わふ……」
どうぞ。
ふんふんとわたしのおしりの匂いを嗅ぐ子黒狼。
やっぱり恥ずかしくて顔が熱くなる。そんなこと言ってる場合じゃないけど。
「がる!」
狼の匂い! 信じる!
もしかしたら匂いがしないかもと思ったけどよかった。それに狼語がしっかりできるっていうことも分かってくれる理由になったかな?
「がる!」
僕のもどうぞ!
おしりを向けられたからふんふんと嗅いどいた。香ばしい。
時間がないんだけどなあ。
「わふう」
いい? いまからキミを閉じ込めてる檻を壊して逃がしてあげるからね。
「がるる!」
ほんとに! おねえちゃん、ありがと! 手を咬んでごめんね? 痛い?
子黒狼がペロペロとわたしの手を舐めてる。咬まれて開いた牙の穴はもう治ってる。
「わふわふわふ。わふん?」
だいじょぶだよ。あとね。お母さんにおとなしく森へ帰ろうって言って欲しいの。
人族と戦うのはやめて帰ろうって。
キミもお母さんが怪我をするのは嫌でしょ?
「がう!」
分かった!
「わふん」
お利口だね。ちょっとじっとしててね?
ひしゃげた金属の棒をつかんで力いっぱい広げようとするけどびくともしない。
「んー!」
わたしの非力な細い腕じゃ全然ダメ。ちっとも棒と棒の隙間が変わらない。
必死にがんばるわたしの手のそばに、力強くて骨ばった手が2組現れた。
「アーヤ! 俺たちも手伝うぞ!」
「こいつを母親に返しておとなしくさせるつもりか!? うまくいくといいけどな!?」
ウォリさんとファイさんに追いつかれちゃった。これで子黒狼とはもう話せないよね?
だけどとっても心強い。二人ともとっても筋肉がすごいからきっとなんとかなる。
そういえば。おじさんに戦うなとは言われたけど獣と話すなとは言われてない。
聖女を目指す女の子が人前で話さない方がいいよね? どうなの?
凶暴な魔獣と言われる獣と話す女の子ってアリじゃない?
特殊な力を持った聖女って感じがする?
それいいかも?
だけど怖がられてしまったり気持ち悪がられるかも?
うまくいくか分からないけど試す価値はある?
やっぱりやめようかな?
たったいま。それをする価値があるかどうか試されることになる。
悩む。どうしよう?
本気でしっかり考えないといけないことだけど時間がない。
思いつきだけどやってしまうしかないかも。
「うん。きっと分かってくれるし、うまくいくよ。檻を壊す!」
だけど。わたし以外の人族の登場で子黒狼が怯えてる。二人の腰にぶら下がる武器に注目して牙を剥いて威嚇している。
「がるがる!」
こいつら鉄臭い! 危ないの持ってる! こいつら敵!
ウォリさんはロングソード。ファイさんはウォーハンマー。二人とも軽装鎧。
子黒狼をさらった開拓者たちも似たような格好をしていた。
森で生活をしていて人族を知ることのなかったと思われる子黒狼は大きな怪我を背中に負ってる。捕まるときに絶対に痛くて怖い思いをしているはず。
「がるう!」
やっつけてやる!
檻を力まかせに壊そうとしているウォリさんとファイさんの手に咬もうと飛びつく子黒狼。
そんなに簡単にわたしの言うことや状況を理解はしてくれないよね。
「こんなんじゃ檻を壊せないぞ!」
「無理じゃないのか!?」
「檻ごとここに置いとけばよくないか!?」
慌てて檻から手を離した二人があっという間にあきらめちゃいそうなこと言ってる。
「檻を壊……さないとこの子が自由になれないし、体が大きくなったら狭い檻の中できっと死んじゃう!」
狼の手と牙で器用に檻を壊せるか分からない。あの大きな母黒狼が壊そうとしてうっかり子黒狼を潰してしまうとも限らない。
やっぱりさっき思いついたことをやるしかない。
「二人とも待ってて。アーヤがこの子を説得してみるから」
「説得!?」
「話ができるわけないだろ!?」
疑問の声を上げる二人を無視して膝をついた。精いっぱい優しく微笑んで、猜疑心に満ちた子黒狼の6つの瞳を見つめて話す。
「わふわふ」
大丈夫だよ。この人たちはいい人。キミを助けるために手伝ってくれるんだよ。
「がる?」
そうなの? ほんとに? 痛いことしない? 食べない? 怖くない?
「わふん」
だいじょぶ。狼のアーヤを信じて。お母さんと森へ帰りたいでしょ?
「がるー」
うー。狼の仲間を信じる。
「わふ」
お利口さんだね。少し端っこの方で座ってて。
「がう」
分かった。
さっきまで殺気を放っていた6つの眼球がおとなしくなった。後ろに下がってちょこんと座ってくれる。6本脚で座る姿がとっても可愛い。
「ウォリさん、ファイさん! いまのうちだよ!」
「おとなしくなったぞ!?」
「魔獣と話したのか!?」
あっけに取られて黙ったままだったウォリさんとファイさんがとうとう口を挟んできた。
「いいから二人とも早く!」
そんなわたしたちとは別に、警備兵の人たちが殺されてしまうかもしれない恐怖と戦っていた。
檻にとりつくわたしたち3人に気づいて鉤縄で半分拘束されてる母黒狼が、鉤爪と太いしっぽを振り回して大暴れしてる。警備兵たちは長槍を手になんとか母黒狼を倒そうとしていた。
だけど拘束している鉤縄をいまにも解いてしまいそうだし、死人こそ出ていなさそうだけど警備兵の中にはひどい怪我をして戦いから離脱している人もいそうだった。
急がないといけないけど檻がなかなか壊れない。
「わたしも手伝う!」
弓矢で母黒狼を牽制をしていたアーチさんが駆けつけて加わってくれた。
「アーチか! 助かる!」
「力を合わせろ! 一気にいくぞ!」
「せーの!」
「んー!」
四人で金属の柵を力いっぱい引っ張る。力を入れすぎて手の骨が折れそう。
圧力にずっと抵抗していた金属の棒がくおんと音を立てながらひしゃげていく。少し広くなった穴に頭を突っ込んで必死に通り抜けようとする子黒狼と、さらに力を込めるわたしたち。
みんなの気づかないところで狼の影3体もがんばってる。
「がる!」
出れた! アーヤ! ありがと!
「やった! やったよ!」
大きく穴の開いた檻の中から飛び出した子黒狼に抱きついた。
「ムツアシムツメの子どもか。こうして見ると可愛いな」
「それでどうするんだ?」
「勝手に母狼のところに走ってくだろ?」
「それだと警備兵に攻撃されちゃわない? 連れていけた方がいいよね」
「ええ? あの激戦の場にか? 俺たちには無理だろ?」
「戦おうとしてたのにいまさら怖気付くの?」
子黒狼の頭をなでなでよしよししている間に3人が相談してる。そうだね。早く母黒狼に引き渡さないとだよね。
「がるーん!」
お母さーん! ボクはここだよー!
子黒狼が吠える。喜びにあふれる吠え声が空に響いた。
その遠吠えに反応して母黒狼が信じられないくらいに大きな咆哮をあげた。
ビリビリビリビリと大気が震える。
怖い! 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!
怒れる狼の咆哮だ。
ルプスお母さまに勝るとも劣らない雄叫びが何人かの人族を気絶させている。なんでいまごろ狼の咆哮を上げたのか知らないけど心が恐怖で支配されそう。
気絶した警備兵の手からするりと縄が抜けていく。
鉤縄の拘束がゆるまっていく。
母黒狼の吊り上がった6つの眼球が警備兵を捉えていた。
全身を刺すような殺気が黒く黒く感じられる。
ダメ! ダメダメダメダメダメダメダメダメダメ!
「狼に……人を殺させたりするもんか!」
狼の影!
これまでも警備兵に怪我をさせないために影ながらサポートをしていた7体の狼の影を疾らせた。
母黒狼の後ろ脚に4体!
次に鉤爪を振り下ろす前脚に1体!
狼の鋭い牙がギラつく顎に1体!
最後の1体は警備兵の影に!
次々に狼の影を影に咬みつかせる。
必死に、精一杯に母黒狼の影を縛る。
けれど巨体をどうすることもできない。
きっと小石につまづく感覚程度にもなってない。
少しは狼の影が効いてるのか、母黒狼が身じろぎしてギラつく牙で咬みつくのをやめてる。
代わりに、狼の影でなんの拘束もされていない前脚の1本。母黒狼の凶悪な鉤爪が振るわれる。
お願い!
間に合って!
警備兵の影に咬みついた1体の狼の影を操る。
恐ろしさのあまりにか、動きが鈍ってる警備兵の胴に母黒狼の肉球がめり込んで吹っ飛ばした。
転がってぴくりとも動かない。だけどきっと死んではいない。
もしももう少しずれていたら。きっと鉤爪が肉を引き裂いていた。そしたら……死んでいたかもしれない。
緩んだ鉤縄が絡まったまま跳ぶ母黒狼。
警備兵の包囲なんてとっくに飛び越せていたはずのとんでもない跳躍力。
次の瞬間にはわたしたちの頭上で、吊り上がった六つの眼が睨めおろしていた。
「お、おおお、俺たちは敵じゃない!」
「子どもを助けたんだ!」
「た、食べないで!」
腰が砕けそうな勢いで必死に訴える冒険者パーティー<旅鴉>の3人。
「があああああ!」
許さない! 殺す!
乱杭歯のような鋭歯が丸見えになるほど顎をガバッと開いて放たれた怒れる狼の咆哮。
武器を手にするどころか、へたりと地面に尻をつく3人のことを情けないなんて誰も言えないと思う。
わたしも腰が砕けて漏らしてしまいそうだった。
ルプスお母さまの咆哮を聞いたことがなかったらとっくに気絶していたと思う。
だけど怖がってる場合じゃない。
ここが勝負どころなんだから。
演技指導のファイン先生、つまり詐欺師であり交渉人、舌のエスクロに教わったことを思い出せ。
フルフル震える脚と心を奮い立たせて母黒狼にキッと視線を送る。
「落ち着いてください。わふ!」
リュコスお姉さん! アーヤだよ!
人語の最後に狼語を付け加えた。
「……がふ?」
なぜわたしの名を知ってる? アーヤだと?
「この子はあなたにお返しします。どうか怒れる心を鎮めてください。わっふん!」
うん! 久しぶりだね! 子どもがいるなんて知らなかったよ!
人語は人族に向けて、狼語はムツアシムツメの母子に向けて話している。
できるだけ元気を振る舞ってるけど心の中は怖い気持ちでいっぱい。
うまくいきますように。
「がる?」
久しぶりだと?
大きな黒い鼻を近づけてわたしのおしりの匂いを嗅ぐリュコスお姉さん。
「がるぅ!」
この匂い……ルプスのところのお漏らし娘か! なるほど。不思議に思っていたが狼の影を放ったのはお前だな。
影のこと、気づかれてた。
だけど、ちゃんと川辺で会ったことがあることを覚えていてくれてる。
よかった。や。よくない。そんな恥ずかしい記憶は忘れて欲しい。
母黒狼の名前はルプスお母さまから聞いていたからね。こんなことで役に立つとは思わなかったけど。
堂々と?母黒狼と対面するわたしを冒険者パーティー<旅鴉>の3人がきょとんとしたまま見てる。
意識のある警備兵の人たちも、逃げ出さずにいたマルーも驚いて注目してる。いつの間にか町の境界に人族が集まりつつある。
母黒狼も警備兵たちも争うことを忘れてる。
ファイン先生。なんとかなりそうだよ。
わたしは。みんなからのたくさんの教えのおかげでがんばれてるよ。




