44歩 6つの脚と眼
「ぐあ!」
真っ黒な鋭い鉤爪が逃げる人馬をいっぺんに切り裂いていた。
4本の脚で疾って2本の前脚で攻撃していた。さらに人馬を襲う巨大な獣。すべての人馬がまるで紙屑のように散ってゆく。
馬が盾となったせいか人族たちの息はあるみたいで逃げるために地面を這いずってる。
「ムツアシムツメだ!」
ピーーー!
誰かが叫んで甲高い音色が空に響く。
城塞都市フォルテでも聞いたことのある笛の音。危険を知らせる警笛だ。
続いてカンカンカンと高い鐘楼に設置された半鐘が鳴らされている。鳴らしている人族は急な出来事に焦っているのか金槌を取りこぼしていた。もしかしたら不慣れなことが起きてるのかもしれない。
「凶暴な闇魔獣だぞ! 武器をとれ!」
「殺さなくても追い払えればいい!」
「なにをバカなことを言ってる!」
「危険な魔獣は殺すべきだ!」
「ふざけるな! 勝てるわけないだろ!」
「ひ、避難誘導はどうする!?」
「ここで迎え撃つ方がいいんじゃないか!?」
「なにを悠長なことを! 町に入られでもしたら危険だ!」
「町に近寄らせるな! 攻めて出るぞ!」
「いいか! 無理をするな!」
「怖気づいた臆病者はすぐに逃げろ!」
怒号が飛び交ってる。
森の怪物に襲撃されることを想定しているのか、大森林フォレバストに臨している町の側面には警備のために常駐する仕組みがあるみたい。
だけど、足並みはそろってない。
少し遠くの建物から不揃いの装備をしたいかつい人たちが飛び出した。馬に乗って駆けてゆく。
手にしている武器は長物の槍が多い。それに網の束が馬に装備されてる。きっと巨大すぎる獣を相手にするための選択。
だけど数は20騎くらい。少ない? 多い? 分からない。
ほかの数人が町の境界で武器を構えてる。
「アーヤ! マルー! お前たちは逃げろ! ここは俺たちにまかせるんだ!」
「なにを言ってるのよ! わたしたちもだよ!」
「忘れたのか! 俺たちはでかい魔獣と戦えるほど強くないんだぞ!」
冒険者パーティー<旅鴉>の3人も予測もしなかった状況に焦ってるみたい。
「アーヤ! 逃げよう!」
「……やだ」
わたしを引っ張って走ろうとするマルーの手を振り払った。
「なに言ってるの!? 逃げるんだよ! アーヤ!」
わたしの隣で必死に訴えるマルーのことは無視した。
だって。あれは。
「狼」
「は!?」
わたしが差し示した指の先にいる巨大な獣。
荷馬車を追いかけているのは1階建ての民家よりも大きな真っ黒い狼だった。
あの真っ黒で巨大な狼をわたしは知ってる。
ムツアシムツメって言われているんだね。
4本の脚でしっかり立つことができるから自由な2本の前脚で多彩に鉤爪を振るうことができる。
鋭い吊り目。左右合わせて6つの輝く眼球が自在に動くことで狙った獲物を逃がさない。
乱杭歯のような鋭歯に咬みつかれたら最後、頑強な顎で硬い鉱石でも噛み砕いてしまう。
3層構造の黒い被毛は強くて硬くて牙や爪を軽々と弾き返す。
大森林に暮らす、狩りと戦いに特化した凶悪な獣。
ほかの獣とは決して馴れ合わない凶暴な狼だから絶対に近づくな。とルプスお母さまから聞いたことがある。
ルプスお母さまが凶暴と言うくらいだから間違いなく強いんだと思う。
その強さを体感したことがある。
森でピスィカと狩りをしていたとき、のどが渇いて近づいてはいけないと言われていた場所に行ってしまった。それほど幅のない川辺の対岸に黒狼が姿を現して目が合ったことがある。
全身の毛が逆立って魂が抜けるかと思うくらいの殺気を放たれた。
幼いわたしがおしっこを漏らしてしまうくらいにとても怖かったことを覚えてる。一緒にいたピスィカも腰を抜かすほどだったからかなり怖いんだと思う。
怖かったっていうのは過去のことだけど、いまも変わらず足がふるふる震えるくらいに怖い。
ムツアシムツメが恐ろしい咆哮を上げている。それだけで心が萎えてしまう。
振るわれた鉤爪が荷馬車の後輪の一つをあっけなく砕いた。
大きな前脚で車体が揺らされた。荷馬車の進む方角がこちらを向く。速度を落とさずにいる荷馬車はいまにも大破しそうない勢いで走ってくる。
御者は手綱をつかんでいるだけで精いっぱいで毛長馬も車体も制御できていないみたいだった。
なんで荷馬車を追いかけてるの?
答えはすぐに分かった。
走る荷馬車の荷台にいる真っ黒な姿。
檻の中に閉じ込められて傷ついた子どもの黒狼。
背中に大きな傷を受けているのに、壊れそうなほど揺れる荷馬車の上で凛々しく踏ん張ってる。
追いかけている黒狼は間違いなくお母さん。
この町は大森林の獲物や素材を求める開拓者がたくさんいるという。あの子どもの黒狼も人族の獲物ということだよね。
生きたまま捕えるなんてどういうつもりだろう。見せ物にされるのか。それとも殺されて解体されて素材になるのか。
わたしだって森の獣を殺して食べていた。だから人族が生きるための営みに文句を言うつもりはない。
だけど……必死なお母さんと凛々しい子どもの姿から目が離せない。
「助ける」
「アーヤ!? なにを言ってるんだ!? 気持ちは分かるけど襲われた人を助けるなんて無理だよ! 荷馬車の人ならここの警備にまかせればいいんだ!」
ボソリとつぶやいたわたしの言葉に驚くマルー。
マルーは人族を助けると思ったんだね。そうだね。そうだよね。でも。わたしは黒狼の母子を助けたいの。
母黒狼は人族にとどめを刺すことなく子黒狼だけを追いかけてる。
我が子を取り戻したいだけなんだよね。
だから返してあげたい。
とは思うけど。いくつか問題がある。
駆け出そうとしたわたしの心を縛ることがあった。
『戦うな』
眉をしかめて青い髭をさするおじさんの言葉。
『いいか。アーヤは聖女を目指して王立学園に通うことになる孤児院出身の子どもだ。暗殺者じゃない。お前の戦う姿は見るものが見れば分かってしまう。だからいいな。人の目のあるところでは絶対に戦うな』
わたしの次の任務にはそんな制限がある。元々、表の世界で暗殺スキルを使うこともそれほど推奨されてはいない。
だから人の目のあるところで戦えない。
それにあんなに怒っている大きな母黒狼が人族の小さいわたしを見て黙ってるとは思えない。きっと攻撃される。そもそもいまのわたしは小さな暗器しか身につけてない。
黒狼に攻撃された人族は地面を這いずったまま。
警備兵が20騎ほど。それぞれに指示を出し合って黒い狼を取り囲もうと散開を始めた。
荷馬車がグラグラと揺れて、大きな音を立てながらどんどんこちらに近づいてくる。
いっそ荷馬車を止めて子どもの狼を置いていけば助かるかもしれないのに。
そんなに獲物を手放したくないの?
それとも逃げるのに必死?
獣だって命の危険があるときはあきらめるよ?
だけど黒狼は賢い。
縄張りを荒らし大事な家族を危険な目に遭わせた人族を許さないかもしれない。
狼の子どもを助けるためにはなにか工夫をしないと。
わたしは聖女を目指す女の子。
セイアは裏世界に生きる黒ずくめたちを相手に少しも怯む様子を見せなかった。
だったら。
「怪我をしている人を助けに行く。だからウォリさん、ファイさん、アーチさん。手を貸して」
セイアを見習うつもりで声を出してみた。演技だけど気持ちを込めて。
「よし分かった! 子どもにこんなこと言わせて負けてられるか! お前ら腹をくくれ!」
「えー! すぐに首を突っ込みたがるのやめてよね! しょうがないなあ! 弓で援護するからウォリもファイもやられないでよ!」
「頼むアーチ。倒すなんてことは考えないさ。救助したらすぐ逃げる」
よかった。冒険者パーティー<旅鴉>の3人がわたしの話にのってくれた。
だけどやって欲しくないこともある。
「アーチさん。弓矢で黒狼を攻撃しないで」
「なんで!?」
「攻撃したらきっとアーチさんを恨んで仕返しにくるよ?」
それは多分ほんとのこと。子どもを取り返した後、あの母黒狼はそれこそ追いかけてまでやり返してくるかもしれない。子どもを返せばおとなしく帰ってくれるとは思えない。
それになにより黒狼を傷つけて欲しくなかった。
「それじゃ牽制しかできないじゃない! もう! わたしの腕前見てなさいよ!」
幼いわたしの言葉を信じたアーチさんが背中に背負った弓に手を伸ばす。獣のつのや金属を組み合わせたコンポジットボウに矢をつがえて弦を引き絞る。
荷馬車を攻撃しようと踏み込もうとする母黒狼の真ん中の足下に放たれた矢が突き刺さった。
実はこれは2射目。
1射目に放たれていた山なりの速射が、ギラつく眼球をかすめて地面に突き刺さる。
とっても絶妙な場所と瞬間。
警戒して黒狼が飛び退いてくれたおかげで距離ができた。
その隙をついて20騎の警備兵が母黒狼を取り囲む。
「いまだ!」
「行くぞ!」
うん。いまがチャンスだね。
持っている大きな革の手提げ鞄をマルーに押しつけた。剣を構えるウォリさんとファイさんよりも先に駆け出したいわたし。
「アーヤ!? 行ったらダメだって! 絶対に行かせないぞ!」
「むう。マルー。手を離して?」
「ダメ! ダメったらダメ! 小さな女の子を危ない目になんか遭わせられないよ!」
マルーが本気で心配してくれてる。わたしの体にしがみついて離してくれない。
「マルー。アーヤだって女の……子。男の人にそんなにされると恥ずかしい」
ほっぺたを膨らまして背の高いマルーを見上げた。
「へ? うわあ! ごめん! そんなつもりは! 俺はでもあれだから! 大丈夫だから!」
なにがだいじょぶなの?
慌てて手を離すマルー。いまがチャンスだね。
「まあ……ほんとはそんなに恥ずかしくはないけど……ね?」
「アーヤ!? 騙したな!? ダメだったらー!」
制止するマルーを無視して走る。先に走っていた二人を追い越した。
「あ! こら待て! 先に行くな!」
「追いかけるぞ!」
わたしの後を追いかける二人の足音が少しずつ離れていく。
獣装変化 狼の影。
誰にも見られていないことを確認しながら10体分に小さくした狼の影を放った。きっとなにかの役に立つかもしれない。
ううん。ちゃんと目的はある。
母黒狼に人族を殺させたくなかった。母子を引き裂くようなことをする人族を助けたいってわけじゃない。
でも死なせたくもない。人族にも家族がいるから。孤児院のような家族とは違うきっとあったかい家族が。
「攻撃開始!」
警備兵の一人が指示を出したそのとき。
唸り声を上げた母黒狼が大地を蹴って跳び上がった。人馬の包囲網を軽々飛び越して逃げる荷馬車に一撃を加えた。
荷馬車に残された後輪が鉤爪で砕かれる。巨体から繰り出された一撃が荷馬車の車体を弾き飛ばす。荷台の後部がひっくり返って毛長馬が引きずられながら転がっていく。
吹き飛ぶ御者の影に3体の狼の影を咬みつかせて勢いを殺す。それでも体が地面に叩き落とされてうめいている。小さい狼の影だと力が弱い。
残りの7体は母黒狼と警備兵の周囲に潜ませてる。意識を集中しないとうまく操れない。
荷台と大きな檻を縛りつけていた縄が千切れて宙に放り出された。狼の影3体を疾らせる。間に合ったけど重くて重くて咬んだままなにもできなかった。
地面に激突すると「ぎゃうん!」と子黒狼が悲鳴を上げる。
ひしゃげた金属製の檻が大きな音を立てて転がっていく。
「がるる!?」
だいじょぶ!?
小さく唸ってた。
狼語がうっかり出てた。後ろを走るウォリさんとファイさんには聞かれてはいないと思う。
うめく御者の男と檻の中にいる子黒狼の距離が離れた。その分、わたしとの距離が縮まってる。
すかさず追いかけようとした母黒狼の巨体に何本もの鉤縄が投げつけられていく。
ただの鉤縄じゃなさそうだった。魔力が込められた魔道具?
鉤縄同士が絡まって母黒狼の動きが鈍っていってる。
「くうん」
お母さん。痛くて動けないよ。怖いよ。ボクはどうなっちゃうの? 助けて。
檻の中から聞こえるか細い声に母黒狼が雄叫びを上げて拘束する鉤縄を解こうと巨体を揺らしてる。
「いま……すぐ助けるから!」
迷うことはない。子黒狼が閉じ込められている檻へと走った。




