37歩 甘酸っぱい果汁
「アーヤー。元気ないよー? 早く行こうよー」
うつむいてトボトボと歩くわたしの手をグイグイと引っ張るチェーン。
オレンジ色の長髪が揺れてる。チャームポイントのそばかすが笑顔になって早朝の陽射しに明るく輝いてる。
「う……ん。アーヤ……やっぱり帰る」
チェーンの手をとってつかまれる手を離した。それでもわたしの後ろに回って、前へ進めとばかりに背中を押してくる。
「えー。そんなのもったいないよー。月に一度の楽しいお出かけなんだよー。がんばって起きて朝ごはんも食べたんだよー。アーヤと一緒にお買い物をしたり甘いの食べたり遊びたいよー」
こういうときのチェーンはとっても行動力がすごい。
夜中に服飾関係の勉強をがんばって、朝から晩まで寝て、夜ごはんしか食べないという毎日を繰り返している。
ある意味すごい決断力。
今日は月に一度の市井研修。
普段の子どもたちはヴァイゼ孤児院の中で働いていたり、仕事場に通ってるだけ。それだとどうしても普通の人たちの日常を知ることはできない。
だから買い物をしたり外食をしたりする。社会の一員になるために月に一回程度、交代で不定期に外出することになってる。
だから孤児院の制服ではなくて、わたしもチェーンも半袖のチュニックにスカート。ありふれたごく普通の女の子の格好をしている。
「でも……」
「でもじゃないの! 今日は一緒に遊ぶのー!」
今度はわたしの前に回り込んできたチェーンにほっぺたを両手でむぎゅっとされた。
「むにゅう」
ほっぺたをむにむにされる。虎目石のように輝く瞳がわたしの瞳を覗いてる。まるでわたしの黒くなった心の中を視るように。
「なんかやなことあったー?」
嫌なこと。ボルドの死。
無言でこくりと頷いた。正直に。友達だから。
「そっかー。それじゃあなおさらー。今日一日楽しもうねー! うちんと一緒に!」
うちん。チェーンは自分のことをうちんと呼ぶ。ほんとにピスィカみたい。見た目は全然違うけど、感じが猫みたいでピスィカを思い出す。
「わ!」
ぎゅぎゅっと抱きしめられた。
背の高いチェーンに覆い被されられて重たい。ほっぺたにほっぺたがくっつけられてあったかい。チェーンの重みがなんだかわたしの心を軽くしてくれるみたいだった。
「いい匂いー」
クンクンと首筋を嗅いでくる。わたしの金色の髪に顔をうずめて鼻を押しつけてくる。押し返そうとすると余計に嗅いでくる。ほんとにピスィカとおんなじ。
「ダメ……く、臭い……よ」
血の匂いがするんじゃないかと思った。
だけど、雨にも降られたし炎魔法で焦げた跡もあったし、いい香りのする石鹸で全身くまなく綺麗に洗っていたからそんなはずはない。
そんなはずはないんだよ。
「一緒に行ってくれるなら解放するー」
これでもかっていうくらいにもふられる。
「分かった……よう。行く。行……くから」
チェーンの言うことを聞かないと一生もふもふされそうだったから帰ることを断念した。わたしの両肩に手を置いてさらに話を続けるチェーン。
「にへへ。やたっ! そういえばさー。ボルドが急に仕事先が見つかったんだって? お見送りできたー?」
裏ギルドの仕事とか、なんにも事情を知らないチェーンの瞳から目が離せなかった。
「うん……」
涙があふれそう。我慢しないといけないのに。我慢ができないよ。
チェーンの瞳から目が離せないままに泣いていた。
「あー! アーヤが泣いてるー! もー! ボルドのやつ、あんなにアーヤのこと好き好きだったの置いてくなんてひどいー!」
違うの。ボルドはわたしが死なせてしまったの。ボルドはずっとわたしのことを守ってくれていたの。
ボルドの言葉を思い出す。
『やっぱりダメだよ。アーヤを人殺しにはさせたくないって思ったんだよ』
『俺の大好きなアーヤ。表の世界に戻るんだ。さよならだね』
ボルドはずっとわたしのことを大事に思ってくれていた。
ボルドの想いに応えてあげればよかった。わたしが精神年齢の低い幼い子どもでも。
「ひ、ひどいのは……ア、アーヤなの。ご……めんなさい。ボルド……ご、ごめんね」
「アーヤはひどくないよー。そんなに泣いたらうちんも悲しいー。涙が出ちゃうよー」
二人でわんわん大泣きをしていた。
道ゆく人たちやお店の人にジロジロ見られるのもかまわずに。
「ほらほらあ。二人とも道のど真ん中で大騒ぎしてると迷惑だよお。ちょっと落ち着こうかあ?」
ヴァイゼ孤児院でおままごとの演技指導をするファイン先生に二人まとめて背中を押された。通り道の真ん中から端っこへと運ばれた。
いつもと同じタンクトップにホットパンツ。両肩と太ももが丸出しでおへそがチラッと見えて健康的。豊かすぎる胸が元気に揺れてる。ブロンドのボブカットをゆさゆさ揺らしながら、垂れ目に輝く黄色金剛石のような瞳が元気に輝いてる。
市井研修は子どもたちだけでは行わない。必ず付き添いの先生がくることになってる。
今日はファイン先生だった。
そういえばルレイル先生は特別レッスンだけなんだよね。あんな頭がパアな人が孤児院にきたらおかしくなりそうだからこないのかな?
「最初は朝の市場であれこれする予定だったけどお? まずは甘いものでも食べようかあ! そんで可愛い服でも見に行こうよお!」
ファイン先生が胸をぽよぽよ揺らしながら両手を掲げてる。
遊ぶのがとっても大好きなギャルみたいに元気いっぱいな笑顔でわたしたちを見てる。この先生はほんとに明るくて元気だ。
だけど心が暗く沈んだわたしにはそれが逆に重たく感じる。
だけど……。
「ほんとー! アーヤー! いっぱい服を着ようよ! 楽しくなってきたよー!」
ファイン先生に合わせて両手をあげるチェーンがうれしそう。
この二人はなんだか話し方が似ている。二人とも太陽みたいに笑ってる。
演技が得意なファイン先生だからチェーンに合わせているのかもだけど、こんなに笑顔の二人をいつまでも困らせたらダメだよね? 泣きっぱなしじゃボルドにも怒られちゃうよね?
「えへへ。アーヤも楽し……み」
精いっぱいに笑顔を作った。ちょっと無理目だったかもしれないけど。
ファイン先生が繁華街へと案内してくれる。
城塞都市フォルテで一番に流行っているというカフェに入った。運よく並ばずに。
店内は甘味を求めてやってきた女子であふれてる。ちらほらとデートをしていそうな男女もいて二人の世界を作ってた。
おしゃれな黒板には魅力的なスイーツのタイトルがいっぱい書かれてる。可愛いイラスト付きで。
だけどそんなのを見ても心が沈んだままのわたし。そんな簡単には気持ちが切り替わらないよ。
そんなわたしを見て二人がキャイキャイと話しかけてくる。
「やっぱりー。フォルテ特産のストロングブルーベリーがいっぱいの甘々生クレープがほっぺにとろけるからおすすめー」
「いやいやあ。季節限定のシャイニングマスカアップルのジューシーパイがぽたぽたサクサクで胸熱だよお」
ファイン先生の肉厚なお胸がぷるぷるしてる。ルプスお母さまを思い出す。
夜しか起きてないのにこういう情報には敏感なチェーンと、立派な果実よりも甘そうに胸をぽよぽよさせるファイン先生がとても明るくて。暗く重苦しい思いでいるわたしには眩しすぎて。
「アーヤはなににするー?」
「やっぱり限定だよねえ?」
二人の圧が強い。選べという視線が断れるわけもなくて。
「じゃあ……これ」
「おおー。酸味と甘味が野生味豊かなワイルドレッドベリーのとろとろクリームタルトだねー!」
「真っ赤に鮮やかな色合いが美味しそお!」
真っ赤。ツンツンとしてボルドの赤髪を思い出して選んでいた。
運ばれてきたスイーツにフォークを突き刺して口に入れる二人。
「あーんしてあげるー」
なかなか手をつけないわたしの口にフォークが突っ込まれる。
甘い。甘いよ。新鮮で甘酸っぱい果汁が口の中でジュワッとしてる。
ふと向かいの席に座る男女が見えた。とても仲良し。
もしもボルドとデートしてたらこんな風に一緒に楽しんでたのかな?
そしたら胸がドキドキして真っ赤に熱くなることがあるのかな?
だけど……もうそんなことはできない。
ボルドは死んでしまったから。
「ああ!? アーヤがまた泣いてるー」
あふれた涙がこぼれていた。甘かったはずの口の中にしょっぱい味が伝わってくる。
「ほらほらあ。そんなに泣かないでえ(しょうがないよねえ。昨晩からほんの少ししか経ってないし。少しでも元気になるといいんだけどなあ)」
ファイン先生がハンカチでほほをぬぐってくれる。
そんなことを言われても涙が止まるわけもなくて。
「うちんのをあげるからー。甘々いっぱいで元気になってー」
「それならあたしのもあげるよお。はい。あーん」
次から次に口の中に運ばれる。飲み込む前に詰め込まれてほっぺたがパンパンになった。
「わふー」
口の中が甘いのでいっぱいだよー。
ここまでされるとさすがに泣いてるヒマもない。ちょっと無理矢理かもしれないけどわたしを慰めようとしてくれる二人の思いがうれしい。悲しみがほんの少しだけあたたかみを帯びる。
ふと近くの席に座る女の人たちの会話が聞こえた。女の人たちはなんだかたくましい感じ?
「ビリビリスって可愛いよね」
「あ。最近話題のリスでしょ?」
「このあたりの森にはいなかったっていうのに最近増えてるらしいよ?」
「ギザギザの耳としっぽに触ってみたいよねー」
懐かしい。
雷を操る危険な獣だけど確かに可愛い。この都でお肉が売られているのを見たことがない。
5年もいるのに聞いたことはなかった。
最近の話題って言ってるし、ビリビリスは近くの森でも巣を作るようになったのかな?
「リスのほっぺみたいー。アーヤ可愛いー」
聞こえていたのかいないのか、チェーンにほっぺをぷにぷにされた。あんまり強く押すと出ちゃうよ。
「うんうん。アーヤはどんなことをしてても可愛いからねえ。ほんとに聖王都の劇団に推したいくらいだよお」
劇団に入る。そんなことを言われて喜んだこともあった。でもいまはそんな未来のわたしを想像することなんてできない。
わたしの中にある憎しみは前よりも大きくなってるから。
自分の誓いを果たさないといけないという思いが前よりもずっと強くなっていた。
「さあ。席に座ってくれ。この都一番の甘味処だ。セイアの口に合うといいんだが」
え? セイア?
聞き覚えのある名前に振り向いた。
「ありがとうございます。聖王都を出てからずっと甘いものは口にしていなかったのでとても楽しみです」
隣の席。男性のエスコートで小柄な少女が椅子に座ってる。
絹のような漆黒の髪。強い意志を感じる黒尖晶石のように輝く瞳。神々しさを感じるローブではなくて割と普通の服を着ていた。気品を感じる少し高そうな服。
そして同席している男性を見て目をこすった。
青い髭のおじさん。ティオ・パトルウス。つまり裏ギルドの支部長、青のラズワルドだった。




