33歩 毒
悪夢だ。
白い煙が上がり続けている森の中を必死で走ってる。
走り続けた。
渦を巻いて燃え盛る火の手。
追いかけても追いかけても追いつかない。
燃える炎に巻かれるみんながいる。
血のように赤い炎
どす黒く焼け落ちる樹々と妖精の家。
そんなところにいたら燃えちゃう。
早く逃げて。
早く逃げないと死んじゃう。
お願いだから。
お願いだから。
お願い!
「はあ!」
息を大きく吸い込んだ。胸が痛いくらいにドキドキしてる。
ヴァイゼ孤児院で生活しているうちに少しずつ悪夢を見ることが減っていたのに。久しぶりにあの日の夢を見た。
頬に伝う涙をぬぐった。天井が見える。体を起こすとふんわりと揺れた。ふかふかの白いベッドで寝ていた。
「ここは……ウィン! ウィンは!?」
見回しても耳長ウィンの姿はない。広い部屋にベッドがひとつ。テーブルに椅子。棚に花瓶とかの調度品。どれもきらびやかな装飾が施されてる。
壁と天井に魔道具のランプが設置されて部屋を明るく照らしてる。
誰もいない。
ベッドから降りて気づいた。裸足だ。それに衣装が変わってる。盗んだ設定の平民服じゃなくてひらひらとした白いドレスを着ていた。ところどころに光る宝石がついてる。
壁にかかっている姿見に、顔にしっかり化粧をされたわたしの全身が見える。
魔道具の狼耳がしっかりついてるし、狼のしっぽもドレスの穴から飛び出して揺れている。
大事にしている首飾りと髪飾りは今回もつけてきていない。
「え? これ……」
首元に手を当てた。
太くて重たい革と金属でできた首輪を付けられている。奴隷契約の魔法がかけられている証に魔法文字が青く光っている。
「な……んで? 自由なき解放」
裏オークションのときと同じ解錠の合言葉を唱えたけどなにも反応しない。青い光が消えない。前と違うんだ。
狼耳としっぽがわたしの感情に反応して揺れている。
「どう……いうこと? 騎士に連れられて行ったは……ずなのに」
ぐう。
お腹の音が大きい。
お腹すいた。どれくらい寝ていたんだろう?
豪華なテーブルに水差しと甘そうなお菓子があった。
怪しい食べ物は食べない!
狼は落ちてるものを簡単に食べないんだから!
セーリオにも拾い食いしたらダメって言われたし。
だけどよだれが口の中でじゃぶじゃぶしてる。垂れそう。
食べたらダメだよね?
うん。絶対食べない。
そう思ったのに勝手に手がお菓子に伸びた。
いつもなら必ず匂いを嗅いで確認するのに、置いてあったデザートフォークに刺して口に運んでかじってしまう。
やわらかくて甘ったるい味が舌にべっとりと感じる。食感が重くて濃厚なスポンジをむぐむぐと味わってしまった。
「……おいしい」
口の中の水分がいくらか持っていかれたからグラスに水を注いで飲んでいた。飲むつもりはなかった。
残りのお菓子も全部食べていた。
「寝て……いる間に食べろって命令さ……れていたのかな? 毒なんて入ってないよ……ね?」
空っぽになった高そうなお皿に視線を落とす。お腹がいっぱいになって幸せな気持ちでいた。
「ここはどこ……かな?」
改めて部屋を見回す。豪華な調度品を見る感じ騎士団の宿舎とかじゃないと思う。話に聞いたことのある貴族や商人の屋敷のような。ということは……。
「奴隷……商の隠れ拠点だ……よね?」
隷属の首輪がなによりの証。
ご丁寧に解錠の合言葉まで変わってる。裏オークションではわたしたちに同情した手下が合言葉を教えてくれたという設定になってるからそれも当然。
固い首輪の感触がわたしの心に重しをのせる。
二度と外せないかもと思うと怖くなる。
でも。騎士団でなくて奴隷商の拠点だったことにホッとする。計画通りに潜入できた。
「は……あ」
あれ? なんだか体が熱い。
胸がドキドキする。なにこれ? 体が……変?
「く……るしい」
声が変。自分の体の変化に戸惑う。テーブルに手をついて胸を押さえた。動悸が激しい。心にもやがかかったようにとろんとする。視界がぼやける。
体の芯から感じる熱。熱い吐息が漏れた。
わたし、どうしたの?
不安な気持ちが強くなりつつ。体に感じる熱さが自然と穏やかになっていく。
「わふ? 治った?」
もうドキドキしないし熱くない。
んー。怪我が治ったときみたいにスッキリしてる。
なんだったんだろう? やっぱり毒が入ってたのかな?
毒なんて飲んだことがないから分からない。
毒への耐性をつけるために日常的に毒を飲む訓練をするなんていう話を聞いたことがあるけど、わたしもボルドもやらされなかった。
ほんとに死んじゃうことがあるからと。
うちの裏ギルドはファミリーを使い捨てにするようなことは絶対にしない。
「ウィンを探さないと」
わたしと一緒に連れてこられた耳長ウィンがどこかにいるはず。
部屋の扉に耳を当てた。
狼の耳。耳に全神経を注ぎ込む。
誰もいない。残された壁にも意識を集中する。
隣の部屋からかすかに声が聞こえる。耳長ウィンの苦しそうな声。ベッドの軋む音。たぶんひとり。ううん。絶対にひとり。
扉の外はきっと廊下だよね。誰もいないし。鍵がかかってないといいけど。
扉を少しだけ押そうとして体が硬直した。足が勝手に動いて後ろに進んだ。
もう一度。結果は同じ。
「隷……属の首輪のせいだよね? 外さないと動け……ない」
きっとこの部屋から出るな。とか言われてるのかな?
解錠の合言葉が変わってる。だけど。計画に支障はない。裏ギルドのメンバーは優秀だ。こういうときのための対処をしっかり考えてくれている。
『なにも考えるな! お前はなにも知らない! 教えられた通りに手を動かすだけでいい!』
ルレイル先生に言われたことを思い出した。
頭の中を空っぽにする。両手を後ろ手に魔道具の狼のしっぽをつかむ。
根元の下側を探る。指が入った。指に感じる三つの感触。しっぽの中に仕込まれた小さな筒状のものをひとつ取り出して手のひらにのせた。それだけのこと。
筒状のものが勝手に広がっていく。魔法文字が書かれていた。
特別レッスンでしっかり習ったから読める。
なにも考えずにただただ口を動かした。
「心を縛る重りよ 忌まわしき欲望から解き放て」
旋律と言の葉に呼応して込められた魔力が発動した。
首輪に施された魔法文字から青い光が消える。
魔法の巻物だ。
一度だけ使える携帯魔法。合言葉が分からなくても呪文で解錠できる優れもの。
正しい音程と旋律で唱えないと発動しないもの。だけどみんなとの合唱でわたしの発声はだいぶよくなってる。しゃべるとまだたどたどしいけど。
ルレイル先生に言われた通りなにも考えなかった。これのことを分かった上で使おうとしたら隷属の魔法が発動して唱えることや、もしかしたら取り出すことすらできなかったんだと思う。
解錠された首輪を外してベッドの中に隠した。
「よかった……。錬金術師さんに魔法使いさんに毛皮職人さんたち。ありがとう」
わたしが寝ていると見えるようにベッドに小細工をする。あんまり意味ないかもしれないけど一応念のため。
そしてデザートフォークを小さな胸にしまった。
改めて扉に手をかけると開いた。簡単に。
隙間に視線を巡らせる。魔道具のランプが設置されて明るい。
うん。誰もいない。反対側も誰もいない廊下が左右に続いてる。ウィンの声が聞こえた方を見ると扉がある。
念のため隠密スキルを使おう。気配を消して足音も衣擦れの音も立てない歩き方をする。扉をしっかり閉めて素早く移動。鍵のかかっていない扉を開けて中を確認。
ベッドに横になってうめいてる耳長ウィンの姿があった。
「ウィン!」
扉を閉めてからすぐに駆け寄った。ベッドに飛び乗って耳長ウィンの顔を覗き込む。
顔が赤くて汗をかいてる。
目を閉じたまま、わたしに気づかないで苦しそうに悶えてる。
さっきのわたしよりも辛そう。テーブルの上を見ると水差しと空のお皿が置いてある。お菓子を食べたんだ。
やっぱり毒だ。
「ウィン。ウィン。大丈夫!?」
肩を揺さぶったら目を開けた。
「……アーヤ」
「違……う。いまはルプスだよ」
寝ているままの耳長ウィンに抱きつかれた。体が熱くてとても苦しそうに身をよじっている。
どうしよう? なんの毒なんだろう?
このまま放っておいたら死んでしまう?
解毒をするにはどうしたらいい?
ここはどこなんだろう。早く連れ出して裏ギルドの支部に連れ帰りたい。
耳長ウィンの首にも奴隷契約の首輪がつけられている。
きっとここは奴隷商に関係している場所なのは間違いなさそうだけど、検問所に騎士が現れたせいで判断がつきにくい。
わたしたちを少しでも安心させて連れ去るために騎士に変装した? 検問所にいる内通者以外の門兵や衛兵を信用させるためってことかな?
だとしたら騎士団をうまくあざむいたとほくそ笑んでいることだろうと思う。
「ルプス……苦しいよ……」
熱い吐息を吐きながら漏れるようにつぶやく声。
やっぱり耳長ウィンを巻き込むんじゃなかった。どんなに耳長ウィンが声を上げても一緒にこさせるんじゃなかった。後悔してももう遅い。
また失いたくない。
お願いだから死なないで。
「ご……めん。ごめん……ね」
涙があふれる。ぽろぽろとこぼれた涙がウィンのほほを伝ってベッドに落ちてゆく。
耳長ウィンに強く抱きしめられてベッドに寝転がってしまった。どうにもできない思いで耳長ウィンを抱きしめ返す。
少しの間、抱きしめ合っていた。
「ウィン。ごめ……んね。せ……めて隷属の魔法だけでも解錠しておくね。だけど首輪は外したらダメだよ」
魔道具のしっぽからもう一つの魔法の巻物を取り出してわたしのときと同じようにすると首輪の魔法文字から青い光が消えた。
「す……ぐに戻ってくるから。それまで待ってて」
抱きすがる耳長ウィンの手を離してベッドから降りる。耳長ウィンの心はここにないように感じた。
耳長ウィンをここに置いていくのは心が苦しいけど危ない目に遭わすのはもっと辛い。自分で行動できない以上は危険すぎて連れて行けない。
背を向けて扉に向かう。耳を当てて誰もいないことを確認した。
扉を閉めるときに耳長ウィンのことを少し眺めてから部屋を後にした。
なんで見張りが一人もいないのかな?
隷属の首輪で部屋から出られないようにしているから必要ないと思ってる?
なんにしてもボルドをすぐに見つけて戻ってこないと。
ほんとは標的を確実に暗殺をするために部屋で待っていないといけないんだと思う。
だけど怖い夢を見たせいか、いてもたってもいられなかった。
床に耳をつけて意識を集中する。下の階がある。一つ、二つ、三つ。ここは4階?
そして聞こえてくる大勢の足音と怒鳴る声。剣と剣が激しくぶつかり合ってる。争ってる音がする。
かすかに聞こえる内容から騎士団の襲撃だと思われる。
なんで!?
また予期しないことが起きてるの!?
ボルド。無事でいてほしい。
床から耳を離して走った。
廊下の曲がり角に黒づくめの男が現れる。
「お前! どうして部屋から出てる!?」
小剣を抜き放つ黒づくめ。
知るかそんなこと。
わたしは急いでる。
床を蹴って壁を疾った。




