11歩 青い髭のおじさん
「わふ?」
え?
わたしをきつく縛る鉤爪がゆるんで拘束から解放された。はずみで視線が上を向く。
大きな6枚の翼のうち2枚それぞれの真ん中くらいに透き通る結晶のようなものが付着していた。
パキパキと音を立てながら結晶が放射状に広がっていく。わたしの頬に感じるくらいの冷気を放ちながら。瞬く間に冷たい結晶が2枚の羽を覆い尽くした。
氷だ。大森林ではあまり見ることのないもの。
氷の結晶はかなり重いらしくて体勢を崩してる。鳥?がけたたましく鳴き声をあげて落ちないように残りの翼をはためかせている。
激しく舞う風に吹かれて体が飛ばされた。わたしが大地に落ちてゆく。
狼も飛べたらいいのに。
そんなことを思いながら気を失った。
「見つけた。なんだあ? 黒焦げの毛皮? ずいぶん原始的だな? まったく。手間をかけさせてくれたもんだ」
誰? 軽い声。顎に毛がたくさん生えてる。意識がはっきりしないわたしが縦抱きにかかえられた。長くて細い筒のようなものを肩に背負っている。なんだかひんやりする。
「驚いたぞ。あんなに高いところから落ちたのに怪我の一つもないとは。軽い体が茂みに落ちて運が良かったな」
運? 運なんていいわけがない。わたしはすべてを失った。いいわけなんてない。
なにかの上にうつ伏せでくの字に寝かされた。もふもふした長い毛が柔らかい。ぶるるといななく声がする。上下に揺れる振動が気持ち悪い。揺れで体がずれるけどそれ以上は動かない。紐かなにかで引きつられてる感じがする。意識が遠のく。
「くうん」
のど乾いた。
カラカラになったのどの感触で目が覚めた。わたしは……。
「がう!」
体を起こそうとしたけど動けない。キョロキョロと見回すと体が縄で固定されていた。
「おう。やっと起きたか。もう何日もボーの背中で寝たまんま起きないから心配したぞ。しょんべんもうんこも漏らさないのは偉かったけどな。ちびられたら臭くてたまらんし! あっはっは!」
は? 誰? ちびったりなんてしないもん。
いきなり下品なこと言われた。
橙色の瞳がいたずらっぽく笑ってる。
「がう! がうう! がるぅ!」
解け! おろせ! アーヤをどうするつもりだ!
ジタバタと手足を動かしても括られた体が動かない。
「なんだあ? がうがう言って犬みたいだな? お前、名前は?」
おじさんが眉をしかめて青いひげをさすってる。
フードをかぶってボサボサの青い髭が多いから分かりづらいけど、呆れた感じで声をあげてる。全身すっぽり隠れるようなだぼだぼの布を身につけてる。人族?
「がふぅ!」
犬じゃない! 見たことないけど知ってる! あんなにヘコヘコしたりなんてしない!
「がふがふ! わふん!」
アーヤは誇り高い狼だ! それにもう名前は言った!
力いっぱい抗議した。
そういえば人族をこんなに間近で見るのは初めてだ。たくさんの青い髭のせいで歳はよく分からないけどおじさんに違いない。
「おいおい。ふざけてないでちゃんと答えてくれよ」
おじさんがフードの上から頭をぼりぼりかいてる。
「わふ!」
ふざけてなんかない! アーヤはいつも一生懸命だもん!
「……もしかしてお前。言葉が話せないのか? 俺の言ってること分かるか?」
そっか。狼語でいくら話しても人族には通じないのか。
「わふ。分……かる。こ……とば。おま……え。悪いや……つか」
「なんだずいぶんと片言な上にひどい訛りだな。こりゃほんとに未開の部落かなんかの子どもか? この辺りで未開って言えばフォレバストだが……。凶暴な魔獣が巣食う魔境に人が住んでるなんて聞いたこともないぞ? まいったな」
自分ではしっかり話したつもりだった。たどたどしいかもしれないけどトゥリック達と会話できるくらいだから片言じゃないはずだと思った。
けど。このおじさんの発する言語が耳で聞いただけでは理解できない単語があるようにも感じた。でも意味は頭に伝わってくる。
そうだ。妖精の加護。トゥリックの鱗粉をたくさん浴びて精神感応がどうとか言ってなかったっけ? よく覚えてない。
「こ……たえろ!」
身動きのとれない体勢で顔と視線だけ向けて睨みつける。
「ああ。悪いやつかって? まあ、どうだかな。少なくともちびっ子に悪いこたしないよ」
意味ありげな含み笑いをしたかと思ったら朗らかに笑ってる。
「うううう」
人族なんて信じられない。胡散臭い。
人の形をしたやつはルプスお母さまを殺した。ピスィカを攫った。妖精郷を燃やした。こいつも仲間かもしれない。
「うがあ!」
いいからおろせ!
動かない体をなんとかしたくて力いっぱい手足をバタバタする。それはもう全身の筋肉がちぎれるんじゃないかと思うほど。
「こらこら。あんまり暴れるとボーがびっくりするからやめてくれ」
握っていた手綱を離して手のひらをぱたぱたしてる。わたしに落ち着けと言うように。
「ボーってな……んだ!」
「お前が乗ってる毛長馬だよ」
毛? 馬? 柔らかい赤色のもふもふの持ち主。牛みたいに体格のいい馬だった。わたしは背中の前側に括りつけられてるんだ。
人族に対してはともかくこの子に迷惑をかけるのは気が引けたからおとなしくした。
おじさんは鞍に座って手綱を持ち直してる。毛長馬の両脇にはたくさんの荷物がぶら下がっていた。
長くて細い筒のようなものも括り付けられている。手の届く位置に。
「こ……れ。なに?」
なんだか気になったからちょこんと触って聞いてみた。
「ああ。これか? 試作品の魔導砲。こいつでロクツバサに捕まってたお前を助けたんだよ。氷魔法が込められた砲弾でな。こいつがなかったら助けられなかったとこだ。あっはっは」
ロクツバサ? あの鳥?ってそんな名前なんだ。
……助けてくれた? おじさんが?
「ロクツバサっていやあ。獰猛な肉食獣鳥だが雛のためにちょうどいい獲物を狩るって話だ。お前いろいろ運が良かったなあ。あっはっは」
なんだか悪い人じゃない気がする。大声あげて笑うし。明るい笑顔が落ち着くし。だけどまだ分からない。
「そんでお前の名前は? ああ。俺の名を言ってなかった。自己紹介をするなら自分からするもんだな。俺はティオ・パトルウスってんだ。ほら、名前を教えろよ」
「がるん」
言わない。
プイッとそっぽを向いた。
「ああん? ガルン? そうじゃないだろ? 黙ってるつもりか? ……お前さ。腹減ってるだろ? 名前を言えば食い物やるぞ?」
ぐう。
顔が熱い。食べ物をもらえると聞いてすぐにお腹が鳴ってしまった。
あんまり悪いやつじゃなさそうと思ってしまったのもあると思うけど……あんなに辛い思いをしてもお腹は減るんだな。
涙がぽろぽろ落ちてきた。
悪いやつじゃなさそうでも胡散臭いのは変わらない。気を許したり弱いような素振りを見せちゃダメだ。早く涙を止めないと。
だけど。
止まらない。
辛いと思ってしまった心が止まらなくて涙が次から次にあふれて、声をあげて大泣きしてた。
「おいおい! 名前を聞いたくらいでそんなに泣くなよ! 分かった! 食い物やるから! とっておきの干し果実をやるから!」
干し……かし? おじさんが体を捻って毛長馬に括り付けられた荷物の中をゴソゴソと漁ると、潰れて干からびた赤いものをわたしの口元に差し出した。
これが食べ物? おいしそうに見えない。鼻先を近づけてふんふんと嗅いでみた。
ん? ほんのり甘い匂いがする。だけど変な匂いもする。
もう一度ふんふん。もう一回ふんふん。もう一度……。
「いいから食えって。毒なんて入ってねえよ。ほら」
手に持ったものをぱくんと自分の口に入れた。おいしそうな顔してる。
そんなに簡単に食べたりするもんか。
初めて見る食べ物だから問題ないかちゃんと確認するものだっていうのは当たり前のこと。
「ほらな。大丈夫だろ」
そう言ってもう一つを取り出して同じように口元に差し出してきた。
……ふんふん。ふんふん。ふんふん。
「しつこいな! 食えったら!」
口の中にねじ込まれた! なにするの!
「痛ってえ! 噛みやがった! 歯形がつくほど力いっぱい噛むな!」
おじさんが手を押さえて悶絶してる。上を向いたり下を向いたり手をぶんぶん振ったり忙しい。
無理やりそんなことするからじゃない!
「がう?」
あれ? ベロが甘い。よだれが出てくる。口の中に入ったものをひと噛みしてみた。首を捻りながら。
おいしい! 噛めば噛むほど口の中が優しい甘さでいっぱいになる!
よく味わって食べよう!
「うげ!? ほとんど丸呑みしやがった! 旅先で甘いものは貴重なんだぞ!? お前、もっと味わって食えよな!?」
「わふ?」
よく噛んだよ? はぐはぐごくんて。
「わふじゃない。よく分かってないって顔して。まあしょうがない。未開のガキなら甘味なんて知らんよな。さて、そろそろ目的の中継地だ」
しばらく進んで毛長馬の足が止まった。おじさんが鞍から降りて荷物からいろいろ取り出してる。
太陽がだいぶ傾いて空が赤味を帯びていた。もうすぐ夜だ。辺りを見回すと広い大地が広がってる。
きた方角を見ても大森林も天宙世界樹も見えない。あんなに大きな樹なのになんで見えないんだろう?
そもそも方角があってるかも分からない。
ロクツバサとかいう鳥?に運ばれて、毛長馬に運ばれて、どれだけ寝てたか知らないけどそんなに遠くまできてしまったのか。
もう戻れないのかと思うと怖くなる。
戻れないことだけじゃない。復讐を果たす機会を失ってしまうことが。
太陽が沈んで暗くなってきた。おじさんがこの場に残された焚き火の跡を利用して火を起こし始めた。
よく見たらこの場所は窪んでいて少し低くなってるし突き出た岩で隠れてる。これなら危険な生き物から発見されにくいと思う。
「気になるか? ここは俺の隠れ拠点なんだ。うれしいことに水場もあってな。おい。縄を解くぞ。落ちないようにボーにしっかりつかまってな。噛むなよ?」
結び目が解かれた。体の拘束が弱まるのを感じると毛長馬の背中を蹴って、くるくると回転しながら遠くに飛び下がる。四つん這いで姿勢を低くして唸った。
そんなわたしを見ておじさんが驚いてる。
「ぐるるるる」
「ほんとに犬かよ。お前、6、7歳くらいか? チビのくせにとんでもない動きしやがって。こいつは……」




