第十話 最初の弟子 ④
「あ……」
身体が動けなくなった。彼女が転送したペンの先が私のこめかみに触れているのだ。彼女が作った転送門の先が、私のこめかみの空間と接続されている。彼女がその気になればそのままペンでこめかみを刺すことができるのだろう。
そこで彼女が今まで私の方を見ていなかったことに気がつく。受け答えもすべてアランだとわかってからアランに対して行っていて、私の名前すら聞こうとしていなかった。
「わ、私はエミーリアで」
「で?」
ペン先が少し近づいた気がした。
彼女の声にも強い語気が込められている。怒りだろうか。
私が声を詰まらせていると、代わりにアランが答えた。
「アンナリーゼ、彼女は私の妻だ」
「妻?」
彼女が眉をしかめる。
「ああ、エミーリアは魔術師で、マリアと別れた後に出会った」
「アラン様が行った実験の被験者ですか?」
言い方次第だが、外から見ればそういうことになるのだろう。
「そう、です」
私が返す。
「なるほど、『いつか来たるべき魂』ですね」
それで彼女は理解をしたようだ。ただペン先を引っ込めることはせず、相変わらず私のこめかみに触れている。
「それは……、えっと、ルネって言っていた」
「ああ、ルネ、懐かしいですね。彼は参画者の中でも優秀ではありましたが、少し傲慢ではありましたね。彼がそうだと言っていたのですか」
「はい」
「なるほど、そういうことですか。それであれば納得できます。結界から抜ける条件に血の誓いを結んだのですね。アラン様の魔力構成がおかしい理由もそういうことでしょうか」
「血の、誓い?」
彼女が出来の悪い人間にあえて説明をするかのように溜め息交じりで話す。
「魔術師が張った立ち入り制限のある認識結界などを無効化する方法の一つとして、魔術師と同質化する、あるいは同質とする契約を結ぶことがあります。つまり、婚姻や養子といった契約です。私たち参画者も先生の養子として契約を結んでいます。書面上の話であれ、口約束であれ、魔術師同士が行う契約というのはそういった効果を持ちます」
「アラン?」
アンナリーゼはアランが私と婚姻関係を結んだ理由を結界を抜けるためだったと言っているのだ。いや、そもそも私で実験をするとき『婚約者』としてきたのは、そういった理由からだったのだ。
「今はそうではない」
私の考える疑問にアランが否定をする。
「まあいいでしょう」
彼女が机からペンを引き抜いた。私のこめかみからもペンが消える。
「先生が亡くなる前に言っていました。『もしアラン様が生きていてここを訪れることになったとき、そばに誰がいて、それが『いつか来たるべき魂』であれば、二人揃って話を進めるように』と」
「話を進める?」
「その前にいったん話を戻します。さきほどお見せしたように転送門は歪んだ世界を繋げる、あるいは折り畳まれた世界を突き刺す魔術です。アラン様たちも転送門を使ったのでおわかりかもしれませんが、転送門の入口と出口は隙間なく繋がっているように感じられます。しかし、それは間違いです」
転送門の何かを書いていた紙を彼女が持ち上げて、二つに折る。その紙を左手に持ち、右手で持ったペンの先で表面を触れる。それはアランが前に転送門の仕組みを説明するときに使った手法と同じだ。
「折り畳まれた紙を突き刺すように繋げます。この折り畳まれた紙の一つの面ともう一つの面には、ほんのわずかな隙間があります。どんなに強く紙を折り畳んだとしても、その隙間がゼロになることはありません」
「現実の歪みも同じだと?」
「はい、ですから、この紙のたとえはかなり真実に近い表現です」
「でも、私たちが通ってきた転送門ではそんなこと感じなかったよね?」
「ああ」
「魔術師を含めてほとんどの人間はそれを感じることができません。むしろ出入りをしたときにかすかな酩酊感がありますからそちらに気を取られているかもしれません。この酩酊感こそが、『この世界に存在していない隙間』に一瞬でも触れることで生じる副作用なのですが」
「世界に、存在していない?」
「はい、それはまたあとで説明いたします。次の話をします。『なぜ』先生はそのようなものを見つけることができたのか、です。あなたたちの研究を先生は引き継いでいました。それはもちろん、魂の存在証明です」
彼女がペン先を上に向ける。
「先生は魂の存在証明に成功しました」
座っていたアランが腰を浮かせる。
「そんな」
「人が死に、その魔力を放出され魔素に転換される量と、その魔力そのものの総量にわずかに差があることに先生は気がつきました。元の魔力量の方が多かったのです。つまり、すべてが魔素に転換されるわけではない、ということです」
「いや、その可能性は私もエチカ師匠も考えていた。何度実験をしても結果は同じだった。その量に差はない。もしくは死体に残った魔力と魔素に転換される魔力、その合計が元々の魔力と等しくなる」
「いいえ、それが誤りだったのです。それはあなたたち、アラン様やエチカ様でも見つけられなかった、数万分の数万分の数万分の一、その程度の差です。魂というのはそれほど小さい存在だったのです」
「……そうだったのか。にわかには信じられないが。それをマリアが見つけることができたのか。目がよかったわけでもないのに」
「そうですね、先生は目が優れているわけではありません。ただ仮説と検証を繰り返し続けていたその執念が見出したのです」
「それで魂というのは」
彼女が首を振った。
「先生が証明できたのは、それが『あるらしい』ということだけです。ですから、証明、というのは少し大げさかもしれませんね。その性質については調べきれなかったようです。いくつか仮説はあるようでしたが、その研究は先生の教え子たち参画者が引き継ぎ、今でも様々な方面から行われているはずです」
「それと『隙間』に関連があると」
「はい、さすがアラン様、理解がはやくて助かります。先生に聞いた通りの方ですね。この魂が最終的にどこにいくのかについて先生が研究をした結果、この世界の『どこにもいかない』ということがわかりました。ただ死体に滞留し続けるわけでもありません。ですので、『どこか』にいってしまう、と言い換えてもいいかもしれません。その『どこか』が『隙間』です」
「……なるほど」
「この世界に『隙間』があることがわかり、そこから逆算してこの世界が歪んでいたことがわかりました。転送門が生まれたのはその二次的な副産物に過ぎません」
「転送門を建てているのは隙間を観測するため、か」
「はい、そうです。この『隙間』の事実は参画者にしか知らされていません。巧妙に外には漏れないようにしています。貴族院や魔術師協会が何を考えるかわかりませんから。あくまでこちらは便利さだけで普及をした、ありがたい存在を演じる必要があります。あとは先生と参画者が隙間に意図的に干渉することができれば、魂の性質についても解明することができたでしょう」
私はアンナリーゼとアランの会話についていくのが精一杯だった。私が魔術に対して考えていることよりももっと高度なことを話している。
「あの」
私が手を上げる。
「どうしてそこまでしてマリアさんは魂の研究をしていたんですか?」
不意を突かれたのかアンナリーゼが開けた口のまま停止した。
それから、かすかに笑ったような表情になった。その笑顔は蔑視とも嘲りとも取れる、決して良い意味でのものではないことはわかった。
「あなたにそれを語る必要はないと思います、『いつか来たるべき魂』」
「その呼び方の意味も私は知りません」
「実のところ、それは私にもわかっていません。知っているのは先生だけです。この膨大な資料のどこかにはそれについて書かれているかもしれませんが」
「そう……」
「そうですね、私の口から言えることはありません。それは先生から直接聞くべきことでしょう」
「直接って? マリアさんはもう……」
亡くなっているはずだ。
アンナリーゼは椅子を少し後ろにずらし、机の引き出しを開けた。手を入れて、何かを掴み、彼女の顔の前に持ってきた。てのひら大でやや縦長で、緑色に淡く光る鉱石だ。単純な宝石でないことは目で見てわかる。
「それは、魔素石?」
「はい、これは貴重な魔素石です。通常とは異なり、魔素を使ったあと、魔力を充填して魔素石に戻すことができる、特殊な魔素石です。人工的に作ることはおろか、自然界でもほとんど見つけることができません」
「再生可能な魔素石、書物で読んだことはあるが実在していたのか」
「はい、これも転送門で色々移動できたおかげかもしれません。見た目は単なる魔素石に見えて、魔素を使い切ったあとは単なる石ころに見えます。これに魔力を注入することでまた魔素石として復活します」
「なるほど」
「しかし、今のこれは魔素石ではありません。言うなれば、魔素になる前の魔力がそのまま詰まった状態です」
「どういった違いが?」
「魔力を込めた魔術師の特性を受け継いでいます」
「あなたが言いたいのは……」
「はい、これは先生『そのもの』です」






