夢にまで見た幻
今年、初の投稿です。
よろしくお願いいたします。
目の前にある懐かしいゲームソフトを取ろうとした時……、横から見知った男の人の手が伸びた気がした。
「ヒカル……?」
わたしは思わず、誰かの名を呟いて、少しだけ上を見る。
そこには――――――――、当然ながら、誰もいなかった――――。
やはり、わたしは疲れているのだろう。
何かの幻覚を見てしまったようだ。
でも、妙にリアルではっきりとした幻だったと思う。
まるで、その腕を間近で見たことがあるかのように、はっきりとした腕の輪郭を見た気がしたのだ。
26歳になったと言うのに……、わたしには、これまで一度もそんな経験はなかったはずなのに……。
わたしは溜息を吐きながら、ゲームを手に持ってから、会計をするためにレジへと向かった。
どれだけ、わたしは疲れているのだろう。
疲れていることは分かっていたけれど、まさか、あんなにくっきりした幻を見るぐらいだとは思わなかった。
思わず、泣きたい気持ちになったが、こんな店内で泣き出されても、店員さんが困るだけだろう。
「おね~さん、この会員証、期限が切れてるよ? ゲームを買う分には問題ないけど、ポイントが付かなくなっちゃう。更新は無料でできるけど、どうする?」
妙に人好きのする笑顔……、というか、異性相手に馴れ馴れしい態度の黒髪に太い黒縁眼鏡の店員にそんなことを言われた。
それでも、不思議なことに不快感はない。
わたし、この手の軽い男は苦手なはずなのに……。
「あ、すみません。どうすれば良いですか?」
「この書類に必要事項を記入して、顔写真付きの身分証の提示をお願いします」
軽い口調だった店員は、しっかり、言葉を切り替えて対応してくれる。
別に、ポイントが惜しいわけではないけれど、もしかしたら、またこの店に来る機会がないとも言いきれない。
念のため、ちゃんと更新をしていた方が良いだろう。
顔写真付き身分証……。
保険証では駄目だから、乗りもしない自動車の免許証で良いよね?
個人番号カードをわたしはまだ作っていないのだ。
「それにしても……、おね~さん。かなり古いゲームを買うんだね。これって、確か10年ぐらい前のゲームじゃないっけ?」
わたしが書類を書いている間にも、ゲームソフトの準備をしながら、先ほどの店員が、軽い口調で声を掛けてくる。
喋りながらも、ちゃんと手を止めない辺り、見た目や口調よりは仕事ができる人のような気がした。
「10年ぐらい前のゲームだから、中古で買うしかないんですよ」
そんな店員のお喋りにわざわざ応える必要などないのだが、なんとなく、つられるように返答してしまう。
平日で、お客さんがいないから暇なのだろうね。
そうでなければ、知人ですらない客との無駄話は、減点の対象になってしまうだろう。
いや、知人相手でも、仕事中にお喋りするのは問題だけど。
まあ、ある程度の世間話ぐらいは我慢しようか。
わたしも、人との会話に少し飢えているみたいだし。
「おね~さん、それは、『ヒナ』さんって読むの?」
そう言われて、フリガナをふってなかったことに気付く。
確かに、わたしの文字「陽菜」は、通常、「ヒナ」と読めるかもしれない。
「違います。『ハルナ』です」
「『ハルナ』……さん?」
最近、パソコンで書類を作成してばかりで、文字をまともに書いていないから、そんな書類の書き方も忘れていた。
あれ?
わたしは、文字……、書いてなかったっけ?
何故だろう?
少し前に、かなりの量を書いていたような気がする。
そして……、わたしの書く文字を見て……、笑う誰かの姿……?
「それにしても、綺麗で読みやすい文字だね」
そんな声で、わたしは現実に引き戻される。
この店員は分かりやすいお世辞を口にする。
わたしの文字は読みやすいけど、綺麗ではないと思っている。
だけど……、最近の店員は口が巧いね。
そして、妙に社交的だ。
商売繁盛しそうだね。バイトだけど。
なんとなくその店員の名札を見ようとした時、彼の腕が書類をとるために伸ばされ、名札が隠れた。
それだけのことなのに、少しだけ残念に思ってしまった。
「宮本……、陽菜……、さん?」
店員は免許証と書類で、わたしの名を確認する。
「はい」
さらにじっと見つめられる。
まあ、身分証との顔照合……、本人確認だから仕方ないとは思うけれど、この瞬間はどうも落ち着かない。
なんとなく、黒縁眼鏡の奥の瞳が光ったように見えるし。
「この身分証をコピーさせてください」
「どうぞ」
なんだろう?
妙に落ち着かない。
主に……、心臓が……?
まさか、あんな社交辞令のような会話だけで、ドキドキしている?
どれだけ、わたしは異性に慣れていないのだろう。
「お待たせいたしました。お返ししますね」
戻って来た店員が、そう言いながら、わたしに免許証を返してくれた。
「そのゲーム……、面白いよね。10年前のゲームだけど中古でも、買いたくなるのは分かる気がする」
「へ?」
このゲームは、「乙女ゲーム」と呼ばれている女性向けジャンルのものだ。
男性で、プレイをしているのは珍しいかもしれない。
そして、「オタク」は「オタク」を知るという。
そうなると、先ほどから、この店員に感じているのは……、もしかして、同族意識というやつだろうか?
「おね~さん、これからの予定は?」
会計を済ませると、店員はそんな問いかけをしてきた。
あ、あれ?
これってまさか……、人生初のナンパというやつ?
ちょっと警戒を強める。
こんな昼間から乙女ゲームを買いに来るなんて、異性に慣れていない隙の大きい女だと思われたか?
そうじゃなければ、こんな大学生っぽい若者が、26歳の疲労感漂う女に声を掛ける理由なんて皆無だろう。
彼には、もっと似合いそうな若い女性がいっぱいいる気がするし。
「オレ、もう、仕事が終わるんだけど……、ちょっとだけ待てない?」
その眼鏡の奥に少しだけ肉食獣のような目が見えた気がした。
「いえ! 忙しいので!!」
そう言って断ろうとしたけれど……。
「ラシアレス」
そんな一言で、わたしの身体は何故か固まってしまった。
彼が口にした「ラシアレス」は今、わたしが手にしている「救いのみこは神様に愛されて! 」略して「すくみこ! 」という乙女ゲームに出てきたヒロインの名前だ。
このゲームをプレイしたことがあれば、知っていて当然の知識。
だから、動揺する必要なんて何もないのに……、わたしの手が、身体が小刻みに震え出している。
わたしらしくなく、泣きたい気持ちになる。
先ほど、このゲームを手に取る時に見た幻に、再び遭遇できたような既視感。
「違うな」
そんなわたしの心境を他所に、店員が口元を抑えて……仰ぎ見る。
そして……、再び、わたしに顔を向けて……。
「ハルナ」
わたしの名前を口にする。
呼び捨てされたことに対して、不快感は全くなかった。
寧ろ、しっくりくる。
彼はずっとわたしをそう呼んでくれていたから……。
「ヒ……カル……?」
先ほど、幻に向かって口にした言葉をもう一度、口にする。
今度は消えないようにと心から願いながら……。
「やっと会えたな」
その笑顔に、わたしは間違いなく覚えがあった。
ずっと見てきたのだ。
夢でも、現実でも、わたしに向けられるその顔を。
それを見間違えるはずがない!!
「ヒカル!!」
わたしは、思わず飛びついた。
「ちょっ!?」
彼が驚いた顔を見せるが……構わない。
なんで、わたしは忘れていたのだろう。
こんなにも彼のことを好きだったのに。
彼といられるなら、あのまま、あの世界に残っても良いと願いたくなるぐらいに。
「あ~、ハルナ。抱き着いてくれるのは本当に嬉しいんだが……」
いつもより近い位置で聞こえる、彼の本当の声。
それを少しでも聞き逃すまいとして……。
「その……ここ……、店だからな?」
そんな言葉で、わたしは正気に返る。
「ぎゃあああああああああああああっ!!」
状況を理解して、思わず叫び声を上げてしまう。
顔も高熱で、発火していることだろう。
自分で自分の言動が信じられなかった。
「いや、悲鳴を上げたいのは、オレの方だぞ?」
そう言って、困ったように笑いながらわたしの頭を撫でた後……。
「流石に人目はなくても、店内でのこういった行為はクビになるよな……」
どこか遠い目をしながら、彼はそう現実的なことを口にしたのだった。
あ、あれ?
もう少し、感動的な再会になるはずだったのですが……?
ここまでお読みいただきありがとうございました。




