夢の中へ
―――― 夢を見た。
深くて白い霧の中。わたしはたった一人で立っていた。
視界は真っ白すぎて数メートル先もまともに見えない。
お約束のように頬を抓ってみるが、全く痛みは感じなかった。
ペタペタと身体を触れてみるが、触れた手の感覚も、手が当たった感覚も何もない。
だから、これは間違いなく夢なのだろう。
白い霧で見えない視界も、手を近くに寄せればなんとか見える。
霧にぼかされているようなところが、なんとも複雑な心境ではあるが、それでもこの手が誰のものではあるかはっきりと分かる。
黄色人種の特徴であるやや黄色味がかった肌の色。
あまり手入れされていない爪。
皺が必要以上に刻まれ、手相を見るのに苦労しそうだと何度も思ったことがある両方の手のひら。
そして、左腕には特徴的な、北斗七星のような並びの黒子があり、さらに、右の手の甲には親指近くに二つ並んだ黒子がある。
こんな身体……わたし以外の何者でもない。
「久しぶりだね、『宮本陽菜』の身体」
思わず笑いながらそう呟いていた。
服は橙一色のシンプルで飾り気がないワンピース。
宮本陽菜はこんな服を持っていなかった。
こんな「元の素材で勝負系」の服は、地味なわたしにとってはかなり難しいから。
しかもこの色!
年齢的に少し明るすぎる。
いや、もう少し歳を重ねた後なら、逆に着こなせるのかもしれない。
そうなると、この辺りは、「ラシアレス」の影響か。
それとも、相方の橙羽様の橙一色コーディネイトの印象が強すぎるのか。
判断に困るところだが、夢に対して、そこまで考えても仕方のないことかもしれない。
二年も「ラシアレス」として生きていても、それ以上の長い年月をこの身体で生きてきたのだ。
簡単に捨てられるわけがない。
ラノベでたまに見る「転生したら~」系の主人公たちは本当に凄いと思うよ。
簡単に割り切って、切り替えて、第二の人生を生きていけるのだから。
あれはちゃんと死んだ自覚があるから……、もう戻れないと知っているからできることなの?
乙女ゲームのヒロインに生まれ変わって、攻略相手を落とすぞ! とか、悪役令嬢になっちゃったから、破滅エンドを全力回避してやるわ! とか、わたしはそんな簡単に思えないよ。
それに、死んだ自覚もない。
トラックも、暴漢も近くにはいなかった。
自分の部屋での記憶がわたしの最後の記憶。
「宮本陽菜」としての人生が良い人生だったか? と問われたら、確かに胸を張ることは出来ない。
学生時代から社会に出ても尚、ゲームを止めることなどできない「オタク」と呼ばれる人種だった。
漫画やアニメに対してはそこまでの関心はなかったが。
社会に出たと言っても、医療従事者や福祉関係、公務員とかのように社会にお役に立てるような職業には就いていない。
その反対に、社会へ迷惑をかけるような存在ではなかったと思うが。
ごく普通の何の変哲もない一般的な納税者。
だけど、それで25年も生きてきた。
今更、誰からも好かれるような愛らしい十代の少女として生きていけ……ってそれこそ無理ゲーの世界だと思うのだ。
いや、こんな状況にならなければ、気付かなかっただろう。
自分の平凡な手足を確認できただけで、こんなにも愛おしく、同時に切ない気持ちになるなんて思いもしなかったはずだ。
ふと、誰かが近くにいる気がした。
わたしはなんとなく顔を上げる。
深くて視界には白色しか目に入らないけど、この先には誰かがいる気がした。
真っ白で広い景色。
そんな誰もいないような世界に一人は淋しい。
例え、これが夢の世界であっても。
一人ぼっちになる夢って、夢占いとかに興味がないわたしには、何の意味があるのか分からない。
わたしはふらりとその方向へ足を動かす。
そうして気配を頼りにどれぐらい歩いたかは分からない。
本当にこの先、誰かいるのかも分からないけれど、そのまま足を進めていくと、ぼんやりと、人型の影が立っているようなきがする。
その人影は、わたしより背が高そうだと思ったのが第一印象。
そして、濃い霧のために上半身しか見えないけれど、肩幅とかその形から……、男性っぽい。
それを認識したところで、わたしの足が自然と止まってしまった。
流石に、どんな人かは分からないけれど、あまり人の気配がないところに男性がいるという状況はあまり良くない気がする。
確かに自分は、可愛くて女の子って感じの「ラシアレス」と違って、魅力がない女だと分かっていても、それでも……、世の中には女性なら誰でも良いというとんでもない思考の殿方もいらっしゃるそうですし……?
いや、これは夢なのだけど。
でも、夢の中でまで嫌な思いをしたくはない。
わたしは思わず回れ右をしていた。
一人ぼっちは淋しいけれど、男の人と二人になるよりはずっとマシだと思って。
わたしには親しい男性というのは、血がつながっている身内ぐらいしかいないのだ。
そして、あのシルエットは、どう見ても、その人たちとは違う。
「誰だ!?」
だが、ごく普通のOLでしかない自分が、気配を消して素早く逃げるなんてことができるはずもない。
すぐ勘付かれたようだ。
そして、やはり知らない男の人の声だった。
少し、声が若い感じがするので、高校生ぐらいか?
この場合、それなら全力ダッシュで逃亡するのが正しいのだろう。
周囲には誰もいないのだから、運動不足で無様な身体でも、誰も見咎めることなどないのだ。
だけど、わたしの足はその場で縫い留められたかのように、動けなくなってしまった。
誰かが近づく気配がする。
わたしは身を竦めた。
夢だとしても、感覚はなくても、何故か精神的な圧迫感はしっかりとある。
だけど……。
「まさか……、ハルナ?」
自分の名を呼ばれた気がして、思わず振り返った。
それと同時に、わたしはある意味、人生でも数少ない方向性の衝撃を受けることとなる。
何故なら、そこには濃い茶色……、に見える髪色をした殿方がその……、何故か赤一色のシンプルなワンピースっぽい服を着ているのが見てとれる。
ワンピースとは、主に女性向けの、上下がつながっているスカートのことである。
稀に男性用もあることは知識として知っているけど、それらはあまり一般向けではない。
まあ、つまり、その……。
「ヘンタイ!?」
わたしからの第一声はそれだった。
だって、仕方ないじゃないか。
どこからどう見ても、女装している男性にしか見えないのだから。
ごつくはないけど、わたしより広い肩幅に胸板。
シンプルで誤魔化しができない服だからこそ、その異様さが際立っている。
なんというか。
色々、酷い。
夢とは言え、わたしにそんな姿を見せたことよりも、その服に謝れ! というレベルで惨い。
いや、よく、そんなサイズあったなとも思う。
特注品だろうか?
「酷い!!」
そう叫ばれたが、この場合、こんな酷い姿を心構えもなく見せられたわたしの方が寧ろ、被害者だよ?
「オレだって、好き好んでこんな格好してるワケじゃねえ!!」
それは、知らない声だけど、どこか馴染みのある口調だった。
肝心の顔とかは、周囲の白い霧に隠されて、何故かはっきり見えないけど、この霧が無くてもモザイクとかで加工処理をされていたかもしれない。
いや、是非、加工処理をしておいて欲しい。
まともに見たら、視覚的にかなりの大打撃だっただろう。
いや、本当はもう分かっている。
わたしが「ラシアレス」のシンボルカラーである橙色の服を着ていることに対して、目の前の男性らしき方は、赤色の服を身に着けている。
ワンピースだけど。
何より、相手はわたしの名前を知っていた。
この世界で正しくそれを知る者は多くない。
夢の中だけど。
そうなると……、該当する人間は一人しかいない。
「もしかして……、ヒカル?」
わたしは思い切って、そう尋ねたのだった。
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