理想と現実
「それで……、ハルナはそんな顔をしているのか」
開口一番、アルズヴェールにそんなことを言われた。
「そんなに酷い?」
わたしは思わず目元を押さえる。
神官に会ったのは昨日のこと。
部屋に帰るなり、涙が溢れて止まらなかったのだ。
泣いたって仕方がないことだけど、それでもとめどなく流れ出る雫を止めることなどできるはずもなかった。
「目の周りは腫れているし、すっげ~、充血もしてるぞ。ちゃんと冷やしておけ」
「これでもかなりの時間、冷やしたのだけどね」
濡れタオルで一晩押さえていたけど、それでも治らなかったようだ。
どうりで、まだヒリヒリとしているわけか。
アイルに心配された理由もよく分かった。
部屋に戻ったらちゃんと謝って、また冷えたタオルを作ってもらおう。
「でも……、直接、その神官には会ったこともないのに、そんなに悲しくなるものか?」
「なる! 会ったことがなくても! テレビの向こうの相手でも! ゲームのキャラクターでも! 誰かが死ぬのはすっごく悲しいことだから」
わたしはきっぱりと言い切った。
「この辺については、わたしがオタクだからこその感覚なのかもしれないけど、二次元の作品の中でキャラクターが死んだりする場面は大号泣するし、大好きなキャラクターが落ち込んでいると一緒に落ち込みたくなるのよ」
「あ~、共感するのか」
「そうなの。どうしても、他人事じゃなくて、自分の感情も重なっちゃって……」
我ながら、子供みたいな話だとも思う。
だけど……、この感覚は、子供の頃からずっとあって、大人になっても残ってしまったのだから、仕方ない。
作品中のキャラが悲しいとわたしも悲しいのだ。
その逆で、作品中のキャラが喜んでいるとわたしも同じように嬉しいのだ!
「でも、今回の場合はそういった『共感』とはちょっと違うかな」
その違いもちゃんと分かっている。
これは、キャラクターへの共感とはちょっと異なる感情なのだと。
わたしは、ラシアレスの心に同調して悲しくなっているわけではない。
「鏡越しでも、やっぱり生きた人間として交流していたことに変わりないし」
わたしは「宮本陽菜」の意思で、悲しくなったのだ。
「相手は単なるゲームのモブとは思わないのか?」
だけど、アルズヴェールは不思議なことを尋ねてくる。
「思わなかったかな」
確かに、「すくみこ! 」キャラクターとはデザインが違うから、相手をモブと認識していないこともあるかもしれない。
そこは認める。
だけど……、やはり、この世界に自分も存在して、生きている以上、この世界の人間や神様たちが、ただの「乙女ゲーム」世界のキャラクター……と割り切ることなどできないことも本当の話だ。
この感情は、自分だからなのか。
単純に感受性豊かなオタク心を拗らせているだけなのかは分からないのだけど。
「そうか……」
でも、何故かアルズヴェールは優しそうに微笑む。
未だに彼の微笑み基準がわたしにはよく分からない。
何でもない時、何でもないことで穏やかに笑うのだ。
だけど、今のわたしの目にはその背後に、誰かの影を映していた。
それは、濃い茶色の髪で細い黒縁眼鏡の男の人……、だと思う。
実を言うと、その姿を見たのは初めてではない。
この一年、時々、アルズヴェールの背後に表れるのだ。
でも、顔ははっきり見えない。
顔に付けている眼鏡の色まで見えるのに、その奥の瞳どころか、鼻や口の形もはっきりしないのは何故だろうか?
分かるのは、顎の輪郭と髪型、そして眼鏡。
そして、そんな「のっぺらぼう」のような影も、長くは表れてはくれない。
瞬きしたら消えてしまうような幻でしかなかった。
「どうした?」
「いや、アルズヴェールの素顔ってどんなのかなって気になっただけ」
「オレに興味を持ったか?」
いつものように軽口で、歯を見せて笑う。
わたしはさっきみたいな穏やかな顔の方が好きなのだけど、中身が男性なのに、美少女スマイルを期待しても仕方ないのだろう。
「そうだね。少なくとも本当の顔を見てみたいと思うぐらいには、わたしはあなたに興味を持っているよ」
そう言いながら笑って見せる。
わたしが激しく否定すると思っての、彼の発言だと思うが、そこまでわたしも初心な女でもない。
これでも25年……、この世界での年月を入れたら既に26年も生きているのだ。
付き合った男性が皆無でも、完全に異性が苦手で距離を取った生活をしてきたような娘ではない。
だから、それなりのあしらい方だって分かっている。
「お、おま……っ!?」
だけど、わたしの予想に反して……、何故か、アルズヴェールの方が口元を手で押さえ耳まで顔を真っ赤にした。
見た目にもはっきり分かるほど明らかな動揺。
ああ、そうか。
彼にとって「ラシアレス」は理想の女性だったっけ。
中身はともかく、外見が理想の美少女から「興味を持っている」と言われて、うっかり照れてしまうぐらいの可愛らしさはあったらしい。
でも、これまでの言動から見たら、ちょっと意外だった。
「えっと……、なんか……ごめん」
揶揄ったつもりはないのだけど……、結果として揶揄ってしまったように見える。
「『ラシアレス』の姿で言っちゃダメな台詞だったね」
「……あ?」
「『理想の女の子』から、『興味持っている』なんて……、誤解の元になっちゃうか。揶揄うつもりで言ったわけじゃないんだけど……、ごめんね」
それが、本当にわたしの本心からの言葉であっても、彼としては良い気はしなかっただろう。
「…………ああ」
何故か脱力したようなアルズヴェール。
わたしが揶揄っていたわけではないと分かって、ほっとしたのかもしれない。
「いや……、男の純情を弄べるほど、ハルナは男慣れしてねえだろ」
彼がそんなことを言うが……。
「『純情』の意味……、分かってる?」
少なくとも、これまでの彼がやらかした言動の数々は、わたしが知る「純情」の意味から大きくかけ離れている気がする。
「なんだと? 男心は、いつだって『純真無垢』なんだぞ?」
「今の若い人たちは、いつから邪心に満ち溢れた人のことを『純真無垢』と言うようになったの?」
「重ねて失礼な。邪な心は……ちょっとしか持っていない」
ちょっとはあると言うことか……。
無自覚というわけでもないらしい。
「少なくとも『純真無垢』な殿方は、理想の外見であっても、初対面の女性の唇を許可なく奪うような不埒な行いはしないと思うのよ?」
「本当に、ハルナは男を知らないな。『純真無垢』だから、理想の相手には、我慢することが難しいんだよ」
「そんな殿方なら知らなくても良いかな」
理想の相手だからより大事にしたくなるものだと思う。
相手のことを想っているからと不埒な行いに走って良いという免罪符にはならないのだ。
それが許されるなら、世の中、ストーカーで溢れてしまう。
「多少は我慢して欲しいですね、ヒカル」
「オレは十分、我慢してやってるぞ、ハルナ」
先ほどからの発言で、どうして我慢していると言い切れるのか?
一度、彼の頭をかち割って、中身を確認でみたいところだ。
「ところで、現実のハルナは黒髪か?」
「黒髪だね。染色、脱色に興味はなかったから。このラシアレスほど綺麗で艶やかな黒髪ストレートではなかったけど」
純粋な日本人ならば、加工をしない限り黒や、焦げ茶色の髪色だと思う。
目の前のアルズヴェールのように明るい金髪にはならない。
「現実のヒカルは? チャラチャラしているから、色を抜くか染めるかはしていたでしょ?」
「確かにしてたけど……、人をチャラ男みたいに言うなよ」
わたしの中で、彼がチャラ男なイメージなのだから仕方はない。
時々、少しは良い所もあるかなと見直すことはあっても、基本はチャラ男なのだ。
「最近はダークブラウンが多かったかな。オレの大学では、眼鏡の上に黒髪って少し浮くんだよ」
「おや、意外。眼鏡ってことはコンタクトレンズにしてなかったの?」
「こ、コンタクトは体質的にあわなかったし……、ちょっと……、目に異物を突っ込むのが怖くて、その……どうしても……、駄目だった」
目を逸らしながら、少しずつ声が小さくなっていく。
その姿はちょっと可愛らしかった。
「笑いたきゃ笑えよ」
何故かムッとした顔のアルズヴェール。
そんな可愛らしい顔で凄まれても怖くはないけど……。
「なんで? 怖いのって本能的な感覚だから、無理にやれば悪化するだけでしょ。体質もあるなら仕方ないことでもあるし。自分で眼鏡に不都合がなければ良いんじゃないの?」
見た目を気にするならコンタクトレンズにする人も多い風潮も知っている。
わたしの会社に入った新人さんは「眼鏡はどうしても顔がきつく見えるから嫌だ」と言っていたぐらいだ。
でも……。
「眼鏡男子の外見もわたしは嫌いじゃないからね」
「……変わった趣味だな」
「そう?オタク友達には結構、多かったけど……」
つまり、似合えば良いのだ!
「二次元と一緒にするなよ」
そう呆れたように言いつつも……。
「女に眼鏡を否定されなかったのは初めてだ」
そう言って笑う彼を見て……、どれだけ彼は自分に似合っていない眼鏡をしていたのだろうか? という純粋な疑問が湧いたのだった。
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