第九話 兄さんの馬鹿
「お腹いっぱいだぁ」
「美味かったな」
「でしょ!?よかったぁ」
僕達はご飯を食べ終わり、また公園に戻ってきて芝生に寝転がっていた。
もう時刻も夕方の四時過ぎくらいだろうか、人も少なくなってきた頃だ。
「ねぇ兄さん。苦手な事ってある?」
「なんだ急に」
二人で何を話すでもなく、ボーッと色が変わっていく空を眺めていると、ふと口をついて聞いてしまった。
「兄さんはさ、賢くて、強くて、勇気があって」
「は?」
「だって兄さん出来ない事ないでしょ」
僕なんかと違って。
「そんな事はねぇ。お前にそう見えるのは、お前に出来ない事を、俺の状況がやらざるを得なかったからだ」
「どういうこと?」
「明日生きる為に、今日食う為に、今俺がやれる事を増やしたんだ。それはお前から見れば努力なのかもしれねぇけど、俺からすれば毎日を生きる為に生きてきただけだ」
それは努力じゃないか。
兄さんが生きる為に努力をせざる得なかった環境に居たから、僕みたいな甘ちゃんからすればすごい事をしてる様に見える。
そう言いたいんだろうけど、少し違うと思う。
どこの世界の子供があんな怖い悪者に立ち向かうことが出来るんだ。
大人だってなかなか出来る事じゃない。
少なくとも僕なんかには……
「僕にも出来るかな」
「知らねぇよ」
知らない、よね。
僕が皇子だって事も、皇位継承戦について悩んでいた事も、現状を打破したい事だって僕は兄さんに何にも話せていない。
知るわけなんかないんだ。
だって、僕だってどうしたらいいか分かんないんだから。
「そうだよね……」
「やるもやらねえもお前次第だからな 。ただ、お前がやるって言うなら力は貸してやる」
「え?」
「立て」
そう言って兄さんは立ち上がり僕を見下ろした。
「戦う事が出来ねぇなら戦える様になればいい。戦い方を教えてやる」
違う。
確かに、僕も戦えるようになりたい、自分を貫く強さも欲しい。
でも違うんだ、そうじゃないんだ。
そもそも、
「でも、僕……戦うとか暴力とか、そういうの苦手なんだ。それで、家でもその類の稽古はサボってて」
そう、争いたくないんだ。なんで皆そんなに争い争わそうとするんだ。ガルシア兄さんも、父様も、大臣、貴族、市民の人達でさえみんなっ!
関心も期待も敵意も悪意も僕からすれば全部同じなんだよ。
僕にそれを押し付けないでくれよ。
「教えるのは俺だ。お前の家で稽古をつけてくれる奴と俺が変わらないと思うなら好きにしろ。一生そのままだ」
「そんな事はな「なら立てっ!」あ、ぅ」
否定しようとした僕の言葉を遮って兄さんが声を張った。
「苦手だ嫌だで逃げるのなら何も変わらない。それなら最初からそんな泣き言を言うな」
違う。
「……逃げてなぃ」
「逃げてんじゃねぇか」
逃げてるんじゃない。争いたくないだけなんだ。誰も傷ついてほしくないし、傷つけたくないだけなんだ。
決して逃げてる訳じゃ……
「逃げてなぃょ」
「だったら立てよ!この腰抜けが!ウジウジしやがって気持ち悪りぃ。そんなんじゃ一生そのまんだっつってんだよ!」
衝動的に立ち上がり、気付けば僕は兄さんに殴りかかっていた。
しっかりと僕の右平手が兄さんの頬を叩き、乾いた音が響いた。
「この凶悪面の常識知らず!僕だって、僕だって……このままは嫌なんだよッッ!」
静かに涙が流れた。
図星を突かれて、生まれて初めて人を叩いてしまった。僕は逃げてる事を認めたくなかったんだ。
何をやってんだろ。
僕の為にわざと言ってくれてるって分かってるのに。
僕は最低だ。
「俺はお前の兄貴だ。だからお前がそんな顔をしてんなら助けてやる。だが、助けてやれても実際に行動するのはパルキア、お前だ」
僕はバカだ。大馬鹿野郎だ。
全部兄さんの掌の上じゃないか。
何も知らない筈なのに。
何も分からないクセに。
全部を理解して言葉を投げかけてくれる様に思える。
可笑しい。可笑しいのに涙が止まらない
嬉しくて堪らない。
よく分からないし、上手く説明出来ないけど。今まで誰にも貰った事のない感情を兄さんは僕に与えてくれている。
そうだった。
とにかく僕も兄さんみたいに出来ることを増やさなきゃいけない。
そうすれば選択肢が増えて、逃げずに真正面から全てにぶつかれる。
ガルシア兄さんにも、このスクエラ皇国にも、僕を取り巻く全ての状況に全力で。
兄さんの様に。
涙を拭い、しっかりと兄さんの目を見据える。それでもまだとめどなく涙は溢れ落ちるが目に力を入れて兄さんから視線を逸らさない。
もう僕は逃げない。
「やるよ。兄さん、お願いします。僕に戦う術を、人を守る力の使い方を教えてください」
「任せろ」
僕は、兄さんの様に強くなる。
自分で考えて、自分で行動を起こして、戦うんだ。
「構えろ」
兄さんはそう言って静かに構えた。
足を肩幅に広げ左足を少し前に出し、平手の両手を足と同じ様に構えた。
それに倣い僕なりに構える。
「好きに打ってこい。さっきみたいな平手打ちで俺に触れられると思うなよ」
そう言って兄さんは少し笑った。
僕を馬鹿にしてる時の顔だ。
よし、絶対一度だけでもブってやる!
「えぃやぁぁぁぁああ!!!」
◇◆◇◆◇◆
辺りは真っ暗になっていた。
僕も汗と涙と泥で真っ黒になっていた。
結局一度も兄さんをブツ事は出来なかった。
だけどひたすら向かっていった。
何度も何度も。
兄さんはその度にあれがダメこれがダメと忠告してくれたけど、正直耳に入ってなんかいなかった。
それでも兄さんは僕を受け流し、時には小突き、時には殴り、時には吹っ飛ばしてくれた。
何度も何度も。
ムカつく。
「お前ダメダメだな」
兄さんが泥だらけで仰向けに倒れている僕を見下ろしながら、平坦な声音でそう言う。
「うるさい」
「体力もない、センスもない、リズム感もない、学習能力もない」
「うるさい」
「汗だか鼻水だか涙だかよく分かんねぇ液体まみれで汚ねぇし」
「うるさい」
「グズでどうしようもなく鈍臭いし何も持ってない」
分かってるよ。
そんな事、僕が一番分かってる。
「だが、可能性はある」
「えっ」
可能性?
「根性だけで、この二時間近くをぶっ通しで俺にコテンパンにされて、まだ口が聞けるんだぞ?お前は強くなれる」
あぁ……
「何に悩んであんなツラしてたんだか知らねぇが、そんな根性持ってる事が分かったんだ。何でも出来ちまうぜ?」
あぁ……兄さん、兄さんは何で。
「ま、俺の弟なんだ。何でも出来て当然なんだがな」
なんで、なんで兄さんは僕の欲しい言葉が分かるんだ。
ニシシ、とイタズラっ子が悪戯をした後の様な似合わない子供の笑顔で僕の顔を覗き込んでくる。
なんて憎たらしくて、格好よくて、優しいんだ。
「兄さんのバカ」
「おう、褒め言葉だ」
「ありがとう」
「……おう」
そうして僕はドロドロのまま城に帰りそのままベッドに入り泥の様に眠った。
次回投稿22日(水)です
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