さようなら、ミスター・ミハイロフ
ミスター・ミハイロフ、セレーナ争奪戦から離脱?
「イリヤ、禁書の件はどうするつもりなのかしら?」
僕のパトロン、レディー・カリーナに尋ねられた。
ハンソン家としても禁書の件は気になるらしい。なにしろ自分の印刷会社が出版したギフトブックだからね。ご令息のファビアンも僕も議会の答弁に呼ばれているし。
「その件ですか……可決にしろ否決にしろ、禁書決議が決定されたら、しばらくこの国を出ようかと思います。万が一禁書となったら関係者――ハンソン家にも著者にも迷惑をかけてしまいますから」
「著者って……あの娘なんでしょう?」
「それは……公にしない方がよろしいかと。高位なレディーですので」
「あなたはあんな小娘の肩を持つのね。悔しいわ」
「僕からのお願いです、レディー・カリーナ」
「ふぅ~、イリヤのお願いですものね、仕方ありませんわ。出国するのね、よろしくてよ」
「何がよろしいのですか?」
「わたし『逃避行』に興味がありますのよ」
「おやおや、一緒に行くつもりですか? 大胆な発言をするのですね、レディー」
「面白そうじゃない」
「またご令息に叱られませんか。なかなか厳しい息子さんですね」
「いつものことよ」
それにしても、このよろしくない状況。セレーナ嬢のギフトブックがいまだ攻撃の的になっている。
まさか、『ひとりの女性を巡って王族同士が争い、一方が追放されて死んだことにされ、その後女性も行方不明』などという内容が王族の侮辱につながるなんて、思いもしなかった。
(身に覚えがある、ということか。純粋無垢なセレーナ嬢がこんな物語を書くこと事態、極めて謎なのだが……)
貴族の令嬢が購入しているから目に付きやすいし、悪目立ちする。
王族を侮辱したとされる内容が非難されはじめて数か月。このままではギフトブックそのものが出版できなくなるかもしれない。ギフトブック業がダメになっても別に構わないが、セレーナ嬢のことが心配だ。
しかも、パーティーで彼女を介抱していたのがヘイデン家の息子とは。
『セレーナ嬢はぼくが介抱します』だと? それから何て言ったかな、『ぼくはセレーナ嬢の婚約者候補です』だったかな?
マズいことに、あの家は禁書賛成派なのだ!
素晴らしいギフトブックを次々と世に出す彼女との出会いは運命だったのだと思う。
僕は才能豊かな彼女の守護聖人なのだ。
彼女が誰と結婚しようが僕が口を出せる立場ではない。遠い異国の、しかも家出同然の三男だから。
……だが、大切なパートナーであることに違いはない。万が一彼女が辛い思いをしたなら助けを出すつもりだ。
例のギフトブックの出版はずいぶん前に中止したし、出回っている本は全て回収したはず。議会では適当に謝罪して……切れ者のファビアンが上手くやるだろう……。
あとは……。
しばらくこの国を出よう――ハンセン子爵未亡人とバカンスという名目で。
この季節、南国リゾートもいいかもしれない。
※ ※ ※
* * * * * * * * * *
『親愛なるセレーナ・アールグレン嬢
その後お変わりありませんか。
パーティーであなたが傷ついたとき、どんなにか僕の心が痛んだことか。
あの令嬢は二度とあなたに近づかないのでご安心ください。
皆様のご尽力のおかげで禁書決議は否決されました。とはいえ話題は残ります。
人々の噂が消えるまでギャラリーを閉め、しばらく旅に出ることにしました。
セレーナ嬢のプライバシーと安全は守られるでしょう。
心配せずに待っていてください。
素晴らしい作品を期待しています。
イリヤ・ミハイロフ』
* * * * * * * * * *
『禁書決議』が否決された翌朝、ミスター・ミハイロフからわたしに手紙が届いた。
独身の貴族女性にとっては、身内や婚約者以外の男性からの手紙は致命傷になる。ゆすりの対象にもなるのだ。そのため彼からの手紙は書店からの注文書として届く。
手紙を読んだとたん、頭が真っ白になってその場で崩れ落ちた。
(こんなことって、こんなことって!)
あなたが頑張ったおかげで禁書決議は否決されたのよ。大きな花束を持ってお礼に行かなければと思っていたのに。
それなのに、話題が落ち着くまで旅に?
今まで一年以上、ミスター・ミハイロフはわたしを見守ってくれる人だと思っていたのに――わたしの前からいなくなるなんて。
頭と心臓が締め付けられるような気がして、ぶわーっと涙が出た。これは……あぁ、わたし、彼のことが本当に好きだったんだ。
ただの憧れではなかったんだ。
もう何も考えられなかった。
会いたくて会いたくて、わたしは室内用のティーガウンのまま夢中で馬車置き場へ走った。
「馬車を出して!」
「どうされました、お嬢様。そんなお姿で?」
「馬車を出してって言ってるの!」
「ですが……おひとりで?」
「いいから出して!」
「セレーナ!」
追って来たソーニャに止められた。
「アートギャラリーへ行かなければならないの!」
「もうすぐ晩餐の時間よ、行ってどうするの? もう閉まっているわ」
「ミスター・ミハイロフがいなくなっちゃうの、会いに行く!」
「いなくなる?」
「しばらく旅に出るって……わたしも一緒に行くの!」
「だ、だめよ、そんなこと! セレーナは未婚の貴族女性なのよ!?」
馬車置き場で泣きわめいていたらソーニャにチクられ、父に連行された。
『血は争えないのか?』というつぶやきが聞こえた気がする。
そしてわたしは三日間自室に閉じ込められた。
※
ベッドに突っ伏してさんざん泣いた。
「うぇっ……うぇっ……えぐっ……」
(ミスター・ミハイロフがいなくなった……寂しい……耐えられない……)
『セレーナ嬢』と言って、わたしの手を握ってほしい。
誰かわたしを慰めて……。
なぜかトーマス・ヘイデンに会いたくなった。
ミスター・ミハイロフのせいで泣いているのに、二回しか会ったことがない、しかもわたしを無視した奴に会いたくなるなんて……わたしどうかしてる……。
でも、トーマスと一緒にいたときは何だか安心できたし、手を握られても嫌ではなかった。落ち着くというか何というか、危険度がゼロに近かった。
素の自分でいられる感じ?
お見合いはともかく、男友だちくらいなら……。
そしてお菓子ばかりを食べながら三日間ふて寝したら、気持ち悪くなって吐いた。
※ ※ ※
「なぁ、ソーニャ。セレーナはそんなにあの画商が好きだったのか?」
「さぁ??」
☞ヒロインが目移りしがちでスミマセン。父は本当の父ではなく母からも娘と認識されていないので、結婚しないなどと強がりは言っても愛されたいという思いが強いのではと思います。
☞これで第二部は終わりです。第三部では悩めるヒーローと婚約破棄の張本人が登場し、両親世代の真実が明かされます。




