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夜の欠片/鉄の破片  作者: 関本始
5/10

侵食


【夜野】



「だからよ、注意がたりねぇ。革命装置が巣ってのは国の施設だって。嘉陽の地図があるんだ。確かめてからいけよ。ふらふらと・・・考えなしがよ」

腕を伸ばしたEmuが夜野の背中をぺたぺたと叩く。廃村の公民館を寝床にしようとした。Emuの話を聞かずに決めた場所だ。それが3世代革命装置の充電ハブだった。一晩でへとへとになった。千鳥足になる。石灰石の岸壁が青ざめてみえる。

「役人の詰め所、党員宿舎。革命病院に太陽保育院。俺たちの充電場は公共施設なんだよ。原初世代からの本能だ」

夜野は立ち止まって肩を落とす。冷えた汗が首を撫でる。靴紐がほつれている。固い砂利がソールを押し返している。土踏まずがぼんやりと痛む。

「知らない。装置の理屈」

喉を通る息が熱い。声帯がこわばっている。足が枯れ枝になったみたいに脆い。頭に血がのぼる。

「無能は罪とは言えねぇけどな。物覚えが悪いと損をするぜ。おい、大丈夫か?」

靴ひもを結ぶ夜野の足元をEmuがうろうろと走り回る。

「文句が多い」

夜野はしわがれた声で応える。目を細くする。顔を上げると、薄緑の光彩に昼の光が反射する。

「気取り屋。腹がたつ。金属の・・・くせに」

「おい、怒ってるのか?」

Emuは背中を向けてピタリと動きをとめる。金属の・・・そうだ。金属とケイ素、それに樹脂の塊だ。他にアルゴリズムはない。

「俺の忠告が間違いか。夜野が分からずやか。そいう話だろ。もともと敵同士だ。壊しあってもいいぜ」

「・・・いやだ・・・」

「・・・ああ。どうする?腰を据えて問答でもするか?」

夜野はうなずく。立ち上がりそっぽをむくと、砂利道をそれ雑木林に入る。

「なんだ、おい。無視すんなって。話合いだろ」

Emuが声を高くし呼びかける。

「違う。椅子があるから話ができる。祥子さんがそう言ってた。私は造れるから」

「祥子?だれだ?」

問いかけるEmuに応えず夜野は先を急ぐ。


【夜野/誰か】


 日差しに取り残されて影に埋もれた林の空気は人知れず湿っている。空気は肩を揺らしている。影の内側に生き物の死骸を受け止めている。土は黒くふかふかとしている。腐葉が艶を増している。

「濡れた木はよくない」

林の奥に分け入ると、補助脳が生態反応を検出する。夜野はすっとしゃがみ、身をひそめる。笹の葉が頬に触れる。かゆみを指ではらいのける。


 松の幹に背中を預けた子供が目を閉じている。灰色の顔、濁った汗。顔に黒いごまのような羽虫がたかっている。夜野は小走りに彼女に駆け寄る。手を伸ばそうとしてやめる。共生菌の反応は?意識はどこまで残っている?


 意を決しコートを脱ぐと子供の体をすっぽり覆うように被せる。骨ばって金属のように冷えた体。短く呻いた。布袋が転がりこの近場の名品のキノコが散らばっている。嘉陽人の子だ。触れ抱き上げたとして、脱離願望・・・加害を恐れて群れを離れる反応・・・に侵されるまでどれほどの余裕があるだろう。けれど、このままにはできない。夜野は少女の体を抱き上げる。


ー大丈夫ー


息の荒い少女に夜野は細いつぶやきを伝える。人里の匂いを確かめて、獣道を走り出す。慰めだ。根拠がないのに。息が白く染まる。それでも。

「大丈夫。心配ない」

今度は強く口にする。疲れているだけのこと。人は簡単に死んではいけない。


 匂いは知っていた。村に足を踏み入れるのは初めてのことだった。霊薬の里として嘉陽の民に知られた観光の街だ。人目にさらされ指先がこわばる。夜野は肩を縮める。

 うつむき、上目使いにあたりを見回す。冷ややかな視線がつららになって尖り刺さる。夜野は視線を受け止め足を進める。幻燈劇場の露店で電子タバコを売る老人に夜野は声をかける。老人は露店をすて下瞼に瞳を隠し後じさりして人込みに逃げる。抜けた白髪が露店のカウンターに残っている。

人込みができ始める。野次が高くなる。夜野は路地へと滑り込む。冬の日陰に身を震わせながら、夜野は少女の体温を確かめる。と、女が路地に転がり込んでくる。

「わたしの・・・よ、よこしな」

老婆のように低くしわがれた声。たるんだ頬。ゆっくりと腕が伸びてくる。甘ったるい煎薬の匂いと汗の匂い。それに、義手の金属の匂いがする。破砕腕をつないでる。

ー・・改造民・・・シカードー

夜野は体をひねって子供を胸にかかえこみ女から遠ざける。装置の革命熱に支配されるものもいる。人の命を壊すことも。女の腕がぴたりと止まる。真鍮の上腕が影の中で口惜しく艶めく。黒いオイルが垂れている。

「ハイアード、作り物のお前が見下すのかい?改造民だからか。わたしの娘をさらうのか!」

女が声を張り上げる。金属がきしむように甲高い不吉な声。濁った魂が夜野の薄皮に染みる。足を止め、夜野は振り返る。

「病気みたい・・・体温が低い。貧血も」

シカードでも母親。夜野は子供の軽い体をぎゅっと抱きしめる。息がつまる。女はシャツの襟元を触っている。


 子供を差し出すと、女はしわだった頬をゆがめる。好色な男のように肌をぎらぎらとさる。

「菌を子供にも擦り付けて、感染させるのかい。見境なしだね」

雲間から路地の奥へ陽ざしが伸びる。女の肩越しから伸びた影が夜野の頬を暗くする。夜野は背を向け歩き出す。

 数歩進んだその時、ぐっ襟首をつかまれ背中から引き倒される。補助脳が遅れて警告を発する。視界に数人の男たち顔が写り込む。

蛇が這う音を立てて引きずられて、通りに夜野は連れ出される。人だかりが増えている。一人また一人。罵倒が重なっている。男女の区別のない怒号。投石が始まる。夜野はのろのろと立ち上がり、そのつぶてを受け止める。

「・・・もう用事はすんで・・・帰るところ」

怒りを固まっている。人々の怒りに踏みつぶされる。群集心理が共生菌の心理操作を加速している。人垣を割って農夫が進み出る。農用フォークの錆びた刃を突き出す。国家権力のように尖った先に濡れた泥がこびりついている。高い歓声があがる。

刃を首元に突き出すと、群集は楽しそうに悲鳴をあげる。寸止めとわかると、どっと笑い声があがる。その繰り返しのたびに、誰もが我を失っていく。暴力と不安がまじりあっていく。


精神病患者の絶叫のような、乾いた銃声が天にこだまする。

「どうした。騒がしいな」

人々の口から声が奪われる。神経が冷えて固んでいる。細い口髭に赤い肌の男が銃口の煙に目を細めている。

ーあの娼館の長かー

誰もない、ひそひそ声が重なる。

ー盈め。偉そうに。村の面汚しがー

視線がバルコニーの男に集まる。彼の足元で板が軋む。そのビー玉のような目と頬を緩む。と、銃口がピタリ、と一人に注がれる。

「騒がしい、そう言った」

「て・・・てめぇには関係のないことだろ。居住区のことだろ。引っ込んでろ」

おびえをこめかみの痙攣に隠しながら、農夫が叫ぶ。

「俺に関係しないことはない。ここのすべてが」

盈が引き金を絞る。男の肩が破裂する。

残響が消える前にバルコニーをまたいだ盈は群衆を銃の柄で押しのける。

「ハイアードの女。来い」

地鳴りのようなしわがれた声だ。夜野は身構えうなずく。盈は夜野の頭にかぶっていたテンガロンハットをのせる。視界が狭まくなる。他人の濁った熱が夜野に伝わる。


【盈】


 煮炊きの煙が鯨の背骨のように空に伸びている。人の古い記憶のよう空に消えていく。目抜き通りの突き当りに古びた小屋のドアをあけた盈は顎で中央の椅子を進める。夜野は下をむき、垂れ下がった髪の束で視線を隠す。心臓が震えている。人か。それとも、人を偽装した革命装置か。上目で室内を確かめる。カッグラスを模したプラ素材のボトルが壁際の棚に並んでいる。効能別に分かれ整理されている。酩酊薬、この村の中心産業。

「豊かで幸福な村だ」

薄紫のボトルを盈は手にとる。濁った液が電灯の橙光をすかす。狂犬病の獣と同じように眼球が艶めいている。リンパ液のようにぬめりながら液面が揺れている。マグカップに注いだ液を盈は夜野に差し出す。

「あらゆる幸運には理由がある。ここも同じだ。ここは、自動戦争のさなかの前線だが。生活に困るものはいない」

盈が言葉を区切る。酩酊薬の表面に波紋がたち雫が床に落ちる。

「だが、不幸に理由はない。闇の一色が押し寄せるだけだ」

盈がカップを差し出す。プラカップは黒ずんでいる。

「わからない。助けてくれた。ありがとう」

夜野は頭を小さくさげる。

「この村の幸運は酩酊薬だ。天然の粘菌を処理して作る。模造薬ではない。人の自己嫌悪、群れから外れた疎外感を取り除く」

盈は緑の液瓶を手にとる。表面を揺らし、残量を確かめる。

「誰もが同じだ。自らの扱いを不当だと鬱屈している。疎外された、被害者のつもりで生きている。不幸は孤独の恰好な言い訳だ。そこにこの酩酊薬の価値が生まれる。君はここで商売ができる。そのために拾われた」

跳ね上げ窓あけた盈は液瓶を通りになげる。通りをいく人が我さきに群がり瓶を奪い合う。そのむこうに塔が見える。レンガ作りの高い塔の白いカーテンが怒りのように太陽を反射している。

「他者も自らも何も拒絶しない。酩酊するものたち客だ。彼らは君の体を買う。君らは容姿も肌触りも人並みだ。可もなく不可もない。だが、それで十分だ」

「作り物のわたしに、抱き合うことに意味はない」

夜野は応える。盈が笑う。唇の端から汗とつばが飛ぶ。

「蠢く肉と体温が必要なのだ。君の飲めば酩酊する。ここでの暮らしは幻だよ。君と同じハイアードも従順にしている。君のように話ができるものはいなかったが。誰も幸福だ、不満はないよ」

夜野はほぞを噛む。

「・・・違う。みんな・・・声が・・・言葉を奪われているだけで」

ハイアードにも心はある。ただ、言葉を奪われているだけ。感情は言葉なければ吐き出せない。整理できない。汚れた雪になって積るだけ。

「だからどうした?野ざらしの廃品に比べれば、いい生活を約束しよう。断ることはないだろう?」

跳ね上げ窓から昼の日差しが伸びる。露光が糸くずに反射する。夜野をあざ笑っている。


【夜野】


 考えが自分の内側に居座っている。車窓を流れる外の出来事とは別の速度で動いている。空すべりする思考。考えがものの数秒で消える。補助脳が壊れて言葉を取り戻した。そうして、思い出の糸が言葉でつながるようになった。抱く心を確かめながら、通りの人々に目をやる。森で収穫した粘菌の塊を工場に運び入れている。酩酊薬の原料。工夫が木製の荷車を押している。トラックに積み込む酩酊薬の緑の瓶が揺れ波打っている。わたしと同じ。人を壊すための道具。


 作業夫たちが体を掻きむしっている。盈の車に気が付いた何人かは小さく頭を下げる。盈は煙草の煙を流している。

「精製前の抽出液は皮膚にひどい炎症を起こす。結節ができてリンパ腺が詰るものもいる。だが、普通のことだ。誰もが受け入れいてる」

 像足症の男のたるんだ皮膚に泥が染みている。煙が後部座席に流れる。年老いて疲労した消化液の匂いが混じっている。生きる罪のような匂いだ。

「この戦争が始まる前、近代列強の植民時代には誰もが激昂していた。嘉陽の民は党の義勇隊に勇んで志願したさ。この村は別だ」

盈の目が木箱の刻印をなでる。

「心穏やかに暮らすすべを知っているのさ。働き、肌を掻き毟り、酩酊する。必要だったのは秩序だけだ。自動的な戦争の中でも、自滅せずにいる仕組みだ」

夜野はうつむき床のゴムシートに散らばった小石を数える。

「みんな、不快で。痒いから」

道を横断する荷列が去る。盈が煙草をもみ消す。きついシャツが衣擦れの音を立てる。

「そうだ。かゆみは限度も超えている。わかるか、そうでなければならない。生きる気力が残っていたら怒りにのまれてしまう」

車が速度を上げる。でこぼこの地面を跳ねる。

「その格好のままではな。苔と砂の匂いがする。体を洗い、清潔にするんだ。今夜には客がつくだろう」



【夜野】


 村はずれの塔が曇り空に伸びている。盈が入口の操作パネルに触れると自動扉のロックがはずれる。太った男が引き戸をひらき、一歩引き下がると、頭を下げる。整髪剤で固めた頭の濁った匂いがする。薄くなった髪の隙間から覗く頭皮には赤い湿疹が浮かんでいる。大げさな身振りで盈と何かしらやり取りをしている。盈が振り返る。

「この男もハイアードだ。生産の場所はちがうようだが」

「わからない。わたしよりも後の型?」

「君らよりは頑丈なようだ」

盈は夜野の頭から帽子を取り上げる。冷気が胸に滑る。


 だまっていると、男の認識コードが補助脳に届く。解読できない番号。型の基準と終わりのコードがない。

「お前は古い型か。壊れているな。補助脳の機能は満遍なく低下している」

男はロビーの壁によりかかり、とがって突き出た腹をたたく。ゴムまりのようだ。肌は白く毛細血管が幼児向けのミルク飴のように淡く赤い。

「生産国が違うのさ。北の国の工場に委託したのが俺たちの世代だ。特別な改造品だがな」

「改造。どうして」

「俺は長く生き残ることを目的としたらしいが。太って醜い姿の中年の姿に造られた。元の設計は北方民族版の青年だった。だが、気が付いた時にはこの姿でこの村にいた。お前もそうだろう?気がつくと何もかもが変わっている。壊れれば何も解らなくなる」

夜野は上目に男の目を覗く。ワインレッドの瞳が、ゆらいだその瞬間、夜野は激しいめまいを覚える。滲み出る体液のように補助脳から信号が走る。痛感の涙を流しながら、夜野はその場にうずくまる。意識を失う前、伸ばした男の手が見えたのが最後だった。


【寧々】


「いや。俺が決めたことでは。あんたがここの女たちの頭目だ、寧々。どう使うかまでは指示されちゃいない」

「廃品を増やしてどうするの?ここをどういう場所にしたいんだ。通常人は嘉陽の民です私らは。我慢しろっていうんです?ヤツフサの壊れ物を。酩酊液におぼれろと」

棺桶に届く形ばかりの声はお悔やみのように疲労している。夜野は寝床から起き上がり鼻をすする。病に枯れた枝のような女が脇で白い腕を組んでいる。落ち窪んた目が夜野をねめつけている。夜野は目を伏せ、肩をすぼめる。あのとき、身体の内部に走ったのは警告信号だ。革命装置の存在検出を意味する。処理不能なほどの接近、生命の危機を意味する。補助脳の故障。いや。紛れ込んでいるならば。夜野は首筋を抑えて補助脳の熱を確かめる。今は、反応は消えている。この部屋にはいないのか。首筋に腫れた感触がぼんやりと残っている。

「キレイにするように、言われた」

夜野はきしむ心臓の早鐘を抑えながらつぶやく。寧々はキセルの先端で艶のある前歯を叩いている。

「人の相手ができる顔かい?盈の旦那はあんたをどう見たのかしらないけどね。ひどい目だ」

夜野は寝台を降りる。荷物置き部屋だろうか。雑多に家具がならび棚には茶色のシミが浮かんだボロ布が突っ込んである。

「盈は客に出すつもりでしたよ」

目を細めた寧々が声を荒げる。

「くさった性根の子だ。意志のあるハイアードなんて。酩酊剤でもごまかしはきかない」

ハイアードの男は渋い表情をつくる。

「階段を掃いて手すりをみがきな。ここのボロを使うんだ。・・・血がついていないもので」

寧々は夜野の肩に手をのせる。冷えた肌は老い錆びている。夜野はうなずく。二人がドアを閉めて立ち去るのを待つ。傍らに放り捨ててあった上着を羽織る。泥と皮脂に汚れた鎧。自分の過去の価値の証明だ。


【夜野】


 下から順に螺旋階段の掃除を続けるうちに、息が熱くなってくる。寒気が背筋を這う。補助脳のダメージはしばらくの間、毒素になる。身体に風邪症状を起こす。ハイアードの細胞は発熱に強くつくられている。が、症状を感ずる脳神経は人とかわらない。手すりは永遠と続いている。艶めいた肌のごとく窓明かりを反射している。

「面倒くさい」

大理石の壁に背中をあてる。熱と寒気が交互にやってくる。固い背骨が意思で冷える。罪の意識が胸の底から湧き上がってくる。憎悪のはけ口になるために生まれたハイアードの生まれもった罪が胸を刺す。戦争。殺意、血と砂。進軍ラッパ。平和の敵。罪はハイアードにある。私たちは暴力の形に造られた。踊り場の長椅子で女達がキセルを吸っている。薬液の染みた煙の匂いがする。


ーここは、悪いところではないわー


胸の奥から声がする。思い出が作り出す声。祥子さんの問いかけ。幻の声。自問自答。


ーあなたはここを選ぶの?”わたしとは違う”反対側なら、それでもかまわないわー


幻の声に彼女の蒼い瞳が重なる。微笑みも。夜野は目を閉じてうなだれる。首をふる。


 入口のドアを確かめる。操作パネルに室温と湿度が示されている。ボタンを押すと数値が点滅する。

「逃げようってのか、ハイアード。そりゃわがままってもんだ。仕事ができたんだ」

「わがまま・・・」

男が腕を編んでいる。毒素の中和が終わり、夜野の思考がクリアになる。

「わがままは言ったことがない」

「態度がそうだ。外の戦争は自動的だ。誰一人自分に誠実には暮らせない。夢も希望も友情も愛も。誰もが捨てて生きている。お前も同じだ。意志をもった以上、何もかもを持ったままには生きられはしない。お前の矜持も捨てなくてはな」

夜野は顎を引く。血管が膨らみやがて収まる。

「捨てるものはない。何も持ってない」

夜野はつばを飲む。室内の冷気がしみる。

「ここにはいられない。ハイアードは誰も幸せにはできない。手助けが必要な時だけ・・・わたしはここに来る」

「あんたを自由にはできない」

男の膨らんだ手が伸びる。水ぶくれした手。うつむいたまま夜野は男の手をはらう。

「用事があって・・・。わたしを・・・だけど、閉じ込めておける?」

ピンと空気が張りつめる。女達が顔を見合わせ長椅子を立つ。薄手の絹衣をはためかせ、電灯の影を通り通路の奥のへ消えていく。日が陰る。男の荒れた頬に影が差す。老いた皮膚に浮いた皺の陰影が際立つ。

「脅すのか?この場所の何もかもをめちゃくちゃにするのか。・・・ハイアードのままなのか」

汗が背筋をすべる感覚に男は神経をとがらせる。扉の前に立った夜野はその扉に手を触れる。

 男はつばを飲む。震えながら、壁のパネルを操作する。扉のロックが錆びた音を立てる。夜野が扉を引く。泥風が足首を撫で香水の匂いのする空気が吐き出されていく。


 息を吐き体を伸ばす。冷気が身体を夜にする。白い空に青を増す。建物に充満していた酩酊剤の匂い。痛み、身体は疲労している。夜野は砂利道を進みながら雲を追いかける。

「そう、椅子を造る。腹がたったんだ、Emuに」

遠い怒り。胸の奥がじんわりと熱くなる。補助脳がだめになって初めて怒りを覚えた。感情はいつも、体の底を流れる泥の濁流にのまれて消えていた。今は違う。噛みしめる。南中の太陽が背中を刺す。振り返ると塔の頂上の陽ざしがぎらぎらを輝いている。夜野は手をかざし見掛け倒しの陽気に息を細くする。まぶしい光が神経の奥にまで届く。

 その途端、補助脳にスタックしていた情報が可視化される。光の刺激で補正変数の値が変わり、命令が実行される。目の前が赤くそまる。

”革命装置の異常進化、または突然変異を検出。被害予想量、再生不能。共生体、二対の組み合わせ”

唇がゆがむ。変異種の警告、これまでにないタイプの装置がいる証。

装置はどこに?唇が震える。夜野は塔の入口を凝視する。警告はスタックされていた。あそこだ、戻らなければ、と踏み出したその刹那。


 予想は裏切られる。地面を揺らす低い音が背中から届く。衝撃波が髪を揺さぶり、破砕音が耳を弄する。地面を小石が跳ね地響きが連続する。夜野はつんのめりながら体をひねり、背後の敵を捕らえる。

 茂みから真っ黒な革命装置が飛び出してくる。巨大な卵型の本体から黒鉄の長い脚が6本。その脚が縮み空に跳ね上がる。地面を削り納屋を巻き込む。飛び上がった本体がつま先を合わせる。その先が槍のように尖る。狙いは。夜野は膝を折り、ばねをきかせて駆ける。空中を舞う円筒に爪が伸びる。夜野は奥歯を強く合わせる。息が跳ねる。爪がEmuを貫くまでの余裕はない。

「壊れるつもり、勝手に」

心臓が肋骨を打つ。夜野は切れ長の目を見開く。


【Emu】


 見捨てる、ってのは嫌な言葉だ。見てるんだ。わかってるくせに。素通りしていなくなる。大体の俺たちは見捨てられてきたんだ。巡礼渇望に倒れた廃材たちが消えていく。Emuはその装置の爪の動きを計算する。瞬き。特定の性質をもった人間を殺して回る学習パターンを見つけたのが装置の発明につながった。学習、分類、判定。精度よく対象だけを虐殺する。ヤツフサ人を判別し殲滅する。生産工場にその過程に組み込み、進化を生産に組み込んだものが革命装置、というシステムだ。


 俺はその廃棄品だった。起動不良品だ。進化の失敗作。はじかれた廃棄品。同じ世代の廃品の山に積まれた。蝙蝠の糞に汚れ錆びていた。鉄の腐った匂いがした。俺はみんなを見捨てた。逃げた。空気は濁っていた。センサの信号が”痛かった”。そこで消えるのはごめんだった。動いているやつがいた。けれど、助けもしなかった。

 3世代の進化型の腕に吹き飛ばされながら、Emuは思いを巡らせる。吹き飛ばされ、地鳴りと一緒に宙を舞いながら、回転している。空はのっぺりと曇っている。無意味に晴れ間が覗いている。薬物を生成する煙が天に昇っている。体の隙間に風が通る。発熱部品が冷える。過去が消える。


 眼下の村。目抜き通りを挟んでひしめき合う木造建築。皮膚病のガキが影におびえを見せ、天を仰ぐ。大人たちは腰を抜かしている。肩をすくめおずおずと逃げ出す。老人に乳母、肌の荒れた男たち。乳房が垂れさがった女。

「俺が逃げたら・・・村のやつらをやるんだな?」

有機生命は鈍間だ。柔らかく、ひ弱で、傷を負うと死ぬまで苦しむ。

「見捨てやしねぇな・・・誰も」

蛇腹の腕が伸びる。その腕が敵の爪の先端を叩く。反動で真上に跳ねあがる。空を舞う瓦礫に体をあて、今度は真下に向きを変える。あの工場で死んでいた俺たちも、死ぬ価値はなかった。見捨てたから死んだ。後悔が胸の奥をくすぐる。


 3世代亜種装置の卵型の本体を空中でねじれる。重心をかえEmuに向き直る。外装の隙間から真っ赤な光が漏れ、昼間を汚している。

 装置は六脚を三つずつ重ね、二本の針にして、交互にEmuに突き出す。キャッシュメモリがしびれる。なけなしの有機細胞が焼ける。払いのけるたびに振動で実装部品が基板からはがれていく。


ー歯がたたねぇなか。おせっかいは・・・俺の一台じゃたりないんだなー


脳裏にメモリに。同世代期の廃棄品の山が浮かぶ。誰も助けなかった。一人で逃げた。


「壊れるつもり、勝手に。巻き込まれて・・・向こう見ずで」


脇を通り抜ける風切り音に声が混じる。獣臭い生き物の匂い。埃と泥のまじりあったもの。抱きとめられたEmuのモニタに雲間の太陽が反射しセンサがくらむ。切れ長の尖った目。逆光の中で眼光が白く輝いている。ぐるりとねじった体が反転した装置の横腹を、長い脚が横撫でに蹴り伏せる。


【夜野】


 落下した先の屋根板が割れ、梁が折れる。地響きと倒壊する建物の音が混じる。がれきを避けながら外に転がり出て、距離をとる。人の叫び声、金属の軋む音。早鐘を打っていた心臓がしずまっていく。熱が冷えていくときの独特な間延びした思考の中、夜野の意識が尖る。装置の亜種だ。落下の衝撃で脚の金属が枠ゆがんでいる。関節がきしんでいる。悲痛な犬の声のように。

瓦礫から突き出た槌を握る。木製の柄のとげがささる。体を折り曲げる。金属は重く頑丈だ。ハイアードのばねはそれを超える。夜野は唇を結ぶ。食いしばった奥歯の痛みの中、祥子さんの声と幻影を思い出す。

 ー・・・人じゃできないこと、人よりも優れたもの・・・ー

より高く、遠く。

 ー・・・人の知恵の結果・・・ー

平和と安寧のために。

 ー・・・革命装置が進化の先端なら、ハイアードは人の心の先端よー

思いだけで造られたもの。それが、人のくすんだ平穏のためだとしても。


 いつか心は進化に駆逐される。でも、それは今ではない。この時ではない。振り上げた槌が装置の背中を貫く。思い出という神が祥子さんの声を再生する。次の瞬間、装置の背面装甲が内圧でゆがむ。金属板が爆ぜ、夜野を吹き飛ばし、倒壊した建物もろとも、四方八方に吹き飛ばす。


 土煙と折れた木材の匂いがする。白い洗面台がかびて黒くまだらに汚れている。壊れた樽とひそひそ声。夜野は体内から響く声に五感を殺されながら、虚脱した時間に包まれている。ハイアードの仕組みが彼女を生かしている。立ち上がり、進む体。ゆっくりと息を吐く。瓦礫と土の隙間から白い空が覗いている。声が聞こえる。補助脳が異常を検出している。遠い声。離れた場所の警告。女たちの悲鳴。衣擦れ、寧々の鳴き声。夜野はまどろみを振り払う。


【Emu】


「生きてんだろ、おとなしくしとけ。助けてやからよ」

Emuは音量をあげる。人だかりができる。ひそひそ声が次第に大きくなる。返事ぐらい返せ。

「わたしに助けは・・・たぶん、いらない。後でいい。頼みを聞いて、急いで」

「・・・怪我はないんだな」

「ある。けど、大丈夫」

瓦礫の隙間から夜野のほつれた髪が見える。

「悲鳴が聞こえる、塔のほう。装置の狙い、悲鳴が・・いっぱい」

「ああ?人の声なんざ。どうでもいいだろ」

「違う。悲鳴はいやだ。わたしは頑丈、治る。人は違って」

「何が違うんだ、俺はお前を助けようと・・・」

なんだと?

俺は。

この生き物を救おうとしている。

ハイアードを?なぜ。

わからない。その上、見ず知らずの誰かを救えというのか。


穴の底で夜野が目を閉じる。

「Emuにも聞こえるはず」

わかっている。俺も夜野も耳はいい。作りものだ。聞きたくもない声を聴き、知りたくもないことを理解する。

「わかった」

埃は自己犠牲の匂がする。伽藍洞の体の内側が熱くなる。単体の素子では作ることのできない熱だ。


【盈】


 命の終わりを自覚した盈は最後に見る男が彼だと知り、苦いつばを飲み込む。胃液がせり上がるり、血の匂いにおののく。自分自身の人生の成果を見直す。頭脳が硬直ししびれ頬がひきつる。死が目の前にある。背中を向けて血だまりに倒れた女。両腕をなくして顎を横にし涙と体液にまみれた体。腕と脚。鼓動が胸を赤くする。ハイアードが脱走したと聞いて、もどった。命が摘み取られていた。ロビーには血だまりが広がっていた。盈はタフさを演じながら、階段を駆け上がった、盈はそこで男の姿をみとめる。

「ハイアードといったか?盈。俺をハイアードと思ったか」

男が吐く息は白く染まっている。窓から冷気が這いこんでいる。血が粘度を増す。バルコニーの壁面をゆっくりと流れている。

「革命装置の進化は1種類じゃない。ただの仕組みだ。大型のユニットが街を壊す。手薄になった人の群れに紛れ込んで、人だまりを丸ごと始末のするのが俺だ」

男の手足が樹の根のように伸びる。

「ハイアードに偽装した?人ではなく・・・」

盈は狼狽しながら胸をさぐる。無意識のままにライターとシガレットケースをさがしている。

「そりゃあ、あんたらが偽物だからさ。嘉陽人に偽装したヤツフサ人。ハイアードなら、もぐりこめる。嫌悪し思考停止したまま、俺を受け入れるからだ」

と、ハイアードは血みどろの腕で、破れたスーツのポケットから煙草を抜き火をつける。濡れた葉が血で破れている。

盈も同じことしていることに気づき、びくり、と震える。腰の銃を抜き、引き金をしぼる。

が、灰色に変色した彼の体にその弾は反射する。

「あんたにゃ世話になった。消す前に、教えてやるよ。俺の気持ちってのをさ」

男はゆったり煙を吐く。腹の穴がうごめく。爪のように煙がおちてくる。


「ハイアードは、熱烈な望郷心を持っているのさ。それこそ吐き気みたいなもんだ。補助脳に入れこんでる。故郷を守る礎になる。熱く血潮がたぎるんだ。古き良きヤツフサ魂ってもんだ」

男の目の暗がりが揺らめき、一瞬、水滴の一粒のように澄んで輝く。

「俺はその特性を模倣している。ヤツフサが懐かしくてな。革命装置のくせによ」

男は両足を人の姿に戻してどかり、と座り込む。破れたスーツの裾が手招きのように揺れる。

「貴様らのせいでその思いが抑えられなくなったんだ、盈。ヤツフサ人であることを隠したお前らだ。酩酊薬でなだめ、ごまかした故郷へのあこがれに影響されちまった」

だからな、と、男は続ける。

「革命装置としちゃ、正解だぜ。俺は故郷へ帰る。ヤツフサの大地へ。必ず帰る。そこで存分に革命の務めを果たす。ヤツフサの民を殲滅するんだ」

盈は背筋にしびれを感じる。肌のつっぱりを覚える。首筋が硬直し歯の根が小刻み震える。

「・・・懐かしいんだ、俺は。新緑の丘、湿った夏、金色の稲が・・・」

装置は煙草を投げ捨て、指の先をとがらせる。雲間が晴れ、不意に盈の肩に陽ざしが通る。陽光が彼の想像力に一瞬の輝きを作り出す。割れ窓から吹く風が彼の背中をなでる。男の爪が伸びる。刹那、盈は踵を返し身を乗り出して空に踊りでる。


【Emu】


 ときどき考える。俺に心はあるのか。ただの機械。作り物。神経線維はほん一筋だ。不安が真っ黒な炭になる。逃げ出したくなる。不安感から逃げるようとする自分の心は本物か。

電池が無くなる死も受け入れる。革命装置の本能の巡礼渇望も自死願望もなくした。俺の演算には何が残った。ただの・・・心躍る歓びも無限の悲しみも・・・何もない。まんぜんとすぎる毎日が続いている。暗雲が胸にあふれる。夜にそっくりに暗くなる。出来損ないの感情もどき。伽藍洞の癖に。

「けどよ・・・今は」

車軸がぶれている。モータが燃えている。内部温度は危険域の85℃越えだ。手足の金属に熱が伝わり膨張したヒンジがきしみをあげる。あの塔へ。悲鳴とうめき声。急げ。胸に宿った燃料が真実を求める。

三階の窓で人影がゆれる。その長い手足が空中で揺れる。

「くそったれ、落ちるな、待て。止まれ」

両腕を地面に突っぱり反動で空を舞うEmu。隙間を空気が通り抜ける。伸縮式の腕が男の体を片手でつかむ。一方の腕を地面に伸ばし、落下速度を抑える。蛇腹関節で墜落の勢いを殺す。しかし、人の体は重い。団子になって地面に投げ出される。花壇にぶつかりスロープを転がり落ちる。

 男は跳ね起きると、塔に背を向け転がるように走り出す。横倒しのまま、一時停止したEmuが残される。


【盈】


「わたしは・・・」

 どこへ逃げればいい。酩酊剤の匂いに混じった空気が冷たく肌を切る。震える脚で地面を泳ぐ。言い訳が口をつく。戦争が自動的になった。人は戦争に邪魔だ。脂汗が顎を通じて胸を濡らす。不快感が思考を汚す。ハイアードと革命装置。どちらも人を人とも思わない怪物だ。盈は四つん這いになって荒い息を吐く。足音が近づいてくる。こそこそと、人に気取られないように歩いている。卑屈な足音だ。顔上げると、霞んだ視線の先に女の姿が映る。ハイアードのあの女だ。盈の背筋がこわばる。心臓が早鐘をうつ。彼女は、折れた棒を杖によろめきながら盈の横を通りすぎる。すれ違いざまに彼女の表情を認める。見開かれた漆黒の瞳が塔を見据えている。口元を一文字に結び、顎を強く引いている。あえぐように口を開く。すがるべき表情をそこに見とめる。

「まってくれ・・・」

ハイアードの女が脚を引きずりながら振り返る。


【夜野】


 制御回路が混乱している。脚がもつれる。苛立ちが肌を走る。顔のない毛虫が肌の下を這っている。

「ごめんなさい、用事があって。あなたの介抱はできない」

塔からは悲鳴が続いている。弱く強く。Emuは?

盈の唇が震えている。蒼白の頬に老いが雪崩のように襲い掛かっている。

「頼む。女達を助けてくれ」

男が手を伸ばす。その手には金色のかんざしが握られている。

「売上の礼だ。毎日、娼婦たちに渡していた。意味のないことだったけれど」

夜野はその手にすがる。補助脳がむなしい抵抗をやめて静まる。目の前がカッと赤くなる。鼓動が高まる。

「そうする。急いでる。塔の女の人を助けるから、わたしだけではできない。あなたも手を貸して」

夜野は手にしていた杖代わりの枝を捨てる。獣のような猫背になり顎を引く。

「あなたに、人にできることをお願い」

汗に濡れた彼が子供のように小さく震える。


【Emu】


「再起動してすぐだ、調子わるいぜ」

画面に夜野が写る。

「飛び降りたあの人を助けてくれた。わたしでは間に合わなかった。ありがとう」

小脇に抱えられたEmuは夜野の体温を確かめる。

「考えがあるから、手伝って」

青あざ浮かぶ脚を折り、大地を蹴り夜野は高くとぶ。

「Emuは上の窓から行って。階段で騒いで、できるだけ。わたしがみんなを助ける」

空中で夜野はさけぶ。背中をばねを効かせEmuを高く放り投げる。夜野はよろめきつんのめって顔を地面に打ち付ける。すぐに立ちがる。

「やれるのか?」

「私たちなら。私たちのほうが自由、好きに動けるから」

窓から飛び込むと、階段の中途にいた男が振り返る。女が白い脚を震わせている。血にまみれている。

「趣味があわねぇぞ、てめぇ。血は人には似合わねぇ」

Emuの蛇腹腕を勢い伸ばし、男の首を狙う。男の腕がとがって伸びる。爪と鉄が擦れ弾ける。


「私の片割れはもっと壊す予定だったのだが。すぐにいなくなった。君たちがやったか」

男が低くつぶやく。

「なぜ、革命装置がわたしの邪魔を?」

「生存競争もしらねぇのか。俺たちは互いに争う」

Emuがうそぶく。時間稼ぎだ。男は次第にかたちを変えている。蜘蛛、親蜘蛛が外で戦ったやつなら、こいつは子蜘蛛か。男が剥げた頭皮を赤くしてほほ笑む。

「嘘をついて時間稼ぎか。第二世代が。生存は俺たちには関係ない。”殲滅係数”の競い合いだ」

ニタニタと笑う。虫歯がよく見える。

「おう、利口だな。そうとも。手柄の奪いあいは本能だ。結局・・・最初から敵だ」

敵だ。世代の区切れはその敵対関係できまる。

「人を助けにきたのか。その価値はあるのか?」

男が手にこびりついた血を振り払う。階段に傷にそって血筋が伸びる。

「かわいそうだろ。痛ぇのはよ。娼館だろ、閉じ込められて。そのまま怪我して泣いて死ぬのか」

Emuが低く応える。男がほくそ笑む。枯れ枝のように細く尖った脚をあわせる。

「こうなった責任はお前にあるんだぜ。俺はバックアップだ。親機と同時にはうごかない。いいか、親が暴れたら、村は殲滅できるんだよ。ビーコンが俺だ。ヤツフサ人をみつけて潜り込む役目だ。本体を壊しやがったから、俺がここを片付ける」

男は死んだ遊女の頭を撫でる。母が赤子をあやすようなしぐさだ。

「ここは・・・楽しかったかな。意識の無いハイアードを介抱してやってたんだ。くいっぱぐれた女達に酩酊薬を打ってやった。そうして、自分も他人も戦争も病気も全部肯定してみんな気ままに暮らしてたよ」

「てめえ、さっきからにやにやしやがって。気にいらねぇ」

男は八脚を足を束ね尖らせる。瞳孔が開き、黒目が大きくなる。

「ここが好きだったのさ。ここに居たかった。親が村を壊して、俺がここの女を助けるのさ。そうして次の村へ移る。そういう性質だった。だが、バックアッププログラムが起動してしまえば、そうはいかない。女達をみんな綺麗にしてやりたかった。だが、俺はもう殲滅しなくちゃいけない。誰もかれも、丸ごと」

男が低く笑う。

ーちっー

Emuは舌打ちをする。空が曇る。空が曇り、みぞれが窓の外を撫でている。男が脚をすぼめて跳ね上がる。壁に脚を刺した男は蜘蛛になって、縦横に飛ぶ。ガラスの破片を巻かれていく。壁のかざった宝飾品と絵画がおちる。爪がEmuの外装を凪いでいく。


【夜野】


 必要だったのはその一瞬。私を見逃すその単位時間。あの男とわたしどちらが速いかわからない。けれど、走りだすその一息の差でわたしが先に動く。男が破顔したそのとき、夜野の神経がさけぶ。微笑みは一瞬の油断。夜野の脚が大地を蹴る。一つの塊になって夜野は地面を跳ねる。ロビーに飛び込み、伸びる通路る通路を駆け抜ける。部屋の扉を叩き壊し、悲鳴をあげる女を抱え上げると、強化ガラスの窓をけやぶり、放り出していく。指のささくれに血がにじむ。

ー下に行かせなけりゃいいんだなー

補助脳にEmuの声が届く。

ーそう、あまり時間はかけないー

夜野が応える。

ーおう。長くはもたねぇぞ。人助けのために壊れちゃよ・・・ー

夜野は灰色の一筋になって駆ける。手足がしなる。

 一階の女達を八人を追い出すと夜野はロビーに滑り込む。その背中に爪がせまる。夜野はしなやかに体を丸め転がりながら、二階へ登る階段へと走り出す。

「目的はなんです、壊れもの。ハイアードだったわたしでも理解できませんよ」

爪がかかとのぎりぎりに突き立てらえる。つんのめった夜野の背に爪が迫る。背筋が泡立つ。

ガチ、と金属が触れ合う音が空気を震わせる。

「終わったら、この野郎を何とかしろよ」

Emuががなり声をあげる。スピーカーがざらついている。


 二階は大丈夫。放り出しても、怪我をするだけ。夜野はハイアードと人の涙と血とよだれに汚れながら彼女達を外に放りなげる。錯乱の声が塔の外に満ちて遠くなる。三階は高級娼婦。人だ。放り出したら重症を負う。だから。


 夜野は窓から身を乗り出す。洗濯トラックが到着したところ。盈と村の男たちだ。夜野の姿を認めた盈が手を振る。夜野は頬の血をぬぐい、短くうなずく。

暴れる女達を放り投げ、泡を吹く女の頬をはたき、窓に外に抱え落とす。シーツを広げた男たちが受けととめる。レース地が曇り日がゆがんでいる。

「間に合ったか、わたしは」

盈が叫ぶ。夜野は小さく何度もうなずく。軋んだ関節に力が戻る。助けられる人は助けた、残るは。


【Emu】


 ロビーに鉄の音が響く。四分割した外装パネルの側面がはがれフレームと基盤がむき出しになる。緑と赤と銅の魂が覗く。相手の爪がその体に触れるたら、ショートして機能は停止する。演算回路が震える。未来予測演算が怖気ずく。

腕を跳ねのけられる。のけぞり、後退し、壁に激突する。相手の表情に笑みが張り付いている。

「人の死体と故障した装置の運命は次の装置の材料だ。ノードに飲まれるのが決まりだ」

人が滅んだ地域に革命装置のノード工場がはびこる。その材料になる。

「おしゃべり野郎が。理屈の整理整頓は暇な阿呆の性質だぜ」

Emuは吐き捨てる。俺と夜野は別だ。車輪を立てる。と、Emuの画面がバックライトが断線して消える。薄暗いガラス面に男の姿が照りかえる。男はうろたえる。張り付いた微笑み。その瞳の奥に怯えた瞳がある。怒りに内包し隠し、揺らめいている。男は背筋をほんの一瞬、こわばらせる。


【夜野】


 三階の階段からロビーに向けて飛び出す刹那に夜野は手すりを蹴る。背筋を丸め、男の背中に狙いを定める。スキを見せた男の背中。硬直が溶ける。男が振り返り天を見上げ体を縮める。口を大きく開けて赤黒い口腔を見せる。脚のバネで中を飛ぶ。

「ただのハイアードのお前にはやれぇよ」

男の爪が一つに合わさる。夜野の瞳を大きく見開くその中心を凝視する。中空で夜野は項をまさぐる。探り当ての金の一刺をその手に握り突き出す。かんざしの爪が合わせ目をとらえる。

爪の先は均等圧力でピッタリとか見合っている。鋭利なその先端は均衡している限り一つ槍だ。だが。

合わせ目の隙間をたがわずとらえたかんざしが力のバランスを崩す。6本の金属脚がぐしゃりと歪んで絡み合う。折れた傘のように歪。重心を崩れ、男はもんどりうって落下する。弾かれた夜野の背に大理石の床が迫る。激突する寸前。Emuの腕がその背を受け止める。

 間髪入れず跳ね起き、夜野は男に迫る。髪の隙間からさらに数本のかんざしをとると、男の後頭部を狙う。ぎりぎりのところで、男は上半身を捻る。

「なぜ、この村は救う。無価値な労働で体を壊して生きるている。そこまでして生産しているのは自分を見失うための薬品だ。ヤツフサから入植してまでそんなことをする連中だ。そんな暮らしをここの奴らは望んだのか?滅ぶべきだろ?故郷の血筋が悲劇に泣いてくれる。そうして記憶に残る」

男が折れた脚を振り回す。夜野は飛び退き、壁ぎわまで後退する。

「誰もがこの地を呪っている。それが真実だ。お前たちよそものにわかるか?俺はここに暮らしたんだぞ」

男のねじ曲がった脚が甲高い音を立てる。次第に元の形状を取り戻していく。夜野は臍を噛む。散らばっている瓦礫を拾い、男の額に投げつける。男は笑みを深くしながら、脚を修正しながら払い除ける。

「打つ手はないだな?そのかんざしでやれなかった」

男が息を深く吸い込む。

「ここの悲劇を故郷の・・・ヤツフサの家族に教えてやるんだ。みんな悲しみに呉れるぜ。誰も彼も生きる望みを無くすくらいの悲しい話だ。そうさ、みんな可愛そうだから殺して楽にしてやる」

笑い声がホールの冷えた空気を震わせる。虚しく中を舞う瓦礫を男の修理した脚が弾いていく。


カシャン


 液体が男の体に降り注ぐ。なんだ?ガラス?瓶か?次の瞬間、男の頭からその琥珀の液体が降り注ぐ。男はその匂いに背筋を冷やす。

「何を・・・」

揮発性の液体の蒸発し皮膚が冷える。脳神経が震える。アドレナリンが消え、麻酔が回る。即効性の毒が手足の自由を奪う。

「酩酊薬か」

抗うように男は脚を床に刺す。背中を軋ませ体を起こす。その脚は大理石を滑る。ハイアードの女達に処方されていた酩酊液。改造人体用に処方された一瓶まるごと。彼の自由を奪うのに十分な量だった。瞳が灰色に濁る。振り上げた脚が柱のをこじる。

 揮発液の中で、夜野は顎を引き息を止める。男の姿が人の形に戻る。もがき、滑り、やがて意識を無くす。体を丸め、目を閉じる。唇の端から零れたつばに血が溶けている。


 揮発した液が消えていく。かんざしを握る手に夜野は力を込める。伸びた爪が掌に傷を残す。時間の進行が思い出のように遅く変わる。夜野の目じりに幻程の憐憫がうかぶ。

「ここまでで十分じゃねぇのか。おとなしくさせたんだ。外の野郎に処分は任せろよ」

Emuがねじ曲がった車輪を回し蛇行しながら、装甲板を拾う。片手を伸ばし、夜野の手を軽く引く。体温が伝わる。

「よくやったんだろ」

夜野は首をふる。声は出ない。喉が詰まっている。

ー大丈夫、ありがとう。最後までやるー

夜野は通信で応える。目の霞を覚えながら男の元に歩み寄り、かんざしを突き立てる。

夜野の意識が続いたのはそこまでだった。


【Emu】


「三日も故障の修繕にかかるのかよ。有機生命ってのは面倒だな」

東から差し込んだ陽ざしが廃屋の窓を白く染めている。目を覚ました夜野にEmuは声を掛ける。よく乾いた藁の匂いがする。炊事場にたまった雨水で顔を流す。冬の気温が夜野の補助脳を冷やす。針が刺さったように肌が痛む。

「疲れていて。眠った、治った」

夜野はEmuに向き直る。と、瞳が鋭くとがる。と、夜野は彼を抱え上げると、あっという間に頭の蓋を外し、電源を抜き取る。


 二時間後に、Emuが再び目を覚ました時には、外装のへこみは修理され、磨き上げられている。車軸とホイールの振れも調整され、ダンパのシリコンオイルも交換されている。

「てめぇ。おせっかいが、頼んでねぇぞ」

Emuは清掃された回路にさわやかな思いを覚えながら、夜野の背中をぺたぺたと叩く。

「・・・村は・・・大丈夫?」

Emuを胸に抱いて、夜野が訪ねる。

「昨日、合同葬儀がすんだ。みんな思い出で腹が膨れて、重くなってるな」

Emuが顎で高台をさす。廃屋の窓から、村を見下ろす丘にオレンジの陽ざしが伸びている。夜野はゆっくりとうなずき、立ち上がる。


【女達】


 みすぼらしい軽石の墓石の前で小さな子が指を編んでいる。乾いた空気が死を恐れて、つむじを巻いている。陽の元へと逃げ去っている。夜野は少し離れたところで彼女が顔を上げるのを待つ。

「なんだ、知り合いか?」

と、Emu。すこしだけ、と夜野は応える。

顔を上げた少女は夜野に充血した目を向ける。その瞳に夕暮れが照りかえる。

「あなたが、わたしを。助けてくれたと聞きました」

吹き出物が頬に浮かんでいる。戦いの跡のように真ん中がくぼみ、赤く湿っている。夜野は墓石に目をむける。墓穴を掘った跡。そこら中の土が掘り起こされて雑草が苦悶に折れている。

「助けてほしくなかった」

吐息に小声がまじる。立ち上がった彼女に日差しが斜めに差す。そばかすが赤く熱を持って光っている。

「母は死んでしまった。わたしだけ生きても・・・何がありますか、この先に?」

少女が冬の冷気を磨く。とがらせる。

「なんだ、なに言ってやがる・・・そんな言い方があるのかよ・・・そんなよ・・・。こいつはみんな助けようとしたんだぞ。走って飛んで、刺して戦ったんだぞ。お前ら人間になんで、こいつを踏んずける権利がある?」

Emuが車輪を回して少女ににじり寄る。E夜野が引きとめる。

ごめんなさい、と夜野の口が小さく動く。強風が巻く。声がまぎれる。少女が薄ら笑いを浮かべる。「生きているなんて、くだらないことです」

少女がつぶやく。夜野はくよくよとうつむき、背中を向ける。

少女がケタケタと笑う。濃い酩酊剤の匂いが届く。


【Emu】


 夜野、てめぇのせいじゃねぇよ。液晶の画面の裏側でEmuは何度も表情を作り、言葉を探す。いっそ補助脳通信で遅延配信の文字メールにするか。夜野が気が付いた時に見ればいい。Emuは横目で夜野の姿をうかがう。薄っぺらい体だ。俺の話なんか一言も届かねぇ。それでも、言葉が通じるなら。意を決し息を吸い込む。そのとき、夜野が口を開く。

「わたしが、悪かったから。死んでしまった」

夜野の声はかすれている。金属の錆びた板をこするように、しわがれている。声が風に切られる。地面に落ちる。砂利道が真っ白に冬の光を照り返している。

ー夜野が悪いもんか。もっと悪くなることだって、あったんだ。俺たちはよくやったんだよー

Emuは夜野の補助脳に送り、車輪を回して彼女を追い越していく。背中を夜野が追う。



























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