第4話 王宮の残骸
王宮は、まだその形を保っていた。
周囲の建物が軒並み瓦礫と化しているなか、厚い石壁と巨大な柱に支えられた王宮は、部分的にではあるものの、かつての威容を残している。もっとも、屋根の大半は崩落し、広間には折れた柱や天井の破片が散乱していた。
フティたちは瓦礫を避けながら内部を調べていたが、やがて奥まった通路で、床下へと続く階段を発見した。
「お、地下があるぜ」
エルティが崩れかけた壁の向こうを覗き込む。階段の上部には石材が散乱していたものの、下へ行くほど損傷は少なくなっているようだった。
「ずいぶん頑丈に造ってあるのねえ。これなら下は無事かもしれないわ」
オトキが足元を確かめながら先へ進むと、サミも慎重についていく。
「暗いわね……何か出てきたりしないでしょうね」
「お前、そういうの好きじゃなかったっけ?」
「好きなのは闇に潜む存在であって、実際に襲われることではないわ!」
エルティが笑いかけたところで、先を歩くフティが足を止めた。
階段の先には、分厚い扉があった。
片側の蝶番が歪んでいたため完全には閉まっておらず、隙間から中を覗くと、壁一面に書架が並んでいるのが見えた。
「文書庫か」
フティは扉を押し開け、内部を確認した。
地下にも多少の亀裂は走っていたが、書架の大部分は倒れておらず、机の上には書類まで残されている。地上の惨状からは想像できないほど、保存状態は良好だった。
「当たりを引いたかもな」
エルティが書架に近づき、背表紙を眺める。王家の系譜、行政記録、法令集。棚ごとに分類された資料は膨大で、古いものは数百年前にまで遡っているようだった。
サミは部屋の奥にある目録を見つけると、埃を払いながら頁をめくった。
「王宮の記録がほとんど残ってるみたいね。……あら?」
目録の一角に、通常の行政記録とは異なる分類が設けられていた。
そこには『救世主継代記録』と記されている。
「救世主?」
サミの声に、フティが近づいた。
指定された書架には、年代別に整理された記録が収められていた。最も古いものは約四百年前。次いで約二百年前。そして、比較的新しい記録が一まとまりになっている。
「まず古い方から確認する」
フティが最初の記録を開き、エルティとオトキもその内容に目を通した。
四百年前、この国に一人の子どもが生まれた。
母親には懐妊に至る心当たりがなく、父親に該当する人物も存在しない。神の奇跡として記録されたその出生は、やがて世界を救う存在の誕生として語り継がれることになった。
子どもは名を与えられることで特別な力に目覚め、その力を用いて世界を救ったという。
「処女受胎、か。ずいぶん珍しい出生記録だな」
エルティが頁をめくると、そこには救世主の功績を称える記述が続いていた。何から世界を救ったのか、その具体的な経緯には不明瞭な部分も多かったが、少なくとも当時の人々にとって、救世主は崇拝の対象だったらしい。
ところが、二百年後の記録は大きく様子が異なっていた。
再び処女受胎によって生まれた子どもは、初代と同じく名前を与えられ、特別な力を宿した。
しかし、二代目はその力を暴走させ、大規模な破壊を引き起こしている。
被害の記録には、消滅した集落や失われた人命についての記述が続いていた。
「……五歳?」
サミが思わず声を上げた。
二代目救世主の年齢は、事件当時わずか五歳と記されていた。
「こんな小さな子が、これだけの被害を出したっていうの?」
オトキは記録を受け取り、前後の頁を確認した。
「どうして暴走したのかしら。何かきっかけがあったはずでしょう?」
「その記述がない」
フティが別の資料を調べても、破壊の規模や被害状況については詳しく残されている一方、暴走に至る経緯は見当たらなかった。
二代目が事件後どうなったのかについても、明確な記録はない。
「肝心なところが抜けてるなあ」
エルティが首を傾げる。
フティは記録を閉じ、隣に並ぶ法令集を手に取った。
「だが、この事件の後に何が行われたかは残っている」
そこには、次代の救世主に対する管理方針が記されていた。
次に処女受胎によって生まれた子には、決して名前を与えてはならない。
名付けによる力の覚醒を防ぐため、個人を特定する呼称を禁じ、愛情や教育も必要最低限に制限する。強い感情的結びつきを生じさせないこと。
さらに、救世主本人へ出生や力の真実を伝えることを阻む制約魔法が、世界の住民に作用していることも記されていた。
「……何よ、これ」
サミの声が低くなった。
オトキも黙って記録を読み返していたが、やがて小さく息を吐いた。
「名前もつけない、愛情も与えない、教育もしない……。そんなことをしたら、その子はいったいどうやって生きていくのよ」
「危険な力を目覚めさせないため、ということらしいな」
エルティが別の頁を指でなぞる。
「しかも、本人に事情を教えることまでできないようにしたのか。徹底してるな」
記録によれば、制約魔法は二百年前に施されて以降、この世界で生まれる者すべてに自動的に作用しているらしい。救世主の力に関する特定の情報を、当人へ伝えることができなくなる仕組みだった。
「初代は世界を救った。二代目は世界を壊した。そして三代目には、最初から何もさせないことにした」
フティは淡々と記録の内容を整理した。
「ただし、二代目が暴走した原因は不明だ。名付けが力を目覚めさせることと、暴走を引き起こすことは別の問題だろう」
「それなのに、名前をつけること自体を禁じちゃったのねえ……」
オトキの言葉に、誰もすぐには応じなかった。
書架には、二百年前に制定された管理規則が、改訂を重ねながら現在まで引き継がれてきた記録が並んでいる。
その長い年月の中で、この方針が見直された形跡はなかった。
◇
続いて調べたのは、最も新しい継代記録だった。
三代目の出生記録には、母親として王女の身分と名前が記されている。父親の欄は空白のままで、過去二代と同じく処女受胎による出生と認定されていた。
生まれたのは女児。
王宮は二百年前の法令に従い、この子を出生直後から管理対象とした。
名前は与えない。外部との接触は制限し、身の回りの世話は指定された乳母が行う。教育内容にも制限を設け、本人が出生の事情を知ることのないよう管理する。
記録はそこから、十年にわたる監視報告へと続いていた。
「今も生きていれば十歳か」
フティの言葉に、サミが顔を上げた。
「十歳……?」
その年齢には覚えがあった。
さらに資料を確認すると、少女の居住地として王都の一角にある墓地に隣接した小さな家が指定されている。
エルティが地図を広げ、記載された位置を確認した。
「おいおい。ここって……」
指先が止まったのは、彼らが調査した墓地のすぐそばだった。
「まさか、あの子?」
オトキが呟く。
フティは答える代わりに、監視記録をさらに調べた。
そこには乳母の配置、物資の配給、監視担当者の報告などが、年月ごとに整理されていた。
五年前、担当の乳母が死亡。
以降も少女の生活は継続しており、必要な物資の配給と監視は続けられていた。
少女に固有名はない。
どの記録にも、ただ『対象児』あるいは『第三代』と記されている。
「……名前、本当にないのね」
サミが書類を見つめたまま呟いた。
「十年間、一度もつけられなかったってこと?」
誰も答えなかった。
それが王宮の定めた制度であり、実際に運用されていたことは、目の前の記録が示している。
さらに新しい報告書をめくっていたエルティが、ある頁で手を止めた。
「あれ。監視担当が代わってる」
記録によれば、以前の担当者は人事異動によって職務を離れ、新たな監視役が配置されていた。
その交代からほどなくして、これまでの報告書にはなかった記述が現れる。
『対象児への外部接触を確認』
接触者は同年代の少年。
継続的に少女のもとを訪れ、会話を交わしていたと記されていた。
新任監視役はこれを王宮に報告し、接触を停止させるよう指示を受けている。
「友達がいたのね……」
オトキが報告書を覗き込んだ。
「それも禁止だったのかしら」
「規則ではそうなっている」
フティが先ほどの管理方針を示すと、エルティは顔をしかめた。
「十歳の子どもに、友達を作るなって? そりゃまた無茶な話だな」
報告書によると、少年には少女との接触を控えるよう警告が行われていた。
しかし、その後も訪問は続いている。
王宮は再度の警告を指示していたが、記録はそこで途切れていた。
「そのあとは?」
サミが尋ねると、フティは最後の日付を確認した。
「少なくとも、この書類には続きがない」
書類の日付は、王都の崩壊より前だった。
調査隊が知る限り、その後この少女がどう扱われたのかを示す記録は残されていない。
「接触していた少年の身元は?」
フティに促され、サミが報告書の最初の頁へ戻る。
そこには接触者の年齢と、確認された名前が記されていた。
『少年フィン。推定十歳』
サミの指が止まった。
「……フィン?」
エルティが隣から書類を覗き込み、オトキも静かに近づいた。
墓地で、色とりどりの花に囲まれていた少年。
そのそばに座り、楽しそうに思い出を語っていた少女。
そして、少女が大切そうに口にしていた、自分の名前。
「……リラちゃん」
オトキが小さく呟いた。
フティは報告書を受け取り、少女の監視記録と少年の接触報告を並べた。
年齢、居住地、墓地との位置関係。そして少年の名前。
すべてが一致している。
「同一人物と考えていいだろう」
フティは資料を閉じた。
「記録上、あの少女には名前がない。だが、俺たちが会ったときには、すでに名前を持っていた」
エルティが腕を組む。
「名前を与えたら力が目覚める。で、その力を恐れて、王宮はずっと名前をつけさせなかった……」
「まだ、今回の崩壊との関係はわからない」
フティはそう断ったうえで、机に広げた資料へ視線を戻した。
十年間、名前を持たず、外部との接触を制限されていた少女。
その少女に会いに通っていた少年は、王宮から警告を受けていた。
そして今、少年は亡くなり、少女だけが生き残っている。
フティはサミに資料の回収を指示すると、最後に少女の出生記録をもう一度確認した。
名前の欄には、何も書かれていなかった。
あの少女は、確かにこう言っていた。
『フィンがつけてくれたの』
王宮が十年間禁じ続けたものを、少年は少女に贈っていた。
フティは書類を閉じ、残る三人を見た。
「墓地へ戻る。あの子に、もう一度話を聞く必要がある」
地下の文書庫には、再び静寂が戻った。
ここに残された記録のどこにも、少女の名前は記されていなかった。
けれど、その少女には、もう名前があった。




