第1話 崩壊した都市の調査
白の部屋に入った四人は、真っ白な床にぽっかりと開いた穴を見下ろしていた。
前回は古びた木製の扉だった。それが今回は、蜘蛛の巣のようなひび割れに囲まれた底なしの穴である。覗き込んでも奥は真っ暗で、何も見えない。
「うへぇ……。なによ、これ。落ちるやつじゃん……」
サミが嫌そうに顔をしかめた。長い黒髪を二つに結び、左耳の横だけに鮮やかな青い髪が混ざった、小柄な少女である。グレーと紺の迷彩服には本人が追加した金具がいくつも付いており、身をかがめるたびにちゃらちゃらと音を立てていた。
その横では、フティが穴の縁を調べ終えていた。白いマッシュヘアを揺らしながら立ち上がると、
「先に行くぞ」
それだけ告げて、ためらいなく飛び込んだ。
「あっ、ちょっと!」
サミが声を上げたときには、もう姿が消えていた。
「おやおや。どうした、サミ? まさか怖いのか?」
背後から楽しそうな声がした。
エルティだった。後ろで一つに結んだ明るい茶色の髪を揺らし、緑色の目を愉快そうに細めている。
「はぁ!? 怖くないし! 我が漆黒の魂に恐怖など存在しない!」
「じゃあ、どうして飛び込まないんだ?」
「……落ちるのは、ちょっと」
エルティが吹き出した。
その横で、オトキがやれやれと肩をすくめる。百八十センチの長身に、迷彩服の上からでも分かるほど逞しい身体。短く刈り込んだ焦茶色の髪をした彼は、サミの隣にしゃがむと、大きな手を差し出した。
「ほら、サミちゃん。アタシと一緒に行きましょ」
「……別に、一人でも行けるし」
「そうねぇ。でもアタシ、一緒に行きたいのよ。いいかしら?」
サミは少し迷ってから、その手を握った。
「仕方ないなぁ。特別だからね」
「はいはい、ありがと♡」
二人が手を繋いで飛び込むと、間もなく闇の奥から悲鳴が響いた。
「いやあああああああっ!!」
「ははっ、本当に落ちるのか!」
エルティは楽しそうに笑い、そのあとを追った。
足元の感覚が消え、身体が一気に下へ引っ張られる。風が耳元を唸り、目を開けていても何も見えない。しばらくすると身体がふわりと浮くような感覚があり、やがて不意に落下が終わった。
「いやー、今回は当たりだったな!」
着地したエルティが満足そうに笑う。
少し離れたところでは、サミがオトキの腕にしがみついていた。
「うぅ……もうやだ……」
「あらあら、よく頑張ったわねぇ」
「こ、怖くなかったって……」
「うんうん、そうよね♡」
エルティがもう一度からかおうと口を開きかけた、そのときだった。
鼻の奥に、嫌な臭いが入り込んできた。
何かが焼け焦げたような臭い。それに混じって、腐った肉を思わせる重苦しい臭気が漂っている。
エルティの笑みが消えた。
「……なんだ、これ」
すでに周囲を確認していたフティが、短く指示を出した。
「全員、マスクをしろ」
四人はそれぞれ装備からマスクを取り出し、素早く装着した。
そして改めて、周囲を見渡した。
そこには、崩壊した都市が広がっていた。
建物は無残に崩れ、通りには大量の瓦礫が散乱している。壁が吹き飛ばされ、内部を剥き出しにした建物もあれば、屋根だけを残して押し潰された家もあった。
焦げた柱が折り重なる場所からは、今も細い煙が立ち上っている。
かつては人々が行き交っていたであろう大通りにも、人の気配はなかった。
ただ、焼け焦げた臭いと腐敗臭だけが、街の至るところに漂っている。
フティはしばらく周囲を見渡してから、崩れた建物の一つへ目を向けた。
「状況を確認する。まずは、残っている建物からだ」
その声を合図に、四人は瓦礫を避けながら、比較的原形を留めている建物へ向かった。
通りに面した壁は大きく崩れていたものの、奥の部分はまだ残っている。入口の扉は傾き、その取っ手には『休業中』と書かれた札がぶら下がっていた。
「休業中だったみたいだな」
エルティが札を指で裏返すと、反対側には『営業中』と書かれていた。
フティは崩れた壁や天井を確認すると、三人を連れて店内へ入った。
店内には倒れた棚や割れた陶器が散乱していた。奥には大きな焼き窯があり、調理器具や作業台も残っている。
「パン屋か」
エルティが棚の一つを起こすと、床に散らばっていた小さな木箱が転がった。
「建物の壊れ方を見ておいてくれ。何か記録があれば回収する」
フティの指示を受け、四人は手分けして調べ始めた。
外壁は通りの反対側へ倒れ、棚や家具も同じ方向へ押し流されている。周囲の建物にも似たような損傷が見られたことから、何らかの強い力が一定の方向から加わった可能性があった。
その頃、奥の作業場を調べていたオトキが、壁に掛かったカレンダーを見つけた。
「あら、これ使えそうね」
日付の横には買い出しや仕込みの予定が書き込まれている。店の営業記録としても使っていたらしく、細かな数字が並ぶ日もあった。
その中に、何度か『墓参り』という文字があった。
オトキが声をかけると、フティが確認に来た。
「回収しておこう」
「はーい! 我が虚空の宝物庫に、新たなる記録を封印せん!」
サミが得意げに片手を掲げる。
オトキがカレンダーの状態と発見場所を記録し、壁から慎重に取り外すと、サミはそれを収納した。
「記録、確保!」
「助かった。次へ行くぞ」
「えっ、もう終わり?」
サミが少し拍子抜けしたように尋ねる。
「ここで分かることは限られている。街全体を確認する方が先だ」
フティはそう答えて出口へ向かった。
エルティも最後に店内を見渡した。倒れた棚、割れた食器、使われなくなった焼き窯。少し前まで人が暮らしていたはずの場所が、今は静まり返っている。
四人はパン屋を後にした。
街の奥へ進むにつれ、被害の大きさがはっきりしてきた。
通りには倒壊した建物の瓦礫が積み重なり、押し潰された荷車や、折れた街灯のようなものが散乱している。その合間には、買い物籠を手にしたまま倒れている人の姿もあった。
オトキが一人の傍らに膝をつき、状態を確認する。
しばらくして、静かに首を振った。
「……駄目ね」
フティは周囲を見渡し、まだ原形を留めている建物へ目を向けた。
「生存者がいる可能性もある。周囲を確認しながら進むぞ」
四人は倒れた人々の状態や建物の損傷を記録しながら、慎重に通りを進んだ。
途中、崩れた家の軒先には、瓦礫を人の手でどけたような跡が残っていた。近くには水差しと毛布が置かれ、地面にはいくつもの足跡が重なっている。
「誰か、ここにいたみたいね」
オトキが毛布を持ち上げると、下にはまだ乾ききっていない土が付着していた。
「助かった人もいるってことかな」
サミが周囲を見回すものの、返事をする者はいない。
エルティは建物の崩れ方を調べながら、通りの先へ視線を向けた。
「こっちへ行くほど、壊れ方がひどくなってるな」
倒れた柱や壁の向きを確認すると、いずれも街の奥から強い力を受けたように見える。
フティも周囲の損傷を確かめ、先へ進むよう促した。
やがて通りの建物が途切れ、低い石塀に囲まれた場所が見えてきた。崩れた門柱の向こうには、大小さまざまな墓石が並んでいる。
「……墓地か」
エルティが呟き、門の数歩手前で足を止めた。
「……ん?」
灰と土埃の積もった地面に、何かを引きずったような筋が残っている。近くには小さな足跡もあり、筋を挟むように不規則に続いていた。
「フティ、ちょっと来てくれ」
三人が集まると、エルティは地面を指さした。
「これ、倒壊でできた跡じゃないよな」
フティはしゃがみ込み、筋の周囲を確認した。
「足跡もあるわね。それも随分小さい」
オトキが指摘すると、サミも身をかがめた。
「子供の足跡?」
「可能性はあるな」
フティは立ち上がり、跡の続く先を見た。
「辿ってみよう」
四人は足跡を踏まないように気をつけながら門をくぐった。
引きずった跡は墓地の奥へと続いていた。
「ねえ、フィン。覚えてる? 初めて一緒にクッキーを食べた日のこと」
「あのときね、クッキーって、一人で食べるより二人で食べた方がおいしいんだって、初めて知ったの」
「けんかもしたよね。あのときは、もう来てくれないかと思った。でも、次の日も来てくれたでしょう」
「……嬉しかったな」
四人は足を止めた。声は崩れた墓石の向こうから聞こえてくる。
フティを先頭に墓石の間を進むと、少し開けた場所に一人の少女が座っていた。年の頃は十歳ほどだろうか。
少女の前には色とりどりの花が並べられ、その中央に一人の少年が横たわっている。少女の身体と花に隠れ、少年の様子はよく見えなかった。
「それでね、フィンが――」
そこまで話したところで、少女が四人に気づいて振り返った。
「あ……こんにちは」
突然現れた見知らぬ大人たちに少し驚いた様子だったが、少女はすぐに挨拶をした。
「わたし、リラっていうの。フィンがつけてくれたの。いい名前でしょう?」
最後の言葉には、少しだけ嬉しそうな響きがあった。
四人は互いに顔を見合わせた。
最初に口を開いたのはオトキだった。少女と目線を合わせるようにしゃがみ、できるだけ穏やかな声で尋ねる。
「……ねえ、リラちゃん。そこにいる子は?」
「フィンだよ。ばあやと同じなの。亡くなったの」
リラは花に囲まれた少年へ目を向けた。
オトキはその言葉を聞いて、しばらく黙っていた。
「……そう。つらかったわね」
「……うん。でも、まだフィンに話したいことがたくさんあるから、毎日ここに来てるの」
その返事に、オトキは小さく頷いた。
フティは周囲を見渡した。墓石のいくつかは倒れ、地面には亀裂が走っている。街で見てきた被害はここにも及んでおり、少年もあの災害に巻き込まれたのかもしれない。
エルティは墓地の入口から続く跡を振り返り、再び少女へ目を向けた。サミも口を挟まず、オトキの隣で二人の様子を見守っている。
「あ、そろそろ帰らなきゃ。お腹すいちゃった」
リラはそう言って立ち上がった。
「お家は近いのかしら?」
「うん。あっちにあるの」
リラが指さした先には、墓地の向こうに小さな家が見えていた。周囲の建物が大きく損壊している中で、その家はまだ原形を留めているようだった。
「一人で暮らしているの?」
「うん。ばあやが亡くなってから、ずっと一人だよ」
オトキは何か言いかけたものの、そのまま口を閉じた。
リラは膝についた土を払うと、花に囲まれた少年へ向き直った。
「フィン、また明日」




