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第6話 それぞれの初戦

 地区予選当日。


 会場の空気は、御影工房とはまるで違っていた。


 広いホールに、いくつものレヴアリーナが並んでいる。


 透明な外壁。


 高い外周レーン。


 四つのアクセルスロープ。


 中央のセンターゾーン。


 そして、その外側すべてに広がるオーバーゾーン。


 練習で何度も見たはずの標準型アリーナなのに、会場に置かれているだけで別物に見えた。


 周囲には、選手たちの声。


 ランチャーの確認音。


 ギアケースを開ける音。


 モニターに映るトーナメント表。


 観客席から聞こえる小さなざわめき。


 レンは、胸の奥が少しだけ重くなるのを感じた。


 公式戦。


 ここで勝たなければ、東日本予選には進めない。


 分かっていたことなのに、会場に立つと重さが違った。


「人、多いね!」


 隣でヒナが言った。


 声は明るい。


 けれど、ブレイズリリーのケースを握る指には力が入っていた。


 レンはそれを見て、少し意外に思う。


「緊張してる?」


「してる!」


 ヒナは即答した。


「してるんですか」


「するよ。公式戦だもん」


 そう言ってから、ヒナはにっと笑った。


「でも、ちょっと楽しい」


 レンは小さく頷いた。


 ヒナらしいと思った。


 怖さと楽しさを、同じ場所に置ける。


 レンにはまだ、それが少し難しい。


 会場の入り口近くで、シオンが受付の案内を確認していた。


 その横には、珍しくツカサもいる。


 腕を組み、眠そうな目で会場全体を眺めていた。


「受付はあっち」


 シオンが戻ってきて、二人に言った。


「レンは認定クラス。ヒナちゃんはオープンクラス。受付も待機エリアも別」


「ほんとに別なんだ」


 ヒナが少しだけ口を尖らせる。


「同じ会場にいるのに?」


「同じ会場だけど、トーナメントは別。アリーナも進行も別」


「むぅ……」


 ヒナは不満そうだった。


 それから、すぐにレンを見る。


「じゃあ、ここで一回別れるってこと?」


「そうなるね」


 シオンが答える。


 その言葉に、レンは少しだけ胸が引っかかった。


 ここまで一緒に練習してきた。


 アクセルスロープを使う練習。


 四ポイント制。


 相手の主張を見ること。


 次に当たりに行ける形を残すこと。


 全部、ヒナと一緒に確かめてきた。


 けれど、本番では別々のトーナメント。


 レンは認定クラス。


 ヒナはオープンクラス。


 今年、公式戦で二人が当たることはない。


 それは分かっていた。


 でも、こうして会場で別れる瞬間が来ると、思ったより遠く感じた。


 ヒナも同じだったのか、ブレイズリリーのケースを胸の前で抱えた。


「レン」


「はい」


「勝ってね」


 まっすぐだった。


 レンは一瞬、返事に迷う。


 でも、その迷いは長く続かなかった。


「ヒナも」


「うん。私は勝つよ」


 ヒナは言い切った。


「オープンで勝って、来年は認定に上がる。そしたら、レンと公式戦で戦えるかもしれないでしょ」


「……そうだね」


「だから、レンもちゃんと勝ってて」


 その言葉は、約束のようだった。


 来年。


 同じトーナメント。


 今はまだ遠い。


 でも、ヒナはもうそこを見ている。


 レンもブラックミラージュのケースを握った。


「僕も、勝つ」


 ヒナは嬉しそうに笑った。


「よし」


 シオンが二人の肩を軽く叩いた。


「いい顔。じゃあ、まずは受付。試合前に迷子にならない」


「迷子にならないよ!」


「ヒナちゃんは勢いで別のアリーナ行きそう」


「行かない!」


 ヒナが抗議する。


 そのやり取りに、レンは少しだけ笑いそうになった。


 緊張が、わずかにほぐれる。


 その時だった。


 認定クラスの待機エリア側から、聞き覚えのある声がした。


「九条レン?」


 レンの足が止まった。


 振り向く。


 そこにいたのは、真堂ハヤトだった。


 短く整えた髪。


 赤いギアケース。


 以前ショップ大会で見た時と同じ、落ち着いた目。


 レンを倒した相手。


 外周から速度を乗せ、横から弾く主張を通した相手。


 ハヤトは少しだけ目を細める。


「やっぱり出てたんだ」


「……真堂くん」


「久しぶり、ってほどでもないか」


 ハヤトは軽く笑った。


 悪意のある笑いではなかった。


 ただ、試合で勝った相手を見つけた時の、静かな余裕があった。


 レンは喉が少しだけ乾くのを感じる。


 あの時の音が戻ってくる。


 ブラックミラージュが浅く触れた音。


 赤いギアに弾かれた衝撃。


 スタジアムの外へ転がる感覚。


 ハヤトはレンのギアケースを見る。


「今日は認定クラスか」


「うん」


「なら、当たるかもな」


「……そうだね」


 ヒナがレンとハヤトを交互に見る。


「この人が、レンに勝った人?」


 あまりにまっすぐ聞いたので、レンは少しだけ慌てた。


「ヒナ」


 ハヤトは少し驚いたようにヒナを見たあと、苦笑した。


「そういうことになるかな」


「レン、今は前より強いよ」


 ヒナは言った。


 ハヤトの眉がわずかに動く。


 レンも驚いてヒナを見る。


 ヒナは真剣だった。


「だから、次は簡単には勝てないと思う」


 ハヤトは少し黙った。


 それから、レンを見た。


「そう」


 短い返事。


 けれど、その目はさっきより少しだけ鋭くなっていた。


「じゃあ、楽しみにしてる」


 ハヤトは赤いギアケースを持ち直す。


「前と同じなら、また飛ばす」


 その言葉に、レンの指が固くなる。


 前と同じなら。


 そうだ。


 前と同じなら、また負ける。


 アクセルスロープを下ったハヤトのギア。


 その横腹に入れず、浅く触れて飛ばされた。


 同じなら、勝てない。


 でも。


 レンはブラックミラージュのケースを握った。


「同じにはしない」


 声は小さかった。


 でも、口に出せた。


 ハヤトはレンを見る。


「なら、試合で」


 そう言って、認定クラスの待機エリアへ歩いていった。


 ヒナが小さく息を吐く。


「なんか、静かに強そう」


「強いよ」


 レンは答えた。


「でも、次は勝つんでしょ?」


「……うん」


「なら大丈夫」


 ヒナはそう言って笑った。


 根拠はない。


 でも、その言葉が少しだけレンを支えた。


 シオンが時計を見る。


「そろそろ受付。ヒナちゃん、オープンの受付は向こう。私が一緒に行く」


「うん」


「レンは認定の受付。ツカサさん、お願い」


 ツカサは短く頷いた。


「行くぞ」


「はい」


 ここで、二人は別れた。


 ヒナは数歩歩いたところで、振り返った。


「レン!」


 会場のざわめきの中でも、その声ははっきり届いた。


「東日本予選で会おう!」


 レンは少しだけ目を見開く。


 そして、頷いた。


「うん。東日本予選で」


 ヒナは満足そうに笑って、シオンと一緒にオープンクラスの受付へ向かった。


 白いギアケースが、人混みの中に消えていく。


 レンはその背中を見送った。


 別々の道。


 でも、目指す場所は同じ。


 東日本予選。


 そして、いつか同じトーナメント。


「行くぞ」


 ツカサの声で、レンは我に返った。


「はい」


 認定クラスの受付は、オープンクラスよりも少し静かだった。


 選手たちの雰囲気も違う。


 大声で騒ぐ者は少ない。


 それぞれがギアを確認し、ランチャーの感触を確かめ、モニターの進行表を見ている。


 公式ランクや過去実績を持つ選手たち。


 ここにいる全員が、少なくとも何かを通してきた選手だ。


 レンは受付を済ませ、参加証を受け取った。


 そこには、認定クラスと書かれている。


 その文字が、少し重い。


 ツカサが横から言った。


「重いか」


 レンは小さく息を止めた。


「……少し」


「資格は、お前が昔取ったものだ」


「はい」


「だが、今日戦うのは昔のお前じゃない」


 レンは顔を上げる。


 ツカサはモニターを見ていた。


「神童と呼ばれていたかどうかは関係ない。落ちたか、消えたかも関係ない」


 淡々とした声。


 けれど、逃げ場のない言葉だった。


「今の一投で、何を通すかだ」


 レンはブラックミラージュを見る。


 昔の自分。


 今の自分。


 勝てる線だけが見えていた頃。


 勝てる線の隣に、負ける線まで見える今。


 それでも、今日戦うのは今の自分だ。


「はい」


 レンは小さく答えた。


 その頃。


 オープンクラスの受付を終えたヒナは、シオンと一緒に待機エリアへ入っていた。


 こちらは認定クラスよりもずっと騒がしい。


 初出場らしい選手。


 仲間同士で盛り上がる選手。


 静かに目を閉じている選手。


 ギアを何度も組み直している選手。


 雰囲気がばらばらだった。


 シオンの言った通りだ。


 何が出てくるか分からない。


「ほんとに色んな人いるね」


 ヒナが言う。


「オープンはそういう場所。データが少ない分、初見対応が大事」


「初見対応……」


「相手が何を通したいか、早く見ること」


 ヒナはブレイズリリーのケースを握る。


「レンみたいに?」


「レンみたいに全部見ろとは言わない。ヒナちゃんは、相手の一撃を見たら、次に自分がどこへ戻るかを考える」


「次に当たりに行ける形」


「そう」


 シオンは頷いた。


「一撃目で全部使わない。外された後、当てた後、次へ戻る形を残す」


「分かってる」


 ヒナはそう言ってから、少しだけ笑った。


「たぶん」


「そこは言い切ってほしかった」


「本番で分かる!」


「本番で分かるのはちょっと怖いけど、ヒナちゃんらしいね」


 その時、オープンクラスのモニターに一回戦の組み合わせが表示された。


 ヒナは自分の名前を探す。


 橘ヒナ。


 一回戦。


 対戦相手。


 相馬リク。


「相馬リク……」


 ヒナは名前を読み上げた。


「知ってる?」


 シオンが聞く。


 ヒナは首を振る。


「知らない」


 シオンは端末で簡単に検索する。


「公式データは少ないね。地区ローカルの大会に何度か出てる。タイプは……たぶんディフェンス寄り」


「たぶん?」


「オープンはデータが薄いからね。これくらいしか分からない」


 ヒナはモニターを見つめた。


 知らない相手。


 データも少ない。


 でも、怖いというより、胸が少し熱くなる。


 オープンは地雷が多い。


 名前を知られていない強者が混ざる。


 シオンはそう言った。


 なら、この相手もそうかもしれない。


 楽な場所ではない。


 だからこそ、燃える。


「ディフェンス寄りなら、守ってくるんだよね」


「たぶんね」


「じゃあ、押し切る」


 ヒナが言うと、シオンは少しだけ眉を上げた。


「それだけ?」


「……だけじゃだめ?」


「だめとは言わない。でも、守る相手に一撃目で全部使うと、受けられた後に止まるよ」


「あ」


 ヒナはブレイズリリーを見る。


 一撃目で全部使わない。


 次へ戻る形を残す。


 練習で何度も言われたこと。


 でも本番になると、つい最初から燃やしたくなる。


 ヒナは小さく息を吐いた。


「一つ目で全部行かない」


「うん」


「二つ目へつなぐ」


「うん」


「でも、決められるなら決める」


「それはヒナちゃんらしい」


 シオンは笑った。


「大事なのは、決まらなかった時に消えないこと」


 ヒナは頷いた。


「分かった」


 その直後、アナウンスが流れた。


『オープンクラス、一回戦。第一アリーナ。橘ヒナ選手、相馬リク選手。準備をお願いします』


 ヒナの胸が鳴った。


 いよいよだ。


 初めての地区予選。


 オープンクラスの一回戦。


 ブレイズリリーを握る手に、熱が集まる。


「ヒナちゃん」


 シオンが言った。


「何を通す?」


 ヒナは顔を上げる。


 何を通すか。


 前へ出る。


 燃やす。


 でも、一撃で終わらない。


 外されても、受けられても、次へ行く。


 火を残す。


 ヒナはブレイズリリーをランチャーにセットした。


「私の火を、次まで残す」


 シオンは満足そうに笑った。


「いい答え」


 ヒナは第一アリーナへ向かった。


 大型のレヴアリーナ。


 外周レーン。


 四つのアクセルスロープ。


 全方向のオーバーゾーン。


 相手選手、相馬リクはすでに向かい側に立っていた。


 落ち着いた表情。


 青灰色のギアケース。


 ヒナが軽く頭を下げる。


「よろしくお願いします!」


「よろしく」


 相馬リクは短く返した。


 その静けさに、ヒナは少しだけ背筋を伸ばす。


 相手は燃えていないように見える。


 でも、だから弱いとは限らない。


 オープンクラス。


 何が出てくるか分からない場所。


 ヒナはブレイズリリーを構えた。


 観客席のざわめきが遠くなる。


 シオンの声も、今は聞こえない。


 聞こえるのは、自分の呼吸と、ランチャーを握る手の感覚だけ。


 審判が手を上げる。


「ファーストバトル」


 ヒナはアリーナを見る。


 一つ目のアクセルスロープ。


 二つ目。


 三つ目。


 全部は使わない。


 全部を使い切らない。


 でも、火は消さない。


「スリー」


 相馬リクのギアが構えられる。


「ツー」


 ヒナの目が燃える。


「ワン」


 今年はレンと戦えない。


 だから、今年は勝つ。


 来年、同じ場所へ行くために。


「リリース!」


 白い火が、地区予選のアリーナへ落ちた。

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