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第5話 認定クラスとオープンクラス

# 第5話 認定クラスとオープンクラス


 四ポイント制の練習を終えた後も、ヒナはしばらくアリーナの前から離れなかった。


 ブレイズリリーを手に、さっきの最後のセットを何度も思い返している。


 一つ目のアクセルスロープ。


 二つ目へのつなぎ。


 レンに誘導された進路。


 後ろから触れられて、外壁へ流された瞬間。


 オーバーゾーンへ落ちた白いギア。


「むぅ……」


 ヒナは分かりやすく唸った。


 レンはブラックミラージュをケースにしまいながら、その横顔を見る。


「まだ悔しいの?」


「悔しいよ!」


 ヒナは即答した。


「だって、最後のやつ、自分で二つ目に行ったと思ったのに、レンに行かされてたんでしょ?」


「たぶん」


「たぶんじゃなくて、そうだったじゃん!」


 ヒナはブレイズリリーを持ち上げる。


「次は引っかからない」


「僕も、次は違う形にする」


「むっ」


 ヒナは少しだけ目を細めた。


「そういうとこ、レンって意外と負けず嫌いだよね」


「ヒナほどじゃないと思う」


「私は分かりやすいだけ」


「それはそう」


「納得しないで!」


 工房に、シオンの笑い声が響いた。


 御影工房の奥。


 大型レヴアリーナの横にあるモニターには、地区予選の案内画面が表示されている。


 認定クラス。


 オープンクラス。


 その二つの文字を、ヒナはさっきから何度も見ていた。


 四ポイント制の練習が終わった直後、シオンは地区予選の話をした。


 レンは認定クラス。


 ヒナはオープンクラス。


 今年の地区予選では、二人が公式戦で当たることはない。


 その事実が、ヒナにはかなり不満らしかった。


「やっぱりさ」


 ヒナがモニターを指差す。


「同じ大会なのに、別って変じゃない?」


「変じゃないよ」


 シオンは端末を操作しながら答えた。


「地区予選は同じ会場でやるけど、トーナメントはクラス別。認定クラスとオープンクラスで分かれてる」


「じゃあ、私も認定がいい」


「ヒナちゃんならそう言うと思った」


「だって、レンがそっちなんでしょ? 同い年なのに、私だけオープンってなんか嫌」


「オープンが下ってわけじゃないよ」


 シオンはモニターの画面を切り替えた。


 そこには、地区予選の大会形式が簡単に表示されている。


 認定クラス。


 公式ランク、または過去実績を持つ選手が出場するクラス。


 オープンクラス。


 ランク未確定の選手、初参加に近い選手、復帰勢、公式ポイントが足りない選手が出場するクラス。


「認定クラスは、実績持ちが多い。だから平均的には強い」


「やっぱりそっちの方が強いじゃん」


「平均ではね。でもオープンは別の意味で怖い」


「怖い?」


「データが少ないから」


 シオンは端末を軽く叩いた。


「新人もいる。大会に出てないだけの実力者もいる。昔やっていて戻ってきた復帰勢もいる。公式ポイントが足りないだけで、実力は認定級の選手も混ざる」


「つまり?」


「何が出てくるか分からない」


 ヒナは少し黙った。


 シオンは続ける。


「認定クラスは強い選手が多い。でも、ある程度は情報がある。オープンクラスは、名前を知られていない強者が突然出てくる。初見対応がかなり大事」


「初見対応……」


「そう。相手が何を通したいか、試合の中で見つける力が必要になる」


 ヒナはブレイズリリーのケースを握る。


「じゃあ、楽なところじゃないんだ」


「少なくとも、ヒナちゃんが思ってるほど安全な場所ではないね」


 ヒナの目が少しずつ燃え始めた。


「なら、そこでいい」


「切り替え早いね」


「強い人がいるなら、燃やせるから」


 シオンは楽しそうに笑った。


 レンは、そのヒナの横顔を見ていた。


 ヒナは、自分がどこに置かれるかより、そこで誰と戦えるかを見ている。


 認定か、オープンか。


 上か、下か。


 そういうことではなく。


 燃やせる相手がいるかどうか。


 それが、ヒナの基準なのだ。


 けれど、ヒナはすぐにまたモニターへ視線を戻した。


「でも、今年はレンと公式戦で当たれないんだよね?」


 その声には、やはり少しだけ不満が残っていた。


「基本的にはね」


 シオンが答える。


「地区予選も東日本予選も、クラス別で進む。だから、今年の公式戦で二人が当たる可能性はほとんどない」


「ほとんど?」


「東日本本戦の形式によっては可能性がゼロじゃない場合もあるけど、現実的には来年以降だね」


「来年……」


 ヒナは小さく呟いた。


 いつもならすぐに言葉が返ってくるのに、その時だけ少し間があった。


 今ではない。


 すぐではない。


 レンと公式戦で戦うには、今年オープンクラスで結果を出して、認定クラスに上がる必要がある。


 遠い。


 でも、ヒナはその遠さに怯えなかった。


 ブレイズリリーのケースを、ぎゅっと握る。


「じゃあ、来年レンと戦うために、今年勝つ」


 レンは思わずヒナを見る。


「そんな簡単に……」


「簡単じゃなくても、そうする」


 ヒナは言った。


 迷いのない声だった。


「レンは認定で勝って。私はオープンで勝つ。来年は、同じ場所で戦う」


 その言葉は、約束みたいだった。


 レンはすぐには返事ができなかった。


 ヒナは未来を簡単に口にする。


 でも、軽く言っているわけではない。


 彼女は本当に、そこへ行くつもりでいる。


 勝てるかどうかではなく。


 まず、そこへ行くと決めている。


 その強さが、レンには眩しかった。


「……分かった」


 レンは小さく頷く。


「僕も、勝つ」


「うん!」


 ヒナは満足そうに笑った。


 シオンは二人を見て、少しだけ目を細める。


「いいね。じゃあ今年は、それぞれのクラスで勝ち上がること」


「了解!」


「はい」


 そこで、ヒナはふと首を傾げた。


「でもさ」


「何?」


「なんでレンは認定クラスなの?」


 空気が、少しだけ止まった。


 レンは答えなかった。


 シオンも、一瞬だけ言葉を選んだ。


 御影工房の奥で作業していたツカサの工具音だけが、小さく響いている。


 ヒナはその変化に気づき、慌てたように手を振った。


「あれ、聞いちゃだめなやつ?」


「だめじゃないよ」


 シオンが静かに言った。


「レンは公式ポイントと過去実績を持ってる。だから認定クラスに出られる」


「過去実績?」


「うん。レンはジュニア時代、東日本の大会でかなり有名だったんだよ」


 ヒナの目が丸くなる。


「有名?」


「神童って呼ばれてた」


「神童?」


 ヒナがレンを見る。


 レンは少しだけ視線を落とした。


「昔の話だよ」


「でも、神童ってすごくない?」


「本当に昔の話だから」


 思ったより硬い声が出た。


 ヒナが口を閉じる。


 自分で言ってから、レンは少しだけ後悔した。


 ヒナが悪いわけではない。


 ただ、その言葉を向けられるのが苦手だった。


 神童。


 それは、昔のレンの呼び名だ。


 勝てる線だけが見えていた頃の呼び名。


 危ない線を知らず、迷わず飛び込めていた頃の呼び名。


 今の自分とは、遠い。


 遠すぎる。


 シオンはレンを見て、すぐに深く踏み込むことはしなかった。


 代わりに、端末を操作して過去の大会記録をモニターに映す。


 そこに、いくつかの名前が並んだ。


 九条レン。


 神崎レオ。


 霧島アレン。


 ヒナはその名前を読み上げた。


「神崎レオ……霧島アレン……?」


「レンと同じ世代の強い選手たち」


 シオンが言った。


「今も認定クラスで戦ってる。特にアレンは、昔から“最も負けない男”って呼ばれてる」


「最も負けない男……」


 ヒナは少しだけ声を落とした。


 その呼び名だけで、強い選手だと分かったのだろう。


「レオは?」


「熱いよ」


「熱い?」


「真正面から来る。自分の主張を隠さない。止められるなら止めてみろってタイプ」


「それ、ちょっと好きかも」


 ヒナが素直に言う。


 シオンは笑った。


「ヒナちゃんとは気が合うかもね」


 レンはモニターの名前を見つめていた。


 神崎レオ。


 霧島アレン。


 ジュニア時代、東日本の大会へ行けば、そこにはいつも彼らがいた。


 学校が同じだったわけではない。


 普段から遊ぶような関係でもない。


 けれど、大会会場ではよく顔を合わせた。


 レオはいつも声が大きかった。


 試合前から燃えていて、勝っても負けても全力だった。


 レンとぶつかれば、真正面から押し込んできた。


 読めるなら止めてみろ。


 そんな主張を、そのまま回してくるような選手だった。


 アレンは逆に、いつも静かだった。


 勝っても大きく喜ばず、負けても崩れない。


 どんな相手にも、どんな展開にも、淡々と対応する。


 周りが焦るほど、アレンは崩れなかった。


 最も負けない男。


 その呼び名は、子どもの頃から不思議と似合っていた。


 二人とも、レンが神童と呼ばれていた頃を知っている。


 だからこそ、今のレンには会いづらい相手でもあった。


 昔のレンを知っている人間の前に立つのは、少し怖い。


 昔なら行けた。


 昔なら勝てた。


 昔なら迷わなかった。


 そう思われるのが怖い。


「その話は、今はいいです」


 レンは静かに言った。


 シオンはレンを見た。


 そして、少しだけ頷く。


「そうだね。今は地区予選の方が大事」


 モニターの画面が切り替わる。


 地区予選。


 認定クラス、エントリーリスト。


 名前が並んでいく。


 レンは自分の名前を見つけた。


 九条レン。


 その少し下。


 見覚えのある名前で、画面の中の時間が止まった。


 真堂ハヤト。


 レンの呼吸が、わずかに浅くなる。


 赤いギア。


 外周で速度を作り、アクセルスロープから横へ弾く主張。


 ショップ大会でレンをオーバーに飛ばした相手。


 勝てる線が見えていた。


 でも、触れなかった相手。


 ヒナもその名前に気づいた。


「この人……」


 レンを見る。


「この人……レンがショップで負けた相手?」


「うん」


 レンは頷いた。


「真堂ハヤト。認定クラスに出るみたいだね」


 シオンが言った。


 レンは黙っていた。


 名前を見ただけで、あの時の音が戻ってくる。


 赤いギアがアクセルスロープを下る音。


 黒いギアが浅く触れた音。


 透明な外壁に弾かれ、オーバーゾーンへ転がったブラックミラージュ。


 そして、ハヤトの言葉。


 同じなら、また飛ばす。


 同じなら、また負ける。


「レン」


 ヒナの声がした。


 レンは顔を上げる。


 ヒナは真堂ハヤトの名前を見ていた。


 けれど、その目に不安はなかった。


「次は勝てるよ」


 簡単に言った。


 あまりにも簡単だった。


 レンは少しだけ苦笑する。


「そんなに簡単じゃない」


「簡単じゃなくても、勝てるようになってきたじゃん」


「……まだ分からないよ」


「じゃあ、分かるまで練習しよう」


 ヒナはブレイズリリーのケースを持ち上げる。


「私はオープンで勝つ。レンは認定でその人に勝つ。で、二人で東日本予選に行く」


「また簡単に言うね」


「言わないと始まらないって、前も言ったでしょ」


 ヒナは笑った。


 レンは何も言えなかった。


 その単純さに救われる自分がいる。


 同時に、少しだけ怖くもなる。


 勝つと言うのは簡単だ。


 でも、その線に入る瞬間、自分の指がまた止まったら。


 そう思うと、胸の奥が重くなる。


 シオンが手を叩いた。


「はい。今日はここまで」


「えっ、もう?」


 ヒナが不満そうにする。


「大会前にやりすぎて調子を崩したら意味ないでしょ」


「でも、もう一回だけ」


「だめ」


「じゃあ半分だけ」


「半分って何」


 シオンは呆れたように笑う。


「今日は体を休める日。二人とも、家でギアの点検とイメージだけ」


 ヒナは渋々頷いた。


「分かった……」


 レンも頷く。


「はい」


 その夜。


 レンは自室の机にブラックミラージュを置いていた。


 部屋の明かりは小さい。


 窓の外は暗い。


 机の上で、黒いギアだけが静かに光を受けている。


 ブラックミラージュ。


 昔から使ってきた相棒。


 何度も勝ち、何度も負けた。


 レンは指先でブレードの外周をなぞる。


 白く残った細かい接触跡。


 その中には、ハヤト戦でついたものもある。


 真堂ハヤト。


 地区予選で当たるかもしれない。


 いや、当たらなければいけない気がした。


 あの負けを、そのままにしたくない。


 レンは椅子に座ったまま、目を閉じる。


 すると、昔のアリーナが浮かんだ。


 今より小さく感じる、ジュニア用のスタジアム。


 歓声。


 光。


 相手のギアが外周を走る。


 レンには、線が見えていた。


 ただ一本。


 そこに入れば勝てる線。


 迷いはなかった。


 怖くもなかった。


 ブラックミラージュが相手の横腹へ入る。


 接触。


 相手のギアが崩れる。


 歓声が上がる。


 誰かが言う。


 神童だ、と。


 レンは目を開けた。


 机の上には、今のブラックミラージュがある。


 昔と同じギア。


 でも、自分は同じではない。


 昔は、勝てる線だけが見えていた。


 だから、そこへ行けた。


 今は違う。


 勝てる線のすぐ隣に、負ける線が見える。


 半歩ずれたら飛ばされる線。


 深く入りすぎたらギアに負荷がかかる線。


 触れた瞬間、相手の主張に飲み込まれる線。


 見えるものが増えた。


 そのはずなのに。


 強くなった気がしない。


 むしろ、動けなくなった。


 レンはブラックミラージュを握る。


「……次は」


 声に出してみる。


 部屋の中に、小さく響いた。


「次は、触れる」


 勝てる線が見えていた。


 でも行けなかった。


 その過去を、地区予選で終わらせる。


 レンはギアケースを閉じた。


 地区予選まで、あと六日。


 真堂ハヤトの名前が、まだ頭の中に残っていた。


 そして、シオンが映した二つの名前も。


 神崎レオ。


 霧島アレン。


 昔の自分を知っている相手。


 いつかまた、同じアリーナで会うかもしれない相手。


 その時、自分はどう見えるのだろう。


 消えた神童か。


 落ちた神童か。


 それとも。


 レンは静かに目を閉じた。


 まだ答えは出ない。


 けれど、もう逃げることはできない。


 東日本予選へ進むために。


 ヒナと約束した場所へ向かうために。


 そして、いつか同じトーナメントでヒナと戦うために。


 ブラックミラージュと一緒に、もう一度あの線へ触れるために。


 レンは暗い部屋の中で、静かに拳を握った。

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