第4話 四ポイントの重さ
四ポイント制。
その言葉は、昨日までの練習とは少し違う重さを持っていた。
スピンフィニッシュは一点。
オーバーフィニッシュは二点。
バーストフィニッシュは三点。
四ポイント先に取った方が勝ち。
一回勝てば終わりではない。
一回負けても終わりではない。
次に何を狙うか。
相手は何を変えてくるか。
自分は一点を取りに行くのか、二点を狙うのか。
それを考えながら、四ポイントを取り切る。
勝ち切る。
その難しさを、レンもヒナもまだ知らなかった。
御影工房の奥。
大型レヴアリーナの前で、レンとヒナは向かい合っていた。
昨日と同じ公式標準型に近いアリーナ。
外周レーン。
四つのアクセルスロープ。
バトルリング。
センターゾーン。
そして、全方向に広がるオーバーゾーン。
ヒナはブレイズリリーを手に、昨日の感覚を思い出していた。
一つ目で全部を使わない。
二つ目へつなぐ。
火を残す。
昨日、最後の一本でヒナはレンに勝った。
一撃で押し切ったわけではない。
一つ目のアクセルスロープで作った勢いを残し、二つ目へつなげた。
その結果、終盤でブレイズリリーがわずかに残った。
初めて掴んだ感覚だった。
だから、今日もそれを使いたい。
使えば、勝てる気がする。
ヒナはそう思っていた。
レンも同じアリーナを見ていた。
昨日、ヒナに負けた。
一つ目のスロープ出口では触れた。
でも、二つ目へつながる線を止めきれなかった。
ヒナの火は、一撃で終わらなかった。
その事実が、レンの中に残っている。
次は止める。
一つ目ではなく、二つ目へ入る前。
火がつながる場所を切る。
それが、今日のレンの課題だった。
シオンはアリーナ横のモニターを操作した。
画面にスコアが表示される。
九条レン、ゼロ。
橘ヒナ、ゼロ。
「今日から四ポイント制でやるよ」
シオンが言った。
「本番と同じ?」
ヒナが聞く。
「地区予選も基本は四ポイント先取。スピン一点、オーバー二点、バースト三点」
「オーバー取ったら二点……」
ヒナの目が少し輝く。
「じゃあ、飛ばした方が早いね」
「ヒナちゃんはそう言うと思った」
シオンは苦笑した。
「でも、オーバーを狙って外されたら、自分が落ちる。全方向オーバーだからね」
「うっ」
ヒナはアリーナの外側を見る。
透明な外壁の向こう。
そこへ出れば終わり。
昨日も何度も外へ流れかけた。
アクセルスロープの勢いは強い。
けれど、その勢いは自分にも返ってくる。
シオンは今度、レンを見る。
「レンは逆に、スピンで勝とうとしすぎるかもね」
「僕が?」
「うん。相手を崩す、ずらす、終盤で残る。レンの戦い方には合ってる。でも試合では、自分から二点を取りに行く場面も必要になる」
レンはブラックミラージュを見る。
自分から二点を取りに行く。
それは、少し苦手な言葉だった。
レンは相手の隙を見る。
相手の流れに触れる。
主張をずらす。
でも、自分から大きく点を取りに行くことは少ない。
深く入れば、リスクも大きくなるからだ。
「今日のテーマは、勝ち切ること」
シオンは二人を見る。
「一本ごとの勝ち負けじゃなくて、四ポイントをどう取るか。二人とも、それを考えて」
ヒナが拳を握った。
「分かった。じゃあ、私が四ポイント取る」
「分かりやすいね」
「レン、今日も勝つから」
レンは小さく息を吐いた。
「昨日は負けたけど、今日は止める」
「いいね」
ヒナは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、止められるなら止めてみて」
二人はランチャーを構えた。
シオンが手を上げる。
「ファーストバトル」
アリーナの空気が静かになる。
ヒナの狙いは、おそらく昨日の成功形。
一つ目で全部を使わない。
二つ目へつなぐ。
そこからスピンで残るか、あるいはオーバーを狙う。
レンは、それを止める必要がある。
ただ受けるだけではだめだ。
ヒナが二つ目へ入る前に触る。
火がつながる前に、角度をずらす。
「スリー」
シオンの声。
「ツー」
ヒナの視線は、外周レーンの先にあるアクセルスロープへ向いている。
「ワン」
レンは、二つ目のスロープを見た。
「リリース!」
二つのギアがアリーナへ落ちた。
ブレイズリリーは外周レーンへ走る。
ブラックミラージュは内側へ落ちる。
ヒナは昨日と同じように、一つ目のアクセルスロープへ向かった。
ただし、全力ではない。
一つ目で全部を使わない角度。
レンにも分かる。
ヒナはもう、昨日の最後の感覚を使おうとしている。
白いギアがアクセルスロープを下る。
加速。
ブレイズリリーがバトルリングへ切り込む。
レンは正面から受けない。
一つ目の出口で浅く触れる。
カンッ。
ブレイズリリーの角度がわずかにずれる。
だが、ヒナは無理に戻さない。
外へ流す。
二つ目へつなぐ。
昨日と同じ。
いや、昨日よりも少し滑らかだ。
白いギアは外周レーンへ戻り、二つ目のアクセルスロープへ向かう。
ヒナの主張が通りかけている。
ここだ。
レンはブラックミラージュを内側から走らせる。
ブレイズリリーが二つ目のスロープへ入る直前。
速度がまだ乗り切っていない場所。
そこへ、黒い影が触れた。
カンッ。
軽い接触。
しかし、効いた。
ブレイズリリーの進入角度がずれる。
二つ目の下り坂に乗りきれない。
白いギアがバトルリングへ落ちる前に、外側へ膨らんだ。
「あっ」
ヒナの声。
ブレイズリリーは外周に残ろうとする。
だが、角度が悪い。
速度だけが残り、内側へ戻る形が消える。
ブラックミラージュが、その後ろから触れる。
後追い。
ドッ。
強い音ではない。
けれど、ブレイズリリーの姿勢は崩れた。
白いギアが外壁へ寄る。
全方向オーバー。
外へ出れば終わり。
ヒナは息を呑む。
ブレイズリリーは外壁に当たり、跳ね返ろうとした。
レンは追いすぎない。
深く入れば、自分も外へ流れる。
浅く触る。
次を作らせない。
カンッ。
もう一度、ブラックミラージュが触れた。
ブレイズリリーが外壁を越える。
場外へ転がった。
「オーバーフィニッシュ。レン、二ポイント」
シオンの声が響く。
モニターにスコアが出る。
九条レン、二。
橘ヒナ、ゼロ。
ヒナは場外のブレイズリリーを見ていた。
「……今の、二つ目に入る前?」
「うん」
レンが答える。
「二つ目に入られると、昨日みたいにつながるから」
「だから、その前に止めたんだ」
「止めたというか、ずらした」
ヒナはブレイズリリーを拾い上げる。
悔しそうだった。
でも、目は沈んでいない。
「じゃあ、三つ目まで考える」
シオンが少しだけ目を開いた。
「早いね」
「二つ目を止められるなら、三つ目に行く」
レンはアリーナを見た。
四つのアクセルスロープ。
一つ目。
二つ目。
三つ目。
ヒナはもう次の線を見ている。
負けた直後なのに、次の火を探している。
その速さが、少し怖かった。
「セカンドバトル」
シオンが告げる。
スコアはレン二、ヒナゼロ。
レンがリードしている。
だが、安心はできない。
ヒナがオーバーを取れば、一瞬で同点。
バーストなら逆転。
四ポイント制では、二点差は大きいようで、すぐに消える。
ヒナはランチャーを構えた。
さっきより少しだけ力が抜けている。
一つ目で決める気配ではない。
二つ目でもない。
もっと先を見ている。
レンは考える。
三つ目までつなぐなら、ヒナは一つ目と二つ目で無理をしない。
つまり、最初の二回は浅い。
そこで深く崩しに行くと、逆に三つ目へ誘導されるかもしれない。
なら、どこを見る。
ヒナの主張は、火をつなぐこと。
その先で、強い一撃を作ること。
止めるなら、火が一番強くなる前。
でも、早すぎると逃げられる。
「スリー」
レンは息を吸う。
「ツー」
ヒナの目は、外周を見ている。
「ワン」
三つ目のアクセルスロープ。
そこへ行かせない。
「リリース!」
二つのギアが落ちる。
ブレイズリリーは外周へ。
ブラックミラージュは内側へ。
一つ目のアクセルスロープ。
ヒナは下る。
だが、力を乗せすぎない。
レンが浅く触れる。
カンッ。
ブレイズリリーは流れる。
崩れない。
二つ目のアクセルスロープ。
ヒナはまた下る。
今度も、全力ではない。
レンは触りに行く。
だが、ヒナはその接触を待っていた。
ブレイズリリーがわずかに外へ逃げる。
ブラックミラージュの接触が浅く外れる。
レンの目が開く。
外された。
ヒナは二つ目で決める気がなかった。
二つ目を通過点にした。
ブレイズリリーは外周レーンを走る。
三つ目のアクセルスロープへ向かう。
そこに、火が残っている。
いや、残してきた。
ヒナの主張が強くなる。
「いくよ!」
ヒナの声。
ブレイズリリーが三つ目のアクセルスロープへ入る。
下る。
一つ目、二つ目で残した回転と角度を、ここで一気に乗せる。
昨日の一撃とは違う。
最初から全部を燃やした一撃ではない。
つないで、つないで、最後に強くする一撃。
白いギアがバトルリングへ切り込む。
レンは受けようとした。
面で受けて、勢いを逃がす。
だが、ヒナの角度がずれている。
昨日までのまっすぐな突進ではない。
外へ逃げるようで、内側へ入る。
ブラックミラージュの受けを、半分だけ外す角度。
ドッ!
ブレイズリリーの一撃が入った。
ブラックミラージュが外へ弾かれる。
レンは歯を食いしばる。
外壁が近い。
透明な壁にぶつかり、黒いギアが跳ねる。
戻れ。
戻れ。
だが、ブレイズリリーは止まらない。
三つ目からの勢いを残したまま、もう一度触れる。
ドゴッ!
ブラックミラージュが外壁を越えた。
「オーバーフィニッシュ。ヒナ、二ポイント」
モニターが更新される。
九条レン、二。
橘ヒナ、二。
同点。
ヒナは大きく息を吐いた。
「取った……!」
その声は、ただ嬉しいだけではなかった。
自分で考えた形が通った。
一つ目で全部行かず、二つ目で誘い、三つ目で決める。
火をつないだ。
レンは場外のブラックミラージュを拾った。
負けた。
ヒナに、同じ形ではなく、変化した形を通された。
悔しい。
でも、今の一撃は強かった。
「今の、すごかった」
レンが言うと、ヒナは少し照れたように笑った。
「でしょ」
「でも、次は止める」
「いいよ。止められるなら止めてみて」
シオンが笑った。
「二人とも、いい顔になってきたね」
レンはブラックミラージュをランチャーにセットする。
スコアは二対二。
ここからが、四ポイント制の本当の重さだ。
次にスピンを取れば三点。
オーバーを取れば勝ち。
どちらも勝ち筋がある。
だが、焦れば負ける。
「サードバトル」
シオンが言った。
ヒナは息を整えている。
さっきオーバーを取った。
普通なら、同じように攻めたくなる。
だが、ヒナも分かっているはずだ。
レンは対応する。
では、ヒナは変えるのか。
それとも、さらに強く通すのか。
レンはアリーナを見る。
四つのアクセルスロープ。
全方向オーバー。
今は、どの線も危なく見える。
でも、全部を追えば遅れる。
見るべきは、ヒナの主張。
ヒナは今、何を通したいのか。
さっきは三つ目で決めた。
だから次も三つ目、とは限らない。
オーバーで勝てる場面。
ヒナなら狙う。
でも、さっきより警戒されることも分かっている。
なら。
ヒナは、あえてスピンを取りに来るかもしれない。
一撃で飛ばすのではなく、レンを外へ追いやり、回転を削る。
レンはブラックミラージュを構える。
このセットは、取られたくない。
「スリー」
シオンの声。
「ツー」
ヒナの表情は真剣だった。
「ワン」
レンは、最初のスロープではなく、ヒナの目を見た。
「リリース!」
二つのギアが落ちる。
ブレイズリリーは外周へ走る。
だが、さっきより少し遅い。
全力の外周ではない。
ヒナはオーバーを狙っていない。
少なくとも、初手では。
ブレイズリリーが一つ目のアクセルスロープを浅く下る。
レンは深く触らない。
カンッ。
軽くいなす。
ブレイズリリーは外へ流れず、バトルリングに残る。
二つ目へ行くか。
いや、行かない。
ヒナは内側へ入った。
ブレイズリリーが、ブラックミラージュの近くに残る。
連続接触。
カンッ、カンッ。
重い一撃ではない。
細かく触れて、ブラックミラージュの姿勢を乱してくる。
レンは気づく。
ヒナはスピンを取りに来ている。
オーバーの二点ではなく、スピンの一点。
なぜ。
今、スコアは二対二。
オーバーを取れば勝ちに近づく。
でも、ヒナはあえて一点を狙っている。
次のセットを有利にするため。
レンにオーバーを警戒させ、受け身にさせた状態で、細かく削る。
レンは一瞬遅れた。
ブレイズリリーの細かい接触が、ブラックミラージュの回転を削る。
レンは後追いへ入ろうとする。
だが、ヒナは内側に残る。
外周へ逃げない。
アクセルスロープを使わない。
使わないという選択。
それも主張だった。
ヒナが小さく言う。
「今度は、ここで残る」
レンは息を呑む。
昨日までのヒナなら、外へ出て加速していた。
でも今は、内側に残っている。
次へ当たりに行ける形を、外周ではなくバトルリングの中に作っている。
レンは面で受けようとする。
しかし、ブレイズリリーの接触は強打ではない。
受け流すほどの勢いがない。
逆に、軽い接触でブラックミラージュの姿勢だけを崩してくる。
終盤。
ブラックミラージュがわずかに傾く。
ブレイズリリーも苦しい。
だが、内側に残った分、回転のロスが少ない。
最後、黒いギアが先に倒れた。
「スピンフィニッシュ。ヒナ、一ポイント」
モニターが変わる。
九条レン、二。
橘ヒナ、三。
ヒナがリード。
レンはブラックミラージュを拾い上げる。
今の負けは、重かった。
オーバーを警戒していた。
ヒナはそこを外して、スピンを取った。
四ポイント制だからこその一点。
次、ヒナがスピンを取れば終わり。
レンはオーバーを取れば逆転勝ち。
だが、ヒナもそれを分かっている。
「ヒナちゃん、今の判断良かったよ」
シオンが言った。
「ほんと?」
「うん。オーバーを取った後に、次も大振りしなかった。ちゃんと一点を取りに行った」
ヒナはブレイズリリーを見る。
「四ポイント制って、かなり難しいね」
「分かってきたね」
レンは黙っていた。
ヒナが先に、四ポイント制の流れを使った。
単発ではなく、試合として。
その事実が、悔しかった。
「レン」
シオンが言う。
「今、何が足りなかった?」
レンは顔を上げる。
「ヒナがオーバーを狙うと思いすぎた」
「うん」
「さっきの一撃が強かったから、次もスロープを使うと思った。でも、ヒナは内側に残った」
「それで?」
「相手の主張を、前のセットから決めつけた」
シオンは頷いた。
「そう。相手は変わる。特にヒナちゃんは、今すごく変わってる」
「なんか褒められてる?」
ヒナが少し嬉しそうに言う。
「褒めてるよ」
「やった」
レンは小さく息を吐いた。
相手は変わる。
勝った形も、負けた形も、次にそのまま出てくるとは限らない。
なら、レンも変わらなければならない。
「フォースバトル」
シオンの声。
スコアは、レン二、ヒナ三。
次で決まる可能性がある。
ヒナはあと一点で勝ち。
レンはオーバーで二点を取れば、四対三で逆転。
レンがスピンを取れば三対三。
試合は続く。
レンは考える。
ここでオーバーを狙えば勝てる。
だが、ヒナは警戒している。
全方向オーバーの危険を分かったうえで、内側に残るかもしれない。
なら、無理に飛ばしに行くのは危険だ。
でも、スピンを取りに行っても、ヒナはあと一点で勝ち。
守りに入れば、削られる。
必要なのは、自分から流れを作ること。
ブラックミラージュの主張を通すこと。
相手の隙間に入る。
ただし、相手が作った隙ではなく、自分で隙を作る。
レンはアリーナを見た。
一つ目のアクセルスロープ。
二つ目。
三つ目。
四つ目。
ヒナは、どこでも攻められるようになってきている。
なら、こちらが場所を決める。
ヒナを、特定のスロープへ誘導する。
そして、その出口で待つ。
レンの中で、一本の線が細く光った。
危ない。
でも、勝てるかもしれない。
「スリー」
ヒナが構える。
「ツー」
レンはランチャーの角度を変えた。
「ワン」
狙うのは、ヒナではない。
ヒナが行きたくなる場所。
「リリース!」
二つのギアが落ちる。
ブラックミラージュは、いつもより外側へ出た。
ヒナが一瞬だけ反応する。
レンが外周へ。
その迷いを見逃さない。
ブラックミラージュは一つ目のアクセルスロープ近くを浅く通り、ブレイズリリーの進路をふさぐ。
ヒナはそれを避ける。
外へ出る。
二つ目のアクセルスロープへ向かう。
レンの狙い通りだった。
ヒナは、自分で選んだつもりで、二つ目へ誘導されている。
レンは内側へ落ちる。
待つ。
ブレイズリリーが二つ目のアクセルスロープを下る。
速度が乗る。
ヒナは気づいた。
「誘導……!」
気づくのが早い。
だが、もう遅い。
ブラックミラージュはスロープ出口の真正面にはいない。
少し後ろ。
進行方向の背中側。
後追いの位置。
ブレイズリリーが下りきった瞬間、ブラックミラージュが触れた。
カンッ。
浅く。
深く入らず。
だが、確実に。
ブレイズリリーの角度が外側へずれる。
全方向オーバーの外壁が近づく。
ヒナは戻そうとする。
ブレイズリリーは強い。
外へ流れながらも、内側へ戻る力がある。
レンは追いすぎない。
でも、離れない。
もう一度、背中へ触れる。
カンッ。
ブレイズリリーが外壁へ当たる。
跳ね返る。
まだ落ちない。
ヒナが叫ぶ。
「まだ戻れる!」
白いギアが外壁から戻る。
その瞬間。
レンは内側へ逃げず、面で受けた。
ブラックミラージュの外周が、ブレイズリリーの戻り際に触れる。
正面から止めるのではない。
戻る力を、横へ逃がす。
ブレイズリリーが再び外へ滑る。
ヒナの目が開く。
レンの指は、もう迷っていなかった。
「ブラックミラージュ」
小さく呟く。
黒いギアが最後に浅く触れた。
ドッ。
大きな音ではない。
でも、十分だった。
ブレイズリリーが外壁を越え、オーバーゾーンへ落ちた。
「オーバーフィニッシュ。レン、二ポイント」
シオンの声が響いた。
モニターが更新される。
九条レン、四。
橘ヒナ、三。
「勝者、レン」
静かになった。
ヒナは場外のブレイズリリーを見ていた。
レンはブラックミラージュを拾い上げる。
勝った。
四ポイント制で。
でも、息が上がっていた。
単発の勝ちとは違う。
セットごとに相手が変わる。
点差によって狙いが変わる。
次に何を通すか、何を通させないか。
それを考え続ける。
四ポイントは、重かった。
「負けたぁ……!」
ヒナが悔しそうに声を上げた。
けれど、その顔は沈んでいなかった。
「最後、誘導された!」
「うん」
「私、自分で二つ目に行ったと思ったのに!」
「そう見えるようにした」
「レン、そういうことするんだ」
ヒナは悔しそうにしながらも、少し楽しそうだった。
「次は引っかからないから」
「僕も、次はもっと早く止める」
シオンが満足そうに頷いた。
「かなり良かったよ、二人とも」
ヒナが振り向く。
「私、負けたけど?」
「負けたけど、かなり良かった」
「それ昨日も聞いた」
「でも今日は意味が違う」
シオンはモニターのスコアを指差した。
「単発じゃなくて、試合になってた。ヒナちゃんは点の取り方を変えた。レンは最後、相手の行きたい場所を誘導した」
レンはブラックミラージュを見る。
相手の主張を通さず、自分の主張を通す。
最後のセットで、少しだけそれができた気がした。
相手の線を見るだけではなく、相手が通りたくなる線を作る。
そこへ誘導し、後ろから触れる。
それは、これまでのレンにはなかった勝ち方だった。
「でも、まだ本番じゃない」
シオンの声が、少しだけ引き締まる。
レンとヒナが顔を上げる。
「地区予選では、今みたいに一セットごとに相手が変わる。しかも、初見の相手ばかり」
シオンは端末を操作した。
画面に、地区予選の案内が表示される。
認定クラス。
オープンクラス。
二つのトーナメント。
同じ会場で行われる、別々の予選。
ヒナが画面を覗き込む。
「認定と、オープン?」
「その説明は次にしようか」
シオンは言った。
「レンは認定クラス。ヒナちゃんはオープンクラスになると思う」
「え、別なの?」
ヒナの表情が変わる。
「じゃあ、私とレン、公式戦で当たらないの?」
その声には、分かりやすい不満があった。
シオンは少しだけ笑う。
「今年はね」
「今年は……?」
「来年、同じ場所に立てるかどうかは、これからの結果次第」
ヒナは黙った。
レンも画面を見る。
認定クラス。
オープンクラス。
地区予選。
その先にある、東日本予選。
そして、さらに先。
まだ何も始まっていないのに、道だけが見えた気がした。
ヒナはブレイズリリーを握り直す。
「じゃあ、私は今年勝つ」
シオンが目を細める。
「早いね」
「オープンで勝って、来年レンと戦える場所に行く」
ヒナはレンを見る。
「レンも勝っててよ」
レンは少し驚いた。
ヒナは、当たり前のように未来を口にする。
今日負けたばかりなのに。
いや、負けたからこそ、次を見ている。
レンはブラックミラージュのケースを握った。
「うん」
声は小さかった。
でも、はっきりしていた。
「勝って待つ」
ヒナは嬉しそうに笑った。
「約束ね」
地区予選まで、あと六日。
二人の道は、同じようで、少しずつ分かれ始めていた。
けれど、目指す場所はまだ同じだった。
勝つこと。
次へ進むこと。
そして、いつか同じアリーナで、本気でぶつかること。
黒い影と白い火は、まだ始まったばかりだった。




