第97話 首を絞められる
息ができない……喉仏が奥に押し込まれて気持ち悪い。
軌道が締め付けられる。酸素が取り込めない。
暴れたい。締め付けてくるその手を退けたい。でも身体は動かないのだから抵抗できない。
「ああ、苦しそう。すごくいい表情……素敵だわ」
先生の表情は変わらない。僕の首を絞めているというのに、不敵な笑みをずっと浮かべているままだ。
心臓のドクドクを身体中に感じる。全身が脈をうっている。
殺される……僕は殺されてしまう。
「日本には、かつて即身仏なんて風習があったわ。僧がミイラになって、同時に仏となる修行があった。そう、ミイラを神様として敬い、崇めるの。あなたも、ミイラにしてしまえば、先生だけの神様として、一生この祭壇で崇められるわ……」
ミ、ミイラだと!?
先生は、僕を本気で殺す気だ。それも恨みや妬ましさやによるものではない、自身だけのものであってほしいという身勝手な欲望のために。
その気持ちに畏怖を覚える。
間もなく、視界が暗くなってきた。
かつてない苦しみに、身体は暴れ狂いそうになる。それでも動けなくて、ただただ苦しすぎて、狂いそうだ。
日和さんは眠ったままだ。助けを求めたくて、何とか声を漏らそうとするも、声を発する空気なんて喉から出てこず、彼女に届かない。
震える瞳で、先生は僕を見つめる。
「表情が強張ってきたわね。口もパクパクさせて魚みたい。いいよ、そのまま果てなさい。そして、素敵な存在に生まれ変わりなさい」
すぐそこに迫る死を実感して、猛烈な恐怖に動かない身体が戦慄する。
「ああ、もうすぐ星也さまが先生のものになる。このときが待ち遠しかった。ずっとずっと望んでいた。そのときが、神様のお導きがついに来た……」
嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ!!
苦しい苦しい苦しい苦しい!!
胃から何かがせり上がってきそうで、それでも喉が閉まっているから出てこない。
涙と鼻水で顔が湿った感覚がある。視界が真っ暗になり、頭がクラクラする。
もう駄目なのかもしれない。世界の終わり以前に、まさかこんな形で僕は尽きてしまうのか。
悔しくて悲しい。やっと日和さんと親密になれたのに、こんなお別れになってしまうなんて。
悲しくて悲しくて。涙が止まらない。
「あはは、さあ、あとちょっと……」
ギュッと締めつける力が強くなる。
僕は首を絞めつけられて、死んでしまう……死んでしまうのだ……
「その手を話せ!!」
暗闇の中、朦朧とする意識にその声は突き刺さった。
とたん、喉を締め付ける先生の手が緩み、酸素が鼻と口から一気に入り込んでくる。
「ゴホッゴホッ」
咳が出る。息をとにかく吸い込みたいのに、咳が止まらなくて苦しい。それでもわずかに吸い込める酸素で、難を逃れた。
あの声は誰だ。日和さんではなかったが、何処かで聞き覚えがある。
「あ、あんた、何者よ……」
警戒する先生の声とともに、見えてきた視界の中で、先生が窓のほうを見ている姿が映った。
僕も荒く息を吸いながら、微かに動かせる首と視線を窓の方へ向けた。
開かれた窓、外から入り込む風にカーテンがヒラヒラと揺れる。そんな窓枠の上に、忍者、いや忍が、しゃがむように佇んでいた。
「拙者、忍でござる」
暗くてもわかる、目立つ桃色の装束。
頭には頭巾、口元には布マスク。着物っぽい上着に袴、そして手甲と脚絆。見た目はまんま忍び装束だと言うのに、そのピンクの色合いは忍ぶ気を感じさせない。
また小柄な印象で、身長も低ければ身体も軽そうなことが見て取れる。胸のふくらみも控えめだ。
あれが、僕の家のベランダに侵入し、そして電車で僕に痴漢をしてきた忍の姿か。相変わらず、語尾にござるをつけているな。
「忍が、何の用かな」
「貴様が一線を越えようとした。だから許せず止めに入ったのでござる」
一線だと?
「お、お前、見ていたのか、一部始終を」
「ええ、見ていたでござるよ。拙者は木野さまを常に見ているのだから」
「つ、常に見ていいる?」
まさにストーカ―のような発言。
「じゃあ、早く助けに入ってよ!」
「いや、もしかしたらそういうプレイをしている可能性を考えて、少し様子を見ちゃったでござる」
なんて、忍は両手を合わせて謝るポーズをとった。
「なに、あんたもラバーズなの? 星也さまは渡さないわよ、絶対」
「ええ、もらうつもりはありません。拙者は木野さまの幸せが第一でござる。だから拙者は、はたから木野さまの幸せそうな生活を、ただ見ているだけで幸せでござったのだ。いわば、推しの幸せが第一、て感じの精神でござる」
なんで忍は、僕を推しに見立てて言うが。
「でも、大切な人が死んでしまったら意味がない。と言うか、それはやってはいけないでござろう。貴様、教師のくせに倫理観どうなってるんだ」
「ああああ、うるさいわね!!」
先生はいきなり怒髪天を衝いたような表情を浮かべると、再びそのか細い両手が、僕の首へと伸びてきた。
「先生は、星也はまがそばにいてくれないと、もう生きていけないの……だから、邪魔をしないで頂戴!!」
「バカが!!」
その一瞬、颯のような速度で忍が飛びかかり、先生に前蹴りをかました。先生は声を上げる間もなく、軽々と吹っ飛び、押し入れの襖を突き破ったのだった。




