第96話 先生の神様
僕はかつて先生に行った手助けを思い返す。
「ぼ、僕はただ、重たそうな資料をかわりに運んだり……」
「君から資料を運んでいる先生に気がついて駆け寄ってきて、重たそうなので手伝いますって、言ってくれたわね」
「ホームルームのとき、みんなが静かにならないから呼びかけたり……」
「先生が呼びかけても静かにならなかったら、毎回君は呼びかけてくれたね」
「そんな、ちょっと真面目だっただけで大したことはしていないはずです」
「ううん、君は大したことをした。そういう細かな手助けを、君はたくさん先生にしてくれた。先生を助けてくれる人なんて、あの学校には君しかいなかったの。ほかの教師も生徒も、先生を手伝ってくれないし、仕事を押しつけるし増やすしで、憎かったしすごく鬱になっていたわ。でも先生は、君という存在があったから、教師を続けられたの」
「な、なぜそこまで僕を……」
「君が、星也さまだけが、先生を見てくれていたから」
「見ていたって……」
「もちろん、教師なのだから登壇すればみんな目を向けてくれるけれど、そういうことではないわ。教壇にいるときの先生ではなくて、先生自信を人として見てくれていたのは、星也さま、あなただけだったの」
あのころ、先生のことを気にかけていた人が僕以外にいなかったというのか。いや、気にかけた人は別にいたと思う。先生も大変だねー、なんて他愛もない雑談を日和さんとした記憶がある。
けれど、気にかけたから助けてくれた、という人は僕以外にいなかった、ということなのだろう。
「あのころは星也さまがいたから、先生は頑張れたわ。星也さまのためになりたい、なんて思いながら生きていた。でも、今の先生の勤め先に、星也さまはいない。先生の生きる意味がないの……」
先生は床に這いつくばる僕の元へ近寄ると、未だ痺れる僕の身体を動かし、仰向けの状態にした。
「な、なにを?」
すると僕の上に跨って、それはまるで愛おしそうに僕の頬を撫でてきた。
先生、軽い。ずっしりとしない、まるで子どもが跨っているかのよう。阿奈さんにまたがられたときより、身体で感じる体重が軽すぎる。
先生の姿は、隣の部屋の明かりが逆光になり、顔が影っていて、その少し笑むような表情が怖く見えた。
「今の星也さまは、もう栗村日和さんのもの、なのね……」
「ええ、そうです。僕は日和さんの彼氏ですから」
推し活のような祭壇があることから、先生に思われていることは分かる。
けれど先生の雰囲気がなんだか異様だ。僕のことをさま付けで呼んでいるが、それはまるで推しに対しての呼び方とはなんだか違って聞こえて、もっと深みがあるように感じる。
「そう、それならなおさら、先生のものにしてしまわないと」
不穏なことを口にすると、先生は僕の首筋を優しくさすってきた。
首筋を人さし指でなぞると、喉仏を軽く押してくる。首を触られる感覚は、くすぐったいが、同時に少しだけ苦しくなる。
今の僕は動けない。つまりされたい放題で、また僕はこの人に、ほかの人たちにされたように、性的な誘惑を受けるのだろうか。
いや、誘惑どころではない。抵抗ができないのだから、されたい放題だ。一方的に犯されることだって想定できる
日和さんは眠っているままだ。
「ひ、日和さん! 起きて、日和さん!」
呼びかけてみるが。
「無駄、あの子は起きない。通常の倍以上薬を仕込んだのだから、起きられるはずがない」
なんて絶望的な状況に陥ってしまった。
「せ、先生、何をする気ですか?」
先生はただひたすら首筋を撫でると、顔を寄せてきては囁くように話す。
「さっき、外で先生が寝ちゃってたとき、星也さまは先生のことを助けに来てくれたよね。実は途中から目覚めていたのだけれど、そのまま寝たふりをつづけてたの」
「ど、どうして……」
「嬉しかったからよ。また助けてくれたことが、心の底から嬉しかった。でもその善意を、先生以外の人に向けてほしくないって、すごく心の狭いことを考えてしまったわ」
先生の細い片手の指たちが、僕の喉を優しくつかんできた。気道を少し押さえられるような気持ち悪さに、悪寒がする。
「先生は、星也さまのことが好きです。愛しています。でも、この気持ちは普通の人間に対する愛とは違う。敬い、いいえそれ以上に、崇拝に近い。先生にとって、星也さまは、もはや神様も同然なの」
「僕が、神様?」
「ええ。先生にとっての神様。でも、星也さまは先生のものではない」
「そ、そうです……」
「先生のものに、なる気はない?」
「ぜ、絶対になれないです」
「そう。だったら、先生だけの神様に、先生が仕立て上げるわ」
何を言っているのだ。理解ができない。だが先生は話し終えると、ため息よりも深く息を吐き出した。そしてもう片方の手も、僕ののどに絡めてきた。
先生の両手が、僕の喉を挟む。
嫌な予感がする。
さっきから、先生から色っぽさを感じない。今まで僕を好きだと言ってきた人は、フェロモンをムンムンに放出して僕に訴えかけてきたからか、正直僕もムラッと来ることがあったけれど。
先生の何かを望むような笑みは怖い。ゾッとする。気分が昂ぶらない。
本能が、死の恐怖を感じ取って怯えている。
痺れているのに、肩が小刻みに震える感覚がわかる。
先生は、今までの人とは違う。
この人が抱いているものは……もはや殺意だ。
気がついた瞬間。僕の気道は、先生の両手にぐっと締め付けられた。
先生は、僕の喉を本気で締め付けてきたのだ。




