第94話 薬を盛られる
「先に、この先のリビングに行って座ってて。先生は紅茶も用意して持ってくから」
「私手伝いますよ」
「いいよ、お客さんなんだからゆっくりしてて」
そう言われ僕らは廊下を進んだ先にある部屋の戸を開けたが。
「あ、くれぐれも隣の寝室は覗かないでね」
「わ、わかってます」
リビングも廊下同様にゴミが散乱……とまでは言わないくらいで。思った以上に片付いてる、とも言い切れないが、しかし散らかってはいてもゴミは確認できず、日常生活で必要なものがあちらこちらに散らばっていた。
一人暮らしの女性の部屋であるのだが、しかしこのリビング自体は案外置かれているものはシンプルで、中央には四角の座卓があり、壁際にはテレビ。その隣に適当な本や小物が置かれた棚や、スーツや上着を下げたラックがある。
片側の壁には襖があり、その先には先生の寝室があるのだろう。
「とりあえず、座りましょうか」
「そうだね」
あまり部屋を物色しては申し訳ないので、僕らは座卓に腰を下ろした。そしてソワソワしながら、先生が来るのを待つ。
「お待たせ〜」
すぐに、先生はお盆を持ってリビングにやってきた。パステルカラーの可愛らしいお盆の上には、液体の入った適当なマグカップが三つと、皿に盛られたケーキが三人分用意してあった。
「ありがとうございます」と僕らはケーキと紅茶の入ったマグカップ、そしてフォークも一本ずつ受け取った。
「それじゃ、いただいちゃって」
「はい、いただきます!」
僕と日和さんは合掌を済ませると、日和さんは紅茶をゴクゴクと飲のんでから、遠慮なくケーキを、丁寧に一口サイズにすくい取って口に運ぶ。
「うーん、美味しい」
なんて、可愛らしくほころぶ。僕もケーキを小さく一口いただいた。
「このケーキ、美味しいですね」
「ね、クリームにミルクのコクがあって、くどくないしバクバク食べれちゃう」
「喜んでもらえてよかったわ。高めのケーキを買っちゃった甲斐があった」
先生は紅茶を飲みながらしっとりと話す。
「今更だけどごめんなさいね、デートの邪魔しちゃって」
「いえいえ、お気になさらないでください」
「それよりも先生、ちゃんとご飯は食べられてますか?」
余計なお世話かもしれないが、僕は心配になったことを聞いた。
「どうして?」
「さっきパンパンのゴミ袋をいくつか見ましたけど、カップ麺の蓋ばかりで……」
そう、この家に入ったときに見た、散乱したゴミ袋たち。袋は縛ってあったが、透ける表面に見えたゴミは、カップ麺や冷凍物の袋ばかりだった。
「……まあ、簡単に済ませられるからね」
栄養の偏ったものと、そして大量に摂取するお酒。
「食べに行ったりはしないんです?」
「行ってるよ。さっきだって飲みに行って、あんな醜態をさらしちゃったんだだから」
外食をしてもそれはお酒を飲むためで。
「お酒は、毎日たくさん飲んでるんです?」
「まあね、お酒はね、現実逃避させてくれるから」
お酒は自分を楽にしてくれる。だから毎日摂取してしまう。
なんだか、鬼頭さんのときに似ている。鬼頭さんも仕事が大変すぎて、ご飯もろくに食べていなかったほど。そこで、少し気にかけただけの、ただのコンビニの店員である僕を、欲してしまって暴走した。それだけ、精神的に追い詰められていた。
先生も、今は追い詰められている状態だ。このままでは、破滅してしまいそうで、いたたまれない。だからこそ、僕は先生の力になりたいと考える。自分の面倒を見てくれた人だからこそ、少しでも助けになりたいと思う。
「先生、僕らでよければ、先生の力になりますから。愚痴のはけ口にしてしまってもいいですから、思う存分その苦しみを吐き出してください」
「私も……先生の……力になりたい……」
やけにしっとりと声を小さくして日和さんも続けた。
「ありがとう、二人とも。本当にありがとう。でも、先生の大好きな人の前では、嫌なことを思い出したくはないかな」
好きな人、かつての生徒をそう形容してくれるのは、嬉しいかぎりだが。
「じゃあ……好きなものの話でも、しましょう、趣味とか……どんな話でも……あれ?」
なんだ?
なんだか口が重たく感じる。頬が硬くて、舌先の感覚が変だ。それに。紅茶に手を伸ばそうとしたが、やけに右手がズシンと重たい。
……いや動かない!
右手が膝の上から動こうとしない。左手も、両足も、首も頭も、なぜか動かしづらい。
徐々に、ピリピリとした感覚を身体で実感してくる。まるで、身体がしびれてるようだ。
「ひ、日和……さん」
隣の日和さんの方に目を向ける。すると日和さんは、バタッ!!と大きな音を立てて、大の字になるように床の上に倒れてしまった。
「日和……さん!?」
プルプル震える口で名前を呼ぶ。日和さんは目を閉じて倒れている。いったいどうしたと言うのだ。
「大丈夫、彼女は眠ってるだけだよ」
やけに平坦な抑揚のない声で、先生が話す。




