第93話 先生のお宅へ
「木野星也くん……と栗村ひかりさん?」
微睡んだとろけた声で、先生は僕たちを認識する。
「ひかりじゃなくて、日和です」
「あれ、ここは?」
「広場です」
「先生、酔っ払ってこんなところで寝ちゃってたんですよ」
「ええ、嘘」
自分の状況を自覚すると、先生は血の気の引いたような、やってしまったと言わんばかりの表情をひて、バッグの中身を確認した。
「よかった、財布も携帯もあるわ」
「財布も携帯もあるけど、ねえ……」
日和さんは気まずそうな表情で、先ほどの出来事を説明した。とはいえありのまま、日和さんが男三人を騎士に変身して退けた、なんてことは言えなかったので。僕らは警察を呼んだ、と男たち相手に嘘をついて、追い払ったことにした。
「そんな、ごめんなさい。先生の不手際で、二人に迷惑をかけちゃった……」
先生は悲しそうに、ベンチの上でうなだれる。
外で眠ってしまうほど、先生はお酒を飲んでしまった。それだけ、例の転勤先の学校がうまくいっていなくて、ストレスがたまったいたのだろう。
スマホのライトで顔を照らしたとき。先生の目の下のクマがより濃くなっていたことを確認した。そしてまるで生きているように見えない肌の色が怖かった。
「あの、先生。以前にもお話した通り、僕、愚痴のはけ口くらいにはなれますよ」
あまりに今の先生が心配だ。
「え?」
「お酒はもう飲まない方がいいと思いますけど、甘い物でも食べましょう? その、ただの男子大学生なので、話し相手にしかなれないですけれど」
「そうね、私たちいまからスターパックス行こうとしてたんです。先生もどうですか?」
日和さんも僕に乗っかって提案する。
デート中だったし、日和さんには申し訳ないのだけれど、しかしこんなにやつれてしまったかつての担任を見過ごせることは僕にはできない。だが日和さんも同じ気持ちのようで、安心した。
「……ごめんなさい。スターパックスには行けないわ。今の先生の姿を、先生のことを知っている人に見られたくないの」
ああ、それもそうだ。だってスターパックスにはこの時間帯でも大勢の若者が溜まっているのだ、先生にお世話になった人も中には居るかもしれない。
「それじゃあ、別の喫茶店にでも行きますが?」
「でも、この時間喫茶店なんてどこも開いてないわ」
「あー、ファミレスも閉まっちゃったかな」
「あの……」
先生は僕らが悩む中、気まずそうに手を挙げて発言した。
「二人とも、私の家に来る?」
「え?」
「先生の家に?」
「ええ。不始末のお礼をしたいし、甘いものもあるから、さ」
◇◇◇
僕らは先生の奢りでタクシーに乗って、時間にして五分ほどと、少しだけ移動した先の、アパートの前に降りた。
住宅街の一角に建つ、二階建ての緑色をしたコーポ。近くには木々や竹林の生えた雑木の斜面と、その中に広めの神社が位置している。
先生に案内されて、アパートの二階は端の部屋へと移動する。
階段を先に登る先生の姿。白色のキラキラした髪留め、髪飾りが、セミロングの髪を後ろに留めていた。が、揺れるお尻、短いスーツスカートから伸びる太ももに目が引っ張られる。だが僕の後ろを登る日和さんから、背中に痛い視線を感じたので、僕はそっぽを向いた。
「先生、本当に僕が家に入っても良かったんですか?」
「いいのいいの、気を使わないで」
大人の、女の人の部屋へ入る。そんな経験は初めてで、まだ日和さんの部屋にも訪れたことのない僕からすれば、下手したら初めて瀬根家以外の女性の家への訪問なので、ドキドキしている。
弥先生の部屋、いったいどんなだろう。女性物の服がたくさんあるのかな。いい匂いが充満しているのかな。
なんて、日和さんと一緒にいるのに、彼女以外の部屋へ入ることに好奇心から内心ワクワクさせて、僕は玄関へと足を踏み入れた。
だがそこで目にした光景に、僕は絶句した。
き、汚い……
玄関から伸びる廊下。足の踏み場はかろうじてあるものの、段ビールの空箱や空き缶空き瓶の入ったゴミ袋が飽和していて、他にも何か細かいものが散らかっていることからも、汚部屋というワードが頭に浮かぶ。
「先生、これって……」
「みすぼらしくてごめんなさいね、片付ける心の余裕がなくって、気がついたらこんなになっちゃったの。こんなだから、気を使わないでいいからね」
じめっとしたこの廊下からもわかる、先生の精神状態。だが臭いなんてことはなく、刺激的な先生のいい匂いはどことなく漂っていた。
先生はキッチン横の冷蔵庫まで行くと、手前に散らばるゴミをどかしながら戸を開けて、ケーキの箱を取り出した。
「それが例の?」
「そう、ヤケ食いしようと買ったけれどカロリーに躊躇しちゃった、ホールのショートケーキよ」
ここへ来るまでの間に聞かされた、先生がおとつい、勢いで購入してしまったというホールのケーキ。ストレスに負けて、甘いものを大量に摂取したくなり、学校からの帰宅際に買ってしまったのだが。しかし流石にカロリーに躊躇して、一切れだけ食べては大量にあまらせてしまい、処遇に困っていたのだという。




