第90話 居酒屋デート
夜は駅前で日和さんと集合してから、向こうから求められたので恋人繋ぎをして、夜の町へ繰り出す。
駅前の、僕らが出会ったチェーンの居酒屋の前を通り過ぎて、明かりの少ない住宅街に入り込み、日和さんと猫俣さんが戦った恵比寿公園の前へ差し掛かる。
公園は、入り口に黄色いテープが巻かれていて入れないようにされている。あの夜、砂地に出来上がった大きな穴は、まだ当時のまま残っていた。
それは強大なラバーズの力を物語っている。
「ここで、私たちの関係は始まったのよね」
なんて感慨深く言う。
そう、ここから、僕の非現実的な生活が始まったのだ。
住宅街を抜けると、細い川へとたどり着く。川沿いの狭い道路を少し登ったところに、その居酒屋は開いていた。
「花林糖」という甘美な響きのそのお店は、名前に反して入り口からは厳かな雰囲気を感じ、そこには大人の世界があるのだと実感させる。
慣れないお店に入り口前までやってきて若干の躊躇を持ちながらも、恐る恐るドアの鈴を鳴らして二人で店内へと入った。
お店の中はシックな雰囲気だった。ズンズンと低音の響くジャズが流れていて、朱色の渋い照明が店内に灯る。きょろきょろと店内を見回すと、アンティーク感漂うパイプライターやレコードプレーヤーが飾られていて、なんだか喫茶店やバーのような色が強い気がする。高級感があって洗練されているが、しかし落ち着きのある装いとは反対に、お酒の席はどこもガハハと大いに盛り上がっている。
若い女性の店員に、端の方にあるテーブルの席へ案内された。
お店の中はさほど広くないが、席はカウンター席含めすべて埋まっていて、この居酒屋の繁盛具合を知る。客層も若そうな人からお年寄りまで、キャピキャピした感じの人から落ち着いた雰囲気の人までいて、幅広かった。
「カクテル、たくさんあるわね」
メニュー表を見る日和さんがつぶやいた。
カクテルのメニューページには、カシスオレンジやジントニックと聞きなじみのあるカクテルから、世界一周にアースクエークと、初見のカクテルもたくさん記載されている。写真で見るお酒たちは色とりどり、キラキラしていてとってもおしゃれで美味しそうなのだが、どれも度数は高そうで、お酒が弱い僕には飲めたものではないだろう。
「私、モスコミュールにしようかな」
「じゃあ、僕はカシスソーダにしようかな」
最初にお酒を注文して、二人でメニュー表をペラペラめくりながら食べ物を確認する。
「アヒージョ、種類がたくさんあるね」
僕はアヒージョを人生で一度しか食べたことがないが、メニューにはマッシュルームを中心にしたアヒージョや、シュリンプを中心としたアヒージョと数品あり、美味しそうだとは思いつつ、しかしニンニクがしっかりと効いていそうで、デートで食べるにはふさわしくない気がする。
注文したお酒とお通しのナッツが届くと、僕らはマルガリータを注文した。
「僕スーパーのピザしか食べたことがないんだよね」
「ええ? お店のピザ食べたことないの?」
「ない。CMでやってたピザの耳が伸びる、みたいなやつ、すごくうらやましかったな」
我が家は飲食に高いお金は出さない主義だ。そのため、実は僕は、焼肉に人生で一度も行ったことがない。だいたい安売りされたお肉を家で焼いて食べれば十分だから。
さて二人で「かんぱーい」とグラスを合わせると、僕はカシスソーダを一口、ゆっくりと口に含んだ。カシスのお酒は初めて口にしたが、正直味はよくわからない。甘味は感じなく、何なら渋いような気もするが、かといって不快感はなく、果物の渋みのよう。アルコールも強くなくて、多分美味しい気がする。
「美味しいわ~」
以外にごくごくと飲む日和さん。
「モスコミュールって、どんな味なの?」
「うん~、ジンジャーエールにライムが入っている、て感じかな。もっと深い味わいだけれど、甘くて美味しいわ」
「へえー、いいな。これを飲んだら僕も注文しようかな。いや、でもお酒弱いしな……」
「じゃ、私の一口飲んでみる?」
と、日和さんは自身のお酒が入ったタンブラーをこちらへよこす。
これは、関節キスか?
大人なキスを何度もしておいて今更ではあるのだが、しかし初めての間接キスはなんだかドキドキしてしまう。
「じゃ、一口いただきます」
僕はタンブラーを受け取り、ゆっくりとグラスに口をつけると、一口、口の中へ含んだ。
味わった感じ、確かにジンジャエールの雰囲気がある。だがライムによる柑橘系のすっきりした感じと、ウォッカによる消毒のようなアルコール感を奥に感じた。甘さも控えめのお酒だ。
「美味しいけれど、ちょっと強いのかな」
「うーんと、このお店も同じなのかは分からないけれど、私の行ったことのある居酒屋では、確かモスコミュールの度数は十パーセントくらいで提供してるってメニューに書いてあったかな」
「じ、十?」
聞いただけで、頭がくらっとする。もう酔いが回ってしまったのだろうか。
「大した度数でもないよ。まあ、これから徐々に慣れていこうね」
なんて、この間成人になったばかりで、僕と歳の変わらないはずの日和さんは、とてもお酒に慣れているような口ぶりで言った。




