第72話 いじめ嫌いのギャル
猫俣さんは当時と印象が大きく違えば、苗字も変わっていたので、なかなか気づくことはできなった。というか自分でもよく気がつけたなと感心するほどなのだが、おそらく心の何処かで彼女に対する不安が残っていたのだろう。
「恥ずかしいなあ。あれは、あーしにとっても黒歴史なんだよね」
猫俣さんがほころんだとたん、バイクがグラッと揺れて、僕は「うわっ!」なんて声を出しながら、彼女に強く、がっしりとしがみついた。
「……あのときは、ありがとう。あーしは君のおかげで、今を生きていられる。本当は、あのときにお礼を言うべきだったのだけれど、当時は余裕がなくって。ごめんね、今更感謝を伝えるなんて」
「いや、僕はありがとうなんて言われるようなことはしてない。強気で女子たちの前に出たくせに、僕は何もできなったし。……かっこ悪かったよ」
「ううん、あーしからしたら君は、かっこよかったの」
猫俣さんは懐かしむように、穏やかな声だった。
「あーしをいじめたあいつらは、日々の鬱憤を晴らすためだけに、あーしに嫌がらせをしてきたの。で、あーし、あのときはクラスのみんなにも無視されててさ。もしあーしを助けようとしたら、次は自分がいじめのターゲットになるって。だから、見て見ぬふりをされていた。木野くんも、あの後あいつらにいじめられるようなことがなかったか、心配だったし」
「ああ、僕はあのあと、彼女たちに嫌がらせを受けるようなことはなかったよ。先生たちに目をつけられていたのでしょ、彼女たちは卒業までは大人しかった」
「そうなんだ、よかった……」
しがみつく猫俣さんの腹部に、力が入っていた。
「君は、みんなに無視されてたあーしを、気にしてくれた。それが、すごくうれしかったの。心が救われた気がする。で、大学で君を見かけたとき、すぐに気がついたよ。君があのときあーしを救ってくれた、木野くんだって」
僕が、猫俣さんを精神的に助けていた。そんな僕に数年ぶりに再会し、猫俣は僕に好意を持ったのだろうか。
「あのときね、本気で死んでしまおうかと悩んでた。けれど、君のおかげで、君のような優しい人がいるんだと知ったおかげで、絶望せずにいられた。そして今のあーしがいるの。あの王子様も言ってたように、昔の芋っぽいあーしとは違った、可愛いを追求した、こーんなあーしがいるの」
僕が猫俣さんの生きる希望になったということだ。それは僕としても嬉しいのだが。
「……いやさっき、猫俣さん、いじめは嫌いだとか言ってたけれどさ」
そう言えば、この人もいじめに近いことをしなかったっけ。
「その、ハブられる気持ちがわかるならさ、合コンの雰囲気、すっごく辛かったのわかるでしょ」
「いや、あれはいじめじゃないもん。まーあ、君があの場で浮くように仕向けて、君がお酒をたくさん飲んで潰れるように仕組んで、後からあーしが持ち帰って可愛がってあげようとしたけれど。でも全部あーしの計画だったから。あ、でもあのまま最後にベッドの上まで連れて行けてたら、あーし、君のこといじめちゃってたかもしれないわ。そっちの意味で」
「そ、そうですか……」
しかし、この人といい鳩島先輩といい、いや鬼頭さんや戌子もそんな雰囲気はあったけれど、なぜそんな肉欲的なんだ。もしや僕って、女の人を発情させるフェロモンでも分泌しているのか? なんて想像する。
フェロモンと言えば、猫俣さんの汗が混ざった甘じょっぱい匂いにドキドキする。しがみつけばつくほど、汗の匂いが濃くなって。先ほどの鳩島先輩に責められた感覚もまだ肌に残っていて、ムンムンとしてしまう。そして日和さんを裏切っているような感覚で、頭が痛くなる。
学校が見えてくる頃になると、道路は比較的直線に変わった。空には魚のような雲が並んでおり、まだお昼を過ぎたくらいの時間帯だというのに、太陽がまるで夕焼けのように朱色に感じた。
「あたたかい太陽だね」
風に当たっていると肌が冷たかったので、初夏の日差しが暖かく感じる。もう六月も佳境だ、すでに暑い気候が、これからさらに強くなってしまう。これくらいの優しい日差しがちょうど良いのに。
「あーあ、午後の講義さぼっちゃった」
「あっ僕も。初めてさぼっちゃったな。今からでも間に合うかな」
「もう無理でしょ。本当、真面目だね」
「猫俣さんはよくさぼるの?」
「ええ、なんで?」
「なんか、そんな印象ある」
「ちょっと、見た目で判断しないで。あーしだって病気のとき以外は講義さぼったことないんだよ」
「そうなの? 意外と真面目なんだ」
「だって、あーし昔は絵に描いたようなガリ勉の芋っ子だったんだよ」
ああ、そうかこの人は昔から真面目なのか。
「よし、じゃ、学校に帰ろう。まだしばらくは周りの目も強いだろうけれど、大丈夫。あーしが君を助けるから」
と猫俣さんはブオンとエンジンを吹かして、くだり道だと言うのにアクセルを踏んで速度を増す。すると一瞬平行感覚を失ったのか、バイクはふらふらと蛇行しだした。
「おわっ、気をつけて!!」
「ごめーんっ」
それはとても弾んだ声の謝罪だった。




