第56話 凶悪な盗撮
美しい匂いが、ワンピースを着ていても目立つスタイルが、その美貌が、胸元を優しく触る感触が、心臓の鼓動を早くする。
「な、なんですか?」
鞠井先輩は妖しくいたずらな笑顔を向けると、恐ろしいことを口にした。
「鳩島先輩が帰って来るまでの間、わたくしと、交わりませんか?」
「ま、交わっ!?」
なんて直球な誘惑をしてきて、まるでキスを迫るように唇を寄せてくる。
「何を言ってるんですか!?」
そして流れるように腕を組んできて、間近で感じた官能的な匂いが心を脅かしてくる。それはまるで淫魔のフェロモン、惚れ薬のように、一瞬のうちに先輩に魅了されてしまいそうになる。
「ねえ、いいでしょう?」
「よ、よくありません!」
だがもちろんこんな誘惑に流されることはなく、僕は焦って腕を引き抜き、距離をとった。
「ぼ、僕の置かれている状況を知ってるんですよね。こんなところ誰かに見られたら……」
状況が悪化するだろう。
そう、ただでさえ猫俣さんや大井先輩と一緒にいるところをネット上に取り上げられて、鳩島先輩をたぶらかすクズ男呼ばわりをされているというのに。鞠井先輩と一緒にいるところを見つかったら、もっとひどいことを言われるかもしれない。
「ええ、流石に冗談ですわ」
嫣然とほほ笑む。なんて凶悪な冗談だな。
「ですが、あなたは今、苦しい思いをしていることでしょう? ですから、少しでもあなたの慰藉になれたらと思っています」
でも、心配をしてくれているようだ。
「あの、心配していただきありがとうございます」
「いえいえ。わたくし、あなたが望むなら、あなたのためになれるのなら、何でもするつもりでいますわ」
「な、なんでも?」
まるで愛の重たそうなセリフだ。
「ええ。わたくしの身体を、お好きになさってもいいのですよ」
「そ、それは結構ですが……」
「あら、いいのですか? あなたの劣情、いら立ち、すべてわたくしにぶつけてもいいのですよ? それに……」
先輩はトイレの方に目線をやった。
「なんでしたら、わたくしの放尿姿を流出させても構いません。あなたの苦しみを、わたくしも背負いましょう」
「な、冗談にしてはきついことを」
「これは冗談ではありませんわ。あなたのためであれば、わたくしは本気で、そんなこともできるのです」
その表情は本気だった。
この人は、どうして僕のことを知っていて、誘ってきたり、こう気にかけたりしてくれるのだろう。ただの八方美人のビッチ、にしては本気のよう。
「先輩がそこまでしてくださる必要はありませんよ。その気持ちだけで十分、気持ち的に助かりましたから」
「そうですか。身体だけはいつでも貸して差し上げますからね」
そしてまた、おしとやかな笑みを浮かべた。
なんでそこまでして身体を重ねてこようとするのだこの人は。
「だから、それはいいですって。何より僕には彼女が居ますから、そういうことは絶対にしません」
「かの……女? いるのですか、お付き合いしている方が」
「ええ、いますけれど」
しかし、とたんにおしとやかな笑みが消えて、不安そうな表情を浮かべた。
「それは、どなたなのです?」
「えっと、この学校の人ではありませんが」
「そうでしたか……まあ、そうですよね」
わかりやすく落ち込んだ様子。もしかして、この人も僕に好意があったのか? しかしそれにしては性に開放的すぎるから、複雑である。
◇◇◇
鞠井先輩と別れて、実習棟を抜けた。
鳩島先輩が学校外にいるとわかればご飯を済ませておこうということで、ボクは賢と猫俣さんに連絡を送って、講義室で待ち合わせをすることにした。
そんなわけで、僕は購買室へやって来た。
簡単に済ませたいので、僕は焼きそばパンとブラックの缶コーヒーを購入する。お昼のピークは過ぎているので人の数は少なかったが、しかしまだいる人たちの目につくのがつらいので、さっさと講義室へ行こうと足早に購買室を出ていった。
だが、しかし。
「あらら、木野くんじゃないの?」
そのいやみったらしい女性の声が、僕を呼びとめた。
「き、木原さん……」
ゾロゾロと女性たちを連れた木原さんと、出会ってしまったのだ。
ああ、最悪だ。これまでこの人たちには出会わないように、見かけても近づかないように徹底していたつもりだったが、これから話をつけに行く目前にして会ってしまった。
「よく、のうのうと校内を歩けるわね?」
なんて、出会って早々ガンを飛ばしながら、まるで僕を悪者のような言い合いで詰めてきた。
しかし、そんなことを言うってことは。
「あ、あなたたちですか。あの写真や映像をネット上に出したのは」
というか、あんなことをするのはこの人たちしかいないのだが。
「さあ、何のこと?」
と、わかりやすくニヒルな笑みを浮かべて白を切る。
「なーに、疑ってるの?」
「私たちがあれを投稿したって、証拠でもあるの?」
と、グループになって女性たちは責め立ててきて、心臓がつかまれたように引き締められた。
こ、怖……
「ねえ、ちょっと顔を貸してくれない? 私たちだけで話をしよう」
「ごめんなさい、これから用事があって」
顔を貸してなんて言われて、素直についていくわけがない。何をされるのか分かったものではない。
「ふーん。これを見ても私たちについてきてくれないの?」
何やらポニーテールの女性は意気がるようにスマホの画面を見せつけてきた。
まさか、また盗撮をされてしまったのか。例えば、先ほど鞠井先輩と一緒にいた所を撮られてしまったとか。
だがそんな不安も一瞬。そこに流れていた動画は、僕の想像よりも凶悪だった。
「っ……」
ショックで、言葉も出ない。
それは、猫俣さんがトイレで用を済ませる姿。隣の個室で上から覗き込むように、その様子が撮られていたのだった。




