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第50話 ラインを超えた嫌がらせ

 今日の大学生活はひどく疲れた。クタクタだ。心も体も力がこもらない。

 午前中の講義はずっと視線を感じた。昨日よりプレッシャーを感じて、とても講義には集中できなかったし、精神がすり減ってしまった。


 そして昼時には事件が起きた。


 僕がトイレで用をたしている様子が、インターネット上にあげられてしまったのだ。 


 それは、猫俣さんと賢と三人で、講義室にてお昼を食べていたときのこと。賢はまたよくないものがインターネット上にあげられていないかとSNSを確認していた。すると……


「な、なんだよこれ……」


 賢は何かを見つけ、絶句した様子でスマホを凝視した。

 どうしたのだと、僕は画面を見せてもらった。

 そして、恐怖に慄いた。

 また某写真を投稿するSNSアプリ。アカウントは僕と鳩島先輩を盗撮して投稿したものとは違ったが、そんなことはどうでもよく。

 そこに映っていた動画。それが、僕が男子トイレの小便器で用をたしている様子だったのだ。おそらく朝登校して、講義が始まる前にトイレへ立ち寄ったときに撮られてしまったのだろう。


 それはあまりにもネットリテラシーに欠けていて、それ以上に人として終わっている行為で、怒りよりも恐怖におびえてしまった。

 悪質な盗撮に、ショックで言葉も出ない。頭が痛くなり、視界が一瞬ゆがんで、思わず倒れそうになる。

 後ろからこっそり撮られているため、汚いところは見えていないが、だからといって大丈夫なわけがない。

 

 猫俣さんにこの動画は見せなかったが、しかし彼女は机をドンとたたいて怒ってくれた。

 それで、早く鳩島先輩に話をしに行こうと決起したのだが、賢がサークルの先輩から聞いた話だと、今日は鳩島先輩は登校していないと言い。電話番号もわからなけばSNSもつながるわけがなく、なすすべなし……というわけでもなくて。

 流石にラインを越えたこの投稿については大学の事務所に伝えたため、大学側は動いてくれるだろう。しかし、やはり鳩島先輩本人がファンの人らに言ってくれないと、この騒ぎは収まらないと思う。

 

 そんなことがあって、午後の講義は最悪だった。僕の放尿姿を見た人たちが、陰からヒソヒソあざ笑うのだ。

 恥ずかしいくて、恐ろしくて。年甲斐もなく、講義中に涙が出そうになってしまった。

 だから、午後の講義が終わるなり僕はすぐにバスに乗って帰宅した。


 バスの中ほどコソコソ声は大きく聞こえて、まさに地獄だった。一緒に帰ってくれた猫俣さんが僕を励ましてくれて、何とか我慢できたが。

 しかしバスでの気まずい帰宅中、大井先輩から届いていたメッセージを確認して、さらに悲しくなってしまった。


 大井先輩も、僕と一緒にいるところを撮られてしまったのだ。

 普段図書室にひっそりと生きていたのに、視線をたくさん感じたかと思えば、意地の悪い陽な雰囲気の人に、僕の噂、というか偏見の混じった悪口をさんざん言われたそうで。そのついでに、先輩は自分の陰な雰囲気、地味な容姿をいじられてしまったのだという。


「ごめんなさい、木野くん。わたし、しばらく学校を休みます」


 そのメッセージを見た瞬間、僕はバスの中にいることなんて関係なく電話を入れた。しかし出てはもらえず、メッセージを送り返したが既読もついていない。

 僕のせいで、先輩が傷ついてしまったのだ。それが本当に申し訳なくて、悲しくて、辛かった。


 そんな感じで哀傷した僕は、町に着くと直ぐに猫俣さんに別れを言って帰路についた。

 早く家に帰って、ベッドの中に潜り込みたい、明日の朝まで眠って嫌なことから逃げたい。

 しかし、今は日和さんが家にいるのだ、彼女に心配をかけたくはないし。


 町の中心からマンションのある場所までは上り坂で、別に急でもない勾配が今日はやけにきつく感じて。普段からアルバイトで立ち仕事をしていることもあってかふくらはぎや腰回りに疲労が溜まって違和感を持ってはいるのだが、そこに心が疲れてしまったからか、身体が重たくて仕方がない。

 いつもより時間をかけて、息切れを起こしながらなんとか家までたどり着く。そして膝に手をつきながら、最上階で止まっていたエレベーターを待った。

 以前から嫌なことがあったらベッドにこもって眠っていた。あの日、日和さんと卓志が目の前でキスをしていた日も、夜ご飯も食べずに朝まで布団にくるまったものだ。

 でも、そんな日和さんが今は近くにいる。日和さんが、僕を守ってくれている。だからこそ、あまり弱ってはいられない。日和さんの前で弱いところを見せたくない、これ以上心配をさせたくない。だから、眠ることはできないな……


 ゆっくりと降りてくるエレベーター。階の表示灯がやっと三階まで下ったところで。


「あら、星也くん!」 

 

 と、親しげな声に呼ばれた。


「あ、阿奈さん」


 そこに、買い物袋を腕に通した阿奈さんが駐車場の方からやってきた。


「おかえりなさーい」


 でた、近所の人あるあるの「おかえりなさい」だ。その人の家に帰るわけでもないので、こういうときただいまと言っていいものか悩むものである。しかし阿奈さんはうちの隣に住んでいる、それ以上に同じアパートに住んでいる。そう、住んでいる建物が同じなのだから、この人の場合ただいまと返してもおかしいとは思わない。


「はい、ただいまです」


 だから僕は素直にただいまと返答する。


「今日も大学は順調だったかな?」

「ええ、まあ……」


 と聞かれるも、今日の学校で起こったことを話すわけにもいかないので、曖昧に笑ってごまかした。こういうときは嘘でも順調だと、元気にやってますと返すのが正しいと想うが、嘘をつくのが得意ではないので、はぐらかしてしまった。


 エレベーターが到着し、僕らは乗り込んだ。二人横に並んだ状態になると、僕はボタンを押す。扉が閉まって昇り始めると、身体がフワッとした。

 さて、四階まで一瞬の間。僕は足の疲労を逃すために、足首を回す運動をした。

 すると。


「星也くん、なんだか疲れてる?」


 と、阿奈さんに問われた。


「なんだか立ち姿が歪んでるわ。顔色も悪そうだし。身体もだけれど、精神的にもつかれているんじゃないかな」


 と言って、阿奈さんは僕の後ろに回ると肩を揉む。


「うわ、硬いわねー。多分星也くん、全身カチコチだよ」


 チーンとエレベーターが到着の音を鳴らし、扉が開く。


 足腰の疲労は気づいていたが、肩も意外と凝っていたのか。


「よかったら、マッサージしてあげましょうか」

「ま、マッサージですか?」

「そう。有料級の本格的なマッサージをサービスしてあげる」

「そんな、大丈夫ですよ」


 と僕は遠慮しながらエレベーターから降りたが。


「遠慮しなくていいのよ。普段から戌子がお世話になっているし。最近はマッサージの依頼もないから、おばさんも感が鈍りそうだったの」


 と、両手で空気をモミモミしながら、阿奈さんもエレベーターから出てくる。

 阿奈さんは、普段は事務の仕事をしているが、夜や休日には出張マッサージ師もしている。もちろん、健全なマッサージだ。

 女手一人で娘を育てていく上での副業だ。知り合いの整体師からお勧めされたことをきっかけに、資格もしっかり習得して行っている。出張マッサージ師なだけあり、ちょっとお高めであるが。


「お金を払わないと受けられないマッサージが、無料で受けられるの、お得でしょう?」

「でも、阿奈さん夜ご飯の準備とかは」

「今日の夜ごはんは作り置きのものを温めるだけだから、問題ないわよ」


 と、やる気満々の様子である。

 阿奈さんのマッサージ、以前から気になっていたし。本人が良いと言うのであれば……


「……じゃあ、お言葉に甘えてみようかな」

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